2014年12月30日火曜日

「忘年会」の歴史や文化がわかる新書の一冊

忘年会 (文春新書)
触れ込みとしては、「忘年会が始まったのはいつか?世界に忘年会は存在するか?身近だが正体不明な「宴会」の歴史的起源と変遷を辿り、世界史内での位置づけを探る。忘年会を本格的に論じた、初めての本」(帯見返し)ということ。

本当に初めての本かどうかはよくわからんけど、江戸時代あたりから現在までの忘年会のあり方やその変化がざっくり感じられてなかなか面白かった。忘年会自体、あまり先行研究がなく、昔のものは資料としても残っていなかったりするので、いろんな資料の端々に残っている情報を集めて論じている。研究というよりはエッセイという感じ。

章立ては以下。

  1.  江戸時代の忘年会ーその多元的起源
  2.  近代忘年会の成立
  3.  近代忘年会の拡散
  4.  大衆忘年会の時代
  5.  海を越えた忘年会
  6.  忘年会の現在

冒頭では忠臣蔵の赤穂浪士が討ち入った吉良邸の話が出てくる。なんでいきなり忠臣蔵かというと、これも忘年会に関連するのではという話。吉良邸には、討ち入りをした人数の3倍の人数がいたにもかかわらずに赤穂浪士側は死者がなく、打撲傷が3人のみ。襲われた吉良側は首級をとられただけでなく討ち死にが16人、手負いが21人。

いくら不意をつかれたとは言えこの差は大きすぎるけど、事件前日に新年を迎える準備としての煤払い、そして「茶事」が行われていたということ。忘年会的なものがあった後の寝込みを襲う形で討ち入りが行われたことが上記の背景にもあったのではということ。

江戸時代くらいには「忘年会」そのものの言葉は出てこず、「年わすれ」という言葉がわずかに井原西鶴の本に出てきたりしている程度という。ただ、中国に起源をもつ年末行事や、似たような意味合いをもつ行事は行われていたということ。

その後、明治時代になり本格的な忘年会時代が到来し、文明開化の流れとくみあわさって、パーティーや集会的な要素と組み合わさる。だんだん派手になって、黒田清隆内閣では「忘年会はなるたけ質素に」(p59)という内訓も出されたとのこと。

ちなみにこの頃から「演説」がつきものということで、飲み会でスピーチをする文化は何なんやろなーと思ったこともあったけど、こういうところからずっと続いているもんなんやなーと思った。

そして明治の頃は「西洋的教養を持ったホワイトカラー層」(p72)が主体で、「時代の先端を行く、ハイカラな行事であった」(p72)という。その後、拡大と縮小のサイクルを繰り返しながら、昭和前期には国民的な年末行事になっていく。

忘年会の会費は年末の賞与でカバーしたりもあり、さらには、忘年会のために積み立てまでされていたらしい。そしてその忘年会の積立金を寄付した会社があったりして、美談として新聞記事になったりしている様子も紹介されている(p103)。

また、別の角度としては、夫たちが忘年会を口実に何をしているか分からないという妻たちの疑念や非難があったということと、同時に、女性たちでも忘年会を開きたいという気持ちが広がっていたという話も出ている。

戦後は一気に大衆化して、ブームとして広がっていく。経営者は12月になると1日2回は平均して忘年会に呼ばれたりして、ある経済評論家は「これくらいの宴会の連続に耐えられない者は、「経営者の資格はない」」(p121)とまで断言されたりしていたらしい…

週刊誌でも隠し芸特集がたびたび組まれたり。1969年12月の「週刊ポスト」で「隠し芸のコツは、まず、まじめにやること。忘年会といえども会社の行事ですから」(p128)という隠し芸教室の講師の言葉が紹介されている。

明治期のハイカラな忘年会では座敷で芸者を交えた忘年会が行われたりしていたけど、大衆はそのような費用を賄うことはできないので、芸者の代わりに参加者自らが芸を披露するようになったのが「隠し芸」ということ。今から見るとおかしみもあるけど、当時としては結構まじめに取り組まないかんかったやろうから、こういう時代や会社でなくて良かったな…と思ったりした。

昭和の後期になると、逆に忘年会のお座敷離れが進むところも。宴会をしないから成長したのかもしれないというある電機会社の広報部長の言葉が紹介されていたり、赤塚不二夫の嘆きが紹介されていたり。赤塚不二夫の言葉は以下。

「忘年会に限らず、座敷の宴会は面白い。それが最近、ホテルでやる"立ちパーティー"なるものに、すり替わってからは、すっかり集会が味気ないものになってしまった。酒と食事とスピーチと立ち話が雑然と行われている状態は、考えただけで出席意欲を減退させる」(p148)

さらにその後、忘年会など好きではない、行く意味があるのかという新人類が登場し、企業忘年会も多様化していく。しかしながら、忘年会的なるものは消失していくことなく、むしろ脈々と生き続けている。クリスマスが宴会化してクリスマスとくっついたりしたり形を変えたりしつつも和風居酒屋での実施など宴会空間は変わらずにある部分もある。

そうした流れを踏まえつつ、忘年会について歴史や大衆文化などの面からいろいろ思いをみることができてなかなか興味深い一冊やった。


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