2013年12月9日月曜日

「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という問いの背景を資本主義経済の構造から説明した一冊

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

「なぜ、わたしたちの働き方はこんなにもしんどいのか?」
「なぜ、社会や経済は十分豊かになったのに、働き方は豊かにならないのか?」
「どうすれば、「しんどい働き方」から抜け出せるのか?」

という問いに対する答えを、仕事術のようなテクニック的な話ではなく、資本主義経済の構造・仕組みを背景に説明しようとしている本。「資本論」と「金持ち父さん貧乏父さん」の話が下敷きになっている。

また、冒頭では「給料」に関する話がある。

「あなたは、自分がもらっている「給料の金額」に満足していますか?」
「その金額は、あなたが行っている仕事内容に対して「妥当」な額ですか?」

と聞くと、「給料が少ない!」「自分はもっともらってもいいはず」と感じる方も多いのではないかと述べられている。一方、そうした人で以下の質問にすぐに答えられる人はあまりいないでしょうとも述べられている。

「あなたは、自分の「給料の金額」がどうやって決まっているのか、ご存知ですか?」
「給与明細を見て、なぜその金額をもらっているのか、「論理的に説明」できますか?」
「「もっともらってもいいはず」と感じる方は、では論理的にいくらが「正しい金額」だと思いますか?」

こうした問いかけをしながら、そもそも「給料」はどう決まっているのかという話が展開される。本書での答えは「必要経費方式」。要するに、生活に必要な分のお金を給料としてもらう。

これとは別の「利益分け前方式」の会社もあってそうした会社では稼いだ分に連動してもらえるお金が決まってくるけど、多くの会社の場合は必要経費方式で「どんなに努力して会社に利益をもたらしても、基本的に給料は変わらない」(p29)

もちろん、昨今の成果主義の話とかは触れられていて、そうしたところで多少のプラスアルファの変動はあるものの、ここで扱われているのはベースの考え方がどうなっているかという話。個人事業主や経営者ならまた別かもしれんけど、会社員についてはそういう考え方ということ。

そして、給料の水準が高い人は、なんだかんだ生活水準も上げなくてはならないようになっており、そうすると、年収が多い人は多い人なりにしんどいと感じている。

これと関連して、資本論での「使用価値」と「価値」の用語がつかわれている。ここでいう「使用価値」の方は、一般的に価値と言った時にイメージするような内容で、使ってみての意味や役立ち度合いみたいな意味。それに対して「価値」の方は一般的なイメージと違っていて、それを作るのにどれくらい手間がかかったかというもの。

世の中のモノの値段や給料はこの「価値」の方を基準点として決められている。給料は、労働力を再生産するのに必要な分がもらえているということであり、給料が高いというのは再生産のためのコストが高い(例:衣食住のクオリティを上げておかないと激務に耐えられない)。だから、いくら給料が上がるような仕事についても皆全体的になんとなくしんどいというとかそういう話が展開されている。

このあたりの話と関連して以下のような話が紹介されていたけど、これは果たしてどうなんやろなー…

■がんばって成長しても、得られるものは変わらない
「かつて、このような話を聞いたことがあります。

 生存競争が激しい熱帯雨林に生息している樹木は、どの木も、隣の木よりも多くの光を得ようと上へ上へと伸びる。
 ところが、それでは「影」に隠れてしまう木が出てくる。その影に隠れた木々は、太陽の光を得ようと、他の木と同じ高さまで伸びようとする。もしくは、いちばん高く伸びて、光を独り占めしようとする。
 すべての木が同様のことを考えているため、熱帯雨林の木々は非常に背が高い。
 ところが、ふとその熱帯雨林を俯瞰して全体を見渡してみると、光を得ているのは最上部の葉っぱだけだということに気がつく。一生懸命背伸びして、高いところにたどりつこうとしているが、日が当たっているのはごく一部なのである。
 そして、より大事なことは、すべての木の背が低くても「各樹木が得られる光の量は同じ」ということだ。
 自分だけ太陽の光を得ようと競い合って伸びても、誰も何も考えず「当初」の高さでとどまっていても、「得られるもの」は同じだったのである。
 熱帯雨林に生息している樹木は、なんと無駄なことをしているのだろうか――。

 この指摘は、資本主義経済に生きるわたしたちの姿をよく表していると言えるのではな
いでしょうか?
ほとんどの人は、より多くの光を得るために「他人よりも上」に行こうとします。ところが、他人も同じことを考えており、みんなとりあえず上を目指して生きています。
 その結果、熱帯雨林の木々と同じように、最終的に得られるものは「競い合う前となんら変わらない」という状況に陥っているのです。
 なんとも皮肉な結果です。
 では、競い合う前とまったく同じ状況なのかというと、そうではありません。
熱帯雨林の例でいえば、木々が太陽の光を求めて競い合った結果、「得られるもの(光の量)」は競い合う前と変わりません。
 では、何が変わったのか?
 そう、競い合う前に比べて、幹が異常に長くなってしまってぃるのです。
 その大きく伸びた幹を維持するためには、より大きなエネルギーを必要とします。
 熱帯雨林の木々と同じように、わたしたちもゃみくもに「他人よりも上」を目指すと、得られる「光の量」は変わらない一方で、競い合うだけ体力や気力、そして時間を失います」
(p137-140)

じゃあどうするかというところが最後の方で述べられているけど、そっちの方は結局は考え方を変えましょうみたいな話。「世間相場よりストレスを感じない仕事」(p228)を見つけて選ぶことで、相対的にしんどくないとか、あとは、長期的に活きる資産を蓄積してそれを活用しようとかそういう話。

このへんはそんなに目新しいことは言ってないかなーと思ったけど、前半の方の話はなかなかユニークやなーと思った。

さらっと聞くと、ん?ってなるし、「がんばって成長しても、得られるものは変わらない」って言われちゃうとなー…とも思うし、いろいろ留保が必要そうな主張ではあると思うけど、1つの見方としては面白いんやないかなーとも思った一冊やった。


2013年12月2日月曜日

「水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ」は「とりわけ険しいわけでもない」けれども当たり前のことを当たり前にやることの大事さを感じさせてくれる一冊

水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ―水族館プロデューサー中村元の集客倍増の仕掛け

新江ノ島水族館、池袋のサンシャイン水族館、山の水族館などのプロデュースを手がけた方がどのような発想で成功につなげているか、取材を元に整理している本。もともと魚も水族館もそんなに好きではないと公言している方だけに、なぜ水族館の価値を発揮させられるようなことができるのかとても興味深い内容。

テーマ的には水族館を核にした地域おこしの話にもつながっていて、その発想の広がりや行動力は先日読んだ「ローマ法王に米を食べさせた男」の水族館版っていう感じがした。

特に北海道の山の水族館の事例はすごくて、バスと電車で行くと待ち時間も含めて空港から4時間半(レンタカーでも空港から1時間半)かかる場所にあって、もともとは地元の人しか知らないような場所だったのを、低予算でリニューアルをして1年間の入館者数が15倍の30万人に!

その背景にある考え方の1つが顧客視点。これだけさらっと書くと何を当たり前のことを…っていう感じがするけど、読んでいくとなるほどなと思える。

例えば、水族館はどういう場所であるべきかということを考えたときに、運営者側は教育や種の保存、調査・研究といった社会教育施設として考えている。レクリエーション的な要素も考慮されているとはいえ「水族館は教育施設でなければならない」という考えが根強く、これがお客さんが求めるものとのズレを生じさせているという。

それをあらわしているのが次の言葉。

「多くの水族館はマーケティングを真剣にやってこなかったんです。いまだに子どもが家族を連れてくると思ってるからチャンチャラおかしい。小さな子どもは水族館よりも動物園に行きたがるもので、水族館に家族を連れてくるなんてことはないです」
(p68)

そこでターゲットをしっかり定め、その人たちが何を求めているかを考え、そこにあわせて展示内容も作っていく。サンシャイン水族館の場合、子供より大人が大事なターゲットと定め、大人のための「天空のオアシス」というコンセプトで癒しやくつろぎの空間を作る。

山の水族館では、北海道の自然を感じられるようなコンセプトにし、それが一言で分かるコンセプトコピーにまとめる。山の水族館のコンセプトは「日本一と世界初がある 北の大地の水族館」。そして、コンセプトはそれぞれの場所でしか得られないものに濃縮する。このあたりのコンセプトの明確化は星野リゾートの話とも通じるなーとも思った。

これに関して1つ印象に残ったのが次の話。

「ただ、なんでもやればいいというわけではないよ。大きな水族館ではマネできない仕掛けを考えると同時に、他の水族館では勝てない方向にもっていくことです。たとえ、相手がボブ・サップのような巨漢でも、指相撲なら勝てるかもしれないじゃないですか」(p245)

こうした形でそこでしか得られないものをコンセプトにして明確にすることでマスコミにもとりあげられやすくなる。記事にしたり、レポーターが中継する時に、「ここはまさに「天空のオアシス」です!」とか、「日本一の〇〇がある水族館です!」といった形で取材者側もポイントが明確で扱いやすくなる。

プロモーションはかなり力を入れていて、鳥羽水族館で働かれていた時代に、東京のテレビ局に鳥羽水族館の名前をアピールするために、放送局のある路線に絞って中吊り広告に鳥羽水族館の広告を出して印象を焼き付けるようなことをしたりしている。

こうした予算が無いなら無いで、山の水族館のように予算が無かった場合は、「日本一の貧乏水族館」がリニューアルによってどう変わったかということをアピールし続ける。しかも、メディアで紹介される時を見据えて、リニューアルの途中から実験や作業の様子を撮っておいて資料VTRとして使えるようにしてあるという。

正直ここまでやるとは…と思って、見方によってはあざといと見えるかも知らんなーとも思ったけど、逆にここまで徹底してやっているからこそ、予算とかリソースが無い中でも成功につなげていけるんやろうなーとも思った。

また、マスコミとか派手なことだけではなくて、お客さんの後をついていってどういう風に展示を見ているか地道な行動調査をしたり、1つ1つの展示内容や解説文をどう見てもらえるものにしていくか練っていったりという作業を繰り返して改善を重ねていることがバックグラウンドにはある。

他にも、「オペラ座の怪人」のミュージカルを見に行った時のセットの効果を水族館の展示のプロデュースに生かしたりなど、発想の広がりがすごくて、いろんなことを活かして企画や展示に活かしている。

展示内容に関しては常識を疑うということも重要としていて、その良い例が目玉の展示の配置。運営者側の視点だと、最後に目玉をもってきて、それまでのものも全部見て欲しいと考える。しかし、先がどうなっているか分かりづらい水族化でこれをやってしまうと、目玉にたどりつくまでにお客さんは疲れてしまう。そこで、あえて最初に目玉を持ってくることでお客さんの満足度も上がるという話。これは目から鱗やった。

予算が無い、人も足りない…と嘆くのは簡単やけど、ここまで徹底的に考えぬいて行動しきれば制約条件を超えたり逆にそれをプラスに変えていけるんやなーと改めて感じさせてくれる一冊やった。

1つ特に印象に残ったのが以下の一節。

「弱者が進化する上で大切なことを、中村は次のように語る。
「捨てること。イルカの芯かと同じです」
元来、イルカなど鯨の仲間は水中で生活していたわけではなく、陸上で暮らしていた。
しかし、陸上では弱者だったために、水中生活者へと進化していった経緯がある。陸を捨てて、海で生活することを選んだ時に、速く泳ぐために足をなくすことにしたのだ。
おもいきった選択があったからこそ、鯨類は今や多様な種類に繁栄して海洋の覇者となっている。もしも、彼らが陸上の生活に未練たらたらで、陸上を歩けて水中も泳げることを選んでいたとしたら、今の繁栄はなかっただろう。
この選択ができるかどうかが、進化できるか否かの分かれ目なのである。捨てることもまた進化の大切な考え方なのだ」(p240)

あとがきで、中村さんは次のように述べている。

「私の水族館プロデューサーとしての仕事は、新しいものをつくることではなく、利用者のための新しい常識をつくる仕事だ。スタッフと共に利用者のことを考え、古い常識を覆し新しい常識による展示を開発していく。ご想像のとおりその道は平坦ではないがとりわけ険しいわけでもない」(p254)

このメッセージは他の仕事にも通じると思う。

・無理だと思った時でも、何か別の方法を考えること。
・常識だと思っていたことや、思い込んでいたことを疑うこと。
・カスタマーズ起点で考えること。
(p250)

いずれも、これらを見るだけだとうん、そうやよなー、当たり前やよなーってことやけど、それをいかに自分の仕事や生活の中で実践していけるかが大事でかつ難しい。でもそれも「とりわけ険しいわけでもない」と思うし、その1つのモデルを見せてくれる一冊やった。