2013年7月26日金曜日

「産科が危ない 医療崩壊の現場から」これからの日本の妊娠・出産のあり方を考えさせられる一冊

産科が危ない 医療崩壊の現場から (角川oneテーマ21)

日本産科婦人科学会の理事長を務めた方が、妊娠から出産までの一連の医療に関する医療についての現状、問題点、それに対してどう取り組んできたかを整理した本。産科の訴訟件数は外科の4倍、内科の8倍で、リスクを恐れて産科医になる人が激減しているという話は知らなかった…

著者の方は2007年から2011年にかけて理事長を務められてきたということで、最近の状況までフォローされている。構造的な問題については、産科医の慢性的な不足、過酷な勤務体制、地域格差といったあたりについて産科医療の現状が整理されている。

問題に関する象徴的な事件としてとりあげられているのが、福島県立大野病院で、前置胎盤・癒着胎盤という疾患で帝王切開を受けた女性が死亡した事故で、その医療行為が業務上過失致死に問われたこと。この事件を通じて、執刀医達が高い精神的な緊張や心配を抱えながら手術することになってしまい「萎縮医療」と呼ばれたとのこと。

この行為自体の妥当性については判断するのは難しいし、当事者の方の気持ち等の面でも難しいところはあると思うけど、この件は別としてもいずれにしても以下のポイントはその通りやと思う。

「医療事故の関係者に不条理な刑事罰を与えることは、事故の減少に繋がらないだけではなく、医師や看護師の労働意欲の減退と使命感の喪失を惹起する。その結果として、医療の質の低下と萎縮医療の万円、さらには完治という同じ目標に向かって共に病と闘うべき医療の提供者と受給者の間に不信をより一層募らせることになる。我が国の周産期医療にみられるように、産婦人科医師は産科医療からの撤退を余儀なくされ、最終的に国民に対して多大な不利益をもたらすことは紛れもない事実であるからである」(p37)

これを読んで、養老孟司さんが言っていた「ともだおれ」の話を思い出した。

「養老 建物を建てることは医者を選ぶことと実は同じなんですよ。

隈 すごく、似ていますね。

養老 何てったって命懸けだからね。だから医者選びで一番正しい態度は、医者と「ともだおれ」することなんです。任せるときは任せる。今の人はそれがないね。信用ってそのことなんですけどね。だって任せられれば、相手も結局は悪いようにしないんだよ。その場合、マイナスのことは起こってもしょうがない。壁にはクラックぐらい入るよ。夫婦げんかして茶碗を投げたって、ヒビは入るんだから。

隈 本当に向こうが「ともだおれ」する気持ちになって信頼してくれれば、こっちだって悪いことは絶対にできないです。建築を作ると、基本的にはすごく長い付き合いになります。20年経ったときに、施主と口もきかなくていい、なんて建築家は思いませんよ。僕は絶対にそうは思えないタイプです。10年後も20年後も仲良くいたい。そういう気持ちにお互いを持っていくということが、ある意味、建築家の技みたいなところもあります。建築家だってデザインだけできればいいわけじゃなくて、「ともだおれ」関係に相手を持っていけるかどうかなんです。それが実はお互いにとつて大事なんですね。そうしないと実際にはいい建築なんかできません。

養老 さっきから繰り返し隈さんと僕が言っている「サラリーマン性」というのは、その「ともだおれ」を否定するんだよ。医者の世界に保険の点数制度が導入されたとき、われわれとしては同じような問題が起きたんです。腕のいい医者だろうが、悪い医者だろうが、治療点数は同じだという、こんなバカな話があるか、というのが武見太郎(日本医師会会長、世界医師会会長を歴任。1983年没)の言い分だったんだけど、僕はよく分かりましたね。」
(「日本人はどう住まうべきか」p79-80)

医療に限らないと思うけど、絶対とか完璧っていうのは基本的にはない。そして、妊娠や出産というのも、よく知れば知るほど、本当に奇跡みたいなものの連続やと感じる。絶対とか完璧を求めてしまうことによって良い意味での「ともだおれ」やWin-Winができなくなって、Lose-Loseに向かっちゃうんやないかとも思う。

そして、以下の話も印象に残った。

「産婦人科の民事訴訟が多い背景には、日本人の場合、「赤ちゃんは無事に生まれるのが当たり前」という意識が強いことがある。妊産婦の死亡率はアメリカに比べて3分の1という少なさである。赤ちゃんの死亡率も日本が一番低い。
 つまり、日本の周産期医療が素晴らしすぎるために、「赤ちゃんは無事に生まれるのが当たり前」という出産に対する安全神話ができてしまっているのである。だから、妊婦が死亡したり、死産だったりすると、なにか医療過誤があったのではないかと考えられてしまう。そのことが、民事訴訟の多さにつながっているのである。
 産婦人科医のたゆまぬ努力が、訴訟の多さを招いているというのはなんとも皮肉な話である」(p45)

こうした問題の現状や対応状況をみていくと、つくづくため息が出てしまう。と同時に、この状況で産科医療を支えて頂いている医療従事者の方に感謝の念が湧いてくる。

また、東日本大震災の時期も含んでおり、構造的な問題に加えて震災時の対応について具体的にどのようなことを考えて何を行ってきたがが時系列でも整理されている。

特に、放射性物質に関して妊婦の方や乳幼児の親御さんが安心できるようにするためには、学会としてどのようなメッセージを出していくべきか考えて打ち出していったこと、被災地の産科医療体制を支援するためにどのような体制を組んでいったか等も記されている。

その他にも高齢出産や代理出産、高度生殖医療に関する話題もカバーされており、産科医療の現状について知るには良い一冊やと感じた。もちろん、この本に書いてあることはポジショントークの部分もあるやろうからそのへんは差し引いて考える必要があるやろうけど、それでもなお。

これからの社会を考える上で、これから妊娠・出産を考えている方やその家族の方だけでなく、より多くの人に読んでもらえると良い一冊やないかなーと感じた。

0 件のコメント:

コメントを投稿