2013年6月27日木曜日

「ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方」という視点から仕事について再考察できる一冊

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方

「すごい技もなければ新しい働き方についてのノウハウもありません」とあとがきで書いてあるように、目から鱗!みたいな話ではないしその考え方はどうなんやろうなーと思うところもある。

でも、よくよく考えるとそうだよなーみたいなところも結構あって、スルメみたいによく読むと味が出る感じの本。「こう考えたら理不尽な苦労なく解決できるんじゃないか」(p238)という著者の想いがベースになっている感じ。


■ナリワイという働き方
ここで提唱されている働き方というのは、特定の会社、業種やスキルに依存しなくていいように、複数のスキルをもってそれらを組み合わせながら生きていくというもの。

著者自身も「モンゴル武者修行ツアー」の開催、田舎での暮らし方スクール、古い木造校舎でのウェディング、シェアオフィス、京都での一棟貸しの宿の運営、農家の手伝い、農産物商品の開発・販売等々、いろんな「ナリワイ」を持っている。それも無理に見つけたというよりはつながりの中で広がっていったものがほとんど。

こうしたような月数万円くらい稼げるものを10くらい持てれば十分生きていけるのではないか、また、世の中の状況の変化に対してはその方が強いのではないかという考え方。

ナリワイといってももやっとしたコンセプトで著者自身も強いコンセプトではないと言っているけど、次のような意味があるということ。

「ふつーの人が、ポストグローバリゼーション時代に、自分のできる範囲の労力で、工夫し、考えて生活をつくる態勢を確保しつつ、必要とあらば市場経済のなかに切り込んで行く、という精神的余裕を生み出す意味を持っている」(p209)


■バトルタイプではない生き方
これは現在の働き方として良く言われる次のような考え方に対するアンチテーゼになっている。

「これからさらにグローバル化が進み競争が激しくなる、だから世界に通用する高いレベルで能力を磨き、自分自身を広告的に宣伝し、稼げる仕事をしていこう」(p6)

これに関して著者は、次のように述べている。

「グローバル社会で全世界を相手にした殴り合いの競争をして健康を実現できるのは、かなりのバトルタイプ(戦闘型)だけだ。
本書で述べる「ナリワイ」の作戦は、そうではない。でかい仕事はバトルタイプの戦場だ。隆盛を誇った巨大ウェブサービスが数年で衰退したという事例を、現代に生きる私たちは目の当たりにしている。「ナリワイ」は、そうではなく、小さな仕事を組み合わせて生活を組み立てていく」(p7)

無理にがむしゃらに働いてストレスがたまる一方で休日も楽しめなかったり、無理にお金を使ったりしているような状況は「人生を盗まれている」(p8)のではないか。そうであるなら、いきなり全部自活するのは無理だとしても、少しずつでも生活自給力を高められるような生き方があるのではないかという話。

何を生ぬるいことを…というような批判が聞こえてきそうな感じではあるし、自分がそういう方向にいくかどうかは別として、考え方としては一理あるなーと思った。次の比喩も面白い。

「サッカーボールも触ったことがない人間に、いきなり公式戦に出てシュート決めろ、などと言って、うまくいくのは一部の天才だけだ。ましてや、グローバリゼーション時代は、いきなりワールドカップに出ろ、と言われかねない時代である。常人はそもそも試合に出る前に、ルールを覚えたり、基本的な作戦を知ったり、ボールの扱い方を知ったり、ドリブルの練習をしたり、パス回しの練習をしなければならない。
それがナリワイにあたるのだ。外貨獲得的な産業振興は、それこそワールドカップにあたる。いきなり目指すものじゃない。」(p219)

サッカーボールくらいは触ったことがある人は多いかもしれないけど、確かにいきなりワールドカップに出ても戦えるようになれ的な話になっている気がする。もちろん、いきなり目指すという道もあるとは思うけど、一方で、そうではない中でやっていく、あるいは、いきなりそこに行く前に道があっても良いと思う。

そういう意味で地に足のついた働き方や生き方をもう一度考えてみませんかということやと思った。


■専業化の歪み
あと、もう1つ印象に残ったのは分業の話。効率化を追求して分業を進めた結果、仕事の実感が失われて全体観や本質が見えにくくなった。「個々人の役割が分断された結果、何のためにやっているのか見えにくくなってしまったこと」(p66)により、組織の内部規定が優先されたりして本来重要なものが後回しにされたりしている。

そして、個人個人が悪いことをしようとか、怠けようとか思っているわけではないのにこうなってしまうところが問題。

「個人個人は「一生懸命」にやっているのだが、その上でなお問題が起きてしまう、という構造になってしまっているのである。もう単に頑張るだけでは余計に問題が起きる時代になっている。これは困ったことである」(p67)

この間読んだスターバックスの本にも似たような話があった。

「スターバックスの大半の部署は、目的を達成しようと誠心誠意尽くしていた。しかし、それが、最良のやり方ではないときもあったのだ」
(「スターバックス再生物語 つながりを育む経営」p221)

「わたしたちは一生懸命やっていました。でも、わたしはお客様にサービスを提供する機会を失っていたんです。それを申し訳ないと思っています」
(「スターバックス再生物語 つながりを育む経営」p359)

上記と通じる話として、何かを専業化してしまうと歪みが発生するという話も興味深かった。例えば「モンゴル武者修行ツアー」は今年2回くらいだからゆったり楽しみながら続けていられるが、専業化すると毎月モンゴルに行く必要が出てきたりして、やる気も落ちるし参加者のマッチ度も下がったりしてストレスが増える。

その他の例として著者が指摘しているのがウェディング業界。効率を上げるためには仕方ないけど、次々と式を処理していくために、プラン化してその中からひたすら選んでいくような作業を繰り返し、担当者もある程度型にはまった対応をせざるを得なくなる。

そうではなく、例えばナリワイの1つとして年に1-2組くらいのウェディングをじっくりプロデュースする形なら、たとえ素人的な要素が多少入ってくるとしても企画する方も式を挙げる方の満足度もより高いものにできるのではないかと述べられている。

今やっている仕事にとらわれるのではなく、違った角度から仕事について考える際に1つの視点として面白い一冊やった。

 

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