2014年9月11日木曜日

「コンピュータが仕事を奪う」時代にどう戦って生き抜くか、刺激の多い一冊

コンピュータが仕事を奪う 

表題どおり、コンピュータが奪う人間の仕事にはどのようなものがあり得るのか、逆に、奪われにくいものはどのようなものなのかを、コンピュータと数学の理論の話をベースに説明していったもの。

自分は数学の話は結構苦手ではあるんやけど、著者の文章はとても読みやすかった。例も分かりやすくて、ドラえもんのひみつ道具とかも比喩に使われている(そして、「ほんやくコンニャク」の脚注に「漫画『ドラえもん』に登場するひみつ道具のひとつ」(p82)って書いてあるのがシュールでいい感じw)。

数学の理論的な話はベースにはなるけど、適度に歴史や具体例の話も織り交ぜられていて、具体と抽象の間を行き来するのがとてもうまい。ズームイン、ズームアウトしていく感じ。例えば、冒頭にいきなり福井県の三国というところを訪れた時の話が出てくる。

福井から三国までの電車は単線。人気もまばら。その時に見た旧家の家に、北前船の写真がかかっているのを見つける。その写真の中には港を埋め尽くす程の帆船が映っていてにぎわいが伺える。廻船問屋がたくさんあって栄えていたことは知識として知っていたが、そのことと今の静かな町の状況を比べると胸がつかれる思いをしたというエピソード。

これは輸送手段が北前船から鉄道に変わったことにより状況が大きく変わり、商人や労働者が減っていったということ。ただ、今はもう船から鉄道に輸送手段が変わった時に、どのような職業がなくなり、どのように人が移動したかを覚えている人はもういない。

技術の変化は常にあるけど、それを事前に予測することはとても難しいという話が述べられている。このエピソードの後に出てくるのが次の言葉。

「技術によって生活の場所を奪われて、初めて人びとはその意味に気づくのです」(p3)

こうしたことを踏まえつつ、メインの内容ではコンピュータは何が得意で、その背景にはどういう構造があるのかということが、数学的な考え方の話をベースに説明されている。コンピュータ自身は数学的なモデルをベースにしていて、結局は数学的な枠組みにいきつくが、それゆえに得意・不得意も決まってくる。

得意なのは暗記や手順が決まった演算。そこに最近はパターン認識など、機械学習的なものの含まれてきてはいるけど、まだまだ判断や処方箋を創り出すというところまではいっていない。

例えば、何か困っている人がいるとして、機械に対して処理させるには何らかの形で言語化、手順化が必要やけど、そもそも何を困っているのか、なぜ困っているのかをみんながみんなうまく言語化できるわけではない。そういうものをコンピュータは処理しづらいし、やろうとすると膨大なコストがかかる。

「キーワード検索ができる状態になっていたなら、問題の多くはほぼ解決済みなのです(だって、検索するよりも、内線で電話して聞いたほうが多くの情報が得られますから。内線電話をかけられないような内気な社員ばかりだ、というのであれば、そこの部分を教育したほうがよいでしょう)。
 つまり、このように「人間でも、どう解決したらいいかよくわからないこと」をコンピュータで解決しようとすると、莫大な費用がかかる上に、ろくな成果が得られない、という羽目に陥るのです」(p24)

さらにいえば、手順が決まっているものについても、コンピュータが理解できるような処理や表現に落とし込むのは結構大変。例としてあげられていて面白かったのが、東京工業大学で入学者全員に課されるという「コンピュータ・サイエンス入門」の扇での課題。

「自分の家の筑前煮の作り方を、誰もが再現できるように仕様書として作成しなさい」(p209)というもの。これは簡単なようにみえるけど、「誰もが再現」っていうのがポイントで、「乱切りとは」「中火とは」とか暗黙知の部分から誰もがわかりぶれないように言語化、表現する必要がある。

筑前煮1つでこれやから他のものも推して知るべしという感じ。例えばコンピュータを教育効果の分析に活用するとして、「生きる力」「思いやりのある心」といったものをどう定義してどう計っていくかというともう手のつけようがない感じ。

上記とはまた違った角度で以下の言葉も印象に残った。

「数学的に「存在する」ということと「計算して、それを手に入れることができる」ということは、まったくの別物です」(p33)

これはゲーム理論のナッシュ均衡の話で出てくるけど、ナッシュ均衡が存在することは数学的に証明できても、それにたどりつくための計算はかなり困難。コンピュータですら未だ処理が追いつかない上に、人間が計算するのはかなり無理がある。そうすると現実世界に当てはめられる部分というのは限りが出てくる。そういうところを踏まえて考えていかんとねという話。

その他にも1つ面白かったのが以下の主張。

「人類に、最も貢献したオープンソースソフトウェアはLinuxでもFirefoxでもなく、四則演算(+ー÷×)の筆算でしょう」(p122)

ここでのオープンソースの定義は大まかに「計算の手順を公開して誰もが利用可能な状態にすること」(p122)とされているのでその上での話ではあるけど、こういう発想はなかったので目から鱗やった。オープンソースっていうと比較的最近のITの世界の話をイメージしてしまうけど、知識や手順の共有っていう意味で広く考えれば昔からあったんやよなーと。

そして、著者は数学者でもあるし、数学の貢献度を特に解説していっている。これに関連してもう1つなるほどと思ったのが以下の話。

「科学のイノベーションが起こるには、それに先だって数学にイノベーションが起こらなければなりませんが、その前に、言葉としての数学にイノベーションが起こらなければならないのです。数学のイノベーションはあるところまで達すると飽和状態を迎えますが、その主たる原因は、人間の限られた時間とワーキングメモリにあります。それを打破するには、位取り記数法や数式など、表現方法の側にイノベーションが起こらなければならないのです」(p147)

7つの習慣でも第1の創造と第2の創造の話があるけど、それと似たようなことを感じた。概念としてのイノベーションがまずどこかのタイミングであってそれがアウトプットになるということかなーと。

上記以外にもいろいろ面白い話があったけど、結局どうするかというと、「コンピュータが苦手で、しかもその能力によって労働の価値に差異が生まれるようなタイプの能力で戦わざるを得ない」(p190)という話。具体的には、「耳を澄ます」「じっと見る」(p218)といったもの。キーワード的には、洞察、言葉、五感とかそんなところ。

また、コンピュータを使いこなすという観点からいうと、和文(自然な言葉)を数理的な表現に訳し、それを数学者やプログラマー等の専門家に渡して、最終的にコンピュータが処理できる形に落とし込んでいくような能力も大事になってくる。IT業界ではよく聞く話やけど、ふわっとした言語的な仕様ではなく、その「思い」をプログラムに展開していく、「科学技術とビジネスとの間のコミュニケーション・ギャップ」(p60)を埋めることも重要という話。

単純な読み物としても面白いし、これからの仕事や人生のあり方を考えていく上でのビジネス書としてもいろいろ刺激のある一冊やった。

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