2016年9月28日水曜日

「日本競馬を創った男―エドウィン・ダンの生涯」を通じて北海道から明治の歴史が見える

日本競馬を創った男―エドウィン・ダンの生涯 (集英社文庫)

  明治初期に若くしてアメリカから渡ってきて、北海道の開拓に携わったエドウィン・ダンという人の評伝小説。図書館でたまたま見つけてなんとなく手に取ってみたんやけど、これが存外に面白かった。 

北海道開拓史の事業に最初から最後まで携わり、畜産や酪農、競走馬の育成、また、農業技術の指導や教育を行う。バターやチーズの製法はこの人によって始められたということでもあり、ハムやソーセージの加工技術も伝えたらしい。北海道の農業というときにイメージするもののかなりのものに携わっている感じ。最終的には駐日公使まで勤められたということ。 

日本に来てからの文化の違いに対する戸惑いや開拓の苦労やそれに捧げる情熱が1つの軸になっているけど、もう1つの軸は奥さんとの話。日本人の女性と結婚することになるんやけど、ここにもまたいろいろな苦労がありつつ、2人で乗り越えていっている姿が画かれている。このへんはNHKの連ドラにでもなりそうな内容やった(マッサンの逆パターン?)。 

また、北海道開拓史の事業自体が政治と密接にからんでいて、世話役だった黒田清隆の話を始め、明治天皇、榎本武揚、西郷隆盛、大久保利通といった人物も登場してきて、明治初期の歴史を北海道から見ていくような感じでそれも面白かった。 

札幌農学校のクラーク博士の話も出てくるけど、実は実業家としての顔や事業欲が結構あって「ボーイズ・ビー・アンビシャス」は「青年よ、この老人の如く野心を持て」という意味合いだったのではという話も紹介されていてそれも興味深かった。 

札幌の中央公園の片隅に「開拓の父」としての胸像があるらしいけど、まったく知らなかった。それだけに物語が新鮮に読めた一冊やった。 

2016年9月22日木曜日

「人間の居る場所」には横の感覚が面白い


なんとなく手にとってみたんやけど、予想外に面白かった。タイトルどおり「人間の居る場所」というのがテーマやけど、主に「都市」の話。「都市」と言っても「都会」や「都心」とは違うという話から始まっていく。最初は言葉遊びのようにも見えたけど、読んでいくとなるほどと思える。 

「たとえば駅前で人々が焼き鳥を食べている風景は都市的な風景だ。だが都心とは限らないし、都会的な風景でもない。都会的という言葉は、より消費的で、清潔でおしゃれなイメージで使われることが多い。都会的なセンス、都会的な店、都会的な女性といえば、ほぼ「おしゃれ」と同義語だ。だが、都市的というのは、必ずしも清潔でなくてもおしゃれでなくてもいい。こういうニュアンスの違いに都市と都会の本質的な違いがある」(p11) 

「たとえば、高円寺は都会的ではない。ブランド店はないし、駅ビルすらない。スターバックスもTSUTAYAもない。もちろん都心ではない。でも人を集める都市的な魅力がある。つまり自由が感じられる。それは消費者が集まる場所というだけではない、人間の居る場所としての魅力だ」(p11) 

「私から見ると、大手町とか霞が関などは都市ではない。あれは単に都心業務地である。都市と都心、あるいは都会という言葉を一緒くたに使う人がいると私はとてもイライラするが、違うのだ」(p10) 

もう1つ、「横丁はなぜ縦丁ではないのか」というテーマの話も。これも言葉遊びのように見えて結構広がりがある話。横がつく言葉は、横取り、横流し、横槍、横恋慕、横着、横領、邪(横縞)、横道にそれるなど。なんだか悪い、真面目じゃない、安定しない感じがする。横の「よ」のお供、よろよろ、よれよれ、よたよた、よちよち、よける、よす、という本流から外れる感じもある。「夜」とか「酔う」も。 

これに対して、「縦」の「た」は、まじめ、まっすぐ、元気な感じ。立てる、建てる、高く。滝や竹もまっすぐな感じ。凧や龍はまっすぐ舞い上がる感じ。この辺を踏まえて以下のようにまとめている。 

「昼間の真面目に働く世界、規則や効率の支配する世界、しかしどんどん生産を伸ばしていく世界は「縦」の世界であり、仕事が終わって一休みするのは「横」の世界なのである」 
「だから人は夜になると、横丁に寄り道をして酒を飲んで酔っ払って、よい気持ちになって、最後はよろよろして、横になって休むのである」(p223) 

2つ目の文は明示されてないけど、あえて「よ」がいっぱい使われている感じ。リズムがなんか気持ちいい。「縦糸と横糸が細く緊密に織り上げられているほど都市は魅力的になる」(p223)ということでもあるという。また、「公共」については、従来は縦の公共であったが新しい公共とは横の公共ではないかという整理も面白かった。 

他にもいろいろ面白いところはあったけど、もう1つあげるとするなら映画監督の堤幸彦さんとの対談。堤さんが撮りたい映画の話をしているけどそのテーマが面白かった。お風呂屋の三助さん、マタギ、ノモンハン事件、中村屋のカレーの生みの親のボースの話とか。TRICKとかのイメージだったけど、実はそういう方面にも関心があるというのが興味深かった。 

印象に残った言葉が、福井の料亭の経営者の方の言葉。 

「ただ金をかければいいというのではない。金のある人に金のかかる仕事をさせるだけで街おこしはできない。今はお金のない人でも、これからの時代をつくる人に投資することが必要だと気づいたのです」(p267) 

その他、具体的な取り組みやさまざまな方の言葉も紹介されている。一方で、元がセミナー講演や対談の話をまとめたものなので、一冊の本として最初から終わりまで練り上げられた構成ではなくて、わりとあっちこっちにいってる感じ。それもそれで「横」っぽい感じがして楽しい一冊やった。 


2016年2月27日土曜日

「「弱いリーダー」が会社を救う」と考えてみることでいろいろヒントが得られるかも?

「弱いリーダー」が会社を救う  

「リーダー」というと、決断力や洞察力があり、論理的指示が明快で積極的に人を引っ張っていくような「強いリーダー」像がイメージされることが多い。一方で一見頼りないように見えたりぼんやりしているような人でも発揮しているリーダーシップもある。

キーワードでいうと、「調和」「柔軟」「静か」といったところで東洋思想で語られるリーダー像にも通じる。こうした「弱いリーダー」にも魅力がある、というかむしろ、今の時代はそうしたリーダー像こそ求められているのではないかとうのが本書の考え方。

「「自分は人をぐいぐい引っ張るタイプじゃないから、リーダーなんて無理」と考える人がいたならば、むしろこれから求められるリーダーの資質を持ち合わせた大切な人材なのかもしれません」(p7)

「強いリーダー」と「弱いリーダー」の対比は以下のように整理されている(p149)。

■強いリーダー
 目的:競争に勝つ
 信条:行動力、強い影響力を持つ
 コミュニケーション:自らの発信が中心
 マネジメントスタイル:指示する、徹底させる
 判断基準:合理性、効率性
 意思決定:迅速に決断する
 部下育成の方針:機動性を高める、段階的な経験をさせる

■弱いリーダー
 目的:できるだけ戦いを避ける
 信条:柔軟性、自分と向き合う
 コミュニケーション:他者からの受信が中心
 マネジメントスタイル:問いかける、押しつけない
 判断基準:思い、理想の姿
 意思決定:周囲に意見を促す、すぐ決めない
 部下育成の方針:発想を豊かにする、積極的に任せる

なぜ「強いリーダー」では限界があるかというと、論理性や効率性が有効ではない場面があるから。それは変化が必要な時。論理的な帰結では想定できていないことが起きる場面や、効率だけを求めていると方向性を誤る場面も出てきたりする。そういう時に必要なのは、人を引っ張っていくというよりはまずは一旦立ち止まって足元を見つめ直す力だったりもする。

「自分たちの「思考の枠」があることを認識しつつ、枠外の「意外性」を意識する必要性はますます高まっている」(p35)

また、効率だけを求めていくと創造につながりづらくなったりする。

「私たちが、仕事をしているとき一見ムダに思えるようなことが実はとても大切だということがあります」(p62)

これはその通りやと思いつつ、一方で難しいなーと思うのは、一見ムダのように見えて後々つながってくるものと、ムダにしかつながりづらくてやはり削った方が良さそうなものとが両方入り混じってたりするので、そのへんは見極めや切り分けができるのかどうかということ。このへんはなかなか難しい。

なので難しい前提でやっぱりムダでしかないムダも許容するということなのかなと思いつつ、それだけやってたら次第に破綻するしなーとも思いつつ。やっぱり難しい(^^;)ただ、本書にあった「ムダ。それは、人を育てる肥料」(p72)というのはいい言葉やなーと思った。

上記の他、著者の持論として述べられている以下の言葉が印象に残った。本書の中ではこの話はあまり書かれてなかったけど、今後もう少し深く調べてみたいと思った内容。

「組織運営をより円滑に行いながら人材を育成・開発するためには、5人程度の小人数チームを中心に組織を回していくことが最も効果的である」(p3)

全体的には「強いリーダー」に対するアンチテーゼとしての「弱いリーダー」の話が展開されているけど、「強いリーダー」のスタイルが必要だったり有効な場面も依然としてあるような気もするので、そのへんは使い分けなのかなー、でも同じ人で2つのスタイルを使い分けるのはちょっと難易度高いよなーということも思ったりしつつ、そのへんも含めていろんなヒントが得られた一冊やった。


2015年10月17日土曜日

「ハーバード流 逆転のリーダーシップ」とは、1人の優れたリーダーがビジョンを示し人々を引っ張ることではない


ハーバード流 逆転のリーダーシップ

イノベーションを導くにはリーダーシップが必要やけど、それは通常イメージされるようなリーダーシップではなく、異なった形のリーダーシップが求められるというのが主なテーマ。 

リーダーシップというと、壮大なビジョンを描いてそこに向けて人々を導いていく、決断力や判断力があってメンバーを引っ張っていくといった感じのイメージがあるけど、イノベーションをよく生み出している組織で見られるリーダーシップはそれとは違う型のものであるというのが本書の主張。 

「過去数十年のあいだに、リーダーの役割がもっぱら魅力的なビジョンを掲げて、メンバーを引っ張ることだと見なされるようになった」(p5)が、「リーダーの役割をそういうものだと考えていると、解決策のはっきりした単純な問題に取り組む場合はいいが、そうでない場合、かえって自体を悪化させる。まったく新しい対応が求められる状況では、あらかじめどういう対応をすべきかは誰にもわからない」(p5)。 

今の時代、画期的な商品やサービスを1人のビジョンや能力だけで生み出すことは難しい。それぞれの人の強みを見つけ出し、それを集め、組織として最大のパフォーマンスを発揮させることができるようなリーダーシップが必要で、それは先頭に立って導くというよりは背後から指揮するという羊飼いのようなもの。 

「リーダーの仕事は舞台を用意することであり、舞台の上で演じることではない」(p6) 

そのあたりを、ピクサー、グーグル、イーベイ、ファイザーなど、繰り返しイノベーションを生み出している会社の中でどのようにそれが実現されてきたかケーススタディとともに紹介している。個人的には、インドのHCLテクノロジーズの事例が興味深かった。チェンナイに行った時にも結構目にする会社で、大きな会社の中で組織転換をどう図ったかという事例になっている。プロジェクトチームで掲げられたキャッチフレーズとして「タンビ」(p75)という言葉が選ばれたけど、これは南インドのタミル語で「兄弟」を意味する言葉なのも印象的やった。 

そのHCLテクノロジーズで改革を主導したヴィニート・ナイアーさんの言葉。 

「リーダーはあらゆる質問に答えようとしたり、あらゆる問題に解決策を示したりしようとする気持ちを抑えなくてはなりません。むしろ、自分のほうから尋ねるべきです」(p93) 

本書の英文のタイトルは「Collective Genius: The Art and Practice of Leading Innovation」みたいやけど、こっちの方が内容とはマッチしている気がする。邦訳的には「ハーバード」とかつけた方が売れるっていう見込みやったんかなとは思うけど…以前読んだ「凡才の集団は孤高の天才に勝る」という本ともテーマ的には似ている感じ。 

上記のような組織で見られる特徴としては、いろんな矛盾を統合的に解決しようとしているところ。テーマとしては、個人と集団、支持と衝突、学習と成果、即興と構造、根気と切迫感、現場主導とトップダウンなどなど。これらのどちらか一方のみをとるのではなく、行ったり来たりしつつ、最適なバランスを見つけ出している。 

バランスと一言で書くとシンプルに見えるんやけど、実際の現場で問題や摩擦が発生する中で最終的にどういう決定をチームとしてくだし、どういう行動をとっていくかというのはかなり難しい局面が多い。そういう時に、すぐに諦めずになんとか両取りできるようなことを目指していっている様子が事例を通じて描かれている。そして、それを貫くのはなかなかに難しい。 

「個人も集団も、いくつものアイデアがある複雑な状況では、不安を覚えやすい。メンバーはそんな緊張に耐えられず、ただちに状況を単純にしようとする。それぞれのアイデアを単純化し、別々に扱い、ひとつかふたつのアイデア以外すべて捨て去ろうとする。チームのメンバーにつねに全体を考えよ、単純化やしぼり込みをしばらく我慢せよと求めるのは、宙ぶらりんの緊張状態のなかにあえて身を置けと求めるのと同じことだ。 
 この要求を貫こうとするリーダーは、メンバーからの反発を覚悟しなくてはならない。そういうことを求めるのは、一般にリーダーに期待されている役割と食いちがうからだ。リーダーの役割とはふつう、状況を明確にし、指示を出すことだと感が得られている。たとえ一時的であっても、混乱を認めたり、奨励したりすることが役割だとは思われていない。リーダーーはできるかぎりすみやかに決定を下すこと、どれかひとつを選ぶことを期待される」(p260) 

イノベーションが生まれてくるなかで、統合的な決定がうまくいっていると、解決策を最初に提案した人が誰かとか、誰が主要な貢献者とかはわからず、いろんな議論のなかでどこからともなくアイデアが生まれてくる。誰が最初にそのアイデアを口にしたかを覚えている人はおらず、気がついたらそこにあったと感じられることもあるという。そこに至るまでにかなり紆余曲折があって根気も必要やけど、それに耐えられるかどうか。 

そして、イノベーションを導くリーダーに共通する性格が以下ということ。 

・理想家であるとともに実際家 
・全体的にものごとを考えるとともに行動志向 
・寛大であるとともに厳格 
・平凡な人間であるとともに人並み外れて粘り強い 
(p314) 

これを見てもわかるけど、一見矛盾している。それを自分の中で、そして組織の中でどう統合していくか。難易度高いけど、そもそも経営や事業運営、組織づくりっていうのは矛盾だらけなんで、それにいかに向き合うかっていうことでもあるなと思った。 

その他にも価値観、参加規則、創造的な摩擦、俊敏さ、失敗、リスクといったキーワード。イノベーションだけでなく、組織づくり全般にも参考になる事例がつまった一冊やった。 


2015年9月26日土曜日

「農は甦る 常識を覆す現場から」から伝わってくるこれまでとこれからの農業の姿

農は甦る

これまでの農業の課題とこれからの農業の可能性を考える上で充実の内容。事例も豊富。時代も戦後農政や農業基本法の話から現在の制度まで、形態もNPO、個人から企業まで、単作と複合経営といった耕作形態など幅広く扱われている。

一方で、個々の経営者や農業者の方も1人1人取材されていて、背景にある想いも踏まえながら丁寧にまとめていっている。取材もある時点だけでなく、ある時点から一定時間経過した時にどうなっているかというところまで追いかけられていて、それぞれの方の変化したところ変わらないところもわかって面白かった。

個人的には、らでぃっしゅぼーやの成り立ちとかこれまでの発展とかは、うっすら聞きかじっていたりしたけどちゃんと聞いたことがなかったので参考になった。他にも見知っている名前がちらほら出てきて内容も入りやすかった。

いろんな論点の中で印象に残ったのが企業の参入の意義の話。企業が入ることで生産管理はじめ技術や資本、その他販促や業務系のノウハウを投入して効率化ができるみたいなイメージの話が多いけど、実際にはそれだけで片付かない話も多い。そもそも生産の部分はこれまでにもある程度技術が突き詰められていて、農業自体のノウハウがない企業がポンと入ってすぐにどうこうなるものでもない面も少なくない。

ある事例では、オランダ式の最先端の栽培施設を持ってきたがうまくいかず頓挫。担当者の言葉のなかには、ヨーロッパのトマトの中心は調理用でそれに向く施設だったにも関わらず生食の高級トマトを作るような設計になっていてマッチしなかったことなどもあげられていた。

読んで一瞬、そんな根本的なところから…と思ったけど、よく考えるとそれは後知恵でしかなくて、やる前に十分予見できていなかったことややってみて初めてわかったことが、この話と同様にたくさんあるんやろうなーと思った。そういうところにうまく対処できるのがノウハウや経験だと思うんやけど、そういうものをいかに得て活かしていくか、あるいは積み重なっていくまで我慢できるか、続けられるかというところでなかなかうまくいっていない例があった。

そのあたりも踏まえつつ、生産だけではなくて別の面にも目を向けるべきだとしていて、確かになと思った。

「企業がみずから農場を持ち、農産物を作っても、システム全体の変革にはならない。生産に手を出す意義を全面的に否定するつもりはないが、生産者もその面では努力してきた。そうではなく、企業が農業とのかかわり方を変えていくことが、農業再生の起爆剤になる」(p229)

生産だけに着目するのではなく、生産者と消費者、生産と販売をつなぐ流通のところがキーというのが著者の見立て。生産者の話の中では、販路に関しての以下のような言葉があって印象に残った。

「営業なんかせんでも、仕事は山ほどある。応えられてないわけじゃないですか、ニーズに。ニーズがあるなら、役に立ってあげればいいんですよ」(p137)

著者は次のようにもまとめている。

「契約栽培が増えるなか、「いかに発注に応えるか」が課題になっていた。メーカーはときに発注を数倍に増やす。坂上はこの期待に100%応えようとした。「『100作ります』ちゅうたら、100作るんですよ。『ごめん、95で勘弁して』って一回でも言おうものなら、『こいつはひょっとしたら95しか作らない』と思われるようになる」。
 無理な要請もできるだけ受ける。受けたら、約束を守る」(p142)

約束を守るっていうとシンプルに聞こえるけど、天候はじめいろんな条件や制約があるなかでそれをきっちりやりきれるところは少なく、だからこそそれをやれるところにニーズも期待も集まってくるということ。先日機会があってお伺いしたある生産者企業の方も同じようなことを仰っていたのを思い出した。

野菜くらぶの沢浦さんの次のような言葉も。

「高齢化でみんな生産できなくなる。そうなったとき、だれに注文が来るのか。盤石の生産基盤があり、約束を守る。そういう仕組みがあるところに来るんです」(p172)

約束を守るということについてまた違った観点である企業と生産者の契約の話もあった。最初に話をしていたにも関わらず、契約していた価格より相場が高騰すると「出すもんないよ」と言ってくる農家がでてきて、農場を見に行くと倉庫の中に無いはずの野菜が積んであったりするような事例があったらしい。このへんは当たり前といえば当たり前なんやけど、いかに信頼関係を築いていくかという話でもある。当たり前のことを当たり前にきっちりやっていければ十分にまだまだできることや伸びる余地があるのかもなーという気もした。

あと、システムに関しての話も印象的やった。

「なぜシステムが必要になったのか。従業員が増え始めたころ、坂上はいかに自分の意図を伝えるかに苦心した。誤解されると、計画が狂いかねない。だから「従業員が考えなくていい仕組みを作ろうと思った」。目的はミスを犯さないよう管理することにあった。
 ところが、実際やってみると、『つぎはこうですよね』って言ってくる」。坂上は気づいた。「環境さえととのえれば、覚えていくんです。そこで『管理』から『支援』に変えたんです」。システムの基本は変えていない。形の変化より、システムを使う発想を変えたことが大きい」(p146)

上記とは別の観点で、野菜くらぶの沢浦さんの事務に関する言葉。

「農業やりながら伝票の整理なんかしてたら、農業やる暇はない。事務をやる人を雇用しなきゃなんない。その人に給料を払うには、それなりの販売量を持たなきゃなんない。そういったことを一つひとつやりながら、いまの規模になってきたわけです」(p160)

このあたりは今携わっているクラウドでの農家支援というところとも通じる話やなーと思ったし、そもそも一般的に営業活動にも通じるので、CRMの意義ともつながるなーとも思ったりした。

その他、以下いくつか印象に残った言葉。

まず、「分散した畑は苦にならないか」という著者の質問に対するサカタニ農産の坂上さんの答え。

「一枚の畑で三百枚分あったほうが、絶対いいですよ。でも、そんなこと言ったって話にならんでしょ。だって、おれの足が長いとか短いとか、いまさら言っても」(p137)

その他ランダムに。

「法人にすることで、つぎの世代に引きついでいきたい。都市と農村をつなぐ役割をはたし若い世代につないでいくのがみんなの希望です」(p256)ーNPO法人馬頭農村塾 野崎さん

「お金ってもんはどうためこむかではなく、どう使うかなんです」(p260)ーサカタニ農産 坂上さん

「あたしこういうところが好きなの。採算がどうのっていうことより、お金を使うっていのはこういうことじゃないですか。自分がやったことが形になり、この山が証拠として育っていく。これが楽しいんです」(p259)ーえこふぁーむ 中村さん(かつて人工林で禿山になっていたところにクヌギを植えて)


全体を通じて、農業の話としてはもちろんのこと、農業の枠にとどまらずこれからの社会や人の生き方のあり方を考える上でもいろいろ示唆に富む事例が豊富な一冊やった。 

2015年5月30日土曜日

「ネイチャーエデュケーション」は身近な公園で子どもを夢中にさせる自然教育だけでなく大人の仕事論としても面白かった

ネイチャーエデュケーション 身近な公園で子どもを夢中にさせる自然教育

タイトル通り、公園に子ども連れてく機会が多いのでなんか参考になるかなーと思って手にとったら予想外に面白かった。

パラパラ見た時に植物や虫の紹介や遊びの種類みたいなのが目に入って、そういうのが羅列してあるガイド的な本かなーとも思ったけどそれだけじゃなかった。後半はそういう感じになってるけど、前半はそういうのではない。著者のこれまでの実践経験からの考え方みたいな話が書かれていてそっちが面白かった。

著者自身は世界一周の旅をしたこともある、国内外各地を歩いてきた方。アウトドアイベントの企画や運営、研修講師、応急救護講習講師、自然ガイドの他、幼稚園や保育園での活動に力を入れていて、保育士向けの自然体験指導者育成や幼児向けの教室を開催しているとのこと。

プロローグは自然遊びの話から入るのではなく、著者がエチオピアの村に到着した時に子どもたちと交流した時の話から入っている。言葉も文化もわからないところで、周辺情報収集のためにまず子どもたちと仲良くなることが有効で、その時の話から子どもたちが好きな動作と行動の法則の話につなげている。

具体的にはこんな感じ。

子どもが好きな動作
走る 目標に向かって走る、ステップを使って走る、短・長距離を走るなど
飛ぶ 高いところから飛ぶ、長い距離を飛ぶ、高く飛ぶなど
投げる 高く投げる、遠くまで投げる、目標に向かって投げるなど
登る 高いところ(木、岩、建物)を登る、斜面を登るなど
転がる 体を寝かせて転がる、アクロバティックに転がる(マット運動のような動作)

子どもが好きな行動
競争する チームで、個人で
見つける 人を見つける、目標物を見つける
自慢する 特技を自慢する、持っている物を自慢する
教える 知っていることを教える
真似する 人、物、そのほか生きものなど対象物の真似をする
(p17)

さらっと読むと当たり前な感じやけど、改めて読むとなるほどなとも思える。40数ヶ国の子どもたちとやりとりしてすべての子どもたちが共通して好きなのがこういうことだということがわかったということで実体験にもとづいての話なので説得力がある。そして、今の幼児自然体験において大切にしている法則となったということ。

こうした法則の話だけでなく、具体的に保育園や幼稚園の活動で体験してきたエピソードも紹介されていてそのあたりも興味深かった。1つ印象に残ったエピソードが新年度スタート直後の活動の話。

初めて園児たちと顔合わせをして、プログラムをスタートさせ1回目は「次にいつ来るの?」と言われるくらい友達になって無事に終了。しかし2回目、3回目となっても一向に話を聞いてくれない。話し方、注目してもらい方、子どもとの関係などいろいろ工夫したけど完全無視。

意気消沈していたある時、なんとなく目に止まった一人の子どもをよく観察していると、視線の先を追ってみたところ飛び回る小さな虫をみていた様子。ほかの子も、ヒラヒラと落ちる葉っぱ、アリの行列、風で動く木などを見ていたのに気づく。

「この時、私はとても興味深いことを学びました。子ども達は、"集中していなかった"のではなく、面白い出来事に"集中していた"のです。
 園舎での活動とは違い、自然の中は"面白い誘惑"があちこちにあります。それは子ども達にとって新鮮で刺激的なもので、私の話の数倍目を引く存在だったのです」(p34)

これぞまさにパラダイム転換やなーと思った。これに気づいた後は、目の前で起きている現象と子ども達の想像が重なるところをうまく拾い上げて活動に生かすようにしたところ、子ども達の「集中力」はあがり、飽きることなく自然の中でたくさん学べるようになったということ。

大人のねらいや思惑で見ると「集中していなかった」となるけど、実際には「集中していた」というのが面白い。こういうことっていろいろ転がっているんやろうなーと思った。

もう1つ面白かったエピソードが保育園の先生を対象に自然体験活動の研修をしていた時の話。自然の中をある家「知っている生き物をノートにどんどん書いていこう」という課題を行うも、10種類以上書けた先生は数名で、3〜5種類くらいしか書けなかった先生がほとんど。

理由を聞くと「本当にそういう名前かどうか自信がない」「名前をうろ覚えなので書けない」という答え。その後、「気になる生き物、植物、樹木に自分で勝手に名前をつけていこう」というワークをやったら、1人の先生から平均して20以上の新しい名前が発表される。どれも特徴をわかりやすくした名前ばかり。

その後日談として研修後の変化を先生たちに聞くと、「自然にくわしくないというネガティブな感じが消えました」「自分で名前をつけた生きものを先日すぐに見つけられ、その面白いところを園児に話せるようになりました」(p75)との報告。

図鑑を使って脳みそから入れようとするのではなく、感性のおもむくままにまずは五感で自然に触れ合って楽しむのが良いよねという話。自然遊びの達人というのは「すごい人達」というイメージから一旦離れて、難しいことを考えずに「面白い」ことを優先して自然の中で子ども達と一緒に遊んで、わからないことがあったら一緒に考えるというスタンスは良いなーと思った。

その他、具体的に自然を楽しむアドバイスも書かれていて、1つが「道草食いニストになる」(p59)というもの。ゴール直進ではなく、ぶらぶらしながら道草を食う。そのためには歩くスピードをふだんの10分の1くらいにする。歩くスピードが遅くなるほど入ってくる情報が増える。そうすると自然の変化にも気づけるし楽しめる。

もう1つ面白い表現だなーと思ったのが「壁際族になる」(p62)というもの。メインの道から少し外れて「際」を歩くと、人間の気配が薄れて人間以外の生き物達の気配が濃くなる。そこにはいろんな発見がある。

さらにこれは表現としてはオーソドックスやけど「どうして・なんでちゃん」(p64)になるということも。よく小さい子どもがなんで?なんで?と聞いてくるけど、これはなぜ大事かというと、「人間の潜在的な、自然に備わった学習意欲の始まりであり、「疑問に思う→仮定を立てる→調査する→答えを導き出す」という学びのサイクルにもつながる」(p65)からということ。

これは仕事にもそのまま通じるし、学校や会社、その他の組織やコミュニティで問題解決能力が高い人っていうのはこういう身近なところからもそういった力が鍛えられてきたのかなーとも思ったりもした。

この話に関してウィットに富んでるなーと思ったのが以下の一節。

「気をつけていただきたいのは、癖がついて日常的に「どうして・なんでちゃん」になり過ぎてしまうことです。生活が豊かになることでもあるので非常によいことだとは思いますが、大人と大人の関係においては少々面倒な人になってしまう危険性もあります。スイッチはオンとオフがありますので、切り替えはしっかりするようにしましょう」(p67)

これは確かに(笑)。でも著者も言ってるけど、大人になるにつれて、だんだん改めて「どうして?」「なんで?」と問うことをしなくなって、これはこういうものだ式に進めていっちゃうことも少なくない。特に組織でやってる仕事なんて、いちいちそもそも論を唱えていたりすると面倒な人と思われるちゃったりもする。

でもそういうところが大事だったりするわけで面倒臭さとそういう本質の大事さとの兼ね合いをどうとっていくかっていうのも鍵やし、子どもはそういういところも成長しながら学ぶ(これを学ぶというのであれば)のかなーとも思ったりもした。

上記の他にも、子どもに関心を持ってもらうための話し方や伝え方といった内容もあって、それはコミュニケーション一般の話としても読めるような内容でもあった(事実を羅列して伝えるのではなく、内容を編集して子どもがワクワクするような言い方で短くわかりやすく伝えることが重要など)。

メインの内容の自然遊びのヒントだけでなく、もっと根本的な子どもとの関わり方、相手を踏まえたコミュニケーションのとり方などいろんな面でヒントが得られる一冊やった。


2015年4月22日水曜日

「ファーストペンギンの会社 デジタルガレージの20年とこれから」の感想

ファーストペンギンの会社---デジタルガレージの20年とこれから  
表題どおり、デジタルガレージの歴史についてつづった本。著名な会社ではあるし、事業についてはいろんなところで耳にするけど、詳しい歴史については今まで知らなかったのと、インターネットの歴史と会社の歴史が重なっていていろいろと勉強になった。

1つ印象に残ったのがツイッターの話。デジタルガレージがツイッター社に出資し、日本での普及の推進を担ったということやけどその中でツイッターの担当者の方がミートアップ(オフ会)に積極的に参加したというエピソードが印象的やった(p59)。ツイートを「つぶやき」と訳したのはユーザーの声を参考にして決めたという。

あとはイノベーションの今後についての伊藤譲一さんの洞察も興味深かった。「ソフトウエアで起こったイノベーションコストの劇的な低下が、ハードウエアにも及び、そして、バイオでも起ころうとしている」(p81)ということ。これだけやとふーんっていう感じやけど、具体例がいくつも挙げられていて、時代がそこまで進んでいるのか〜と思わされる話がたくさんあった。

仕事柄ソフトウェアの話はよく聞くし触れる機会も多いけど、ハードやバイオについては普段はなかなか意識しない。しかし、ハードの世界でもアジャイル的な開発が進んでいて、中国の深圳の工場では毎週のように新しいモデルの携帯電話を作って露店で売って反応をみて、よりコストパフォーマンスが高い携帯電話を生み出していっているとのこと(p101)。

もう1つ結構印象に残ったのが、分子生物学者のジョージ・チャーチという人が遺伝子工学について書いた本の話。本の情報をエンコーディングして遺伝情報に置き換え、それをバクテリアに入れて70億個に培養したという。そうすると全世界の人に1冊分ずつの情報が行き渡るだけのバクテリアの遺伝情報ができたということになり、バクテリアの遺伝子解析をすると本の情報を取り出せるという。

これの何が良いかというと、複製にかかるエネルギーがかなり少なくてすむのと、記録密度がハードディスクより高いということ。遺伝情報を解析してデジタルデータに戻すコストがまだかかるけど、そこのコストはどんどん下がっているということで、遺伝子を使ったビデオレコーダーみたいなのが登場してもおかしくないくらいリアルな話ということ(p134)。

「バイオの研究があまりにも急速に進んでいるから、メディアも追い付けていない。研究者たちも、研究に一生懸命で忙しいから説明できていない。でも、これが現実なんだ」(p135)

その他にも「コンテクスト(文脈)」(p182)が大事で、その裏にあるデータベースやビッグデータの情報をコンテクストに応じて提供していければ会社は繁栄できるっていうのは、先日CEOが言っていたことともかなり近くて興味深かった。

他にも教育に関する話も。

「現在の教育は、テストによって所定の学力があるかどうかを判断して学位を与えるような文化だけど、これはあくまでも個人個人の知識レベルを測っているだけで、他人との協調性などを評価することはできない。実際には、みんな携帯電話を持っていて、いつでもどこでもウィキペディアを検索できるのだから、知識を詰め込むことの重要性は薄れている。セーフキャストのようにこれからは、必要な時に必要な情報や協力者を見つけ出して価値を生み出すことが重要になる。それには、プロデュース力や、考える力、適切な質問をする能力などが必要となる」(p106)

「知識を詰め込むのではなくクリエイティブでいるために脳を使う、という意識への転換をする必要が有る。産業革命の時は、機械は人間の動きをすべて置き換えるまでには発達していなかったから、同じ作業を安定して繰り返せる労働力が必要だった。でも今は、ロボットとコンピューターがどんな作業でも繰り返しやってくれる」(p107-108)

ITの話だけでなく、そもそもの社会や人間、組織のあり方についても考える際に面白い視点を提供してくれる一冊やった。