2014年9月24日水曜日

「ファッションは魔法」を読んでファッションの持つ意味みたいなのが垣間見えて興味がわいてきた

ファッションは魔法 (ideaink 〈アイデアインク〉)  

「ファッション」というものにほとんど興味がないんやけど、図書館の棚に並んでいて、あえて読んでみようと思って手に取ってみた。そしたら意外や意外これがかなり面白かった。

まずもって著者の方が面白い。2人の方の共著やけど、1人の方は鳥取で東京のファッションに憧れる日々と悶々とした日々を過ごした後に海外に飛び出していく。その経歴の話だけでも面白いんやけど、ファッションに表現しているものも面白い。

日本人の神仏のとらえ方、雑多な世界観をインスピレーションに服の神様をショーに取り込んでみたり。東京コレクションの最後を飾るショーにゴミ箱ルックの服を出してジャーナリストやモデルを激怒させたり。

おかげで全然服は売れないけど、これもファッションじゃない?と思っていたことを実現できて、一部からは良い反応もあったりして手応えを感じたりしていたということ。

「服を売らなくても、大きなシステムに乗らずとも、自分のリズムで模索しながら、今でもファッションの新しいやり方を探しています」(p87)

このように、そもそもファッションとは何か、ファッションの役割とは何なのかというところについていろんな角度から考えられていて、面白い視点があった。

まず印象に残ったのが、ファッションは自己表現なのかというトピック。著者が教える生徒も、ファッションとは自己表現の1つという答えを返してくるけど、現代はその側面が強調されすぎているのではないかというのが著者の考え。それはあるとしても一側面でしかない。

実際には、生活している場や関係性は、相互的な関係性で成り立っているのであって、他の人から見た時に自分がどう見えるのかという視点を持って、服を選ぶ時にもその意識を働かせるのは重要だということ。

「そうすれば、服装を通じて他者と共鳴・共存できるのです。そういう意味では、「俺、ファッションに興味がないんだ」という発言は自己主張がなく格好良いように見えて、実は他者の視線を無視した物言いであることが分かります。ファッションはつねに外界との関係性の中で生まれているのです」(p141)

上の話は結構耳が痛かった…ちょっと考えを改めようと思いました…

また、ファッションとはといったテーマに関連して、以下の話が比喩も含めて面白かった。

「「ドラえもんの中に『ドラえもん のび太とアニマル惑星』という不思議な長編作品があります。ある晩、のび太の部屋に突如としてピンクの"もや"が出現します。それは何だかとても怖そうだけどキラキラしていて美しい。寝ぼけたのび太は"もや"の中に入ってしまうのですが、そこを通り抜けた先に広がるのは動物が人間の言葉を話す奇妙な積痾。"もや"に魅力を感じるのび太は、連日そこに足を運ぶー。
 僕たちが関心を寄せるのはこの話の筋ではなく、怖いけれど入りたくなってしまう、魅力と不安を兼ね備えた「ピンクの"もや"という設定です。それはファッション、ひいてはクリエイションの核心に触れていると思うからです。ピンクの"もや"はキラキラと美しく輝き、言葉や論理で説明したとたんにその本質が失われるようなもの。ファッションの仕事はこの美しい"もや"を作ることであって、決してそれを解明することではない。テクノロジーの発展によって社会がますます高度情報化していくなかで、僕たちはこうした言葉にならないもの、迷信のようなもの、魔法のようなものがこれからもっと大事になってくると確信しているんです」(p110-111)

このような話の一方で、本書の中でも触れられているけどビッグデータのような話がある。膨大な統計データを集めて分析して、売れる要因を統計的に要素分解してマーケティングや営業活動に活かしていく。でもそれだとだんだん均一化していって、新しいものや要素分解できないもの、言葉にできないけど魅力的な"もや"のようなものは生み出せないのではというのが著者の主張。

それと関連してフランスのファッションデザイナー、イヴ・サンローランの言葉が紹介されている。

「人は誰しも、生きていくため美しい幻を必要とする」(p113)

これを受けて著者は次のように述べている。

「今こそ、わけの分からない"もや"を作り出すファッションの力によって、世界を「再魔術化」しなければならない。世の中にはもっと魔法が必要なのです」(p113)

ファッションショーとか、テレビで映像を見てもわけがわからないので関心がなかったけど、この話を読んでパラダイム転換した。わけがわからないからこそ面白いし大事なんやなーと思った。

これと関連してなるほどと思ったのが、ファッションの流行のメカニズムや流行が終わる理由やタイミングはよくわかっていない、説明できる人は少ないという話。ある服を、ある時に「かわいい!」「かっこいい!」と思って興奮して着ていても、流行が過ぎて後からタンスから出てきた時に着ていた自分が恥ずかしくなったりする。

このへんのよくわからない、データ化できない、説明できない部分こそがファッションの武器であり、そこに可能性があるという。人間の本質、感性、感情、直感、共感や共鳴の源泉を探ってそれを服装という形で提示したいということ。ファッションについてこういう見方をしたことがなかったので目から鱗やった。

もう1つ面白かったのが、ファッションは新しい人間像を提示するという話。中国語ではファッションのことを「時装」、すなわち、時の装いというらしいけど、ファッションといったときに服の装いだけでなくその時の装いをあらわすものと見ていくと広がりが変わってくる。

視点を広げてみれば、個人の装いの上に、人々の装い、街の装い、自然の装い、国の装い、地球の装い、宇宙の装い、そして時空を超えた時の装いがある。視点を小さくしてみていくと、服の装い、布の装い、糸の装い、細胞の装い、DNAの装い、原子の装い、素粒子の装いがある。そしてこれらはレイヤーが違うけど同時進行している。

「装いが様々なレイヤーにまたがる中で、ファッションデザイナーという職業の本文は、つねに変化し続けるそうした「動き」に注目しながら、新しい人間像を提示することにあると思っています。福家化粧やヘアメイク、バッグやジュエリーだけでなく、その人の生活空間やライフスタイル、その人が生きる社会、その人が生きる未来。そうした可能性のすべてをファッションデザイナーは模索して提案するのです」(p118)

その他にも興味深かったのが、「個人を相手にするとき強い表現が生まれる」(p135)という章。

「多くの人に訴えるファッションを作りたいのなら、逆説的ですが、徹底して目の前にいる一人の個人を相手にするほかないと思います」(p135)

ということ。社会や時代の動きを反映したものに人が共鳴するかというと必ずしもそうではなく、逆に、「超パーソナルな感情や物語こそが人を感動させることがある。それを率直に個に向けて発信したほうが、強いリアリティでもって人々に響く場合があるのです」(p135)

この話の前段や後段で、著者が教えている生徒の方の作品のストーリーが紹介されているけど、それらを読むと上記の言葉になるほどと頷かされた。ある女性の方は、子供の頃にお父さんが着ていたYAMAHAのトレーナーを再現してみたり、別の男性の方は子供の頃にオカンが手作りしていた服(成長するにしたがってダサいと着なくなった)に結局原点を見出したり。

まとめて書いちゃうとその背景が伝わらなくなっちゃうのがちょっと歯がゆいけど、元のストーリーはきっと多くの人の心に何らかの印象を残すものになっていると思う。著者が言っているように「超パーソナル」なんやけど、それを抽象化して今の時代は…とかそういう話ではなくて、あえて個人的なストーリーを表現に落とし込むことで力を持つことがあるんやなーと思った。

たまたま並行して読み直していた7つの習慣にも以下の言葉があった。ちょっと文脈は違うけど、通じるエッセンスがある気がする。

「99人の心をつかむ鍵を握っているのは、1人に対する接し方だ」(p273)
「大勢の人を救おうと一生懸命に働くよりも、一人の人のために自分のすべてを捧げるほうが尊い」ーダグ・ハマーショルド(p279)

仕事でも、事例がすごい重要みたいな話はよく言われるし、なんとなくはそう思ってはいたんやけど、上の話と似たようなところがあるのかなーとも思った。変に抽象化したり共通項を見出そうとしたりしないで、あえて「超パーソナル」に課題を見出し、それを解決して、その話をストーリーとして多くの人に伝える方がより響くのかもなと思った。

ファッションがテーマではあるけど、それに限らず人の営みや関係性というところまで視点が広がるので、ファッションに興味が無い人程読むと面白いかもと思った一冊やった。

2014年9月21日日曜日

「仕事に役立つ経営学」で辺境の日本人としての役割に思いをはせてみる

仕事に役立つ経営学 (日経文庫)  

最新の経営学のトピックを11人の研究者の方がそれぞれ解説している内容。2014年8月ということでトピックも時流にあわせている感じで他の本よりも新しい内容がカバーされている。

トピック的には経営学的な観点から全体をまんべんなく整理するというよりは、最近重要視されているようなテーマを羅列していっている感じ。

章立てはこんな感じ。

1 [企業の経済学]経営を経済学から読み解く  浅羽茂(早稲田大学教授)
2 [事業立地戦略]「誰に何を売るのか」を問う  三品和広(神戸大学教授)
3 [戦略イノベーション]「間違い」と「違い」は紙一重  楠木建(一橋大学教授)
4 [不確実性]シナリオ分析と多様性で危機に備える  岡田正大(慶応義塾大学教授)
5 [組織開発]変わり続けることに対応できる人と職場をつくる  金井壽宏(神戸大学教授)
6 [ダイバーシティ]多様性と一体感の両立を目指して  鈴木竜太(神戸大学教授)
7 [起業]ベンチャー精神を育む「場」をつくる  東出浩教(早稲田大学教授)
8 [企業倫理]コンプライアンスを超えて  梅津光弘(慶応義塾大学准教授)
9 [企業会計]企業の実態を「見える化」する  加賀谷哲之(一橋大学准教授)
10 [財務戦略]企業財務とリスク  中野誠(一橋大学教授)
11 [技術経営]革新的な技術を経営の成果につなげる  武石彰(京都大学教授)

引用元:http://www.nikkeibookvideo.com/item-detail/11314/

11人の話を1冊の新書に詰め込んでいるのと、基本的に研究的な話が中心なので、ダイレクトに「仕事に役立つ」という感じでもないけど、概念や理論的な整理、重要トピックの最新動向をざっとつかむのには良さそうな内容やった。

戦略イノベーションのところでは玉子屋の話もあってなかなか興味深かった。うちの会社も注文していて毎日食べてることもあるけど、低価格で一定の質のものを提供して行くということで事業にも通じるところがあるのでもう少し詳しく読んでみたいなーと思った。

その他に1つ印象に残ったのが、以下の話。

「帝国繊維は、明治時代の初頭に起源を持つ日本の製麻企業が大同団結して、1907年に設立された会社である。麻は自給可能な国産素材で、たいへん丈夫なため有望視されていた。それなのに戦後は合成繊維に押しやられ、帝国繊維は苦難を強いられた。
 この老舗企業を意外な人材が救出する。同社は麻の特性を活かした消防ホースを戦前から内製し、消防機材店ルートで販売していた。その間を取り持つ販売子会社に採用され、営業をしてきた社員が、親会社の消防ホースを売るために置かれた販社で他社製品を売り始めたのである。
 こうして生まれた防災事業が帝国繊維の新しい大黒柱に育っている。防災事業は売上高が繊維事業を逆転しただけでなく、営業利益の稼ぎ頭に躍り出た。けん引役を務めた人物は請われて帝国繊維に転籍し、取締役に選ばれた。防災事業の指揮を執り続けた期間は30年以上に及ぶ」(p47-48)

傍流の人材や事業が最終的に全体を救うという話は結構聞くし、ここでは概要がさらっと書いてあるけど、実際にそれが起こる過程ではかなりいろんな紆余曲折とか喧々諤々の議論や思いきった行動とかがあったんやないかと思う。

自分の身にひきつけて考えると、海外に本体がある中での1拠点である日本法人の一員、携わっている事業も新規事業ということで、いろいろ感じるところもあった。辺境の日本人としてやれること、やるべきことは何か、こういう視点からも考えて行くと面白いかもなーと思った一冊やった。

2014年9月11日木曜日

「コンピュータが仕事を奪う」時代にどう戦って生き抜くか、刺激の多い一冊

コンピュータが仕事を奪う 

表題どおり、コンピュータが奪う人間の仕事にはどのようなものがあり得るのか、逆に、奪われにくいものはどのようなものなのかを、コンピュータと数学の理論の話をベースに説明していったもの。

自分は数学の話は結構苦手ではあるんやけど、著者の文章はとても読みやすかった。例も分かりやすくて、ドラえもんのひみつ道具とかも比喩に使われている(そして、「ほんやくコンニャク」の脚注に「漫画『ドラえもん』に登場するひみつ道具のひとつ」(p82)って書いてあるのがシュールでいい感じw)。

数学の理論的な話はベースにはなるけど、適度に歴史や具体例の話も織り交ぜられていて、具体と抽象の間を行き来するのがとてもうまい。ズームイン、ズームアウトしていく感じ。例えば、冒頭にいきなり福井県の三国というところを訪れた時の話が出てくる。

福井から三国までの電車は単線。人気もまばら。その時に見た旧家の家に、北前船の写真がかかっているのを見つける。その写真の中には港を埋め尽くす程の帆船が映っていてにぎわいが伺える。廻船問屋がたくさんあって栄えていたことは知識として知っていたが、そのことと今の静かな町の状況を比べると胸がつかれる思いをしたというエピソード。

これは輸送手段が北前船から鉄道に変わったことにより状況が大きく変わり、商人や労働者が減っていったということ。ただ、今はもう船から鉄道に輸送手段が変わった時に、どのような職業がなくなり、どのように人が移動したかを覚えている人はもういない。

技術の変化は常にあるけど、それを事前に予測することはとても難しいという話が述べられている。このエピソードの後に出てくるのが次の言葉。

「技術によって生活の場所を奪われて、初めて人びとはその意味に気づくのです」(p3)

こうしたことを踏まえつつ、メインの内容ではコンピュータは何が得意で、その背景にはどういう構造があるのかということが、数学的な考え方の話をベースに説明されている。コンピュータ自身は数学的なモデルをベースにしていて、結局は数学的な枠組みにいきつくが、それゆえに得意・不得意も決まってくる。

得意なのは暗記や手順が決まった演算。そこに最近はパターン認識など、機械学習的なものの含まれてきてはいるけど、まだまだ判断や処方箋を創り出すというところまではいっていない。

例えば、何か困っている人がいるとして、機械に対して処理させるには何らかの形で言語化、手順化が必要やけど、そもそも何を困っているのか、なぜ困っているのかをみんながみんなうまく言語化できるわけではない。そういうものをコンピュータは処理しづらいし、やろうとすると膨大なコストがかかる。

「キーワード検索ができる状態になっていたなら、問題の多くはほぼ解決済みなのです(だって、検索するよりも、内線で電話して聞いたほうが多くの情報が得られますから。内線電話をかけられないような内気な社員ばかりだ、というのであれば、そこの部分を教育したほうがよいでしょう)。
 つまり、このように「人間でも、どう解決したらいいかよくわからないこと」をコンピュータで解決しようとすると、莫大な費用がかかる上に、ろくな成果が得られない、という羽目に陥るのです」(p24)

さらにいえば、手順が決まっているものについても、コンピュータが理解できるような処理や表現に落とし込むのは結構大変。例としてあげられていて面白かったのが、東京工業大学で入学者全員に課されるという「コンピュータ・サイエンス入門」の扇での課題。

「自分の家の筑前煮の作り方を、誰もが再現できるように仕様書として作成しなさい」(p209)というもの。これは簡単なようにみえるけど、「誰もが再現」っていうのがポイントで、「乱切りとは」「中火とは」とか暗黙知の部分から誰もがわかりぶれないように言語化、表現する必要がある。

筑前煮1つでこれやから他のものも推して知るべしという感じ。例えばコンピュータを教育効果の分析に活用するとして、「生きる力」「思いやりのある心」といったものをどう定義してどう計っていくかというともう手のつけようがない感じ。

上記とはまた違った角度で以下の言葉も印象に残った。

「数学的に「存在する」ということと「計算して、それを手に入れることができる」ということは、まったくの別物です」(p33)

これはゲーム理論のナッシュ均衡の話で出てくるけど、ナッシュ均衡が存在することは数学的に証明できても、それにたどりつくための計算はかなり困難。コンピュータですら未だ処理が追いつかない上に、人間が計算するのはかなり無理がある。そうすると現実世界に当てはめられる部分というのは限りが出てくる。そういうところを踏まえて考えていかんとねという話。

その他にも1つ面白かったのが以下の主張。

「人類に、最も貢献したオープンソースソフトウェアはLinuxでもFirefoxでもなく、四則演算(+ー÷×)の筆算でしょう」(p122)

ここでのオープンソースの定義は大まかに「計算の手順を公開して誰もが利用可能な状態にすること」(p122)とされているのでその上での話ではあるけど、こういう発想はなかったので目から鱗やった。オープンソースっていうと比較的最近のITの世界の話をイメージしてしまうけど、知識や手順の共有っていう意味で広く考えれば昔からあったんやよなーと。

そして、著者は数学者でもあるし、数学の貢献度を特に解説していっている。これに関連してもう1つなるほどと思ったのが以下の話。

「科学のイノベーションが起こるには、それに先だって数学にイノベーションが起こらなければなりませんが、その前に、言葉としての数学にイノベーションが起こらなければならないのです。数学のイノベーションはあるところまで達すると飽和状態を迎えますが、その主たる原因は、人間の限られた時間とワーキングメモリにあります。それを打破するには、位取り記数法や数式など、表現方法の側にイノベーションが起こらなければならないのです」(p147)

7つの習慣でも第1の創造と第2の創造の話があるけど、それと似たようなことを感じた。概念としてのイノベーションがまずどこかのタイミングであってそれがアウトプットになるということかなーと。

上記以外にもいろいろ面白い話があったけど、結局どうするかというと、「コンピュータが苦手で、しかもその能力によって労働の価値に差異が生まれるようなタイプの能力で戦わざるを得ない」(p190)という話。具体的には、「耳を澄ます」「じっと見る」(p218)といったもの。キーワード的には、洞察、言葉、五感とかそんなところ。

また、コンピュータを使いこなすという観点からいうと、和文(自然な言葉)を数理的な表現に訳し、それを数学者やプログラマー等の専門家に渡して、最終的にコンピュータが処理できる形に落とし込んでいくような能力も大事になってくる。IT業界ではよく聞く話やけど、ふわっとした言語的な仕様ではなく、その「思い」をプログラムに展開していく、「科学技術とビジネスとの間のコミュニケーション・ギャップ」(p60)を埋めることも重要という話。

単純な読み物としても面白いし、これからの仕事や人生のあり方を考えていく上でのビジネス書としてもいろいろ刺激のある一冊やった。

2014年9月5日金曜日

「言える化 「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密」で仕事にワクワクする気持ちがわいてきた

言える化 ー「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密

ガリガリ君をはじめとするアイスの製造・販売を行なっている赤城乳業についての本。ガリガリ君っていうだけで気になったんやけどさらに面白いのが著者の方との組み合わせ。

著者は戦略系のコンサルティング会社のローランド・ベルガーの日本法人の会長の方で、約25年もの間、数百社の企業の経営をこれまでに見てきている。いろんな企業を見てきた著者が、なんでわざわざガリガリ君の会社を取り上げたというところも注目ポイント。

数百社もみているとだんだん新鮮な驚きも失われていくけど、赤城乳業は違って、ワクワクするような驚きを感じたということ。内容を読んでいくと、なるほど、これはスゴイ、というか面白い!ということがよく分かるし、著者のワクワク感も伝わってくるような内容になっていて、読んでいてこっちもワクワク感を感じられて楽しかった。

文章も、著者の方の要約力というか、本質を切り取る力が反映されていて、どういう特徴があってどうユニークで何が成功につながっているのかということが分かりやすい言葉で整理されている。スタートアップの時期の話は少なめやけど、数十人、数百人くらいの規模の会社が、小さくても強い会社=強小カンパニーをどう目指していくかというところで参考になるポイントも多かった。

■驚くべき生産性
まず数字がいろいろ出てくるけど、社員数330人で売上高353億円(2012年度)というのがまずスゴイ。1人あたりの売上高で言うと1億を超えている。さらに、その時点で6年連続の増収。2003年の売上と比べると191%の伸びということで10年間で売上が約2倍。

ガリガリ君自体も発売はなんと1981年と20年以上前(自分が産まれる前だった…)。発売当時はそんなにヒットしたわけでもないけど、それをじわじわと育てて特に2000年代に入ってから爆発的に伸び始めて、今や年間4億本を超えるという。平均で国民1人あたり3本くらいは食べている換算になる。30年をかけて国民的なヒット商品になったというからそれだけでもかなり興味深い。

■温もりのある「放置プレイ」
その背景にある企業文化について主に紹介されているんやけど、そこもまた面白い。その1つが、若手に任せるという文化。新卒数年くらいの社員がどんどん第一線に出て、かつ、自分の責任で仕事を進める。大手のクライアントとの会議でも、先方は複数でいろんな部署から出てくるのに赤城乳業は若手1名というのもざらにあるという。

キーワードとしてあげられていたのが、「温もりのある「放置プレイ」」(p49)。これにはいくつかの側面があるけど、一つは文字どおり、基本的には放置。むやみやたらに口や手を出さない。ただ、最後まで放置しっぱなしというとそういうわけでもなくて、ギリギリのところでは手助けが入る。任される若手の方も、自分の意志と責任でギリギリまでもうこれ以上は無理というところまでやりきってから手助けを求め、周りもそれを分かって待っていたりタイミングよく助けたりしている。

■言える化
これと関連しているのがタイトルにもなっている「言える化」。若手にいろいろ言ってもらうのも、放置にも忍耐がいるけど、そこを徹底している。ある営業部長の方の話も印象深い。

「経験のある人間だけで決めて、動けば、目先の仕事は効率的に回るかもしれない。でも、それでは人は育たないし、新たな発送やアイデアも産まれてこない。営業部長の渋沢は、「言える化」を実践するための自分なりの努力を教えてくれた。
「中堅・若手中心の会議では、途中で席を外すようにしている。若い連中の話を聞いていると、どうしても一言言いたくなる。議論を妨げないためには、そこにいないのが一番いい」
 生産部門の管理職30名が集まる定例会議では、担当常務の古市は最初の一言だけ話すと退出する。古市はこう言う。
「会議の進行表に(役員退出)と書かれているので、出ざるをえない。ちょっと寂しいが、それで議論が活性化するなら大歓迎」
「言える化」という土壌は、一気にできるものではない。上の人間が「言える化」の重要性を認識し、日常の中でちょっとした努力や工夫、気遣いを積み重ねてつくり上げるものなのである」(p142)

若手の意見を活用しようみたいな話はよくあると思うんやけど、そう言うだけでなくて、そうならざるを得ないような仕組みというか、行動にまでもっていって、そういうことを積み重ねているのが大きいのかなと感じた。

■「やばい」は一人前への登竜門
こうしたことの他に、もう1つ赤城乳業の製品を特徴付けているのが、そのユニークさ。ガリガリ君のコーンポタージュ味というかなり奇抜な味が話題になったのも記憶に新しいけど、それもこういう企業文化があってからこそ産まれてきたもの。それを象徴するようなエピソードが以下。

「なんとかアイデアをひねり出して、苦し紛れで新商品の提案を上司にしたところ、「お前、これ自分で何点だと思っているんだ?」と詰問された。
 自信などまったくなかったので、思わず「60点です」と正直に答えると、「60点のものを売っていいんか!」とすごい剣幕で怒鳴りつけられた。新入社員だからといって、仕事の中身については容赦はない。
 そんな経験を積み重ねながら、影山は少しずつ商品開発の勘どころを身に付けていった。そして、影山はあることに気が付く。それは「普通すぎると、めっちゃ怒られる」ということだ」(p39)

関連して、PRも突き抜けている。面白かったのが、あえて真冬の札幌で雪の降る中にガリガリ君の着ぐるみを登場させてアイスを配ったりしたという。これは普通だと逆やけど、逆をいくことによって、「冬にアイスかよ!」といった形で面白がられて口コミが広がる。その他、ガリガリ君専用のスプーンを売り場においたりとか。それも、「棒アイスにスプーンいらねえだろ!」みたいな感じで口コミを産む。

■ゆるいからといって、ぬるいわけではない。
一方で、ゆるいからといって、ゆるゆるのびのびなだけで仕事をしているわけではない。それをあらわしているのが以下。

「ゆるいからといって、ぬるいわけではない。ゆるいからこそ、社員たちは責任感を持ち、自主的に動く。
 日本企業の強さの本質はそこにある。日本らしい創造は、この現場の自由度から生まれる。赤城乳業の原画から創造性溢れる商品や販促策、改善提案が続々と誕生する理由は、この自由度の高さにある。
 また、赤城乳業はとても「やわらかい」。世の中の常識や業界の常識をさりげなく否定して、新機軸を打ち出すのが得意だ。
 頭が錆ついている会社が多い中で、常にフレッシュだ。「異端」の発想や「あそび心」が社員に沁みついているからこそ、竹のようなしなやかさを持っている。
 そして、この会社はとても「あったかい」。失敗に対してとても寛容であり、失敗そのものを楽しんでしまう度量の大きさを持っている。冷凍技術は一流だが、実はあたためて「溶かす」のも得意だ」(p215)


「ゆるいからといって、ぬるいわけではない」というのは言い得て妙だなーと思った。数百名規模の組織でどういう組織像を目指すかというところでヒントになる話がいろいろ詰まっている良い一冊やった。これは図書館で借りたけど、買って手元に置いておくことにしました。

2014年9月4日木曜日

スポーツもマネジメントも興味あると2倍面白い「スポーツ・マネジメント入門 〔第2版〕 24のキーワードで理解する 」

スポーツ・マネジメント入門 〔第2版〕: 24のキーワードで理解する  

もともとは2005年に出版されたもので10年ぶりに改訂されたもの。第2版って内容が大して変わってなかったりするものもあるけど、これは発行年が2014年ということもあり、結構最近の話題まで取り入れられている。

内容としては、マネジメントの本質、スポーツ・マネジメントとは、戦略の基本等の、マネジメント関連のトピックから、GMの役割、スポーツが持つ公共性等、スポーツに特有の話までカバーされている。戦略や会議の進め方の話まであり、普通にマネジメントの本として読んでも結構参考になる。あと、CRMの話もあり、個人的にはここはかなり気になるところやった。

全体的には考え方や方法論が体系的に整理されている感じ。言葉遣いがちょっとかためではあるので経営用語に慣れていないとちょっと読みづらさを感じるかもしれないし、すぐに実務に役立つ知識やノウハウが詰まっているというわけではないけど、重要なトピックが網羅されていて、全体像をつかんで整理するのにかなり良さそう。

以下、特にスポーツ・マネジメントのトピックとして興味深かったポイント。ただ、スポーツに限らず、他の領域では通じるところも結構ある気がする。

■勝敗を事業性とリンクさせない
「負けてもそれなりの「価値/満足」を感じてもらえるような、エンターテイメント的な要素や付加価値を創出する必要があります。肝心なのは、「事業をできるかぎり勝敗にリンクさせないこと」なのです」(p202)

「集めたよい選手を使っていかに勝たせるか、と考えるのは競技マネジメントの部分になりますが、スポーツ・マネジメント的な観点で最も大切なのは、競技の成績にかかわらずいかに収益を上げるか、という点なのです」(p44)

このあたりは、先日のサイボウズ超会議で話されていた内容の中で小澤さんが仰っていたこととも通じる。

■商品というゲームの価値向上においては相手チームも協力関係
商品はゲームであることを踏まえると、まずそもそも、「自チームで売る商品が、そのチーム単独では生産されない」(p46)。かつ、拮抗した魅力的なゲームを作り上げるには、相手チームとの関係が重要。すなわち、「相手チームとはゲームでは競合関係でありながら、事業としては協力関係」(p46)にある。さらには、リーグ戦の場合はリーグ全体におけるバランスが重要になってくる。

■サポーターは経営の「リソース」でもある
サポーターは普通に考えると「顧客」だが、選手への応援や場の雰囲気づくりによってゲームの価値を高めることにも貢献している。
「観客は「顧客」であると同時に、「ゲームという商品」の室を高めることに寄与する重要な要素」(p19)であるということ。

■プロ野球ではジャイアンツこそがフリーライダーである
ジャイアンツ戦がなぜ面白かったかというと、ジャイアンツがただ強かっただけではなくて、打倒ジャイアンツを掲げるライバルチームがエースピッチャーを対戦させてくることにおり、試合としての盛り上がりが生まれたということ。

そのために、他チームは戦力補強をするが、これはすなわち、「ジャイアンツ戦がおもしろいコンテンツとなるためのコストの何割かは、相手チームが担っていること」(p15)になる。

しかし、入場料や放映権等からあがる収入はそのコストに応じては還元されず、ジャイアンツに集中する。これはジャイアンツの問題というよりリーグの構造の問題であり、この問題がプロ野球再編問題として表面化してきているというのが著者の見方。

■バルセロナの質を高めるためにやったこと
FCバルセロナの経営改革を行なったソリアーノ氏との話の中で出てきていた話。ビジョンは、「バルサを競技力とビジネスの両面において、世界最高の質に高める」(p86)ことであり、そのためにやったのが以下の3つ。

・課題の優先順位を決める
・実施のフレームを決める
・各領域における優秀な専門家を招き、彼らの能力を発揮させる

そして「それ以外に私がしたことはない」(p86)と言い切ったという。こうやって書くと、なんて当たり前な…というか、当たり前すぎて一瞬きょとんとしてしまったけど、よくよく考えると世界最高のレベルでこれをやりきるっていうことはそう簡単にできることでもない。逆に、当たり前のことを高いレベルで当たり前にやっていけば、高い質を生み出していけるということやろうなーと改めて思った。

その他、ちょっと雑学的な知らんかったけどそうなんやーっていう感じで、以下の話も興味深かった。

・マンチェスター・ユナイテッドのチームの総人件費は絶対額においてリーグ最高額ではない。また、事業費における選手人件費の割合が最も低い(p43)。

・スポーツ施設の多くは、スポーツが文部科学省の管轄下にあるため、地域の教育委員会に利用方法が委ねられていることが多い。その評価基準は「教育的見地」となるため、プロチームの使用を学校体育より優先させる論理がそもそもない。そこにあわせて調整していく必要がある。例えば、文部科学省が推進している「子供の居場所づくり」というプロジェクトとからめてソフト事業を提案するとか(p210)。

・国立競技場の管理管轄は代々木公園の管理事務所。スポーツ施設の管理と公園の管理は本来管理ナレッジとしては別物だし目指すところもずれる。美しい庭であることを理想とする公園管理と、たくさんの人が来たり飲食店があってにぎわっていたりというスポーツ施設上の要請はいtっ治しない。

あと、CRMについては結構具体的なツールまで紹介されとった。ぴあとシナジー(あと分析エンジンとしてxica社のサービス)を連携させたソリューションの様子。これはこれで良さそうなんやけど、もう少しライトに手頃な値段で使いたいというニーズがあれば(例えばJ2とかJ3の予算規模がさらに限られるような場合とか)、Zoho CRMとかも結構有効な解決策になるんやないかなーとちょっと妄想してみた。

そのあたりも含めてスポーツにもマネジメントにも関心がある自分にはなかなか興味深い一冊やった。