2013年1月10日木曜日

「日本語にとってカタカナとは何か」を考えると日本の文化が見えてくる

日本語にとってカタカナとは何か (河出ブックス)

カタカナはどうやって作られたのか、どういう風に使われてきたのかといったトピックを扱った本。

3分の2くらいは、仏教がどう伝わったという話がメイン。日本人が文字をどう学び、使っていったかということを考える際に仏教の経典の話は外せないようなので仕方ないけど、途中までは仏教史を読んでるかのようやった。

それはそれで興味深かったけど情報の羅列が多くて若干眠かった…けど、最後の方で一気に面白くなった。

特に面白かったのがカタカナの発音の話とカタカナの意義の話。表題の「日本語にとってカタカナとは何か」という話は最後の方になってようやく明確に論じられる感じやけど、そこからが特に興味深かった。


■カタカナの発音
最初の方で、平安時代に法華経がどう読まれたかといった観点等
カタカナの発音について述べられている。

昔と現在では発音が違っているという話。
例えば、「はひふへほ」は
奈良時代は「パピプペポ」
平安になって「ファフィフゥフェフォ」
その後「ハヒフヘホ」と読まれるようになったらしい。

ホントかなー?と思っとったら
一五一六年に編纂された『何曾』というなぞなぞ集の書物にあった
以下のような謎かけが紹介されていた。

母には二度会いたれども、父とは一度も会わず。なにか。

この答えは「唇」 。

室町時代から江戸初期までの人々は、「母」を発音する時には
唇を軽く合わせて「ファファ」と発音していた。

この発音だと
「母」と発音する時は唇が二回触れあうけど
「父」と発音する時は触れあわない。

それで答えが「唇」。
今だと「ハハ」と発音するため、
母でも父でも一度も会わないことになるので
この謎かけは成立しないことになる。
ホントに発音違ったんやなーと納得させられた。

他にも
「ツルツル」は「ディゥルディゥル」
「啜る」は「ツゥツゥる」
と読まれていたとか例が紹介されていた。

さらにすごいのが小野小町の歌。
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」
という歌の発音を当時の発音を書いてみると、
以下のようになるらしい。

パ ンニャ ンニョ イロ バ
ウ チュ リ ンニィ ケリ ンニャ
イ チャ ヂュ ラ ニィ
クワァ ンガ ミ ィヨ ンニィ プ ル
ンニャ ンガ メ シエ シィ マ ンニィ

もはや呪文やん…


■カタカナの意義
上記のような感じでカタカナの使われ方とかが紹介されているけど
じゃあカタカナを使う意義って何やったのかっていう話が
最後の方で論じられていてなかなか興味深かった。

著者は次のように述べている。
「<カタカナ>とは、すなわち、「生」の外国語の発音を可能な限り日本語として写し、外国の文化を我が国に移植するための小さな「種」のようなものなのではないだろうか。その「種」が育つかどうかは、その外来語が<ひらがな>で書かれるまで日本語として残るかどうかということになろう」(p191-193)

どういうことかというと、例えば
「コップ」や「テンプラ」は今は不可欠の言葉として使われている。

これらはカタカナ表記やけど、
「旦那」「孟蘭盆」「卒塔婆」といった言葉は
大本はサンスクリット語が漢語に音借されて
その後日本語になったもの。

他に、「天ぷら」「襦袢」「金平糖」という言葉は元々ポルトガル語だった。
今や「襦袢」なんて使わんやんっていうツッコミは置いといても
「てんぷら」や「こんぺいとう」はひらがなでも違和感なく使われている。

元々外国から入ってきた言葉を
そのままの発音で概念ごと外来の言葉や文化を日本語の中に取り込むのに
カタカナが役立っていたという話。


■カタカナは言語の正倉院&日本語の格闘家
ちなみに、これが中国語の場合だと漢字しか使えない。
すなわち、カタカナのように音をそのまま使用せずに
意味をくみとって翻訳して新しい語をあてるということを
歴代の王朝や政府がやってきたらしい。

これだと、「国家が公式の翻訳語を公表するまではそれをどのように使えばいいのかが分からない」(p205)

これに対して、日本語の場合はカタカナを使えば
すぐに外来の言葉も受け入れられる。
ひいては外来の文化を受容するのも速くなる。

こうしたことを踏まえ、著者は次のように述べている。

「おもしろいのは、日本語の中に溜っていく外来語は、世界の潮流の最先端で使われる言葉を、地層のように積み上げてきたということである。サンスクリット語、ペルシャ語、ポルトガル語、スペイン語、また漢語といっても呉音から漢音、唐宋音と、中国の文化の発達を層として見ることができる。
 このような言語は、広く世界を見てもほとんどない。<カタカナ>とは言うならば、言語の正倉院だったのである。
 我が国の文化は、世界からさまざまなものを輸入し、そしてそれを独自に発達させながら、世界に誇るものを創ってきた。「畳」「柔道」「着物」などは、いまや、ローマ字の「tatami」「judo」「kimono」となって外国でも使われている。グローバル化によって、日本語も国際語を供することになったのである。
 しかし、こうした文化を創るためには、柔軟に外国のものを受け入れていくための機能が必要であった。
 <カタカナ>は、まさに、その柔軟性をもって外国語を受け入れ、日本の文化に浸透させる役割を果たしたのである。これなくしては、日本語はこれほどまでにおもしろく発達することはなかったであろう。<カタカナ>は、文化の最前線で戦う日本語の格闘家たちなのである」(p207)

この見方は結構面白いなと思った。


■カタカナの使われ方
もう1つ面白かったのがカタカナの使われ方についての賛否両論の話。

むやみやたらにカタカナ語を使うことに反対していた人の例として九鬼周造の言葉が挙げられている。
九鬼は、以下のような例を挙げてくすぐったい感じがすると述べていたらしい。

  • 新聞の欄の名前…「ブック・レヴュー」「ホーム・セクション」(「家庭欄」という意味)
  • 「文藝春秋」での大臣/大臣級の人の発言…「労働者は無い、然るにメンタルの働き手といふものは余って居るという訳だな。それで高等教育と国の事情とがマッチしないですな」
  • 京都の舞妓…「オープンでドライヴおしやしたらどうどす」
ルー大柴的なしゃべりを思い出すけどこの話って今にも通じる。
ちなみに、坂口安吾は、外来語を無理やり排斥しようとする意見に対して次のように述べていたらしい。

「皇軍の偉大な戦果に比べれば、まだ我々の文化は話にならぬほど貧困である。ラジオもプロペラもズルフォンアミドも日本人が発明したものではない。かやうな言葉は発明者の国籍に属するのが当然で、いはゞ文化を武器として戦ひとつた言葉である。ラジオを日本語に改めても、実力によって戦ひとつたことにはならぬ。我々がラジオを発明すれば、当然日本語の言葉が出来上り、自然全世界が日本語で之を呼ぶであらうが、さもない限り仕方がない。我々は文化の実力によっで、かやうな言葉を今後に於て戦ひとらねばならぬのである」(p199)

言葉は文化と密接に関わっているので
言葉だけを無理やり改めても意味がないという話やと思う。

このことと関連して、ハイカラとモダンという言葉の歴史の話が興味深かった。

知らんかったけど「ハイカラ」という言葉はもともと「high collar」から来てるらしい。
元々は「ハイ・カラー」と言語に近い発音で「カラー」と伸ばしていたのが、
使われるうちに詰まって「ハイカラ」となったということ。
「modern」も同様に「モダーン」から「モダン」になっていった。

こうしたところに、外来語が「日本語」に生まれ変わる過程が表されているという話が紹介されている。「モダーン」の段階ではまだ半洋半和。
それが「モダン」とつまって独自の使われ方をすることで日本語として板につくという見方。

さらに言えば、上で述べられていた「てんぷら」の例のように
ひらがなになるともはや日本語として完全に取り込まれたと言っても良いと思う。
「モダン」は今は古い感じがするけど「もだん」となっていたら
また今も現役で使われてたのかなーとも思ったりした。

総じて、発音や概念をうまくローカライズしながら
日本語の中に取り込んでいくのにカタカナが使われており、
そのカタカナ語がどれだけ使われ、残っていくかで
文化として日本の中にどう取り込まれていったかが分かるという話やと感じた。

カタカナの歴史や使われ方を見ると日本の文化のいろんな側面が見えてきて面白いなーと感じた一冊やった。

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