2013年4月27日土曜日

「日本一心を揺るがす新聞の社説 それは朝日でも毎日でも読売でもなかった」

日本一心を揺るがす新聞の社説―それは朝日でも毎日でも読売でもなかった

みやざき中央新聞という新聞の社説集。1000本近い社説から珠玉の41本が本書に詰まっている。

社説の内容は、普通の社説とは違っていて、編集長の方がいろんな講演会や本、映画等から得た情報を元に書かれている。単純に仕事観や人生観として参考になる言葉も多いし、心揺さぶられる話も入っている。



■情報は、「報」の上に「情け」を乗せている
ただ、「お宅の新聞の社説、ありゃ社説じゃないよ。哲学がない」と大学の先生から酷評されてしまうように、大手の新聞社の社説のようなきちっとした感じのものではない。

しかし、「情報とは情感を刺激するものだから「情報」」(p6)であり、知ることではなく感じることが大事であるという考えの元につむがれているので、そういう格調高い社説よりも訴えかけてくるものが大きい。

その想いは、次の一節にもあらわれている。

「情報は、報道の「報」の上に「情け」を乗せている。「情け」とは人間味のある心、思いやり、優しさ。情報は常に「情け」を乗せて発信したい。
 ジャーナリズムは「知」ではなく「情」を愛する媒体でいいと思う。」(p7)


■仕事ってこれなんだなぁ
とても心に残った話が複数あったけど、その中から仕事についての話を1つ紹介。

「Aさんは、自分の事務所の近くに駐車場を借りていた。その駐車場には初老の管理人がいた。定年退職後、その駐車場の管理人として働き始めたそうだ。
 Aさんが駐車場を利用する度に、そのおじさんはいつも明るい笑顔で「おはようございます。今日もいい天気ですね」と声を掛けてくる。

 ある日のこと、移動の途中で雨が降り出し、駐車場に車を入れた後、車から出られず困っていた。するとそこへおじさんがやってきて、「傘、忘れたんでしょ。これ持っていきない」と貸してくれた。

 満車のとき、「満車」と書いた大きな看板を入り口に置いておくのが普通の駐車場だが、そのおじさんは満車になると、入り口に立って、入ろうとするドライバー一人ひとりに「申し訳ありません。満車です」と頭を下げた。クレームを言う客がいると、その事が見えなくなるまで頭を下げ、見送っていた。それを見ながらAさんは、「そこまでしなくてもいいのに…」と思っていた。

 ある日、車を止めてあいさつをすると、おじさんは「今週いっぱいで辞めます。いろいろお世話になりました」と言う。奥さんが病気になったらしい。
 残念に思いながら、最後の日、Aさんは感謝の気持ちを込めて手土産を持っていった。そして駐車場に着いたとき、Aさんは信じられない光景を見たのだった。

 小さなプレハブの管理人室の周りがたくさんの人で溢れていたのだ。そして管理人室の中も外も、たくさんの手土産や花束でいっぱいだった。一人ひとりがおじさんにお礼を言ったり、握手したり、写真を撮ったりしていた。

 Aさんは、「仕事ってこれなんだなあ」 って教えられたという。」
(p60-61)

こういう仕事や生き方ができるようにしていきたいなーと思った一冊やった。
あと、地元宮崎からこういう新聞が発信されていることは嬉しいし、誇りに思える。

2013年4月26日金曜日

写真入りの解説が楽しい「100のモノが語る世界の歴史1: 文明の誕生」

100のモノが語る世界の歴史1: 文明の誕生 (筑摩選書)

2010年にBBCのラジオで放送された番組の記録を元にした本。大英博物館の所蔵品から100点を選んで紹介していくというもの。

元々はラジオの放送だったということで言葉だけだったかもしらんけど、本になっていることによって、解説とあわせて写真も見ることができ、イメージをふくらませながら読み進めることができて楽しい。

扱うモノの時代は、人類の歴史の黎明期から現代に至るまで。地域もヨーロッパに偏ったりしているわけではなく、アジアや北中米、アフリカなどの地域のモノも扱われている。モノの種類もレパートリーが広く、日常的に使われていたと考えられるモノから、芸術作品、儀礼に使われていたものまで。

日本のモノも紹介されていて、縄文土器についての解説がある。知らんかったのが「世界で最初の壺は日本でつくられた」(p102)ということ。逆に、稲作という農業形態が伝来したのはおよそ2500年前と、「国際的な基準からすれば、かなり遅くになってから」(p103)。

またこういうことを言うと後付けではあるんやけど、なんかモノづくりの精神みたいなのが現れている話かもなーとも思ったり。


100のモノについて読んでいくとなると、ちょっと量が多いかな…と思ったけど、1つ1つのモノについての解説は10ページいかないくらいで、文章も読みやすいので雑誌を読んでいくようにスラスラ読めた。

表現も、ところどころ現代のモノを使った比喩を交えていてつかみやすい。例えば、黄金のケープについて、「これらは青銅器時代のヨーロッパのカル地へやティファニーなのだ」(p182)とか。

この第1巻では、手斧等の石器時代のモノから、粘土板や像等、都市国家の時代のモノが紹介されていた。

モノを通じて、各地域の歴史の流れをいろんな角度から見ていくことができる。また、モノが作られた過程を探っていくと、材料を他の地域から得ていたりするので、地域同士のネットワークの広がりも見ていくことができて興味深かった。


この巻で紹介されていたモノの中で、個人的に心ひかれたのが、ペルーのパラカス半島というところから出てきた布の端切れ。紀元前300-200年くらいのものとみられているらしい。まず、そもそもその時代の布が残っているっていうこと自体がすごい。

そして、布の絵柄は、なんとなくコミカルな感じがするんやけど、解説を読むと、短刀をかざしていて切断された頭部をつかんでいるというもので結構エグイ内容。どういう意味を持っていたんやろうかと思うと結構また面白い。

続きの巻も楽しみな一冊やった。


2013年4月19日金曜日

「加害者家族」を読んで…

加害者家族 


NHKの報道番組のディレクターを務める著者が、「クローズアップ現代」での「犯罪"加害者"家族たちの告白」の特集の取材をもとに情報を加筆してまとめたもの(番組自体の放送は2010年4月)。

「加害者家族が心ならずも背負ってしまった十字架の重さと、償いのありようを探ってみたい」(p5)と述べられているように、加害者家族やその支援者の声を様々な事例から拾い上げている。


■加害者家族に対する見方
著者が、取材を通じて知り合った関係者に対して、日本社会は加害者家族とどう向き合っていけばよいのかという問いをぶつけていったところ、大きく3つに分かれる答えが返ってきたという。


  1. 家族にも加害者に準じた責任があり、社会的制裁などは当然である。被害者の感情も考えれば、個別のケースによって違いはあれども、基本的にはフォローする必要はない。
  2. 加害者家族を支えることは、加害者が出所した際の受け皿を作ることになり、再犯防止につながる。それは結果的に社会の利益になるのだから、サポートする一定の仕組みが必要だ。
  3. 目の前に困窮している人がいれば手を差し伸べるというのが、あるべき福祉の姿だ。セーフティネットの崩壊が叫ばれるいま、考え直すときが来ているのではないか。

(p193)

日本の「世間」では1つ目の見方が多い。こうした見方を受けてか、本書でも加害者の家族が「世間」からの反応によって大変な苦しみを受けることが紹介されている。ある方の声として、「加害者の家族は、罪を犯した本人以上に苦しむことがあるのだということを、わたしはこの事件を通じて初めて知った」(p67)という声が紹介されている。

事件が発生して明らかになった後で家族の方が周囲から受ける攻撃というのがすさまじい…親戚や近所の人から責められるだけでなく、職場で「よく会社に来られるよな」とか陰口を叩かれたり、自宅への落書きや放火など物理的な攻撃も受ける。

電話や手紙、インターネットの書き込みによる非難も多く、「姉を拉致してしまえ」とか「親も打ち首にしろ」とか。極め付けだなと感じたのは、ある娘さんがいじめられている状況に対し、通っていた中学校の校長が「あなたがたのお父さんは、たくさんの人を殺しましたね。あなたが死んでも、しかたがないでしょう」(p88)と言い放ったという。

こうした反応に対して、2つ目や3つ目の見方があり、特に、実際に加害者家族をまのあたりにしている方の中は3つ目の見方を持っているという。

こうした加害者の家族の取材なり支援に関わる方は、被害者の家族のことをないがしろにするのかという批判をよく受けるということだが、そうした声に対して、被害者支援はもちろん重要だが、それとはまた違った次元のものとして加害者家族への支援も考えていく必要ではないかという声も紹介されている。

一方、加害者の家族の話の中にも、これはどうなのと思うような例もある。犯罪を犯した子どもの親が、判で押したように「うちの子どもがそんなことをするはずはない」「うちの子どもは悪い仲間に巻き込まれたり、そそのかされたりしただけだ」(p139)という反応でなかなか認めようとしなかったりというのは多いらしい。

また、集団リンチに途中から関わった少年が母親にすべてを打ち明けて自首しようとしたところ「おまえは人殺しをしていないのだから、警察に行くことはない」と言ったとか。だから世間から責められても仕方ないとは思わないけど、もう少し違った反応の仕方はないものか…と思ってはしまった…

上記の話とは別に、周囲の反応として驚いたのがアメリカのアーカンソー州の高校で銃乱射事件を起こした少年の母親に対する反応。重大な事件だったため実名や写真が報道され、母親の元にアメリカ全土から手紙や電話が殺到したが、それらはすべて励ましだったということ。

「いまあなたの息子さんは一番大切なときなのだから、頻繁に面会に行ってあげてね」
「その子のケアに気を取られすぎて、つらい思いをしている兄弟への目配りが手薄にならないように」
「日曜の協会に集まって、村中であなたたち家族の為に祈っています」
(p182)

本書の中でも書かれていたけど、これは衝撃やった…見方や反応がまったく違う。

このあたりはいっしょくたに議論できるような話でも、1つの正解があるような話でもないけど、その分、先入観やレッテルをできるだけ外してケースバイケースで物事を見れるようにせんとなーと思った。


誰もが「自分は加害者にはならない」と思っているだろうが…
1つ感じたのが、被害者ではなく加害者の家族という切り口で整理された情報というのは触れることが少ないけど、そんなに遠い話でもないということ。著者は、「はじめに」で次のように述べている。

「誰もが「自分は加害者にはならない」と思っているだろうが、加害者にはならなくとも、身内が罪を犯し、加害者家族になりうる可能性はある。
子どもが罪を犯したという親、夫や妻が罪を犯したという配偶者、父親や母親が罪を犯したという子ども、さらには親戚が罪を犯したという人まで含めると、一つの事件には実に多くの人間が関係しているのだ」(p4)

最後の方で、複数の重大な少年事件の家庭環境やとっていた行動に関する研究の内容が紹介されていて、それを読むとちょっとした問題行動とか思春期の挫折とかが挙げられていて、ホント紙一重やと思う(それ自体の妥当性はまた別途みていく必要があるけど)。正直、思春期のいろいろ思い悩む時期に一歩歯車が狂ったら自分も何をしていたか分からんなと思うこともある。

「社会統制論」と呼ばれる社会学の理論では次のような考え方をとっているという。

「そもそも人間は条件さえ許せば悪事に走り、犯罪をするものであり、逆になぜ多くの人が犯罪をせずにとどまっているかを研究・理解していくことが肝要ではないか」(p194)

その他、冒頭に、平成21年度版の「犯罪白書」のデータが参照されている。平成20年の1年間で警察が犯罪と認めた件数は253万3351件。平成20年の日本の総人口が1億2769万2千人(統計局のデータ参照)なので、単純に計算すれば、
  • 1億2769万2千人÷253万3351=50.4
となるので、50人に1人の割合になる。もちろん、述べ件数だと思うので、人数で割ると単位があってないことになるけど、そのあたりを考慮しても、家族、親戚、もっと広げると友人、会社関係とかで何らかの形で関わりが出てくる可能性は決して低くない。

殺人や強盗等はないだろうと気もするけど、自動車運転過失致死傷等は71万4977件あるから、数からみれば結構な確率になる…

先日読んだ本にも書いてあったけど、完全な他人事ではなく自分事になる可能性があるものとして考え直すのに良いきっかけとなる一冊やった。

2013年4月18日木曜日

セミナーをやることになったらとっかかりになる「お客をまとめてつかまえる「セミナー営業」の上手なやり方」

お客をまとめてつかまえる「セミナー営業」の上手なやり方

セミナーを開催したことがない、セミナーがうまくいっていないという人のために、セミナーの活用を通じた見込み客の集客やそこからの受注をしていくための考え方や具体的な方法を紹介した本。

著者は船井総研で数多くのセミナーをプロデュースしている方。比較的高額な商品とかコンサルタント系の話をベースにしている感じなので、扱う商品やサービスによっては当てはまりづらいところもあるかもやけど、全体的な考え方としては参考になる。

章立ても以下のようになっていて、セミナーの企画や運営だけでなく、最終目的である受注のところまでカバーされている。

  1. セミナー企画の立て方
  2. 成功の8割を握るセミナー準備
  3. 行列ができるセミナー集客法
  4. 満足を最大化する運営法とは
  5. 受注につなげるアフターフォロー
  6. 継続するための仕組み作り

運営に関して、集客リストの集め方、セミナー日程の決め方、ゲスト講師の選び方、会場の選び方、運営時のチェックリスト等々、具体的な手法も紹介されていて実践的。


■「売り物」を明確にする
考え方の面で1つ参考になったのが、冒頭に書いてある、「売り物」が明確になっているかというポイント。当たり前のことのように見えるけど、言われてみると意外とここを明確に改めて定義したりすることは見落としがちな気がする。

「セミナーに多くのコンテンツを詰め込みすぎてしまい、結局、何を売りたいのか、お客様にどんな行動をさせたいのかがわからなくなってしまっているセミナーが、驚くほど多い」(p14)

ただし、「売り物」を明確にすると言っても売り込みをしろということではない。重要なのは落とし所を決めること。

「受注に結びつくよいセミナーは、「売り物」が明確で、かつ「売り物」までの動線が緻密に設計されています」(p14)

また、「ひとつのセミナーでは、ひとつの目的に集中する」(p157)ことの重要性も述べらている。企画する時はあれもこれもって考えがちやけど、やっぱ捨てる決断って大事なんやなーと改めて思った。

セミナーの企画や運営をすることになったらとりあえずの手始めとして読むのに参考になる一冊やと思った。

2013年4月17日水曜日

考えるヒント集としての「日本の問題を哲学で解決する12章」

日本の問題を哲学で解決する12章 (星海社新書)

現代の日本社会におけるいろんな問題について、哲学的な視点から考察した本。

政治、経済、教育等、様々な角度のトピックが扱われているため、1つ1つの内容はそんなに厚くないけど、今日本で話題になっていることについての「考えるためのヒント集」(p4)となることが意図されている。

複雑で賛否両論あって簡単に解決できないような問題について、「場当たり的」「表面的」に対応していては行き詰まる。そこで、「そもそも」という視点から考えようとしている。

扱われているトピックは以下の12のポイント。
  1. 民主主義
  2. 安全保障
  3. 市場経済
  4. 社会保障
  5. 原発
  6. TPP
  7. 政治制度
  8. 道州制
  9. ネット時代の政治
  10. 同性婚
  11. 裁判員制度と死刑
  12. 教育

■気になっているけどちゃんと考えられていないことを考えるためのヒント集
章ごとに結論もついているし、1つ1つの文章は読みやすい。ただ、結論については、結局著者自身の考えを示しているので、「考えるためのヒント集」というよりはやや著者の考えを記すことに寄っている気がする。

また、解決策については、結局、熟議をして徹底的に話し合いましょうとか気概とか、心がけの問題が訴えられていて、それはそれで大事やと思うけどそれだけやと厳しいんやないかなあ…とも思う。

それでも、今日本の中で、なんか話題になっているけどちゃんと自分で考えられてないよな…というような話題が多く網羅されているので、考えるきっかけにしたり、考えをまとめるのには参考になると思う。

論点の整理の仕方については、この視点って抜けているんじゃない?と思うところもあるけど、紙幅の関係上しょうがないところもあると思うし、それも含めて自分で考えていく良い素材になると思う。


■哲学的に考えるということ
哲学的に考えると言っても、弁証法によって、あるテーマについての賛成論と反対論を併記して第3の道を探るというスタイルなので、そんなにややこしい考え方ではない。というか、むしろ分かりやすい。

例えば原発を推進するか廃絶するかについて、ベースとしては、「絶対的に正しいほうを選ぶという解決法は、不可能であることをまず認識すべき」(p101)という姿勢。その上で、賛成論、反対論の両方の主張を踏まえて進むべき道を探ろうというもの。

これって書いてると当たり前に見えてくるけど、実際にいろいろ議論し出すと自分の立場に偏ってしまいがち。パラダイムを一旦外して、「そもそも」のところから考えていくということの重要性が繰り返し述べられている。


■自分で決めようとしない
1つ印象に残ったのが、自分で決めるということについて。政治やら経済やら、いろんな問題について、日本国民は自分で決めようとしないというは話(別にこれは日本国民に限らんかもしらんけど)。

ここには2つの問題があると述べられている。
  1. 自分が決めるという意識がない
  2. 決める訓練が足りない
1つ目の点については、自分で決める大切さに気づきながらも「フリーライダー」となっている現状について触れられている。「自分がわざわざ苦労して変えなくても、誰かがやってくれると考える」(p23)という姿勢。

2つ目の点については、教育の中で話し合って決めていくというような訓練をそもそもあまりやっていないということが述べられている。

これって会社での話でも通じるかもと思った。自分で決めようとしない雰囲気を感じる時ってある。ただ、それを結局意識の問題に帰着しちゃうと個人攻撃になってしまうので、訓練なり仕組みなりをやっていくのが良いのかなーと思った。

1つ1つの章の論点や結論には必ずしも賛同できなくても、考えるためのヒントとして良い一冊やと思った。

2013年4月16日火曜日

「想像の共同体」に挫折してもこちらは「ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る」

ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)

ナショナリズムに関する本として有名な「想像の共同体」の著者、ベネディクト・アンダーソン氏が来日した時の講演録と質疑応答の内容、また、講演や著書を踏まえたノートを収めた本。講演は2005年4月22日、23日に早稲田で行われたもの。

著者自身は、自分のことを次のように述べている。

「アンダーソンについて何かを語れるような専門的資格をまったく欠いた人間だ。アンダーソンが専門とする東南アジアについての専門的な知識もないし、アンダーソン自身についても、正直に言うと、このシンポジウムまでは、『想像の共同体』の著者であるというくらい
のことしか知らなかった」(p6)

この点を踏まえ、専門家による「解説」というよりは、一参加者による「参加記」というほうがふさわしいと述べられている。そうはいっても、内容は興味深い指摘も多く、個人的には十分「解説」と言っても良い内容やと感じた。

自分も上記と同じくらいの知識しかなかったので、冒頭からこういうふうに書かれていて安心した(^^;)上記のようなこともあってか、ノート部分は表現がかなり分かりやすく読みやすかった。

「想像の共同体」に挫折してもこっちの本は読めるかも。もちろん、あわせて読んだ方が理解は深まるとは思うけど。

アンダーソン氏の講演録の部分は、1日目と2日目に分かれている。
1日目の内容は次のとおり。

  • なぜ、どのように比較研究者になったか
  • 「想像の共同体」がどんな経緯でできあがったか
  • 「想像の共同体」が読者にどのように受容されたか

2日目の内容は次のとおり。

  • アジアのナショナリズムがどのようにグローバルなものであったのか
  • そこにどのようなグローバル基盤があったのか

内容は平易とは言えないけど、講演の記録なので「想像の共同体」の本よりは分かりやすい。表現方法や言葉の遣い方が独特。

出版してしまったら、本は著者の元から逃げ去ってしまうことを踏まえ、「想像の共同体」ついては「とても愛する娘がいて、その娘が突然、見知らぬ男性と駆け落ちしてしまったようなもの」(p18)と述べている。この比喩は面白い。

2日目の内容に関しては、ナショナリスト同士のネットワークが19世紀終わりごろから既にグローバルに構築されていて日本人の中にもそのネットワークに加わっていた人がいたということが述べられていたけど、「中村屋のボース」の話を思い出した。


■間違うことは、けっして悪いことではない
1つ、印象的だったのが、自己批判も行っていたこと。1日目の講演の冒頭で次のように述べられている。

「誰も「間違っていました」と言ったり書いたりしないということを、わたしは、学者の世界の悪癖であると考えています。二〇年も前に言ったことを、ずっと守り通そうとしたり、いのちをかけて言ったことだと言ってみたり。馬鹿げてますよね。
 わたしはつねづね、二〇年も前に言ったことをいまも言い続けている人がいるとすれば、その人は自分を恥じるべきだと考えてきました。逆にたったいま、たまたま口走ったことを、十年前にすでに発信していたようなふりをする人もいます。たとえそんなことはなくてもね。ここで自己批判をすることは、ある意味で、われわれには、いつでも「間違っていた」と言う準備があるということを、宣言したいと思うからです。
 わたしは、自分がおかした誤りを修正したいと思います。間違うことは、けっして悪いことではないのですから」(p24)

自分の分析のどこに不足があったのか、そしてそれをどうこれから埋めようとして言っているのかといったことまで率直に語られている。こういう姿勢を真摯っていうんやろうなーと思った。


■通信の加速化は最近始まったことではない
面白かったのがインターネットについて触れられている箇所。

「電信は、1850年代に急速に発展し、アメリカの南北戦争で実際に用いられました。リンカーンと北軍が勝利をおさめたのは、その軍隊が、電信によって結ばれていたからだったのです。
 さらに、一八七〇年代までに、海底ケーブルのネットワークが主要な海洋をすべて横断し、やがて言葉だけではなく絵や写真も伝達されるようになりました。こうして、瞬時の世界的なコミュニケーションが、実質的に可能となりました。それは人類史上はじめてのことだったのです。瞬時のコミュニケーションは、別にインターネットとともにはじまった訳ではありません。インターネットによってはじめて通信の加速化が生じたと思っている人は間違っています」(p76)

もちろん、インターネットによって、通信の速度がさらに速まり、範囲や影響力も広がっているとは思うけど、世界的なコミュニケーションの始まりという意味ではもっとさかのぼるということか。こういう見方はしたことがなかったので興味深かった。


ベネディクト・アンダーソンや想像の共同体にあんまり関心がなくても、グローバリゼーションやナショナリズムについて関心があるのであれば読んでおくと参考になるんやなかなーと思った一冊やった。

2013年4月15日月曜日

「シリア アサド政権の40年史」から見えてくる中東情勢やメディアのあり方

シリア アサド政権の40年史 (平凡社新書)

2006年から約4年間、シリア大使として駐在された著者が、駐在時の経験、公的な情報や個人的に集めた情報をもとにシリア情勢について記した本。

「アサド大統領」と聞くと、なんとなく悪の枢軸みたいなイメージがある人は、ぜひ読んでみてほしい(自分もそうでした…)。

複雑な中東情勢を反映してか、あまり読みやすい本ではないけど、「シリアを眺めることで、現代史における中東世界が見えてくる」(p73)ということがよく分かる。


■シリア情勢に対するあまりにもの偏向報道
背景となる問題意識としては、シリア情勢に関する報道の「危うさに肝を冷やす思いをたび重ねている」(p10)ことがある。また、シリア国内での民衆蜂起に始まる一連の出来事について、「「アラブの春」というきれい事のように理解するのは適当だとは考えていない」(p11)と述べられている。

報道は、反体制派の情報に偏っており、事実誤認だけでなく、捏造も少なくない。中東の報道局として名高いアルジャジーラでは、あまりの捏造ぶりに記者が辞めていったりしている。国連機関の報告書も意図に偏りがある場合もある。

よく使われる説明やイメージは、平和的にデモ等の運動を行う反体制派に対し、軍隊を使って強権的、暴力的に弾圧する政府側…という構図で語られることが多いけど、実態はそんなに単純ではない。

反体制派内でも内部抗争があり、しかも国内でかなりひどい非人道的行為を行っている。また、反体制派に対する国外からの支援が陰に陽にある。そして、国際社会では反体制派の情報だけが無批判に受け入れられている。

また、9.11の後、アメリカの諜報機関に対してアルカーイダの情報を積極的に提供し、協力しており、アメリカの諜報機関ではシリア諜報機関の協力が高く評価されていたが、大統領や国防総省幹部とは共有されず、結局敵対的な発言ばかりがアメリカからは聞こえてくることになっている。

今まで自分が持っていたイメージは、アメリカ発信の情報に偏ったイメージやったんやなーということがよく分かった…


■バシャール・アサド大統領のイメージについてのパラダイム転換
こうした偏向報道がある一方、政府側、特に大統領は穏健的な改革を進めようとしており、実際に数々の法制度の改革を行い、新憲法も実現した。内容にはもちろん批判はあるものの、「今日のアラブ世界にあって極めて先進的」(p52)なもの。それにも関わらず、こうした動きや大統領の発言がとりあげられることは少ない。

バシャール・アサド現大統領は、元々は眼科医になることを目指していてイギリスにも留学していたことがあるという。大統領夫妻の生活はつつましく、国民からも好意的にみられているということ。

象徴的なのが、大統領にインタビューした欧米のジャーナリストのコメント。例えば、イギリスのザ・テレブラフ紙では以下のように語られている。

「アラブの独裁者に会うというと、厳重な警備の中を幾重もの検査を受けながら通り抜け、堅苦しい儀典をきっちりと守って天を突くような巨大な宮殿の中で、役人に囲まれた相手の独白をうやうやしくうかがうといったことを想像するが、アサド大統領はその対極にあった。担当の若い女性が一人で迎えにきて、彼女の案内で十分も自動車に乗ってある地点で間道に入ると、そこには門がなく、門番もいない。そして英国ならば国外の別荘のような建物があった。その建物のホールで大統領はわれわれを待ち迎えてくれた」(p46)

また、サンデー・タイムズの記者は次のように述べている。

「大統領はまるで青年実業家かと思ってしまうような人物だった。ダークスーツを着て、自分でかばんを提げてはつらつとした雰囲気で人民会堂に入ってくると、周りの職員たちと挨拶を交わしている。そんな姿を見たとき、誰がその人物を大統領だと思うだろうか」(p46)

今まで、「アサド大統領」と聞くとなんとなくで独裁者みたいなイメージがあったけど、そのイメージとは全然違う像が描かれていた。つくづく情報っていうのは両義的に見らんとやな…と思った。


この本自体はどちらかというと、シリア寄りの内容になっていると思うのでその分は割引いて考える必要があるとは思うけど、それにしても今までの報道がえらく偏っているので、例えこの本が多少シリア寄りだとしてもバランスがとれるくらいやと思う。

中東情勢だけでなく、メディアのあり方についても考えさせられる一冊やった。



2013年4月13日土曜日

「危機の経営 サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション」から学ぶ本当に必要な「技術力」の意味

危機の経営 サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション

サムスンを題材として日本のものづくりに必要なことを知識化するために立ち上げた研究会をベースとした本。

著者のお二人は、失敗学で有名な畑村洋太郎さんと、サムスンに10年務められた吉川良三さん。

最後の方で、「そもそも日本の多くの企業が「自分たちは技術力がある」と思い込んでいること自体が、一種の倣慢なのです」(p219)と述べられているように、「技術力」に対するパラダイムを転換させられる内容。

この点も含め、日本のものづくりがなぜ失速しているのか、これからどういう方向を目指すべきかということが、サムスンの躍進を例に説明されている。


■サムスン躍進の理由
サムスン躍進の理由として、3つのイノベーションがあげられている。
  • パーソナル・イノベーション
  • プロセス・イノベーション
  • プロダクト・イノベーション
そのうち、特に力が入って説明されているのがプロセスやプロダクトのイノベーション。
狭義の意味での「技術」では日本企業の方が優れており、サムスンには独自の技術を使った製品がないにも関わらず、サムスンの方が躍進できたのは「社会が求めていることを実現するための手段としての技術」(p6)が日本企業よりも優れていたからということ。

サムスンは、技術のキャッチアップが速い上に、「技術の使い方がうまい」(p87)。製品を消費者が求めている形にして提供することで、技術そのものを開発した本家を上回っている。


■「グローバル化」の意味の違い
逆に、日本企業は、ここ10年のものづくりにおける環境変化に対応できていない。それを一言で言うと「グローバル化」と「デジタル化」の意味の誤解。

グローバル化というと単に現地法人を置いてどんどん海外に進出すれば良いということではなく、真の意味での現地の市場やニーズを理解し、そこにあった適正な製品を開発し販売しサービスを提供していくということ。

サムスンはこれができており、その背景には徹底した現地の研究を行う地域専門家の存在がある。逆に、日本企業は海外に行っても日本流の延長でしかなく、現地のニーズに合った製品やサービスの提供ができていない。

冒頭に引用した文章の続きをひくと…

「実際、いまの日本の企業には、サムスンや夕夕自動車のような新興市場向けの安価な製品をつくる技術はありません。もちろんお金をかければ同じようなものをつくることができますが、それではビジネスとして成立させることができません。にもかかわらず、「自分たちは技術力がある」と信じて疑わないのは、倣慢以外のなにものでもありません。
 革新的なものをつくることだけが技術力ではありません。本当に技術力があるなら、新興市場に打って出て立派にビジネスとして成立させることも容易にできるはずです。残念ながら、いまの日本にはそのような技術力を持つ企業はほとんどありません。私たちはそのことをまず謙虚に認めるべきです」(p219)

「技術力」「高品質」や新興国市場に対する認識を改めて、そこで求められていることをしっかり汲み取って製品化していくことが必要ということが述べられている。

最後に、1997年のアジア通貨危機の時の話で、サムスンでは業績が落ち込みこそすれ粉飾決算こそありませんでしたというようなことが述べられていたけど、先日読んだ「サムスンの真実」を読むとどうなんやろうと思う…

そういう意味では、本書はサムスンの光の部分に焦点を当てた本で、サムスンの真実は影の部分に焦点を当てた本かと思うので両方あわせて読むとなかなか興味深いかもと思った一冊やった。

2013年4月10日水曜日

成功の「技術」が学べる「成功の教科書 熱血!原田塾のすべて 」

成功の教科書 熱血!原田塾のすべて

成功は「技術」である!と冒頭から述べていて、その技術の使い方や考え方を紹介している本。著者の方は、「カリスマ教師」とも呼ばれる方で、大阪市の公立中学校の陸上部の監督として、7年間で13回の日本一の生徒を育てた経験をもつ方。

その時の体験から、成功は才能や素質で決まるものではなく、誰でも身につけることができる「技術」として実現できるものである(もしそうでなければ才能や素質を集めるためのスポーツ推薦制度のない公立中学校から次々に日本一が生まれることの説明がつかない)というのが著者の主張。

また、世の中にはいつも成功する人といつも失敗する人がいて、100人中95人はいつも失敗する人の側にいる。その違いは成功のための準備力や技術が異なり、いつも成功する人は再現性を持った形で技術を高め、日々実践している。このため、いつも成功できる確率が高い。

そうした考え方や技術を著者なりの表現で解説しているのが本書の内容。


■現状を打破する方法
具体的にはどうやって「成功の技術」を身につけるかというと、1つの方法が真似ること。

現状を打破する方法として以下の3つをあげているけど、最初の2つは時間や能力によって限界が出てくる。
  1. たくさんやる
  2. 工夫する
  3. 真似る
ただ、3つ目の真似ることならやりやすい。そこで、オリンピックの金メダリスト、世界中の偉人、成功者の人生をマンガまで含めて徹底的に研究し、成功のパターンを見つけそれに応じた指導をしてきたということ。


■成功の原則
また、成功の原則としては以下の2つがあげられている。
  1. 「成功する」と決める
  2. 大きな成功は、小さな成功の積み重ね
この1つ目については、覚悟を持つということとも同義。「一生懸命頑張る」とかっていうのは当たり前のことで、自分は「日本一になる」「金メダルをとる」と「決める」こと。これが最初に必要ということ。

ただ、その上で、いきなりゴールを目指してもたどりつくのは難しい。成功した人を見ると、ある日突然金メダルをとったのではなく、どの人も細かい日々の積み重ねを重ねて成功に至っているということ。

ここを忘れてしまうと大きな成功には届かない。そこで、まずは小さな成功を大事にする(=スモールステップの原則)ことが述べられている。


■目標はまず身近なところから
あまりにも遠い未来のことを目標にすると、具体的に見えても目標として成り立たないことがある。

例えば、本書の中では次のような例が紹介されていた。30歳の独身男性が「定年後に夫婦で豪華客船に乗って世界一周旅行をする」という目標を立てたとする。これはパッと見具体的に見えるけど、いつごろどんな女性と結婚するのか、結婚したとしてどんな家庭を築いているのか、定年時に会社でのポジションはどうなっているのか…といろいろ考え出すと空白の部分が多すぎる。

もちろん、目標設定を重ねて上級者になってくるとこういう長期の目標も設定できるけど、初心者は夢のままで目標に落ちてこない。そこで、例えばまずは2週間先の目標を立ててみて、目標を立ててそれをやりきるサイクルを経験することが大事ということ。2週間であっても最初は結構難しいので途中のマイルストーンとかを設定するということ。


■目標設定の失敗例
その上で、本書では具体的な目標設定の手順、また、失敗例等が解説されている。失敗例は下記のとおり。

  • ルーティン目標を目標にしている例:毎日腹筋80回ではなく、その先のもの、体重を1キロ減らす
  • 単位がそろっていない例:優勝、ベスト16、入賞
  • 感情面が目標になっている例:死ぬ気で頑張る、とにかく頑張る、思いきり頑張る
  • 数値化できていない
  • 目標がノルマになっている(本来は自分にとって価値のあるもの、ワクワク、ドキドキするもの)

(p70-73)

また、目標に関していつも失敗する人のパターンが次のように分類されている。。

  • 最初から目標がない人
  • 途中で目標を忘れてしまった人
  • 目標をあきらめて途中放棄してしまう人
(p135)

さらっと読むと当たり前なんやけど、よくよく自分のことを振り返って考えると確かにこのパターンにはまってしまっていることが多い。当たり前でシンプルなだけに深い…

何か目標を立てて実現したい時にもう一度読み返したいと思う一冊やった。

2013年4月8日月曜日

「先輩起業家が教える 走りながら考える仕事術」に学ぶ具体的な実践の重要性

先輩起業家が教える 走りながら考える仕事術!

著者の平野さんが起業して強く実感した、「その人の段階に合った仕事術がある」(p2)という想いをベースに書かれた本。

いろんな仕事術の本では成功した人の話が書かれているけど、そういった方は上場企業の社長であったり年収が億を超えるような企業家の方であったりと、すでに大成功を収めた方の視点なので、起業したての頃の状況と比べると開きがある。そのため、話を聞いてもイメージしづらい。

そこで、一歩先の「ちょっとだけ」うまくいっている段階の起業家として、平野さんが企業4年目の時に書かれた本。これから起業を考える方や起業したての方に特にマッチすると思う。

ただ、それ以外でも若手~中堅くらいの会社員が読んでも学べるところはとても多い。特に、会社で働きつつも、自分なりの仕事をやりたい、自分のネットワークを広げていきたいという自立心が高い人には良い本やと思う。


■走りながら考える
本のタイトルに「走りながら」とあるように、すべての内容が平野さんの経験を元にしている。書かれていることは他の本と共通するような部分も多いけど、この本では、平野さんが実際に試したことや経験したことが個々の具体的な事例とともに紹介されているのでイメージしやすい。

印象に残ったポイントはたくさんあるけど、その1つが、「手帳はいつも真っ白にしておく」という章。

周りの人から「先のことを考えなさい」とか「しっかりとした経営計画を立てなさい」というアドバイスを何度も受けたが、実際には起業してから長期的な計画は一度も立てたことがないという。

むしろ、綿密な計画を立てる人に限ってうまくいかない「計画倒れ」の状態になってしまっているのをよく見てきたということ。

そこで、平野さんは次のように述べている。
「先のことに頭を悩ませるより、目の前に集中するほうが格段に大切です」(p17)

もちろん、計画は計画で大事なところもあって、平野さんもその重要性は認識していると思うけど、ここで言っているのは、まずは見える範囲のことをしっかりやりきることにフォーカスする方が特に起業したての頃には重要ということ。

これは若手社員の時期にも通じると思う。いずれ長期的なことを考えないといけないステージは出てくると思うけど、まずは目の前のことをしっかりやれないとその先にもつながらないと感じた。


■「選ばれる人」が持っているもの
もう1つ印象に残ったのが表題の章。何か失敗したことやうまくいかないことがあった時に、沈んだままではなく、「でも、何とかなる!」と思って仕事を続けると先につながっていくという話。

「「儲かるようにできている」という発想を持って仕事をしていると、いつの間にか、人もお金も集まってくるようになります。世間は、悲壮感を漂わせている人よりも、うまくいっている人が好きなのです」(p45)

上記の他にも、「嫌な予感」がする相手から仕事を引き受けてしまうと大体それが当たって、契約しても思うような成果を上げられなかったりするというような話もあった。

このへんはロジカルな根拠があるというよりは、精神的な話ではあるんやけど、実際にこういう悩みや体験をくぐり抜けてきた実際の話なので説得力がある。

他の章では、時間単価を計算しましょうとか、代金回収についての考え方とか、効率的な仕事の進め方とかロジカルな話もある中で、こういうわりと精神論的な話もあって両方あるのが面白かった。

他にも、「ビジネスとはいえ、損得勘定ばかりを考えていると関係が悪化することがあります」(p193)というのは印象的だった。

結局ロジカルなところだけではダメで、両方大切にしていく必要があるのかなと感じた。


■人生は行動がすべて
最後に、あとがきでは次のように述べられている。

「人生は行動がすべてです。行動して初めて、次の選択肢を知ることができます。何もせずに、ただ指をくわえて見ているだけでは、新しい可能性は生まれません。周囲に追い抜かれていくばかりです。
 仕事を心から楽しむためにも、あなた独自のポジションを作り出すためにも。
 まずは最初の一歩を踏み出してください!」(p251)

このことは、平野さんが最も伝えたかったことの1つやないかなーと思った。この本の内容は、すべて平野さんが今までに行動してきたことの1つ1つの積み重ねがベースになっていてイメージしやすい。

行動してみて失敗したり成功したりしながら、「ちょっとだけ先」にたどりついている先輩からのアドバイスとして、具体的な行動の参考になるポイントがたくさん詰まっている良い一冊やった。

2013年4月6日土曜日

「夜回り先生 いじめを断つ」は学校関係者かどうかに限らずいろんな人に読んでほしい一冊

夜回り先生 いじめを断つ

いじめはすべての学校から断つことができる。そのために、いじめとはいったい何なのか、なぜいじめが発生するのか、家庭や学校ではどう対処したらいいのかを考えていくために書かれた本。

滋賀県大津のいじめ事件も踏まえて書かれている。いじめに対する怒りがベースになってるけど、感情的な話だけでなくて、実際の経験からの話や文部科学省によるいじめの定義も交えて冷静な整理もされている。

実際のいじめに関して夜回り先生のところに相談があったエピソードがいくつか紹介されているけど、哀しいのと感動するのとがごちゃまぜになって涙が出て、一時続きが読めんかった…

以下、特に印象に残った点について。


■「いじめ」は人権侵害・犯罪
繰り返し述べられているのは、いじめとされているものの中で、不健全な人間関係と人権侵害や犯罪は違うということ。

いじめと聞くと、多くの人がイメージするのは以下のようなことではないかと述べられている。
  • 暴力をふるい相手にけがをさせること
  • 脅して金品を奪うこと
  • 自分のほしいものを万引きさせること
  • 自死の練習を強要すること
  • ネットに死ぬと書き込むこと
ただ、これはいじめではなく人権侵害、犯罪であり、警察や人権擁護局の力を借りるべき問題であるとしている。

著者は以下の3つのカテゴリーに整理している。
  • 不健全な人間関係
  • 人権侵害
  • 犯罪
このうち、学校で対応すべき(できる)のは不健全な人間関係のみ。

しかし、文部科学省の定義ではすべてをいじめとし、解決できない問題を学校にも抱え込ませていて、これが問題の原因だとしている。

「いじめとして私たちの前に現れてきた事件のほとんどは、いじめというより犯罪なのです。その事実を学校関係者や教育委員会、果ては、文部科学省も認めたくない。だから、今回は警察などが介入することになりましたが、学校現場に他の機関を介入させたくないのです。これが、わが国のいじめをなくすことができないもっとも大きな原因だと、私は考えています」(p22)

先生や学校としてはここまではできるけど、ここから先はできないことを決めているという線引きをしている。

これは批判されると思うけど、勇気がいることやと思う。これができないから、適切な機関が適切な対処をできないことになっているのが問題の原因となっているということ。

「本来学校が扱うべき、倫理的・道徳的な問題であるいじめと、法を犯す行為としての人権侵害や犯罪に該当するものをきちんと区別してほしい」(p43)


■いじめの背景
また、著者は、いじめの背景には、今の日本の大人が抱える問題や社会の状況があるとしている。

攻撃的な社会になっていて、家庭でも職場でも互いにイライラをぶつけ合うようになってしまっている。そのイライラが段々連鎖して、いじめにつながっているという話。

いじめは「社会」問題というけど、単に話題になっているという意味ではなく、社会の構造から生まれてきているという意味で、本当の意味での社会問題なんやと感じる。

さらには、大津のいじめ事件のことも取り上げていて、いじめに対する怒りが次のいじめにつながっていることも注意喚起されている。

大津市のいじめ事件の加害者の情報がネット情報に流出したことで、その兄弟が学校に通えなくなったり、両親が離婚に至ったりしていることを受け、これはネットを使ったいじめではないかということも述べられている。

ではどうするか。最後の章では「いじめにどう対処するか」として以下のようにすべての人たちへとメッセージが述べられている。

  • いじめられている君へ
  • いじめに気づいている君へ
  • 今だれかをいじめている君へ
  • すべての親へ
  • 学校関係者へ
  • 関係機関の人たちへ

学校関係者だけでなく、ひとりひとりの大人としてできることが伝えられている。言われていることは至極真っ当なこと。

もちろん簡単に実現できるようなことばかりではないし、理想論といえば理想論かもしれんけど、子どもも大人も自分の頭で考えて行動していくことで少しずつでも状況を変えていかんとと思った。

子どもも大人も、学校関係者もそうでない人にも、いろんな人に読んでほしい一冊やと思った。

2013年4月5日金曜日

「赤ちゃんの不思議」と赤ちゃん学の最新動向が分かる本

赤ちゃんの不思議 (岩波新書)

最新の脳科学や認知科学の研究成果を紹介しつつ、赤ちゃん研究がどのように進んでいるのかを紹介した本(発行年月日は2011年5月)。

赤ちゃんを研究対象とする「赤ちゃん学」の研究における手法やその考え方等についても紹介されている。

赤ちゃんの教育養育環境と発達との関係についても述べられているのでそういう面からも読めるし、研究系の視点からの話もある。

研究系の話にあんまり興味がない人だと読みづらいところもあるかもやけど、そういうところにも興味があると、既存の手法がどう構築されてきたかとかその問題点はとかの話もあってなかなか興味深い。


■無力な赤ちゃん像からの変化
赤ちゃん学は、ここ20-30年くらいで目ざましい発展を遂げているらしい。

それまでは、赤ちゃんは無力な存在で、新生児は目も見えていないと考えられていたのが、今では新生児であってもいろんな能力を持つことが実証されているとのこと。

赤ちゃんは大人から一方的に何かを受け取るのではなく、大人の表情を模倣したり、社会的な関係性を理解して反応を返したりともっと動的な関係を大人と築いているということが、いろんな研究結果を参照しながら紹介されている。


■利他性の理解
面白かったのが、積木の実験。積木の動きを見せた時に赤ちゃんがどう反応するかを試したもの。

例えば、丸い積木が坂を登ろうとする。そこで三角形の積木は「親切なやつ」で丸い積木のを後ろから押し上げて登るのを手助けし、四角い積木は「意地悪なやつ」で丸い積木の邪魔をするとする。

6カ月と10カ月の赤ちゃんにこうした積木の様子を見せると、「意地悪なやつ」より「親切なやつ」に手を伸ばすことが有意に多かったらしい。

モラルとか社会性っていうのは幼年期以降の教育によるようなイメージもあったけど、もともとそういう要素を生得的に持ってるのかもなー。


■「科学的」な赤ちゃん研究
最後の方で、「科学的」であるとはということについても述べられていて、これもなかなか興味深かった。

研究結果の話は、常に反証可能なものであり、一定の方向性が示唆されるけどそれですべてが決まるというものではないということ。

最近は「脳科学」を掲げた怪しげな育児情報もあるけど、それをうのみにせずに判断していくことが大事という話。

科学自体は反証可能性を担保とするものやけど、子育てはそうではないということも述べられている。

「我が子を目の前にして、反証可能性やテスト可能性を考慮しつつ実際に「科学的」育児を行うことはできません。育児は繰り返しのきかない一回限りのイベントです」(p172)

科学的とされるものでも情報だけが独り歩きしてしまったり、今は正しいとされるものも将来は変わったりする。

例えば、この本でも紹介されていたけど、前はうつぶせで寝かせるのが良いとされていたけど今はあおむけが推奨されることが多かったり。

結局最終的に何が良いのかっていう判断は難しいけど、自分なりに情報を集めて取捨選択して、最後のところは決断をして進めていくしかないのかなと思う。

そういうことを再認識させてくれる一冊やった。

2013年4月3日水曜日

「ユニクロ帝国の光と影」で物事には両面あるよなーということを再認識

ユニクロ帝国の光と影

ユニクロについて、目ざましい成長ぶりといった光の部分だけでなく、影の部分にも焦点を当てて整理した本。独自の取材を元に、「一勝九敗」や「成功は一日で捨て去れ」等の柳井さん自身による説明内容と、現場での声を照らしあわせて実態をレポートしている。

内容としては、柳井さん個人の生い立ちや家族関係、お父さんがやられていた商売の話から、ユニクロの発展やSPAという業態の構造、店舗や工場の現場、ライバル視しているZARAのやり方など多面的な角度から描かれている。


■ユニクロ礼賛の公式発表ではないレポート
「ほとんどの雑誌記事や書籍が、ユニクロ側のお膳立てによって書かれた、いわば公式発表」(p20)であり、「ユニクロにとって書かれたくないことも含めて調査をするという姿勢に立って書かれた記事は皆無」(p20)ということから、書かれたくないであろうことも含めて調査して報告するというのが著者の意図の模様。

このためか、光と影ではどちらかというと影の部分の方に焦点が当たっている気がするけど、誹謗中傷という感じではなく、取材にもとづいた情報をベースに整理しようとしている。例えば、工場の取材での声では、条件が厳しく労働環境も大変というネガティブな話の一方、クリーンで誠実な取引だというポジティブな話も紹介している。

影の部分にやや寄っているのは、最近のユニクロについての話は成功の話が多いことを踏まえて意識的にそういう構成にしてバランスをとろうとしたのかもしれんなーとも思う。


■「鉄の統率」による成功
「一勝九敗」を読んで、すごいなーと思っていた部分について、この本を読むと実はそんなに良いことばかりじゃないんやなーということが分かった。例えば、柳井さんの本では自律型の店舗運営の重要性が説かれるけど、実際にはマニュアル化されている内容から外れることは難しい。「鉄の統率」が保たれているという。

また、元社員の声として以下のような言葉が紹介されていた。

「ユニクロにはオリジナルのコンセプトというものがない。言い換えれば、洋服を作る上での本質がない。ユニクロのヒット商品である、フリース、ヒートテック、ブラトップとつなげてみても、どういう洋服を作りたい企業なのかさっぱり見えてこない。ユニクロで働いているときは、いつも"一流のニセモノ"を作っているという気持ちから逃れることができなかった。それでも、ユニクロが日本のアパレル業界で圧倒的な強さを維持しているのは、生産管理や工程などについての細かな決めごとを徹底的に実行しているからだ」(p56)

この方は「オリジナルのコンセプト」みたいなものを重視しているみたいやけど、そもそも柳井さんが目指されているのはそれと違うところなんやないかなーとも感じた。それでもなおすごい会社であることは違いないと思う。

よく言われる話やけど、優れた戦略で実行が不徹底であるよりも、凡庸な戦略でも徹底的に実行して完遂していく方が結果的には成果が出るということを考えると、「鉄の統率」であれ何であれこれだけ徹底させるのはすごいと思う。逆に言えばこのくらいやらなければあれだけの成長はできないのかもなーとも思った。

もちろん、この本の取材先で語られていることもそちら側からの見方であることは頭に入れておく必要がある。ただ、光一辺倒ではなくて、影の部分も含めて総合的に見る方がより本質をつかめるのかなと思った。

当たり前のことなんやけど、光があれば影があるし、影があれば光がある。その両面を見るというものの見方を学ぶ上でも読んでおいて良い一冊やと思った。