2016年9月28日水曜日

「日本競馬を創った男―エドウィン・ダンの生涯」を通じて北海道から明治の歴史が見える

日本競馬を創った男―エドウィン・ダンの生涯 (集英社文庫)

  明治初期に若くしてアメリカから渡ってきて、北海道の開拓に携わったエドウィン・ダンという人の評伝小説。図書館でたまたま見つけてなんとなく手に取ってみたんやけど、これが存外に面白かった。 

北海道開拓史の事業に最初から最後まで携わり、畜産や酪農、競走馬の育成、また、農業技術の指導や教育を行う。バターやチーズの製法はこの人によって始められたということでもあり、ハムやソーセージの加工技術も伝えたらしい。北海道の農業というときにイメージするもののかなりのものに携わっている感じ。最終的には駐日公使まで勤められたということ。 

日本に来てからの文化の違いに対する戸惑いや開拓の苦労やそれに捧げる情熱が1つの軸になっているけど、もう1つの軸は奥さんとの話。日本人の女性と結婚することになるんやけど、ここにもまたいろいろな苦労がありつつ、2人で乗り越えていっている姿が画かれている。このへんはNHKの連ドラにでもなりそうな内容やった(マッサンの逆パターン?)。 

また、北海道開拓史の事業自体が政治と密接にからんでいて、世話役だった黒田清隆の話を始め、明治天皇、榎本武揚、西郷隆盛、大久保利通といった人物も登場してきて、明治初期の歴史を北海道から見ていくような感じでそれも面白かった。 

札幌農学校のクラーク博士の話も出てくるけど、実は実業家としての顔や事業欲が結構あって「ボーイズ・ビー・アンビシャス」は「青年よ、この老人の如く野心を持て」という意味合いだったのではという話も紹介されていてそれも興味深かった。 

札幌の中央公園の片隅に「開拓の父」としての胸像があるらしいけど、まったく知らなかった。それだけに物語が新鮮に読めた一冊やった。 

2016年9月22日木曜日

「人間の居る場所」には横の感覚が面白い


なんとなく手にとってみたんやけど、予想外に面白かった。タイトルどおり「人間の居る場所」というのがテーマやけど、主に「都市」の話。「都市」と言っても「都会」や「都心」とは違うという話から始まっていく。最初は言葉遊びのようにも見えたけど、読んでいくとなるほどと思える。 

「たとえば駅前で人々が焼き鳥を食べている風景は都市的な風景だ。だが都心とは限らないし、都会的な風景でもない。都会的という言葉は、より消費的で、清潔でおしゃれなイメージで使われることが多い。都会的なセンス、都会的な店、都会的な女性といえば、ほぼ「おしゃれ」と同義語だ。だが、都市的というのは、必ずしも清潔でなくてもおしゃれでなくてもいい。こういうニュアンスの違いに都市と都会の本質的な違いがある」(p11) 

「たとえば、高円寺は都会的ではない。ブランド店はないし、駅ビルすらない。スターバックスもTSUTAYAもない。もちろん都心ではない。でも人を集める都市的な魅力がある。つまり自由が感じられる。それは消費者が集まる場所というだけではない、人間の居る場所としての魅力だ」(p11) 

「私から見ると、大手町とか霞が関などは都市ではない。あれは単に都心業務地である。都市と都心、あるいは都会という言葉を一緒くたに使う人がいると私はとてもイライラするが、違うのだ」(p10) 

もう1つ、「横丁はなぜ縦丁ではないのか」というテーマの話も。これも言葉遊びのように見えて結構広がりがある話。横がつく言葉は、横取り、横流し、横槍、横恋慕、横着、横領、邪(横縞)、横道にそれるなど。なんだか悪い、真面目じゃない、安定しない感じがする。横の「よ」のお供、よろよろ、よれよれ、よたよた、よちよち、よける、よす、という本流から外れる感じもある。「夜」とか「酔う」も。 

これに対して、「縦」の「た」は、まじめ、まっすぐ、元気な感じ。立てる、建てる、高く。滝や竹もまっすぐな感じ。凧や龍はまっすぐ舞い上がる感じ。この辺を踏まえて以下のようにまとめている。 

「昼間の真面目に働く世界、規則や効率の支配する世界、しかしどんどん生産を伸ばしていく世界は「縦」の世界であり、仕事が終わって一休みするのは「横」の世界なのである」 
「だから人は夜になると、横丁に寄り道をして酒を飲んで酔っ払って、よい気持ちになって、最後はよろよろして、横になって休むのである」(p223) 

2つ目の文は明示されてないけど、あえて「よ」がいっぱい使われている感じ。リズムがなんか気持ちいい。「縦糸と横糸が細く緊密に織り上げられているほど都市は魅力的になる」(p223)ということでもあるという。また、「公共」については、従来は縦の公共であったが新しい公共とは横の公共ではないかという整理も面白かった。 

他にもいろいろ面白いところはあったけど、もう1つあげるとするなら映画監督の堤幸彦さんとの対談。堤さんが撮りたい映画の話をしているけどそのテーマが面白かった。お風呂屋の三助さん、マタギ、ノモンハン事件、中村屋のカレーの生みの親のボースの話とか。TRICKとかのイメージだったけど、実はそういう方面にも関心があるというのが興味深かった。 

印象に残った言葉が、福井の料亭の経営者の方の言葉。 

「ただ金をかければいいというのではない。金のある人に金のかかる仕事をさせるだけで街おこしはできない。今はお金のない人でも、これからの時代をつくる人に投資することが必要だと気づいたのです」(p267) 

その他、具体的な取り組みやさまざまな方の言葉も紹介されている。一方で、元がセミナー講演や対談の話をまとめたものなので、一冊の本として最初から終わりまで練り上げられた構成ではなくて、わりとあっちこっちにいってる感じ。それもそれで「横」っぽい感じがして楽しい一冊やった。 


2016年2月27日土曜日

「「弱いリーダー」が会社を救う」と考えてみることでいろいろヒントが得られるかも?

「弱いリーダー」が会社を救う  

「リーダー」というと、決断力や洞察力があり、論理的指示が明快で積極的に人を引っ張っていくような「強いリーダー」像がイメージされることが多い。一方で一見頼りないように見えたりぼんやりしているような人でも発揮しているリーダーシップもある。

キーワードでいうと、「調和」「柔軟」「静か」といったところで東洋思想で語られるリーダー像にも通じる。こうした「弱いリーダー」にも魅力がある、というかむしろ、今の時代はそうしたリーダー像こそ求められているのではないかとうのが本書の考え方。

「「自分は人をぐいぐい引っ張るタイプじゃないから、リーダーなんて無理」と考える人がいたならば、むしろこれから求められるリーダーの資質を持ち合わせた大切な人材なのかもしれません」(p7)

「強いリーダー」と「弱いリーダー」の対比は以下のように整理されている(p149)。

■強いリーダー
 目的:競争に勝つ
 信条:行動力、強い影響力を持つ
 コミュニケーション:自らの発信が中心
 マネジメントスタイル:指示する、徹底させる
 判断基準:合理性、効率性
 意思決定:迅速に決断する
 部下育成の方針:機動性を高める、段階的な経験をさせる

■弱いリーダー
 目的:できるだけ戦いを避ける
 信条:柔軟性、自分と向き合う
 コミュニケーション:他者からの受信が中心
 マネジメントスタイル:問いかける、押しつけない
 判断基準:思い、理想の姿
 意思決定:周囲に意見を促す、すぐ決めない
 部下育成の方針:発想を豊かにする、積極的に任せる

なぜ「強いリーダー」では限界があるかというと、論理性や効率性が有効ではない場面があるから。それは変化が必要な時。論理的な帰結では想定できていないことが起きる場面や、効率だけを求めていると方向性を誤る場面も出てきたりする。そういう時に必要なのは、人を引っ張っていくというよりはまずは一旦立ち止まって足元を見つめ直す力だったりもする。

「自分たちの「思考の枠」があることを認識しつつ、枠外の「意外性」を意識する必要性はますます高まっている」(p35)

また、効率だけを求めていくと創造につながりづらくなったりする。

「私たちが、仕事をしているとき一見ムダに思えるようなことが実はとても大切だということがあります」(p62)

これはその通りやと思いつつ、一方で難しいなーと思うのは、一見ムダのように見えて後々つながってくるものと、ムダにしかつながりづらくてやはり削った方が良さそうなものとが両方入り混じってたりするので、そのへんは見極めや切り分けができるのかどうかということ。このへんはなかなか難しい。

なので難しい前提でやっぱりムダでしかないムダも許容するということなのかなと思いつつ、それだけやってたら次第に破綻するしなーとも思いつつ。やっぱり難しい(^^;)ただ、本書にあった「ムダ。それは、人を育てる肥料」(p72)というのはいい言葉やなーと思った。

上記の他、著者の持論として述べられている以下の言葉が印象に残った。本書の中ではこの話はあまり書かれてなかったけど、今後もう少し深く調べてみたいと思った内容。

「組織運営をより円滑に行いながら人材を育成・開発するためには、5人程度の小人数チームを中心に組織を回していくことが最も効果的である」(p3)

全体的には「強いリーダー」に対するアンチテーゼとしての「弱いリーダー」の話が展開されているけど、「強いリーダー」のスタイルが必要だったり有効な場面も依然としてあるような気もするので、そのへんは使い分けなのかなー、でも同じ人で2つのスタイルを使い分けるのはちょっと難易度高いよなーということも思ったりしつつ、そのへんも含めていろんなヒントが得られた一冊やった。