2013年4月6日土曜日

「夜回り先生 いじめを断つ」は学校関係者かどうかに限らずいろんな人に読んでほしい一冊

夜回り先生 いじめを断つ

いじめはすべての学校から断つことができる。そのために、いじめとはいったい何なのか、なぜいじめが発生するのか、家庭や学校ではどう対処したらいいのかを考えていくために書かれた本。

滋賀県大津のいじめ事件も踏まえて書かれている。いじめに対する怒りがベースになってるけど、感情的な話だけでなくて、実際の経験からの話や文部科学省によるいじめの定義も交えて冷静な整理もされている。

実際のいじめに関して夜回り先生のところに相談があったエピソードがいくつか紹介されているけど、哀しいのと感動するのとがごちゃまぜになって涙が出て、一時続きが読めんかった…

以下、特に印象に残った点について。


■「いじめ」は人権侵害・犯罪
繰り返し述べられているのは、いじめとされているものの中で、不健全な人間関係と人権侵害や犯罪は違うということ。

いじめと聞くと、多くの人がイメージするのは以下のようなことではないかと述べられている。
  • 暴力をふるい相手にけがをさせること
  • 脅して金品を奪うこと
  • 自分のほしいものを万引きさせること
  • 自死の練習を強要すること
  • ネットに死ぬと書き込むこと
ただ、これはいじめではなく人権侵害、犯罪であり、警察や人権擁護局の力を借りるべき問題であるとしている。

著者は以下の3つのカテゴリーに整理している。
  • 不健全な人間関係
  • 人権侵害
  • 犯罪
このうち、学校で対応すべき(できる)のは不健全な人間関係のみ。

しかし、文部科学省の定義ではすべてをいじめとし、解決できない問題を学校にも抱え込ませていて、これが問題の原因だとしている。

「いじめとして私たちの前に現れてきた事件のほとんどは、いじめというより犯罪なのです。その事実を学校関係者や教育委員会、果ては、文部科学省も認めたくない。だから、今回は警察などが介入することになりましたが、学校現場に他の機関を介入させたくないのです。これが、わが国のいじめをなくすことができないもっとも大きな原因だと、私は考えています」(p22)

先生や学校としてはここまではできるけど、ここから先はできないことを決めているという線引きをしている。

これは批判されると思うけど、勇気がいることやと思う。これができないから、適切な機関が適切な対処をできないことになっているのが問題の原因となっているということ。

「本来学校が扱うべき、倫理的・道徳的な問題であるいじめと、法を犯す行為としての人権侵害や犯罪に該当するものをきちんと区別してほしい」(p43)


■いじめの背景
また、著者は、いじめの背景には、今の日本の大人が抱える問題や社会の状況があるとしている。

攻撃的な社会になっていて、家庭でも職場でも互いにイライラをぶつけ合うようになってしまっている。そのイライラが段々連鎖して、いじめにつながっているという話。

いじめは「社会」問題というけど、単に話題になっているという意味ではなく、社会の構造から生まれてきているという意味で、本当の意味での社会問題なんやと感じる。

さらには、大津のいじめ事件のことも取り上げていて、いじめに対する怒りが次のいじめにつながっていることも注意喚起されている。

大津市のいじめ事件の加害者の情報がネット情報に流出したことで、その兄弟が学校に通えなくなったり、両親が離婚に至ったりしていることを受け、これはネットを使ったいじめではないかということも述べられている。

ではどうするか。最後の章では「いじめにどう対処するか」として以下のようにすべての人たちへとメッセージが述べられている。

  • いじめられている君へ
  • いじめに気づいている君へ
  • 今だれかをいじめている君へ
  • すべての親へ
  • 学校関係者へ
  • 関係機関の人たちへ

学校関係者だけでなく、ひとりひとりの大人としてできることが伝えられている。言われていることは至極真っ当なこと。

もちろん簡単に実現できるようなことばかりではないし、理想論といえば理想論かもしれんけど、子どもも大人も自分の頭で考えて行動していくことで少しずつでも状況を変えていかんとと思った。

子どもも大人も、学校関係者もそうでない人にも、いろんな人に読んでほしい一冊やと思った。

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