2015年2月23日月曜日

予言から日本の歴史を概観できる「予言の日本史」

予言の日本史 (NHK出版新書)  

日本を騒がせた数々の予言をとりあげた本。目的としては「日本の歴史において「予言」というものがいったいどのような形をとってあらわれ、そこにどういった意味があるのかを探る」(p11)こと。時代としては、天照大神などの建国神話から、奈良や平安などにとどまらず、明治や戦後日本、現代までと幅広い。

「予言」というとアヤシゲなところもあるし、確かにアヤシイではあるんやけど、本書自体は予言を信奉しているという立場ではなくわりと客観的にそれぞれの予言が時代や社会に与えた影響を解説している。予言にしぼるというより、信仰や占いの話も含めつつ、いろいろそんな感じのものを扱っている感じ。

ちなみに知らなかったけど、「予言」も「預言」も英語では「Prophet」にあたって区別されていないという。予言者と預言者の区別は日本のキリスト教界だけで行われていることだとのこと。これは、日本では予言という行為を卑しいものとみなす傾向があるからだとされている。

しかし、特に昔に遡れば遡るほど、予言のもつ力というのが強く信じられていたので、時代を理解する上でも大事だったりする。個人だけでなく国家の運命にも大きな影響を及ぼし、「予言は時代や社会を動かしてきた」(p14)ともいえるという。また、今でも天皇の即位儀礼の大嘗祭で、神に捧げる稲を育てる田んぼを作る県を決めるためにも亀卜が行われている。

こうした予言を、日本の歴史と関連付けながら紹介していっている。

トピックス的に面白かったのが八幡宮の話。道教がからんだ宇佐八幡宮神託事件における予言の話とからめて紹介されているんやけど、もともと八幡神は宇佐で渡来人によってまつられていたもの。それが大出世をとげて日本全体で広く信仰されるようになったけど、その過程についてはまだ謎があるという。先日鎌倉の鶴岡八幡宮に行ってきたところだったので興味深い話やった。

あと、相手を呪い殺そうとする「呪詛」という行為は、1881年に制定された旧刑法の前身の「新律綱領」でも依然として取り締まりの対象だったらしい。もっと遡れば呪詛の効力が真面目に信じられていた時代があり、それに関係して陰陽師の話も。「安倍晴明はただの公務員だった」(p71)という書き方もなかなか面白かった。

あとは予言獣の話。予言をする半人半獣の生き物の話が江戸時代に流行ったらしい。そして、それは江戸だけにとどまらず、1944年4月に警保局保安課が作成した資料の中に、終戦が近いという予言をする牛のような人が出てきて、戦争が終わったら悪病が流行るから梅干しとニラを食べれば病気にかからないといって死んだというような話も。

また、近代のトピックでは「所得倍増計画」も一種の予言だったということ。同時代の人であっても、計画が具体的に何を指していたかというとあやふや。また、細かい内容を見ていくと計画通りには進んでなかったり(ちなみに農業近代化の促進はこの頃からすでに言われていた模様)。ただ、その印象だけが広がり、実際には実現されたとみられていて、池田勇人は「予言者として宗教家より優れていた」(p220)とも述べられている。

その他、松下幸之助の水道哲学には天理教の神殿を見たときの印象が影響しているとか、内村鑑三は優秀な水産学者だったとか、ホントかなーと思いつつ読んだ。

最後の方では以下のように述べられている。

「現代の世界は、グローバル化が進み、情報テクノロジーが発達したことで、人々や物の交流が盛んになり、たしかに便利にはなっている。しかし、いくら社会の合理化が進んでも、予言が力を失うことはなかった。むしろ、そうした状況だからこそ、そこに適応できない人間は無力感を感じ、彼らのあいだにはリセット願望が蔓延した。それは、現代において週末予言を蘇らせることに結びついていく」(p224)

最終章では、「ノストラダムスの大予言」がオウム真理教に与えた影響などについても扱われている。1999年7月っていうのは、自分も結構リアルタイムに「ノストラダムスの大予言」の話が話題になっていたのを覚えているので懐かしいと思うと同時に、こういう影響もあったのかーと新しい気づきもあった。

著者もあとがきでも述べているけど、どんな時代になっても未来を確実に見通すのが難しい限り、予言は力を失わない。一方で、世界の終わりが示されるような内容の予言も、その先に明るい未来があるという点で予言は希望を示すものだとも言える。そういう予言がどういった形で私たちの社会や生活に影響を与えてきたか、予言という観点から日本の歴史を概観できる一冊やった。

2015年2月22日日曜日

「赤ちゃんの心と出会う 新生児科医が伝える「あたたかい心」の育て方」で父性やだっこのコツを学ぶ

赤ちゃんの心と出会う: 新生児科医が伝える「あたたかい心」の育て方

新生児科医として40年以上の経験をもつ著者が、新生児医療の中で赤ちゃんやお母さん達から教わった子育てのヒントを、現在子育て中の方のお役に立てたいという想いから書かれた本。

子育てに一番大切なのは運動や勉強ではなく「心のやさしい子どもに育てることである」(p6)というのが主な趣旨。これだけ読むとふーんという感じやし、書かれていることも他の本でも似たようなことは言われたりしている。ただ、実際の現場、臨床経験が背景にあって、具体的な実例から語られていて内容が入ってきやすい。

キレイゴトではなく、新生児医療で結構シビアな話も。第1章の冒頭も「「赤ちゃんに愛情がわかない」と言ったお母さん」(p12)というタイトルだったり。出生前診断の話とかもQ&A形式で語られていて、著者の考えが述べられているけどあんまり押し付けがましい感じではない。

1つ印象に残ったのが、ディベロップメンタルケアの話。新生児医療では、医療的な管理や医療従事者の観点が重要視されていた。何か起きてもすぐに対処できるように照明が常についていてモニターも音がたくさん。それはもちろん大事なんやけど、そうすると、必ずしも赤ちゃんにとってはやさしい環境ではない。例えば、光が明るすぎたり、音がうるさすぎたり。そういう観点も含めてケアをしていこうというもの。

あと、赤ちゃんが泣きやむあやし方っていうのが結構実践的で参考になった(p106-112)。特に父親向けに紹介されていた。
・抱く前に赤ちゃんの目を見ながら「◯◯ちゃん、可愛いね」と話しかける。
 顔を見ながら「抱っこしようね」などと声をかけて、タオルやおくるみで体を包んで抱き上げる。
 声をかけながら静かにゆっくりと揺らす。おしゃぶりも有効。

・「全部わかっている」と思って話しかける
 話が全部わかっていると思って話しかける
 言っていることはわからなくても雰囲気で伝わる

・45度くらいの角度で抱いてゆっくりゆらす
  赤ちゃんの頭を45度くらい立てて顔を見ながら前後にゆっくり揺らす
  =羊水の中で浮かんでいたときの感覚に近づける
  
・「シー」という音を出す
 テレビの砂音やスーパーの袋のガサガサと同じようなもの。
 歯と歯の隙間から「シー」と音を出す

・視野の中に顔を入れる
 生後1ヶ月くらいの赤ちゃんの視野は商店がよく合うのは20cmくらい

書いていてなんで読みやすかったのか気付いたけど、結構父親向けの話も入っていたからかと思う。また、母親と父親の違いも踏まえつつ、共通的な土台として大事なことというところがメインの話でもある。母性の話だけでなく父性の話もあったり。

母性というとなんとなく自然に備わっているようなもののような感じでとらえてしまいがちやけど、「母性とは子育てすることによって引き出される性質」(p158)と述べられている。実例として、子どもに愛情がわかずに里子に出そうとしていた母親の方が、子供のケアをすることによって母性が生まれてきたこともあげられていたり。父性も同様で、出産前から両親学級に通ったり出産後にケアを実際にする中で芽生えてきたりと。これは自分自身もそうやったから確かになーと思った。

臨床経験や脳科学的な話などの具体的なトピックもありつつ、ベースはやはり表題にあるように「あたたかい心」の話。結局は子育てのあり方は100人100通りなので愛情をもって育てていけばというところにまとめられてしまうんやけど、新生児医療の現場でポジティブ、ネガティブいろんなケースを見てこられた方の言葉なので重みがあるなーと感じた一冊やった。

2015年2月21日土曜日

農薬から有機までバランスのとれた内容の「図解でよくわかる農薬のきほん」

図解でよくわかる農薬のきほん: 農薬の選び方・使い方から、安全性、種類、流通まで (すぐわかるすごくわかる!)

直近で農薬関連のことをやる機会があるわけでもないけど、講義の復習にもいいかなーと思って読んでみた。出版年が2014年と新しいこともあってか、思った以上にいろんなトピックがまとまっていて面白かった。

巻頭には、カラーでおもな病害虫と雑草の特徴が紹介されていて、図鑑のようにも使える。本編は、農薬とは何か、農薬防除のきほん、化学農薬だけに頼らない防除法、安心資材で減農薬、家庭菜園の防除、農薬の安全性、農薬の未来といった感じのテーマ。

スタンスとしては、農薬万歳!絶対安全!というわけでもなく、農薬危険!要注意!というわけでもない。偏ってなくてわりと客観的に良し悪しあるよねーという話。そもそもなんで必要なのか、使う時のリスクはどう管理されているのか、それを踏まえてどう考えたらいいのかということが整理されている。

冒頭にも以下のように書いてある。

「農薬とはその文字のとおり
 「農作物の保護に使う薬」のことである。
 人間が、病気やケガをしたときに薬を使うように
 植物も、薬を必要とするときがある。
 当然、安全に使うためには、
 用法・用量をきちんと守る必要が有る。
 この本は、農薬を使う人はもちろん、
 農作物を食べる人にも知ってほしい
 農薬の「きほん」を集めた本である」(p6)

表現や説明もわかりやすい。例えば、なぜ農薬がそもそも必要なのかという話では、「品種改良で武装解除された農作物」(p52)といった表現。植物はそもそも進化の過程で草食動物や病原菌から身を守るために忌避物質や有毒物質で武装してきたが、それが人間にとっても好ましいものではない。それを避けるように改良したもので、かつ、栄養価が高いものというのは虫や病原菌にとってもおいしい。そこでどう防除するかというところで農薬の必要性が出てくる。

最古の農薬の記録は1600年に出雲(島根)で書き残されたもの。アサガオの種子、トリカブトの根、樹脂の化石、樟脳、ミョウバンを組み合わせたものをいぶすか、煎じた液を散布することでネキリムシやウンカが退治できたという。他にも、1670年に筑前(福岡)では、鯨油を水田に注入して害虫を窒息させるとかいう方法も紹介されていたり。

農薬というと、近代的な化学農薬みたいなイメージがあるけど、品種改良と一緒で昔から発想としては脈々としてやられてきたものでもあるということがよく分かる。それがやりすぎになったらいろんな歪みが出てくるとは思うけど、結局自分たちが植物食べて生きていくためには、虫や菌を防ぐ技術はなんらかの形で必要で、その面で何がいいのかというのは要はバランスの話になるのかなーと思った。

冒頭の比喩にもあったように、人間でも病気になったときに薬に頼りたがらない人もいれば、どんどん使う人もいる。そのへんは好みの問題とかもあるけど、先入観でなんとなく危ないとかではなく、どういう背景でどの程度のものが必要でそれにはどんなリスクがあるのか、そのへんを踏まえて判断できるといいよなーと思った(どのみち100%確実なことっていうのはないので最終的にはエイヤの判断になるところはあるとしても)。最後の方でも「農薬を過剰に怖がらない」(p150)という話もあった。

他には、病害虫発生の3要因(主因、素因、誘因)とかの基本的な構造の話とか、IPM(総合的病害虫管理)、生物的防除、物理的防除、耕種的防除とか、化学農薬に限らないテーマもおさえられとった。化学農薬以外に防除に使えるものもいろいろ紹介されていて、例えば石灰や米ヌカとか。砂糖や水あめも補助的に使うと有効みたいな話もあって興味深かった。

その他、家庭菜園における防除や法制度の話など。法律に関しては、有機農業推進法の話や減農薬の話もあってバランスがとれている内容に感じた。末尾には農薬や病害虫について調べるときに役立つサイトの一覧もあって、巻頭の病害虫一覧とあわせると参照用としても使える内容でいろいろトピックスを確認したいときには手元にあると便利な一冊かもなーと思った。

2015年2月1日日曜日

「盆おどる本 盆おどりをはじめよう!」で感じる盆踊りの広がりと可能性

表題もさることながら、装丁に目をひかれて手に取ってみた。盆踊りについての入門書。

本書の最初の方にも書いてあるけど、盆踊りについての入門書やガイドブックは不思議なことにほとんど見つけることができないらしい。そんな中で、盆踊りとはそもそも何なのか、各地での広がりはどうなっているのか、時代にあわせた新しい動きにはどのようなものがあるのかといった内容。

コラムとシュールな画風(しりあがり寿っぽい)の漫画とが交互になっていて、コラムの部分は雑学的にも面白いし、漫画はあまり考えずに読める感じで盆踊りの楽しみ方みたいなものがテーマなので、気楽に楽しく読めた。

盆踊りの由来については、「仏教から由来するものと、仏教以前からの精霊や地霊、祖霊などを供養して、おもてなしをするという2つの要素」(p21)があわさったもので「さまざまな悪霊が災いをもたらさないように踊りの輪の中に巻き込んでともにおどるのは、人間が生きていくために無意識のうちに行われたもので、盆踊りの起源に最も近いもの」(p21)と思われるということ。

仏教由来の話については、一遍上人の踊り念仏の話につながり、一遍上人の足跡が残る地域では盆踊りが盛んに行われているらしい。一遍上人のことは歴史の教科書でも習ってはいたけど、盆踊りとつながっているということで急に身近な感じがしてきた。だから広まったのかなー。

面白かったのが、ハワイでも盆踊りが盛んに踊られていて、BON DANCEと呼ばれているということ。結構盛大に催されているということ。人気が高いものとしては「フクシマオンド」があり、これは福島からハワイへの移民が多いことが背景にあるという。しかも、福島の「相馬盆踊り」を見に行くと、ハワイでも福島でも踊りがまったく同じだということ。

それで、日本以外の国で盆踊り的なものがあるかどうかというと、祖霊信仰が薄いヨーロッパでは見当たらない一方で、アメリカ大陸などのモンゴロイド系少数民族では年に1度祖霊を供養するようなお祭りを開くことが多いという。リオのカーニバルもその一種と言われていてびっくりしたけど、あれは華やかな衣装を身にまとって神霊に変身してご先祖様や土地神様に感謝しているという。

また、盆踊りの歌詞には土地の名前やお城などのランドマーク、名物や伝説が読み込まれていて、盆おどりを通じてその土地の歴史や文化にもつながってくる。踊る格好は地元の繊維や呉服産業とつながり、食べ物は地元の美味しいものとつながっている。秋田の西馬音内なら蕎麦、郡上おどりだと鮎の塩焼きという感じで、生活文化や環境が盆踊りにも反映されてくるということ。

印象に残ったのが宮城の松島の話。もともと700年続くお盆行事があり、その前夜祭として花火大会があったが、いつしかその花火大会がメインイベントに。震災後、花火大会の開催が難しいという話が出てきたが、その際に、本来観光イベントではなくて夏祭りでそれこそ供養行事なので中止はおかしくないかということで、有志が集まって原点回帰の方向で盆踊り会場を約30年ぶりに復活したということ。そうすると、地元の人も環境客も一緒になってふれあいや思い出が生まれる。

実行委員長の方の言葉が以下。

「やってくうちに、イベントと祭りは違うんだということや、主役は花火じゃなくて「人」だったんだとわかってきました。そうして見えてきた地元の暮らしや文化と観光の距離をいかにして縮めていくか。たとえば、民謡の歌い手が高齢化しているので松島生まれのジャズボーカリストが民謡を熱唱したり、世界中から来ている東北大学の留学生を招待して浴衣を着せて、地元のおばあちゃんたちが踊りを教えたり。松島でしか見られない、磨き込んだローカリティを広く世界に発信していくことが、これからのチャレンジかなと思います」(p111)

その他、神奈川の藤沢市ではヒップホップの最先端にいるミュージシャンが、即興性や韻を踏むことや地元のことを歌に取り入れるというところで共通点があるということで盆踊りに興味を示しているとか、音頭取りっていうのはプロもいる(いた?)とか、興味深い話もいろいろあった。

何の気なしに読んではいたけど、盆踊りの持つ広がりや可能性を感じる一冊やった。