2015年1月13日火曜日

「年賀状の戦後史」から日本の戦後史を概観できる

年賀状の戦後史 (角川oneテーマ21)  

郵便学(郵便資料を用いて国家と社会、時代や地域のあり方を読み解く研究)についての執筆・講演活動を行っている方が年賀状をテーマに書かれた本。もともとは専門誌に発表した内容やけど、それが絶版になっちゃってAmazonでも高値がついているということで、一般向けにまとめ直したということ。

時代としては終戦から昭和期が中心で、平成に入ってからの話はトピックス的に少しだけ触れられている。読んでいくと、「年賀状と年賀はがき・切手の歴史は、日本社会全体の歴史と密接に結びついている」(p6)ということがよく分かる。年賀状は単に年始の挨拶の交歓という話ではなく、いろんな面で社会の状況とも関係している。年賀状の歴史をおっていくだけでも時代の流れがまた違った側面から見られて結構面白い。

例えば、まず面白かったのが年賀切手の題材の話。切手の題材に何を用いるかということで当時の社会状況が反映されていたりして、干支は迷信だとして廃止すべきというような論争もあったという。これに関しては一時干支は使われなかったものの、根強く残り結局復活している(ちなみに1968年の年賀切手の題材はわが郷土宮崎県の延岡市の「のぼりざる」が扱われたということ)。

また、大臣が地元に関連する題材の切手を発行させて実績にするという「大臣切手」という話題も(ちなみにその源流には小沢一郎さんの父の小澤佐重喜に求められるということも紹介されている)。

切手の題材には各地の郷土の玩具が扱われたりしていて、本書でも各年の題材が紹介されているけど、それぞれの玩具の由来を読んでいくのも雑学的にも面白かった。例えば、「こけし」のモノ自体は前からあったけど、名前が「こけし」に統一されたのは、1939年に開催された全国こけし大会でのこととか。

他に切手関連で言えば、自分は直接的に経験はしてないけど、以下の話は印象深かった。

「もはや忘れられつつあることだが、昭和三十年代から四十年代にかけて、切手ないしは切手収集というものは、日本の社会構造の中で確固たる地位を占めていた。人気のある記念切手の発行日には郵便局に行列ができ、子供も大人も発行されたばかりの切手を入手できたか否かで一喜一憂するなど、多くの日本人が切手に振り回されて生活していたことは紛れもない事実である」(p7)

自分らの世代でいうと、ファミコンとかたまごっちとか、今で言えば妖怪ウォッチとかそんな感じやったのかなー。

また、東京オリンピックに向けて寄付金付きの切手が発行されたという話も出ていたけど、これから2020年に向けて同じようなことが行われるのかなーと思ってみたり。ちなみに当時の法律では切手の寄付金をオリンピックに充てることはできなかったので立法措置もとられたという。

その他、高度経済成長の時代においては、国鉄のストに匹敵するような激しさで全逓信労働組合の年末闘争が行われて年賀状や郵便物の配達にも遅延をきたして国民生活に影響が及んだり、オイルショック後の郵便料金の値上げを年賀状シーズンの前にするか後にするかで国会が紛糾したり、年賀状を印刷することをきっかけに機器(ワープロ、プリントゴッコ等)の普及が進んだりと、単に郵便の話にとどまらない。

年賀はがき関連ビジネスも流行ったみたいで、手法としてあったのが民間業者が年賀はがきを買って絵などを印刷をし、その分上乗せして高く販売するやり方。当時そうした業者が年賀はがきを買い占めて一般の人が買えなくなり、高い印刷済みはがきを買わざるを得なくなったみたいで問題化。そうしたことも受けて、元から絵入りのはがきが発行されるようになったということ。なんとなく絵入りのはがきを買ったりしてたけどその背景にはこんなことがあったとは。

他にも興味深いのが、NIHONかNIPPONかという話。1964年に万国郵便連合の規則が新しくなったけど、その際に郵便切手に国名を表示する必要が出てきた。その時に乗せる文字としてNIHONかNIPPONかということが議論になったという。郵政省が文科省国語科に照会したけど煮え切らない答えが返ってくる。最終的にはNIPPONになったけど、本来はNIHONだという批判が後を絶たなかったという。今ではスポーツの応援とかでは「ニッポン!」というのが馴染んでる気がするけどそういう議論もあったんやなーと思った。

もう1つ面白かったのがお年玉はがきの由来。これは1950年の分から始まったということやけど、そのアイデアは民間の方からきていたという。京都在住で大阪で雑貨店を経営していた方が考案してそれを近くの郵便局に持ち込んでそれがだんだん上にあがって採用されたという。

このこともあり、この年の販売目標は強気に設定されて現場は売るのが大変に。ノルマ達成のために局員自ら自腹ではがきをまとめ買いするケースもあり、「自爆営業」(p37)のルーツは年賀はがき発足のあたりからあったことも触れられている。

ちなみに、年賀状の由来は以下のように整理されている。

「新年に賀詞を交換する風習はわが国では古くからおこなわれてきたが、明治四年三月一日(一八七一年四月二十日)に西洋諸国に倣った近代郵便制度が発足すると、その賀詞を郵便で送るということも自然発生的におこなわれるようになった」(p4)

その後徐々に量が増えて、戦時期に落ち込むも、戦時下でも出す人はいたり、昭和21年の正月にも年賀状をやりとりしていたということ。それだけ根付いている文化やったんやなーということが改めて分かった。文化という面に関して、著者が最後の方で述べている話もなるほどなと思った。

「手紙の文面を単なる情報だと割り切ってしまえば、たしかに、電子メールや携帯電話、ファックスなどでやり取りすれば十分であろう。実際、時間と費用という点で考えれば、情報伝達の手段として、郵便は極めて非効率的で値段も安くはない。
 しかし、すべてに効率と合理性だけを優先する生活に耐えられる人間が、はたして、どれだけ存在するだろう。
 非常に簡略化して言えば、そうした理屈で割り切れない部分の集合体こそが文化なのであって、その意味でいえば、個人としての郵便のやり取りには、時間と手間がかかるがゆえに、まさに文化的な行為としての側面がある。現在なお、電報が決して消滅せず、多くの人々が祝電や弔電を利用していることを考えれば、このことはご理解いただけるだろう」(p219)

年賀状のこれまでとこれからを見すえながら、日本の戦後史を概観できた感じ。新年に読むのに良い一冊かもなーと思った。

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