2014年9月24日水曜日

「ファッションは魔法」を読んでファッションの持つ意味みたいなのが垣間見えて興味がわいてきた

ファッションは魔法 (ideaink 〈アイデアインク〉)  

「ファッション」というものにほとんど興味がないんやけど、図書館の棚に並んでいて、あえて読んでみようと思って手に取ってみた。そしたら意外や意外これがかなり面白かった。

まずもって著者の方が面白い。2人の方の共著やけど、1人の方は鳥取で東京のファッションに憧れる日々と悶々とした日々を過ごした後に海外に飛び出していく。その経歴の話だけでも面白いんやけど、ファッションに表現しているものも面白い。

日本人の神仏のとらえ方、雑多な世界観をインスピレーションに服の神様をショーに取り込んでみたり。東京コレクションの最後を飾るショーにゴミ箱ルックの服を出してジャーナリストやモデルを激怒させたり。

おかげで全然服は売れないけど、これもファッションじゃない?と思っていたことを実現できて、一部からは良い反応もあったりして手応えを感じたりしていたということ。

「服を売らなくても、大きなシステムに乗らずとも、自分のリズムで模索しながら、今でもファッションの新しいやり方を探しています」(p87)

このように、そもそもファッションとは何か、ファッションの役割とは何なのかというところについていろんな角度から考えられていて、面白い視点があった。

まず印象に残ったのが、ファッションは自己表現なのかというトピック。著者が教える生徒も、ファッションとは自己表現の1つという答えを返してくるけど、現代はその側面が強調されすぎているのではないかというのが著者の考え。それはあるとしても一側面でしかない。

実際には、生活している場や関係性は、相互的な関係性で成り立っているのであって、他の人から見た時に自分がどう見えるのかという視点を持って、服を選ぶ時にもその意識を働かせるのは重要だということ。

「そうすれば、服装を通じて他者と共鳴・共存できるのです。そういう意味では、「俺、ファッションに興味がないんだ」という発言は自己主張がなく格好良いように見えて、実は他者の視線を無視した物言いであることが分かります。ファッションはつねに外界との関係性の中で生まれているのです」(p141)

上の話は結構耳が痛かった…ちょっと考えを改めようと思いました…

また、ファッションとはといったテーマに関連して、以下の話が比喩も含めて面白かった。

「「ドラえもんの中に『ドラえもん のび太とアニマル惑星』という不思議な長編作品があります。ある晩、のび太の部屋に突如としてピンクの"もや"が出現します。それは何だかとても怖そうだけどキラキラしていて美しい。寝ぼけたのび太は"もや"の中に入ってしまうのですが、そこを通り抜けた先に広がるのは動物が人間の言葉を話す奇妙な積痾。"もや"に魅力を感じるのび太は、連日そこに足を運ぶー。
 僕たちが関心を寄せるのはこの話の筋ではなく、怖いけれど入りたくなってしまう、魅力と不安を兼ね備えた「ピンクの"もや"という設定です。それはファッション、ひいてはクリエイションの核心に触れていると思うからです。ピンクの"もや"はキラキラと美しく輝き、言葉や論理で説明したとたんにその本質が失われるようなもの。ファッションの仕事はこの美しい"もや"を作ることであって、決してそれを解明することではない。テクノロジーの発展によって社会がますます高度情報化していくなかで、僕たちはこうした言葉にならないもの、迷信のようなもの、魔法のようなものがこれからもっと大事になってくると確信しているんです」(p110-111)

このような話の一方で、本書の中でも触れられているけどビッグデータのような話がある。膨大な統計データを集めて分析して、売れる要因を統計的に要素分解してマーケティングや営業活動に活かしていく。でもそれだとだんだん均一化していって、新しいものや要素分解できないもの、言葉にできないけど魅力的な"もや"のようなものは生み出せないのではというのが著者の主張。

それと関連してフランスのファッションデザイナー、イヴ・サンローランの言葉が紹介されている。

「人は誰しも、生きていくため美しい幻を必要とする」(p113)

これを受けて著者は次のように述べている。

「今こそ、わけの分からない"もや"を作り出すファッションの力によって、世界を「再魔術化」しなければならない。世の中にはもっと魔法が必要なのです」(p113)

ファッションショーとか、テレビで映像を見てもわけがわからないので関心がなかったけど、この話を読んでパラダイム転換した。わけがわからないからこそ面白いし大事なんやなーと思った。

これと関連してなるほどと思ったのが、ファッションの流行のメカニズムや流行が終わる理由やタイミングはよくわかっていない、説明できる人は少ないという話。ある服を、ある時に「かわいい!」「かっこいい!」と思って興奮して着ていても、流行が過ぎて後からタンスから出てきた時に着ていた自分が恥ずかしくなったりする。

このへんのよくわからない、データ化できない、説明できない部分こそがファッションの武器であり、そこに可能性があるという。人間の本質、感性、感情、直感、共感や共鳴の源泉を探ってそれを服装という形で提示したいということ。ファッションについてこういう見方をしたことがなかったので目から鱗やった。

もう1つ面白かったのが、ファッションは新しい人間像を提示するという話。中国語ではファッションのことを「時装」、すなわち、時の装いというらしいけど、ファッションといったときに服の装いだけでなくその時の装いをあらわすものと見ていくと広がりが変わってくる。

視点を広げてみれば、個人の装いの上に、人々の装い、街の装い、自然の装い、国の装い、地球の装い、宇宙の装い、そして時空を超えた時の装いがある。視点を小さくしてみていくと、服の装い、布の装い、糸の装い、細胞の装い、DNAの装い、原子の装い、素粒子の装いがある。そしてこれらはレイヤーが違うけど同時進行している。

「装いが様々なレイヤーにまたがる中で、ファッションデザイナーという職業の本文は、つねに変化し続けるそうした「動き」に注目しながら、新しい人間像を提示することにあると思っています。福家化粧やヘアメイク、バッグやジュエリーだけでなく、その人の生活空間やライフスタイル、その人が生きる社会、その人が生きる未来。そうした可能性のすべてをファッションデザイナーは模索して提案するのです」(p118)

その他にも興味深かったのが、「個人を相手にするとき強い表現が生まれる」(p135)という章。

「多くの人に訴えるファッションを作りたいのなら、逆説的ですが、徹底して目の前にいる一人の個人を相手にするほかないと思います」(p135)

ということ。社会や時代の動きを反映したものに人が共鳴するかというと必ずしもそうではなく、逆に、「超パーソナルな感情や物語こそが人を感動させることがある。それを率直に個に向けて発信したほうが、強いリアリティでもって人々に響く場合があるのです」(p135)

この話の前段や後段で、著者が教えている生徒の方の作品のストーリーが紹介されているけど、それらを読むと上記の言葉になるほどと頷かされた。ある女性の方は、子供の頃にお父さんが着ていたYAMAHAのトレーナーを再現してみたり、別の男性の方は子供の頃にオカンが手作りしていた服(成長するにしたがってダサいと着なくなった)に結局原点を見出したり。

まとめて書いちゃうとその背景が伝わらなくなっちゃうのがちょっと歯がゆいけど、元のストーリーはきっと多くの人の心に何らかの印象を残すものになっていると思う。著者が言っているように「超パーソナル」なんやけど、それを抽象化して今の時代は…とかそういう話ではなくて、あえて個人的なストーリーを表現に落とし込むことで力を持つことがあるんやなーと思った。

たまたま並行して読み直していた7つの習慣にも以下の言葉があった。ちょっと文脈は違うけど、通じるエッセンスがある気がする。

「99人の心をつかむ鍵を握っているのは、1人に対する接し方だ」(p273)
「大勢の人を救おうと一生懸命に働くよりも、一人の人のために自分のすべてを捧げるほうが尊い」ーダグ・ハマーショルド(p279)

仕事でも、事例がすごい重要みたいな話はよく言われるし、なんとなくはそう思ってはいたんやけど、上の話と似たようなところがあるのかなーとも思った。変に抽象化したり共通項を見出そうとしたりしないで、あえて「超パーソナル」に課題を見出し、それを解決して、その話をストーリーとして多くの人に伝える方がより響くのかもなと思った。

ファッションがテーマではあるけど、それに限らず人の営みや関係性というところまで視点が広がるので、ファッションに興味が無い人程読むと面白いかもと思った一冊やった。

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