ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る (光文社新書)
ナショナリズムに関する本として有名な「想像の共同体」の著者、ベネディクト・アンダーソン氏が来日した時の講演録と質疑応答の内容、また、講演や著書を踏まえたノートを収めた本。講演は2005年4月22日、23日に早稲田で行われたもの。
著者自身は、自分のことを次のように述べている。
「アンダーソンについて何かを語れるような専門的資格をまったく欠いた人間だ。アンダーソンが専門とする東南アジアについての専門的な知識もないし、アンダーソン自身についても、正直に言うと、このシンポジウムまでは、『想像の共同体』の著者であるというくらい
のことしか知らなかった」(p6)
この点を踏まえ、専門家による「解説」というよりは、一参加者による「参加記」というほうがふさわしいと述べられている。そうはいっても、内容は興味深い指摘も多く、個人的には十分「解説」と言っても良い内容やと感じた。
自分も上記と同じくらいの知識しかなかったので、冒頭からこういうふうに書かれていて安心した(^^;)上記のようなこともあってか、ノート部分は表現がかなり分かりやすく読みやすかった。
「想像の共同体」に挫折してもこっちの本は読めるかも。もちろん、あわせて読んだ方が理解は深まるとは思うけど。
アンダーソン氏の講演録の部分は、1日目と2日目に分かれている。
1日目の内容は次のとおり。
2日目の内容は次のとおり。
内容は平易とは言えないけど、講演の記録なので「想像の共同体」の本よりは分かりやすい。表現方法や言葉の遣い方が独特。
出版してしまったら、本は著者の元から逃げ去ってしまうことを踏まえ、「想像の共同体」ついては「とても愛する娘がいて、その娘が突然、見知らぬ男性と駆け落ちしてしまったようなもの」(p18)と述べている。この比喩は面白い。
2日目の内容に関しては、ナショナリスト同士のネットワークが19世紀終わりごろから既にグローバルに構築されていて日本人の中にもそのネットワークに加わっていた人がいたということが述べられていたけど、「中村屋のボース」の話を思い出した。
■間違うことは、けっして悪いことではない
1つ、印象的だったのが、自己批判も行っていたこと。1日目の講演の冒頭で次のように述べられている。
「誰も「間違っていました」と言ったり書いたりしないということを、わたしは、学者の世界の悪癖であると考えています。二〇年も前に言ったことを、ずっと守り通そうとしたり、いのちをかけて言ったことだと言ってみたり。馬鹿げてますよね。
わたしはつねづね、二〇年も前に言ったことをいまも言い続けている人がいるとすれば、その人は自分を恥じるべきだと考えてきました。逆にたったいま、たまたま口走ったことを、十年前にすでに発信していたようなふりをする人もいます。たとえそんなことはなくてもね。ここで自己批判をすることは、ある意味で、われわれには、いつでも「間違っていた」と言う準備があるということを、宣言したいと思うからです。
わたしは、自分がおかした誤りを修正したいと思います。間違うことは、けっして悪いことではないのですから」(p24)
自分の分析のどこに不足があったのか、そしてそれをどうこれから埋めようとして言っているのかといったことまで率直に語られている。こういう姿勢を真摯っていうんやろうなーと思った。
■通信の加速化は最近始まったことではない
面白かったのがインターネットについて触れられている箇所。
「電信は、1850年代に急速に発展し、アメリカの南北戦争で実際に用いられました。リンカーンと北軍が勝利をおさめたのは、その軍隊が、電信によって結ばれていたからだったのです。
さらに、一八七〇年代までに、海底ケーブルのネットワークが主要な海洋をすべて横断し、やがて言葉だけではなく絵や写真も伝達されるようになりました。こうして、瞬時の世界的なコミュニケーションが、実質的に可能となりました。それは人類史上はじめてのことだったのです。瞬時のコミュニケーションは、別にインターネットとともにはじまった訳ではありません。インターネットによってはじめて通信の加速化が生じたと思っている人は間違っています」(p76)
もちろん、インターネットによって、通信の速度がさらに速まり、範囲や影響力も広がっているとは思うけど、世界的なコミュニケーションの始まりという意味ではもっとさかのぼるということか。こういう見方はしたことがなかったので興味深かった。
ベネディクト・アンダーソンや想像の共同体にあんまり関心がなくても、グローバリゼーションやナショナリズムについて関心があるのであれば読んでおくと参考になるんやなかなーと思った一冊やった。
ナショナリズムに関する本として有名な「想像の共同体」の著者、ベネディクト・アンダーソン氏が来日した時の講演録と質疑応答の内容、また、講演や著書を踏まえたノートを収めた本。講演は2005年4月22日、23日に早稲田で行われたもの。
著者自身は、自分のことを次のように述べている。
「アンダーソンについて何かを語れるような専門的資格をまったく欠いた人間だ。アンダーソンが専門とする東南アジアについての専門的な知識もないし、アンダーソン自身についても、正直に言うと、このシンポジウムまでは、『想像の共同体』の著者であるというくらい
のことしか知らなかった」(p6)
この点を踏まえ、専門家による「解説」というよりは、一参加者による「参加記」というほうがふさわしいと述べられている。そうはいっても、内容は興味深い指摘も多く、個人的には十分「解説」と言っても良い内容やと感じた。
自分も上記と同じくらいの知識しかなかったので、冒頭からこういうふうに書かれていて安心した(^^;)上記のようなこともあってか、ノート部分は表現がかなり分かりやすく読みやすかった。
「想像の共同体」に挫折してもこっちの本は読めるかも。もちろん、あわせて読んだ方が理解は深まるとは思うけど。
アンダーソン氏の講演録の部分は、1日目と2日目に分かれている。
1日目の内容は次のとおり。
- なぜ、どのように比較研究者になったか
- 「想像の共同体」がどんな経緯でできあがったか
- 「想像の共同体」が読者にどのように受容されたか
2日目の内容は次のとおり。
- アジアのナショナリズムがどのようにグローバルなものであったのか
- そこにどのようなグローバル基盤があったのか
内容は平易とは言えないけど、講演の記録なので「想像の共同体」の本よりは分かりやすい。表現方法や言葉の遣い方が独特。
出版してしまったら、本は著者の元から逃げ去ってしまうことを踏まえ、「想像の共同体」ついては「とても愛する娘がいて、その娘が突然、見知らぬ男性と駆け落ちしてしまったようなもの」(p18)と述べている。この比喩は面白い。
2日目の内容に関しては、ナショナリスト同士のネットワークが19世紀終わりごろから既にグローバルに構築されていて日本人の中にもそのネットワークに加わっていた人がいたということが述べられていたけど、「中村屋のボース」の話を思い出した。
■間違うことは、けっして悪いことではない
1つ、印象的だったのが、自己批判も行っていたこと。1日目の講演の冒頭で次のように述べられている。
「誰も「間違っていました」と言ったり書いたりしないということを、わたしは、学者の世界の悪癖であると考えています。二〇年も前に言ったことを、ずっと守り通そうとしたり、いのちをかけて言ったことだと言ってみたり。馬鹿げてますよね。
わたしはつねづね、二〇年も前に言ったことをいまも言い続けている人がいるとすれば、その人は自分を恥じるべきだと考えてきました。逆にたったいま、たまたま口走ったことを、十年前にすでに発信していたようなふりをする人もいます。たとえそんなことはなくてもね。ここで自己批判をすることは、ある意味で、われわれには、いつでも「間違っていた」と言う準備があるということを、宣言したいと思うからです。
わたしは、自分がおかした誤りを修正したいと思います。間違うことは、けっして悪いことではないのですから」(p24)
自分の分析のどこに不足があったのか、そしてそれをどうこれから埋めようとして言っているのかといったことまで率直に語られている。こういう姿勢を真摯っていうんやろうなーと思った。
■通信の加速化は最近始まったことではない
面白かったのがインターネットについて触れられている箇所。
「電信は、1850年代に急速に発展し、アメリカの南北戦争で実際に用いられました。リンカーンと北軍が勝利をおさめたのは、その軍隊が、電信によって結ばれていたからだったのです。
さらに、一八七〇年代までに、海底ケーブルのネットワークが主要な海洋をすべて横断し、やがて言葉だけではなく絵や写真も伝達されるようになりました。こうして、瞬時の世界的なコミュニケーションが、実質的に可能となりました。それは人類史上はじめてのことだったのです。瞬時のコミュニケーションは、別にインターネットとともにはじまった訳ではありません。インターネットによってはじめて通信の加速化が生じたと思っている人は間違っています」(p76)
もちろん、インターネットによって、通信の速度がさらに速まり、範囲や影響力も広がっているとは思うけど、世界的なコミュニケーションの始まりという意味ではもっとさかのぼるということか。こういう見方はしたことがなかったので興味深かった。
ベネディクト・アンダーソンや想像の共同体にあんまり関心がなくても、グローバリゼーションやナショナリズムについて関心があるのであれば読んでおくと参考になるんやなかなーと思った一冊やった。
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