2013年4月19日金曜日

「加害者家族」を読んで…

加害者家族 


NHKの報道番組のディレクターを務める著者が、「クローズアップ現代」での「犯罪"加害者"家族たちの告白」の特集の取材をもとに情報を加筆してまとめたもの(番組自体の放送は2010年4月)。

「加害者家族が心ならずも背負ってしまった十字架の重さと、償いのありようを探ってみたい」(p5)と述べられているように、加害者家族やその支援者の声を様々な事例から拾い上げている。


■加害者家族に対する見方
著者が、取材を通じて知り合った関係者に対して、日本社会は加害者家族とどう向き合っていけばよいのかという問いをぶつけていったところ、大きく3つに分かれる答えが返ってきたという。


  1. 家族にも加害者に準じた責任があり、社会的制裁などは当然である。被害者の感情も考えれば、個別のケースによって違いはあれども、基本的にはフォローする必要はない。
  2. 加害者家族を支えることは、加害者が出所した際の受け皿を作ることになり、再犯防止につながる。それは結果的に社会の利益になるのだから、サポートする一定の仕組みが必要だ。
  3. 目の前に困窮している人がいれば手を差し伸べるというのが、あるべき福祉の姿だ。セーフティネットの崩壊が叫ばれるいま、考え直すときが来ているのではないか。

(p193)

日本の「世間」では1つ目の見方が多い。こうした見方を受けてか、本書でも加害者の家族が「世間」からの反応によって大変な苦しみを受けることが紹介されている。ある方の声として、「加害者の家族は、罪を犯した本人以上に苦しむことがあるのだということを、わたしはこの事件を通じて初めて知った」(p67)という声が紹介されている。

事件が発生して明らかになった後で家族の方が周囲から受ける攻撃というのがすさまじい…親戚や近所の人から責められるだけでなく、職場で「よく会社に来られるよな」とか陰口を叩かれたり、自宅への落書きや放火など物理的な攻撃も受ける。

電話や手紙、インターネットの書き込みによる非難も多く、「姉を拉致してしまえ」とか「親も打ち首にしろ」とか。極め付けだなと感じたのは、ある娘さんがいじめられている状況に対し、通っていた中学校の校長が「あなたがたのお父さんは、たくさんの人を殺しましたね。あなたが死んでも、しかたがないでしょう」(p88)と言い放ったという。

こうした反応に対して、2つ目や3つ目の見方があり、特に、実際に加害者家族をまのあたりにしている方の中は3つ目の見方を持っているという。

こうした加害者の家族の取材なり支援に関わる方は、被害者の家族のことをないがしろにするのかという批判をよく受けるということだが、そうした声に対して、被害者支援はもちろん重要だが、それとはまた違った次元のものとして加害者家族への支援も考えていく必要ではないかという声も紹介されている。

一方、加害者の家族の話の中にも、これはどうなのと思うような例もある。犯罪を犯した子どもの親が、判で押したように「うちの子どもがそんなことをするはずはない」「うちの子どもは悪い仲間に巻き込まれたり、そそのかされたりしただけだ」(p139)という反応でなかなか認めようとしなかったりというのは多いらしい。

また、集団リンチに途中から関わった少年が母親にすべてを打ち明けて自首しようとしたところ「おまえは人殺しをしていないのだから、警察に行くことはない」と言ったとか。だから世間から責められても仕方ないとは思わないけど、もう少し違った反応の仕方はないものか…と思ってはしまった…

上記の話とは別に、周囲の反応として驚いたのがアメリカのアーカンソー州の高校で銃乱射事件を起こした少年の母親に対する反応。重大な事件だったため実名や写真が報道され、母親の元にアメリカ全土から手紙や電話が殺到したが、それらはすべて励ましだったということ。

「いまあなたの息子さんは一番大切なときなのだから、頻繁に面会に行ってあげてね」
「その子のケアに気を取られすぎて、つらい思いをしている兄弟への目配りが手薄にならないように」
「日曜の協会に集まって、村中であなたたち家族の為に祈っています」
(p182)

本書の中でも書かれていたけど、これは衝撃やった…見方や反応がまったく違う。

このあたりはいっしょくたに議論できるような話でも、1つの正解があるような話でもないけど、その分、先入観やレッテルをできるだけ外してケースバイケースで物事を見れるようにせんとなーと思った。


誰もが「自分は加害者にはならない」と思っているだろうが…
1つ感じたのが、被害者ではなく加害者の家族という切り口で整理された情報というのは触れることが少ないけど、そんなに遠い話でもないということ。著者は、「はじめに」で次のように述べている。

「誰もが「自分は加害者にはならない」と思っているだろうが、加害者にはならなくとも、身内が罪を犯し、加害者家族になりうる可能性はある。
子どもが罪を犯したという親、夫や妻が罪を犯したという配偶者、父親や母親が罪を犯したという子ども、さらには親戚が罪を犯したという人まで含めると、一つの事件には実に多くの人間が関係しているのだ」(p4)

最後の方で、複数の重大な少年事件の家庭環境やとっていた行動に関する研究の内容が紹介されていて、それを読むとちょっとした問題行動とか思春期の挫折とかが挙げられていて、ホント紙一重やと思う(それ自体の妥当性はまた別途みていく必要があるけど)。正直、思春期のいろいろ思い悩む時期に一歩歯車が狂ったら自分も何をしていたか分からんなと思うこともある。

「社会統制論」と呼ばれる社会学の理論では次のような考え方をとっているという。

「そもそも人間は条件さえ許せば悪事に走り、犯罪をするものであり、逆になぜ多くの人が犯罪をせずにとどまっているかを研究・理解していくことが肝要ではないか」(p194)

その他、冒頭に、平成21年度版の「犯罪白書」のデータが参照されている。平成20年の1年間で警察が犯罪と認めた件数は253万3351件。平成20年の日本の総人口が1億2769万2千人(統計局のデータ参照)なので、単純に計算すれば、
  • 1億2769万2千人÷253万3351=50.4
となるので、50人に1人の割合になる。もちろん、述べ件数だと思うので、人数で割ると単位があってないことになるけど、そのあたりを考慮しても、家族、親戚、もっと広げると友人、会社関係とかで何らかの形で関わりが出てくる可能性は決して低くない。

殺人や強盗等はないだろうと気もするけど、自動車運転過失致死傷等は71万4977件あるから、数からみれば結構な確率になる…

先日読んだ本にも書いてあったけど、完全な他人事ではなく自分事になる可能性があるものとして考え直すのに良いきっかけとなる一冊やった。

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