2013年12月9日月曜日

「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という問いの背景を資本主義経済の構造から説明した一冊

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

「なぜ、わたしたちの働き方はこんなにもしんどいのか?」
「なぜ、社会や経済は十分豊かになったのに、働き方は豊かにならないのか?」
「どうすれば、「しんどい働き方」から抜け出せるのか?」

という問いに対する答えを、仕事術のようなテクニック的な話ではなく、資本主義経済の構造・仕組みを背景に説明しようとしている本。「資本論」と「金持ち父さん貧乏父さん」の話が下敷きになっている。

また、冒頭では「給料」に関する話がある。

「あなたは、自分がもらっている「給料の金額」に満足していますか?」
「その金額は、あなたが行っている仕事内容に対して「妥当」な額ですか?」

と聞くと、「給料が少ない!」「自分はもっともらってもいいはず」と感じる方も多いのではないかと述べられている。一方、そうした人で以下の質問にすぐに答えられる人はあまりいないでしょうとも述べられている。

「あなたは、自分の「給料の金額」がどうやって決まっているのか、ご存知ですか?」
「給与明細を見て、なぜその金額をもらっているのか、「論理的に説明」できますか?」
「「もっともらってもいいはず」と感じる方は、では論理的にいくらが「正しい金額」だと思いますか?」

こうした問いかけをしながら、そもそも「給料」はどう決まっているのかという話が展開される。本書での答えは「必要経費方式」。要するに、生活に必要な分のお金を給料としてもらう。

これとは別の「利益分け前方式」の会社もあってそうした会社では稼いだ分に連動してもらえるお金が決まってくるけど、多くの会社の場合は必要経費方式で「どんなに努力して会社に利益をもたらしても、基本的に給料は変わらない」(p29)

もちろん、昨今の成果主義の話とかは触れられていて、そうしたところで多少のプラスアルファの変動はあるものの、ここで扱われているのはベースの考え方がどうなっているかという話。個人事業主や経営者ならまた別かもしれんけど、会社員についてはそういう考え方ということ。

そして、給料の水準が高い人は、なんだかんだ生活水準も上げなくてはならないようになっており、そうすると、年収が多い人は多い人なりにしんどいと感じている。

これと関連して、資本論での「使用価値」と「価値」の用語がつかわれている。ここでいう「使用価値」の方は、一般的に価値と言った時にイメージするような内容で、使ってみての意味や役立ち度合いみたいな意味。それに対して「価値」の方は一般的なイメージと違っていて、それを作るのにどれくらい手間がかかったかというもの。

世の中のモノの値段や給料はこの「価値」の方を基準点として決められている。給料は、労働力を再生産するのに必要な分がもらえているということであり、給料が高いというのは再生産のためのコストが高い(例:衣食住のクオリティを上げておかないと激務に耐えられない)。だから、いくら給料が上がるような仕事についても皆全体的になんとなくしんどいというとかそういう話が展開されている。

このあたりの話と関連して以下のような話が紹介されていたけど、これは果たしてどうなんやろなー…

■がんばって成長しても、得られるものは変わらない
「かつて、このような話を聞いたことがあります。

 生存競争が激しい熱帯雨林に生息している樹木は、どの木も、隣の木よりも多くの光を得ようと上へ上へと伸びる。
 ところが、それでは「影」に隠れてしまう木が出てくる。その影に隠れた木々は、太陽の光を得ようと、他の木と同じ高さまで伸びようとする。もしくは、いちばん高く伸びて、光を独り占めしようとする。
 すべての木が同様のことを考えているため、熱帯雨林の木々は非常に背が高い。
 ところが、ふとその熱帯雨林を俯瞰して全体を見渡してみると、光を得ているのは最上部の葉っぱだけだということに気がつく。一生懸命背伸びして、高いところにたどりつこうとしているが、日が当たっているのはごく一部なのである。
 そして、より大事なことは、すべての木の背が低くても「各樹木が得られる光の量は同じ」ということだ。
 自分だけ太陽の光を得ようと競い合って伸びても、誰も何も考えず「当初」の高さでとどまっていても、「得られるもの」は同じだったのである。
 熱帯雨林に生息している樹木は、なんと無駄なことをしているのだろうか――。

 この指摘は、資本主義経済に生きるわたしたちの姿をよく表していると言えるのではな
いでしょうか?
ほとんどの人は、より多くの光を得るために「他人よりも上」に行こうとします。ところが、他人も同じことを考えており、みんなとりあえず上を目指して生きています。
 その結果、熱帯雨林の木々と同じように、最終的に得られるものは「競い合う前となんら変わらない」という状況に陥っているのです。
 なんとも皮肉な結果です。
 では、競い合う前とまったく同じ状況なのかというと、そうではありません。
熱帯雨林の例でいえば、木々が太陽の光を求めて競い合った結果、「得られるもの(光の量)」は競い合う前と変わりません。
 では、何が変わったのか?
 そう、競い合う前に比べて、幹が異常に長くなってしまってぃるのです。
 その大きく伸びた幹を維持するためには、より大きなエネルギーを必要とします。
 熱帯雨林の木々と同じように、わたしたちもゃみくもに「他人よりも上」を目指すと、得られる「光の量」は変わらない一方で、競い合うだけ体力や気力、そして時間を失います」
(p137-140)

じゃあどうするかというところが最後の方で述べられているけど、そっちの方は結局は考え方を変えましょうみたいな話。「世間相場よりストレスを感じない仕事」(p228)を見つけて選ぶことで、相対的にしんどくないとか、あとは、長期的に活きる資産を蓄積してそれを活用しようとかそういう話。

このへんはそんなに目新しいことは言ってないかなーと思ったけど、前半の方の話はなかなかユニークやなーと思った。

さらっと聞くと、ん?ってなるし、「がんばって成長しても、得られるものは変わらない」って言われちゃうとなー…とも思うし、いろいろ留保が必要そうな主張ではあると思うけど、1つの見方としては面白いんやないかなーとも思った一冊やった。


2013年12月2日月曜日

「水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ」は「とりわけ険しいわけでもない」けれども当たり前のことを当たり前にやることの大事さを感じさせてくれる一冊

水族館に奇跡が起きる7つのヒミツ―水族館プロデューサー中村元の集客倍増の仕掛け

新江ノ島水族館、池袋のサンシャイン水族館、山の水族館などのプロデュースを手がけた方がどのような発想で成功につなげているか、取材を元に整理している本。もともと魚も水族館もそんなに好きではないと公言している方だけに、なぜ水族館の価値を発揮させられるようなことができるのかとても興味深い内容。

テーマ的には水族館を核にした地域おこしの話にもつながっていて、その発想の広がりや行動力は先日読んだ「ローマ法王に米を食べさせた男」の水族館版っていう感じがした。

特に北海道の山の水族館の事例はすごくて、バスと電車で行くと待ち時間も含めて空港から4時間半(レンタカーでも空港から1時間半)かかる場所にあって、もともとは地元の人しか知らないような場所だったのを、低予算でリニューアルをして1年間の入館者数が15倍の30万人に!

その背景にある考え方の1つが顧客視点。これだけさらっと書くと何を当たり前のことを…っていう感じがするけど、読んでいくとなるほどなと思える。

例えば、水族館はどういう場所であるべきかということを考えたときに、運営者側は教育や種の保存、調査・研究といった社会教育施設として考えている。レクリエーション的な要素も考慮されているとはいえ「水族館は教育施設でなければならない」という考えが根強く、これがお客さんが求めるものとのズレを生じさせているという。

それをあらわしているのが次の言葉。

「多くの水族館はマーケティングを真剣にやってこなかったんです。いまだに子どもが家族を連れてくると思ってるからチャンチャラおかしい。小さな子どもは水族館よりも動物園に行きたがるもので、水族館に家族を連れてくるなんてことはないです」
(p68)

そこでターゲットをしっかり定め、その人たちが何を求めているかを考え、そこにあわせて展示内容も作っていく。サンシャイン水族館の場合、子供より大人が大事なターゲットと定め、大人のための「天空のオアシス」というコンセプトで癒しやくつろぎの空間を作る。

山の水族館では、北海道の自然を感じられるようなコンセプトにし、それが一言で分かるコンセプトコピーにまとめる。山の水族館のコンセプトは「日本一と世界初がある 北の大地の水族館」。そして、コンセプトはそれぞれの場所でしか得られないものに濃縮する。このあたりのコンセプトの明確化は星野リゾートの話とも通じるなーとも思った。

これに関して1つ印象に残ったのが次の話。

「ただ、なんでもやればいいというわけではないよ。大きな水族館ではマネできない仕掛けを考えると同時に、他の水族館では勝てない方向にもっていくことです。たとえ、相手がボブ・サップのような巨漢でも、指相撲なら勝てるかもしれないじゃないですか」(p245)

こうした形でそこでしか得られないものをコンセプトにして明確にすることでマスコミにもとりあげられやすくなる。記事にしたり、レポーターが中継する時に、「ここはまさに「天空のオアシス」です!」とか、「日本一の〇〇がある水族館です!」といった形で取材者側もポイントが明確で扱いやすくなる。

プロモーションはかなり力を入れていて、鳥羽水族館で働かれていた時代に、東京のテレビ局に鳥羽水族館の名前をアピールするために、放送局のある路線に絞って中吊り広告に鳥羽水族館の広告を出して印象を焼き付けるようなことをしたりしている。

こうした予算が無いなら無いで、山の水族館のように予算が無かった場合は、「日本一の貧乏水族館」がリニューアルによってどう変わったかということをアピールし続ける。しかも、メディアで紹介される時を見据えて、リニューアルの途中から実験や作業の様子を撮っておいて資料VTRとして使えるようにしてあるという。

正直ここまでやるとは…と思って、見方によってはあざといと見えるかも知らんなーとも思ったけど、逆にここまで徹底してやっているからこそ、予算とかリソースが無い中でも成功につなげていけるんやろうなーとも思った。

また、マスコミとか派手なことだけではなくて、お客さんの後をついていってどういう風に展示を見ているか地道な行動調査をしたり、1つ1つの展示内容や解説文をどう見てもらえるものにしていくか練っていったりという作業を繰り返して改善を重ねていることがバックグラウンドにはある。

他にも、「オペラ座の怪人」のミュージカルを見に行った時のセットの効果を水族館の展示のプロデュースに生かしたりなど、発想の広がりがすごくて、いろんなことを活かして企画や展示に活かしている。

展示内容に関しては常識を疑うということも重要としていて、その良い例が目玉の展示の配置。運営者側の視点だと、最後に目玉をもってきて、それまでのものも全部見て欲しいと考える。しかし、先がどうなっているか分かりづらい水族化でこれをやってしまうと、目玉にたどりつくまでにお客さんは疲れてしまう。そこで、あえて最初に目玉を持ってくることでお客さんの満足度も上がるという話。これは目から鱗やった。

予算が無い、人も足りない…と嘆くのは簡単やけど、ここまで徹底的に考えぬいて行動しきれば制約条件を超えたり逆にそれをプラスに変えていけるんやなーと改めて感じさせてくれる一冊やった。

1つ特に印象に残ったのが以下の一節。

「弱者が進化する上で大切なことを、中村は次のように語る。
「捨てること。イルカの芯かと同じです」
元来、イルカなど鯨の仲間は水中で生活していたわけではなく、陸上で暮らしていた。
しかし、陸上では弱者だったために、水中生活者へと進化していった経緯がある。陸を捨てて、海で生活することを選んだ時に、速く泳ぐために足をなくすことにしたのだ。
おもいきった選択があったからこそ、鯨類は今や多様な種類に繁栄して海洋の覇者となっている。もしも、彼らが陸上の生活に未練たらたらで、陸上を歩けて水中も泳げることを選んでいたとしたら、今の繁栄はなかっただろう。
この選択ができるかどうかが、進化できるか否かの分かれ目なのである。捨てることもまた進化の大切な考え方なのだ」(p240)

あとがきで、中村さんは次のように述べている。

「私の水族館プロデューサーとしての仕事は、新しいものをつくることではなく、利用者のための新しい常識をつくる仕事だ。スタッフと共に利用者のことを考え、古い常識を覆し新しい常識による展示を開発していく。ご想像のとおりその道は平坦ではないがとりわけ険しいわけでもない」(p254)

このメッセージは他の仕事にも通じると思う。

・無理だと思った時でも、何か別の方法を考えること。
・常識だと思っていたことや、思い込んでいたことを疑うこと。
・カスタマーズ起点で考えること。
(p250)

いずれも、これらを見るだけだとうん、そうやよなー、当たり前やよなーってことやけど、それをいかに自分の仕事や生活の中で実践していけるかが大事でかつ難しい。でもそれも「とりわけ険しいわけでもない」と思うし、その1つのモデルを見せてくれる一冊やった。

2013年11月25日月曜日

「きのこ検定公式テキスト」はきのこ好きはもちろん面白いと思うけど、そうでなくても結構楽しめる一冊

きのこ検定公式テキスト

著者が「ホクトきのこ総合研究所」ということもあり、若干ホクトの宣伝的な内容も入っているけど、全体的にはきのこについて、生物学的な話から文化的な話までいろんな角度から知ることができて面白かった。

「いわゆる「きのこ」と聞いたときにイメージする目に見える部分は、じつはきのこの子実体で、きのこの本体ではありません。地中や木材の中に広がる禁止が本体であり、子実体は子孫となる胞子を作る、植物でいう花のような役割を果たしています」(p10)

学問的には当たり前なのかも知らんけど、知らんくて軽くひったまがった。

その他にもきのこにまつわることわざとかがあって、ロシアではきのこがよく食べられるらしく(これも知らんかったけど)、ロシアのことわざが紹介されとった。

その1つが「きのこと名乗ったからには籠に入れ」というもので、最後まで責任をとれっていう意味らしい。その他にも「きのこ入りピローグを食べてもぺらぺらおしゃべりするな」みたいなにもあるらしく、これはご馳走されても余計なことをしゃべるなという意味。なかなかこのへんも面白い。

こういういろんな参考情報が序盤にあって、中盤はきのこ図鑑。カラー写真入りでこれを眺めているだけでも結構楽しい。日本でいうところのマッシュルームはツクリタケっていうとかも知らんかった。なんかイメージと違うけど…w

最後の方には検定試験の例題もついている。問題としては、こんな感じ。

きのこが属する生物群はどれか
1.動物 2.植物 3.菌類 4.原生生物

このあたりはなんとなく分かるけど、もうこの次のあたりからは無理。

ハラタケ目の各部のうち、幼菌時の外皮膜のなごりでないものはどれか。
1.ツバ 2.イボ 3.ツボ 4.ヒダ

このへんもなかなかにマニアック

次の作品のうち、きのこが登場しないものはどれか。
1.「わらべうたのほん」 2.「フレデリック」 3.「不思議の国のアリス」 4.「妖精の国で」

きのこ好きはもちろん面白いと思うけど、そうでなくても結構楽しめる一冊やないかなーと思った。

2013年11月18日月曜日

「イライラを引きずらない!「怒り」の上手な伝え方」を考えることは、結局は自分を知るっていうことが鍵だということが分かる一冊

「怒り」の上手な伝え方

タイトル通り、「怒り」について扱った本。スタンスとしては、腹が立つのは自然なことで怒ってもいいけど、そこで湧いてきた「怒りの感情」にどう対処するかというところを重視。

「アサーティブ」という言葉で表現されているけど、「人を傷つけるわけでもなく、自分が我慢するわけでもない怒り方」(p41)で、建設的に素直に表現するということ。

アサーティブに伝えるために気をつけるポイントとしては次の3点。
1)「行動」「状況」にフォーカスする
2)「本当の気持ち」を言葉にする
3)「何がどう変わってほしいか」を伝える
(p89)

例としてはこんな感じ。

「理由を示されないまま、結論だけ言われることがイヤなの。ちゃんと理由を説明してほしい」
「相談がなかったことに腹が立ったの。これからは決める前に、私にひと言話してほしい」
「とても不愉快だわ。そうじゃなくて、思ったことは私に直接話してほしい」
(p95)

考え方の部分はよく言われていることでもあるけど、相手の事情を考えてみるとか、変えられることにフォーカスするとか、これで世界が終わるわけでもないと考えるとか、怒りの対象は「相手」ではなく「問題」であると考えるとか。

相手への対処の仕方もあるけど、まずは自分自身を知るっていうことが大事なんやなーと思った。本書でも、まず冒頭に自分がどういう「怒り方のクセ」を持っているのかという診断がついている(すぐ感情的になるタイプ、イヤミな感じになったりその場では表現せずに後々復讐するタイプ、怒りを抑えて貯めこんでしまうタイプ等)。

また、後ろの方の章では丸々一章使って「批判されたときの対処法」が整理されている。これもテクニックとしての言葉遣いとか間の取り方とかはあるけど、大事なのは自分の「心の急所」とか、自分の感じ方を知ること。

怒ったりイライラしている時に、「なぜ、腹を立てているのか」を自問するという話があった。例えばこんな感じ。

・「今日イライラしている」のは?  - 疲れているから
・「上司の言葉にムッとした」のは? - 突然でショックだったから
・「後輩に怒っている」 のは? 期待を裏切られてガツカリしたから
・「パートナーの言葉にカテンときた」のは? - その言葉に傷ついたから
・「子どもの行動が頭にきた」のは? - 心配したから
・「思わず言い返した」のは? - 否定されたようで悔しかったから
(p79-80)

怒ってる時にそんな余裕はないよなーと思ったけど、確かに意外になんで腹を立てているのかって自分でもあんまり見えてない時あるよなーと思った。

あと、1つ印象に残ったのが以下の話。

■過去は過去、今を生きるために
「誰かに猛烈に腹を立てているとき、ふと気づくと、過去の別の人のことを思い出していたとか、同じような怒りのパターンを身近な関係でくり返しているな、と気づいたときは、こう自分に問いかけてみましょう。
「自分が怒っている対象は、本当にこの人なのだろうか。過去の問題をくり返しているのではないだろうか」 と。
実は、目の前にいる上司に父親の影を重ねていたり、先輩が以前のいじめっ子のように感じられて、その人の行動や振る舞いに過剰に反応している、という場合もあるのです。
過去、怒ることができなかった無力感を、今の関係の中で癒そうとしても、やっぱりうまくいきません。
今の怒りが、過去に傷ついた経験がもとになっていて、その傷をどうしても癒すことはできないと感じる人や、怒りがいったん吹き出すと止まらないという人は専門家に相談して、過去の傷を癒す試みをされることをお勧めします」
(p78-79)

専門家に相談するまでかどうかは別としても、なんか分からないけど怒ってしまったというような時って、無意識になんかの過去の経験に触れて怒りが吹き出しているっていうこともあるのかもなーと思った。やっぱ自分を知るっていうことが1つキーなんやなーと思った一冊やった。

2013年8月12日月曜日

「知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて」は現代日本にも示唆を与えてくれる一冊

知れば知るほどおもしろい 琉球王朝のすべて  

NHKのBSドラマ「テンペスト」の時代考証を担当された方と、沖縄出身で沖縄国際大学を卒業して那覇市の歴史博物館の学芸員を務められている若い研究者の方が書かれた、琉球史についての本。

最近「テンペスト」はじめ、琉球王国を舞台にした小説やドラマが人気になっているにもかかわらず、フィクションではない琉球史(特に近世琉球)を紹介した入門書がまだまだ少ないので、そこをカバーするという面もある。

琉球の歴史の面白さをもっと楽しんでもらえるようにという想いで書かれているので、歴史の専門書のような小難しい内容ではなく、雑誌とかのコラムのような感覚でさらっと楽しく読める。「現代を生きる読者が納得・理解し、共有できるよう」(p1)という想いのもの書かれたもの。「テンペスト」に出てきた話に関するトピックも多くて、あわせて読むとイメージがしやすくなってより楽しめると思う。

著者の一人の方は1984年生まれということで自分とほぼ同年代ということもあるけど、文章も若い感覚があるような感じ。例も現代的なものをいろいろと比喩に出していてイメージしやすい。この方は、もう一人の著者の方から、「柔軟な思考、感性」(p1)を持っていると見込まれて共同執筆を依頼されたとのこと。その部分が内容にも活きていると思う。

もちろん、細かいところや正確さと言うところでは専門家からしたらツッコミどころがあるんやろうけど、正確さを厳密に担保しようとするとどうしても分かりにくくなる。今回の本の目的はそういう細かい話を伝えるというより琉球史の魅力を分かりやすく伝えるということやから、そこは取捨選択の問題であえて犠牲にしているのかなとも思う。

あと、沖縄の歴史を学んでいくと、モノや歴史の見方が知らず知らず日本の本土中心になってたんやなーと気付けて、そういう見方を相対化できる。

例えば、沖縄の歴史には日本の時代区分が通じない(そもそも古墳がないので古墳時代という区分が当てはまらない)とか、城の様式を見ると沖縄のものが特殊に見えるけど、アジアというくくりでみるとむしろ沖縄の方がアジアのスタンダードに近くて日本の方が珍しいということになるとか。琉球は仏教国だったっていうのもイメージになくて新鮮だった。あとは「テンペスト」にも出てきていたけど、ペリーが浦賀に来る前に琉球を訪れていたとか。

もう1つ、琉球史について学ぶことは、単に琉球の歴史を学ぶだけでなくて、日本全体についても示唆を与えてくれるということも語られていた。

「「琉球王国」という東アジアの小さな国が時代の流れに翻弄されながらも、たくましく生き残ろうとしてきた姿は、逆境の中で新しく生まれ変わろうとする現在の日本にも、大きな示唆を与えるのではないでしょうか」(p2)

これは確かになーと思う。ある意味日本の縮図のような側面もあるので、また学びながらいろいろと考える糧にしていきたいと感じた一冊やった。

2013年8月10日土曜日

「会いたい人に会いに行きなさい」は一歩を踏み出すためのエールが詰まっている

会いたい人に会いに行きなさい あなたの人生が変わる「出会い」の活かし方

BMW東京やダイエーで経営者を務めた後に、横浜市の市長になった林文子さんの本。

「市長さん、僕たち、大学を卒業するまでに何をしたらいいですか。若いときに学んでおくべきことは何でしょうか」(p1)

内容としては林さんのこれまでの経験から、仕事や生き方についてどう考えていくと良いかトピックごとに書かれた本。タイトルは出会いの話にみえるけど、それだけではなく、仕事観や人生観について書かれている。

冒頭に、なぜそういうことを語ろうとしたのかということについて、上記の質問への答えという点に加え、経験をもった大人が若い人に向けて語ることの意義も語られている。

最近は、自分の経験を語ったりするのは、は「プライベートで情緒的だという理由で、体験や率直な想いを話すことが否定される風潮」(p3)があり、また、「この不況で忙しいときに、そんな情緒的なことを部下に語っている暇はない、という空気が支配的」(p3)、さらには、「大人のほうが、若い人に対して初めから諦めを懐いている、という印象」がある。

そういう中で、若い人より大人のほうがむしろ壁を作っているのではということが述べられているけど、あえてそういう「プライベートで情緒的」なことを語ることで、少しでも一歩を踏み出すためのヒントになってくれたら…という想いが込められている。タイトルもそのメッセージの1つやと思う。

文章を読んでいて、理由はよくわからんけど柔らかい感じがする。こういう仕事論とか人生論みたいな本って、本によっては押し付けがましい感じがしたりするけど、この本だと、林さんの人柄なのか書き方なのか何なのか、読んでいて素直に受け止められる。

これは本の中でもキーワードとしてあげられている「共感」にも関連しているかも。本の随所に、林さん自身が自身の経験を通じて相手のことを理解する、思いやる、もてなすといったところで「共感」することを大事にされてきていることが語られている。

上記のような疑問も、人によっては「何を甘えたことを言っとるんや!」と一喝して終わりになりそうやけど、林さんの場合はそれを「素直な好奇心から生まれた、素晴らしい質問だと思います」(p1)と受け止めている。そういう雰囲気が伝わってきて、こっちが本を読んでいる=話を聞いているのに、なぜか読後は話を聞いてもらっているような気分になった、気持ちの良い本やった。

1つ印象に残ったのは、芸術や文学に親しんで感性を磨こうという話。実際に舞台を見たり、寄席に通ったりされているとのこと。また、歌舞伎やJ-POP、バードウォッチングといった話も出てきて幅広い。

ビジネスをバリバリやられてきた方で仕事一本集中!という感じの方かと勝手に思っていたんやけど、そうではなく、仕事は一生懸命やり感性も磨くこともしっかりやり、結局そういった感性を磨くことが仕事にもつながってくるという話。

若いときに読んでおきたい本のリストもあって具体的なアドバイスになっていたけど、ピックアップされている本が結構ユニークで面白かった。機会を見つけて読んでみようかなー。あと林さんの他の著書も読んでみたくなった。

まだまだ若い(と思っている)自分にとっては、貴重なアドバイスが詰まっていたり、刺激をもらえたり、アイデアが広がったり、また、嫌っていることとつながっている話もあって自信ももらえたりする、素敵な一冊やった。

特に印象に残ったところとしては以下のあたり。最近営業的なことをする機会も増えているのでこういう考え方は大事にしたい。

■セールスは愛、相手のことを思いやる気持ち
「セールスという仕事の目的も、愛そのものです。自動車でも家でも食品でも電化製品でも何でも、お客様にこの商品を買ってもらったら、その方の生活は絶対楽しくなって便利になり、幸せになる。そういう強い思いで売っています。
 それはそうです。お客様が不快な思いをしたり不幸になるようなものを売るはずがありません。よりよくお金を使ってもらい、「これを買って本当に良かったわ、これがあるとすごく便利ね」と思ってもらうために仕事をしていますから。営業は、お客様にダイレクトに幸せを届けるための仕事なのです。
 ところが激務が続いたり、お客様からクレームをもらったりすると気持ちが荒み、「幸せを届けることが仕事の目的だ」と思えないときがあります。「この商品の販売手数料を稼ぐことが、自分の目的だ」と、〝売ってなんば″的な発想をしてしまうことがあるかもしれません。
 しかしそう思っていると、実際に売れなくなるのが、この営業という仕事でもあります。そうではなく、現場を通して「私はこの商品を通じて、お客様を幸せにしているのだ」という実感を少しでも多く味わってほしい。本当に営業ほど楽しい仕事はないのですから」
「会いたい人に会いに行きなさい」p97-98


■論理がすべてではない
「企業社会のなかでは、計数を見る能力や、物事をロジックで追求していって掌を説得できる能力が評価される傾向があります。
 数字やロジックは、こちらの主張を商談等で相手に明快に伝えるための大きな武器になりますから、当然かもしれません。こうした論理的な能力に長けているのは一般的に男性のほうセ、実際仕事の上で彼らの強みになっていると言えるでしょう。
 これまでの企業文化は、言うまでもなく主に男性によって築かれてきたのですから、会社のなかでこうした価値観が大切にされる理由もわかります。新入社員の多くは、気づかぬうちにロジック重視の価値観を教え込まれ、「結論から言え」「簡潔に言え」と指導されることになります。
 しかし、現場経験の長い私からすると、こうした価値観にも弱みがあると感じられるのは事実です。それは、現場にいる人が日々接するお客様は、必ずしも論理的な話をするわけではないからです。いきなりロジックを使って話し始めたら、お客様の視点や立場に立てなくなってしまうのです。
 お客様の「何となくこう感じるんだけど」という素直な気持ちに寄り添って話を進めたり、その場の勢いに乗って話したほうが、むしろモノが売れる、ということがあります。論理的な話し方が、現場ではマイナス効果を生むことがあります。
 また、会社内でいつも「簡潔に」表現してばかりいたら、本当の気持ちが伝えられなくなったり、論理的な説明が苦手な部下や口下手な部下は、萎縮してしまって自分から口が開けなくなります。
 ロジックに頼ることの弱点は、それによって目の前の相手との間に、壁を作ってしまうことにもあります。論理的な思考をする人は、感性で喋る人の言葉をなかなか理解できないので、そこに壁ができてしまうのです。使う用語や言葉をやさしくする工夫をするだけで、聞く人が理解する程度は大きく違ってくるものです。
 私の経験では、物事を深く追求したり論破することが得意な男性のほうが、他人との間に壁を作りやすい傾向があるように思います。初対面の人にお会いするような機会に、すぐに引いて身構えてしまうようなところに、そうした傾向を感じます。男性特有の闘争本能が、「相手に簡単に胸の内を見せてはいけない」と考えさせてしまうのでしょうか。
 女性よりも男性のほうが自分をガードすることにエネルギーを使うようです。
 男性に見られるこうした傾向とは対照的な女性特有の持ち味は、セールスの現場やお客様重視の考え方において、その力が発揮できる場面が多いように感じます。
 つまり、理屈を述べることはできなくても、初対面の人とでも抵抗感なく会話を始めていける能力や、臨機応変に物事に対応できる能力のことです。目の前の相手に対して心を開く包容力、相手の立場に立って思いを分かち合おうとする共感力、相手のために何かをしたくなるサービス精神などは、女性の多くが持っている強みではないでしょうか」
「会いたい人に会いに行きなさい」p149-151



2013年8月8日木曜日

「社会契約論」(作田啓一=訳)を読んでみてビジネスとかでも通じるところもあるなとも思った

社会契約論 (白水Uブックス)  

ジャン・ジャック=ルソー「社会契約論」(作田啓一=訳)読了。これを読もうという目的があって借りたわけではないけど、図書館の新着コーナーにあったのでたまにはこういう本でも読んでみるかと思って読んでみた。

高校の授業の記憶をうすらぼんやり手繰り寄せながら読んだけど、思っていたより読みづらくはなかった。翻訳も結構読みやすいんやと思う(読み比べては無いからわからんけど…)。

とはいえ、すんなり頭に入ってくる感じではなかった。自分の読解力の問題もあるけど、こういう系統の書籍って一見全体の構造が整理されているように見えて話が飛んでるように見えるところも多くて行きつ戻りつしたりしながら進める感じやった。

全体的には結構理想主義的な感じの話なんやなーと感じた。あと、教科書でも習った(気がする)一般意志についての話も結構ロジックがいろいろ組み立てられていてなるほどなと思う部分もあり、また、法についての話も興味深かった。特に以下の一節。

「建築家が大建造物を建てるまえに、地所を測り、地質を調べて、土地が重みに耐えられるかどうかを見るように、賢明な立法府は、それ自体としては申し分のない法律を編纂することから始めるのではなく、あらかじめ、彼がそれを与えようとしている人民が、それを支えるのにふさわしいかどうかを吟味する」(p69)

これは政府に限らず、会社とかの組織や、家族みたいな共同体においても、規範やルール、仕組みを作っていく上で通じる話なのかなーとも思った。法の正しさとか良さとかの前に、まずその対象や適用範囲となる人々の特性や状況をしっかり見極める必要があるというか。

また、もう1つ印象に残ったのは次のようなあたり。

「いかなる政治体においても、越えることのできない最大限があるが、国家の領土が拡大し過ぎて、この最大限から遠ざかってしまうことがよくある。社会のきずなは、長くなってゆくと、それだけゆるむ。だから、一般に小国家は大国家にくらべると強い」(p72)

「選ばれた百人の人でずっとうまくやれることを、二万人でやるべきでもない」(p106)

このへんも政府だけでなくビジネスとかその他の組織でも通じるかもなーと思ったし、マックの原田さんが本に書かれていたこととも通じるなと思った。

「企画を考えて実行する「仕事」が時間通り進まないとしたら、人数を減らして、一人ひとりの社員の生産性を上げるほうが得策です。
 嘘だと思う人も多いでしょうが、これは本当の話です。
 たとえば、マクドナルドが店舗を増やせば、それだけ店長やクルーの数を増やさなければなりませんが、マーケティングや、商品企画の部署には関係ない。大切なのは、企画から実行までの仕事をいかに効率的に進め、現場に浸透させていくか、それだけです。
「四人よりも二人で取り組んだほうが四分の一の時間ですむ」
 こういうケースが多いのです。人数が倍になれば、議論する時間が四倍になるからです。」
(「とことんやれば、必ずできる」p27)

あと、以下のあたりは、「7つの習慣」で言っているところの「第一の創造」「第二の創造」っていう話とも共通するところがあって興味深いなと思った。

「あらゆる自由な行為は、二つの原因が協力し合うことによって生み出される。その一つは精神的原因、すなわち行動を決定する意志であり、もう一つは物理的原因、すなわちその行動を実現する力である。私がある目標に向かって歩いてゆく場合、第一に、私がそこへゆこうと欲しなければならないし、第二に、私の足が私をそこへ運んでくれなければならない。中風患者が走ろうとしたところで、また、足の速い人でも走ろうとしなければ、どちらももとの場所にとどまっているだろう」(p87-88)

その他、日本の香具師の話が例に出されていたり(p44)、数式とかが出てきたりしていたのはちょっとびっくりした。内容は全然頭に入ってきた感じがせんけど、今後思想史とかに関する本で出てきた時に多少は興味がもてるかなとも思った。



2013年8月7日水曜日

「なぜ、不登校生が有名大学に受かるのか?」は日本や海外の教育の状況を知るにも良い一冊

なぜ、不登校生が有名大学に受かるのか?  

自身もかつて子どもの不登校問題で数年間悩んだ後、子どもたちが海外留学を経て不登校を克服して大学に進学した経験を踏まえて、不登校生の留学をサポートする活動を行っている著者による本。

タイトルに「有名大学に受かる」って入っているので、個人的にはこれはちょっとどうかなーとか、ノウハウ本や自慢本みたいな感じかなと思っていたけど、そういう感じではなく、ベースになっているのは以下のような想い。

「子どもは、本来、再起する力を持っています。その子に合った環境さえ得ることができれば、学校に通い卒業することはもちろん、有名大学に合格することも十分可能なのです。私は、この「その子に合った環境」に海外留学という選択肢を提案しているのです」(p18)

不登校の実態について具体的なケースを紹介しつつ、なぜそのような状況が起きているのか、日本の学校での再出発が難しいのか、留学が不登校の解決にどうつながっていくのかといった話が整理されている。

もちろん、留学すれば万事解決ということではなく、あくまでも「その子に合った環境」の選択肢の1つが留学であり、留学するとしても注意すべき点はたくさんあることも記されている。著者の活動ではそのあたりを考慮しながら留学生をサポートしているということ。

留学中の生活の様子や留学先の教育制度、学校生活などについて、実際の時間割やスケジュール等を紹介しながらかなり具体的に紹介されていて、ガイドブック的な内容もあり、具体的に考えている人には参考になる一冊やと思う。

また、直接的にこういった話に関わりがなくとも、不登校についてどう考えるべきか、日本の教育の現状や海外の教育制度に関心がある人にも参考になる一冊やと思った。

2013年8月6日火曜日

「とことんやれば必ずできる 創造力が目を覚ます」から企画の仕事の効率、思いやり、ビジネスにおける「謙虚」について

とことんやれば必ずできる  

マックからマックへと言われたように、アップルからマクドナルドに転職された原田さんの著作。仕事論的な内容で、1テーマ3-4pくらいで、主に仕事に臨む姿勢について語られている。

書かれている内容自体は、ビジネス書や自己啓発書でよく書いてある内容ではあるけど、原田さんの経験ならではの視点もあって面白かった。

特に印象に残ったのは以下の話。

■企画の仕事は人数を減らしたほうが効率が上がる
「企画を考えて実行する「仕事」が時間通り進まないとしたら、人数を減らして、一人ひとりの社員の生産性を上げるほうが得策です。
 嘘だと思う人も多いでしょうが、これは本当の話です。
 たとえば、マクドナルドが店舗を増やせば、それだけ店長やクルーの数を増やさなければなりませんが、マーケティングや、商品企画の部署には関係ない。大切なのは、企画から実行までの仕事をいかに効率的に進め、現場に浸透させていくか、それだけです。
「四人よりも二人で取り組んだほうが四分の一の時間ですむ」
 こういうケースが多いのです。人数が倍になれば、議論する時間が四倍になるからです。」
(p27)

もちろんケースバイケースの部分はあるとしても、1人2人に任せてしまえば良いようなことも何となく大人数で議論して結構時間がかかることってあるので、割り切りは必要かなと思った。


■思いやり
もう1つ、これはちょっと違った角度でもあるけど、思いやりについての話。お母さんすごいなーと思った。

「大切な思い出があります。高校に入学したときに祖父から買ってもらった新品の自転車を盗まれたときのことです。
 買って一週間で盗まれたのですから、私は大きなショックを受けました。後日、盗んだ少年はつかまり、私は彼と警察で対面しました。彼を前にまた悔しさが蘇り、こぶしを固めたことをいまでも覚えています。その気持ちを察したように、刑事さんが「殴っていいよ」と言うのです。しかし、私が彼に殴りかかろうとしたそのとき、
「この子がどうしてあなたの自転車を盗んだのか、その気持ちを思いやりなさい。好きで盗んだわけではない、欲しくても自転車が買えない、そのつらさを理解できなくてどうするの」
 とおふくろに一喝されました。
 思いとどまって黙っているとやがて、おふくろはその男の子に羊奏を差し出し、私の無礼を詫びたのです。どんな人であれ、悪いことに手を染めるのには事情がある、そうせざるをえなかった気持ちを思いやる優しさを持たなくてはいけないと、その姿を見て、私は思いました。
 数々の災難に遭ったおかげで、感謝の気持ちや人に対する思いやりを学ぶことができたと言いますか、本当にいい経験になったと思っています。」
(p70-71)

上記の他、グローバル企業の日本法人という立場からの話もあって、そのあたりは自分も海外の相手とやりとりする機会に感じることと重なるところも多く、参考になった。具体的には、ビジネスにおいて特にアメリカ人相手には「謙虚」は通用しないという話。


■ビジネスに「謙虚」は通用しない
「とにかくアメリカ人は、「謙虚」を受けつけない国民性なので、前向きな発言が求められます。プレゼンのところでも触れましたが、
「問題だ、問題だ」
 と問題点をあげつつ、
「だからこうしたい」
 というストーリーも好みません。
「ここにビジネスチャンスがあるから、こう取り組みたい」
 と最初から具体的に言わないと、そっぽを向いてしまうときもあります。逆に、日本でビジネスをする場合、アメリカ人は戸惑います。
「I am so committed(必ず、やってのけます)」
 と言うと、日本人には自信家でイヤなヤツだ、眉唾モノの約束になるのではないか、といった印象を与えてしまうからです。
「Will you let me try?(チャレンジさせていただけますか?)」
 と謙譲語で言ったほうが、商談がスムーズに運びます。これはもう、日本とアメリカのどちらがいい悪いではなく、単なる文化の違い。互いの国民性を理解して、使い分けることがポイントでしょう。
 グローバルにビジネスを展開していく場合、こういう文化の違いを理解して、コミュニケーションをとる能力もまた、求められます。」
(p161-162)

日本人的ということなのか、自分も、課題を先に話してその後にそれに対する対策みたいなのを話していたけど、そうすると、「結局良い方向に行っているのかそれとも悪い方向に行っているのか、どうなの?」っていうことを聞かれたことを思い出した。その時はアピールの意味もあって全体としては良い方向に行っているよという話をしたら「OK」という話だったけど、上の話とも通じるなと思った。

仕事に臨む姿勢だけでなく、人への接し方についても参考になるポイントが詰まった一冊やった。

2013年7月30日火曜日

メンターBOOKS 課長ビギナーのFAQ

すでに何冊も本を出されていてそこにも書かれているけど、奥さんがうつ病にかかったり、お子さんが自閉症だったりする中でどのように「ワーク」と「ライフ」のバランスをとるという以上に「マネジメント」をし、死に物狂いで仕事の効率化を行いつつ、最終的には東レの社長まで勤め上げた方が、課長時代のことを思い返しつつ新任の管理職になった方に向けて書かれた本。

書かれている内容は他の本と通じるところも多いけど、FAQの体裁をとっていて読みやすい。各章の質問の内容については実際にさまざまな企業の課長の方にアンケートをとって、そこから寄せられた質問を元にしているので、実感のこもった内容が多い。回答も一問一答形式で冒頭に一文で答えが載せられた後、解説に入るという感じなので、その見出しの部分を読んでいくだけでも参考になる。

挙げられている質問は、部下や上司とのコミュニケーションをはじめとする管理職としての役割といったところが中心。例えばこんな感じ。
  • 「リーダー向きではない自分。人の上に立つ自信がありません」
  • 「課長とは具体的に何が仕事なのでしょう」
  • 「部下をもっとやる気にさせたい。どうしたらいいですか?」
  • 「優秀だけど一匹狼。そんな部下をうまくチームに引き込みたい」
  • 「雇用形態の異なる部下たちをどう束ねたらいいでしょうか?」
  • 「しばしば意見を変える上司にどう対処したらいい?」
さらに、自分自身の業務をスリム化・効率化するというところもあげられている。例えば、「自分の作業がいつも後回し。時間を確保する方法は?」等。これは、寄せられた悩みの中に「時間がない」「忙しい」という声が数多くあったことを受けている。これに対して著者は次のように述べている。

「多くの企業では、人員削減などを行った結果、会社全体で1人の社員がやるべき仕事は増大しています。とくに、課長などの管理職がプレーヤーを兼ねてしまえば、仕事の容量をオーバーするのは当然です。また、会社の仕事は、時間をかければかけるほど、必ず結果に結びつくというわけではありません。
 しかし、仕事を計画に進めて無駄を省くことで、必ず「余裕」は生まれます。余裕ができれば、部下やチームのマネジメントに頭と時間を費やすことができるのです」(p6)

また、こうした考え方だけではなく、具体的にどうしていけば良いかというところで、手帳の使い方、メールの処理方法、ファイルや書類の整理方法等、細かな仕事術のレベルの話も盛り込まれていて結構具体的なアドバイスが書かれていてすぐに実践できそうな内容も少なくない。

このあたりを通じて、まずは自分自身の仕事を効率化しつつ、チームの運営においては、業務の優先順位を明確にし、計画を立て、実行し、部下も含めて仕事も定時に終わらせるといった改革を通じて、残業時間が社内で最も多かった部署の残業を1年後にはほぼゼロにし、同時に成果も挙げたということ。そのあたりについてどういう考えでどう仕事を進めて行ったかが整理されている。

全体を通しては、マネジメントの細かいスキルと言うよりも「人間力」が問われてくるということも繰り返し述べられている。それだけに全人格をかけた仕事で大変やけどやりがいもあるということが厳しくも温かいメッセージでつづられている。管理職になりたてで悩んだ時、あるいは、少し経ってからでも振り返る時に読むと良さそうな一冊やと思った。



2013年7月28日日曜日

「デンマーク国民をつくった歴史教科書」を通じていろいろ考えた

デンマーク国民をつくった歴史教科書

「デンマーク国民をつくった歴史教科書」読了。原題は「子供に語るデンマークの歴史」で、20世紀の前半に半世紀ほどにわたって使われたデンマークの歴史の教科書を訳出した本。

知らない名前も多いので覚えるのは大変やけど、子供向けと言うこともあって結構読みやすい。抒情的な表現も多いけど、偏りを差し引いて読めばむしろイメージしやすかった。

デンマークの歴史とか知らんことばっかりやろうなーと思って読んでみて、実際に新鮮な話が多かったけど、一方まったくイメージのつかない話ばっかりでもなかった。よくよく考えると当たり前なんやけどヨーロッパに位置しているので、世界史で習うようなメジャーな話もからんでくる。

また、ヴァイキングの話はさすがに世界史の中でも習ってた気がするしわりといろんなところで題材としても扱われているのでなんかなじみがある感じがした。しかしまあ淡々と書かれてるけど、戦いに次ぐ戦いですごい流血の歴史の感じ。このあたりはヴァイキングを扱った漫画「ヴィランド・サガ」でも描かれているけど、ホントそんな感じやった。

あと別の角度の話では、周囲の国との関係っていうのは結構流動的やったんやなーっていうのも改めて思った。スウェーデンとは敵対している期間も多かったけど、逆にノルウェーとは統合されていたり同君連合を形成していたり。南部の方はドイツと統合を求める声があったりなかったり、勢力範囲も頻繁に変わったり。

現代からみると、今の国境線を軸にして考えがちやからこのあたりの話を聞くと意外に感じてしまったりするけど、そもそも今の国境線での体制っていうのは歴史の時間軸でみれば短い時間のものでしかないから、そのあたりはもっと長い時間軸で見ていかんとなーと思った。

決して大きな国でもなく、自国の資源が豊かではなくて他国との関係が重要な国であるところは日本とも通じる気がするので、また機会があったらいろいろ見てみたい国の1つやなーと感じた一冊やった。

2013年7月26日金曜日

「産科が危ない 医療崩壊の現場から」これからの日本の妊娠・出産のあり方を考えさせられる一冊

産科が危ない 医療崩壊の現場から (角川oneテーマ21)

日本産科婦人科学会の理事長を務めた方が、妊娠から出産までの一連の医療に関する医療についての現状、問題点、それに対してどう取り組んできたかを整理した本。産科の訴訟件数は外科の4倍、内科の8倍で、リスクを恐れて産科医になる人が激減しているという話は知らなかった…

著者の方は2007年から2011年にかけて理事長を務められてきたということで、最近の状況までフォローされている。構造的な問題については、産科医の慢性的な不足、過酷な勤務体制、地域格差といったあたりについて産科医療の現状が整理されている。

問題に関する象徴的な事件としてとりあげられているのが、福島県立大野病院で、前置胎盤・癒着胎盤という疾患で帝王切開を受けた女性が死亡した事故で、その医療行為が業務上過失致死に問われたこと。この事件を通じて、執刀医達が高い精神的な緊張や心配を抱えながら手術することになってしまい「萎縮医療」と呼ばれたとのこと。

この行為自体の妥当性については判断するのは難しいし、当事者の方の気持ち等の面でも難しいところはあると思うけど、この件は別としてもいずれにしても以下のポイントはその通りやと思う。

「医療事故の関係者に不条理な刑事罰を与えることは、事故の減少に繋がらないだけではなく、医師や看護師の労働意欲の減退と使命感の喪失を惹起する。その結果として、医療の質の低下と萎縮医療の万円、さらには完治という同じ目標に向かって共に病と闘うべき医療の提供者と受給者の間に不信をより一層募らせることになる。我が国の周産期医療にみられるように、産婦人科医師は産科医療からの撤退を余儀なくされ、最終的に国民に対して多大な不利益をもたらすことは紛れもない事実であるからである」(p37)

これを読んで、養老孟司さんが言っていた「ともだおれ」の話を思い出した。

「養老 建物を建てることは医者を選ぶことと実は同じなんですよ。

隈 すごく、似ていますね。

養老 何てったって命懸けだからね。だから医者選びで一番正しい態度は、医者と「ともだおれ」することなんです。任せるときは任せる。今の人はそれがないね。信用ってそのことなんですけどね。だって任せられれば、相手も結局は悪いようにしないんだよ。その場合、マイナスのことは起こってもしょうがない。壁にはクラックぐらい入るよ。夫婦げんかして茶碗を投げたって、ヒビは入るんだから。

隈 本当に向こうが「ともだおれ」する気持ちになって信頼してくれれば、こっちだって悪いことは絶対にできないです。建築を作ると、基本的にはすごく長い付き合いになります。20年経ったときに、施主と口もきかなくていい、なんて建築家は思いませんよ。僕は絶対にそうは思えないタイプです。10年後も20年後も仲良くいたい。そういう気持ちにお互いを持っていくということが、ある意味、建築家の技みたいなところもあります。建築家だってデザインだけできればいいわけじゃなくて、「ともだおれ」関係に相手を持っていけるかどうかなんです。それが実はお互いにとつて大事なんですね。そうしないと実際にはいい建築なんかできません。

養老 さっきから繰り返し隈さんと僕が言っている「サラリーマン性」というのは、その「ともだおれ」を否定するんだよ。医者の世界に保険の点数制度が導入されたとき、われわれとしては同じような問題が起きたんです。腕のいい医者だろうが、悪い医者だろうが、治療点数は同じだという、こんなバカな話があるか、というのが武見太郎(日本医師会会長、世界医師会会長を歴任。1983年没)の言い分だったんだけど、僕はよく分かりましたね。」
(「日本人はどう住まうべきか」p79-80)

医療に限らないと思うけど、絶対とか完璧っていうのは基本的にはない。そして、妊娠や出産というのも、よく知れば知るほど、本当に奇跡みたいなものの連続やと感じる。絶対とか完璧を求めてしまうことによって良い意味での「ともだおれ」やWin-Winができなくなって、Lose-Loseに向かっちゃうんやないかとも思う。

そして、以下の話も印象に残った。

「産婦人科の民事訴訟が多い背景には、日本人の場合、「赤ちゃんは無事に生まれるのが当たり前」という意識が強いことがある。妊産婦の死亡率はアメリカに比べて3分の1という少なさである。赤ちゃんの死亡率も日本が一番低い。
 つまり、日本の周産期医療が素晴らしすぎるために、「赤ちゃんは無事に生まれるのが当たり前」という出産に対する安全神話ができてしまっているのである。だから、妊婦が死亡したり、死産だったりすると、なにか医療過誤があったのではないかと考えられてしまう。そのことが、民事訴訟の多さにつながっているのである。
 産婦人科医のたゆまぬ努力が、訴訟の多さを招いているというのはなんとも皮肉な話である」(p45)

こうした問題の現状や対応状況をみていくと、つくづくため息が出てしまう。と同時に、この状況で産科医療を支えて頂いている医療従事者の方に感謝の念が湧いてくる。

また、東日本大震災の時期も含んでおり、構造的な問題に加えて震災時の対応について具体的にどのようなことを考えて何を行ってきたがが時系列でも整理されている。

特に、放射性物質に関して妊婦の方や乳幼児の親御さんが安心できるようにするためには、学会としてどのようなメッセージを出していくべきか考えて打ち出していったこと、被災地の産科医療体制を支援するためにどのような体制を組んでいったか等も記されている。

その他にも高齢出産や代理出産、高度生殖医療に関する話題もカバーされており、産科医療の現状について知るには良い一冊やと感じた。もちろん、この本に書いてあることはポジショントークの部分もあるやろうからそのへんは差し引いて考える必要があるやろうけど、それでもなお。

これからの社会を考える上で、これから妊娠・出産を考えている方やその家族の方だけでなく、より多くの人に読んでもらえると良い一冊やないかなーと感じた。

2013年7月24日水曜日

「未完のファシズム 「持たざる国」日本の運命」をどう考えるべきだったのか…

未完のファシズム: 「持たざる国」日本の運命 (新潮選書)

明治維新から昭和の敗戦に至るまでの日本の歴史について、「坂の上の雲」的な歴史観というか、以下のような見方に対してちょっと異議を唱えて違った角度からの見方を提示しようとしている内容。

「日本は明治に頑張って日露戦争でロシアを何とか破った。そのご褒美として比較的恵まれた大正時代を頂戴した。そこで呑気にできた。でも幸せは長く続かなかった。昭和初年の世界大恐慌で揺すぶられた。そのあとは明治ほどには上手に立ち回れなかった。浮足立つうちにタガがはずれて日米戦争にまで突っ込んでいった。そして滅びた」(p3)

明治政府の指導者はリーダーシップがあったけど、昭和に至ってはそのあたりが欠ける人ばかりになり破滅に向かっていった…みたいな整理は分かりやすいは分かりやすいけど、個人攻撃の罠に陥ってしまって構造的な理解を脇に追いやってしまう。

実際は、そもそも誰も力やリーダーシップを持てない形になっている。この点について著者は次のように述べている。

「実はいちばん悪いのは明治のシステム設計だったともいえるのです。明示がいちばん悪く、そのつけを構成が高く支払わされた。そう考えてもいい」(p224)

さらに、この本では特に、著者が思想史研究者ということもあってか、思想的な側面に焦点を当てている。主に日本陸軍を思想史的に分析。

単にリーダーシップに欠ける人や精神論を語る人ばっかりだったからという話ではそこで終わってしまう。そこで、この本では、なぜ「持たざる国」であることを認識しながらも精神力でカバーしなければならないという考えに至ったのかという点を、個々の軍人の思想的な背景を明らかにすることでもう少し深く掘り下げようとしている。

「持たざる国」であり、それを軍部の指導者層も十二分に認識していたにも関わらず、なぜ「持てる国」との戦いに至ったのか。なぜ、物資の不足を精神力で埋めようという発想に至ったのか。こうした問いへの1つの答えが提示されている。

具体的には、教科書やその他の歴史書でも取り上げられ方が他の点に比べて少ない、第一次世界大戦をとりあげて、それがどういうインパクトを日本の軍人の思想にもたらしたかを整理している。

むしろ精神論だけでは無理で物量戦が重要だという認識がされ、そうした認識にもとづいた対応がされたという面では、第一次世界大戦こそがターニングポイントだったということ。

しかしながら、苦悩はその後にやってきた。物量戦を行うには「持てる国」にならなければならない。しかし、「持てる国」になるためには時間がかかり、うかうかしていると、「持てる国」はさらに「持てる国」になってしまい、日本が「持てる国」になってもまた彼我の差は縮まらないままになってしまう。

そこで、大きく2つの考え方が生まれる。1つは、「持てる国」になるために、海外に進出して物資を得るための拠点を増やしていき、その上で戦っていこうとする考え方。もう1つは、「持てる国」になるまでの時間的猶予がない、それならば精神力でカバーするしかないという考え方。

このあたりが「皇道派」と「統制派」の違いにもからんできている。高校の時に読んだ教科書では「皇道派」と「統制派」の整理がいまいち分かりづらかったけど、この本の整理でもう少し分かりやすくなった気がする。

全体を通して、指導者のリーダーシップやビジョンの不足とかはあったとしても、なぜそうなったのか、なぜ彼らはそう考えたのかという背景を整理している。これを通じて、じゃあ自分ならどう考えるのかということを突きつけられている気がする一冊やった。

その他、長谷川如是閑の日本の伝統に関する話が印象に残った。

「如是閑は、本気で意見が一致してひとまとまりになり誰かの指導や何かの思想に強烈に従うことは、いついかなるときでも、たとえ世界的大戦争に直面して総力を挙げなくてはならないときでも、日本の伝統にはないのだと主張します。
幕末維新は尊皇派も佐幕派も攘夷派も開国派も居たからこそ、かえってうまく運んだ。いろいろな意見を持つ人々が互いに議論したり様子を見合ったりして妥協点を探る。一枚岩になれない。常にぎくしゃくしながら進む。その結果、自ずとなるようになる。複雑で一致しない多くの力の総和や相乗や相殺として、常に日本の歴史は現前する。それをいけないとはあまり思わず、むしろよしとして放任するのが日本の伝統だ。無理に力ずくでまとめようとすればするほど、ひとつの主義主張で固めようとすればするほど、この国はうまく行かなくなる。てんでばらばらになりそうなところをみんなが我慢し、表向きは妥協しながら、けっこう勝手なことをしている。そのくらいで丁度いいのだ。」(p215-216)

この見方がどのくらい妥当するかどうかはもう少し留保が必要な気もするけど、なんかでも「ああ…わかる…」っていう気もする。日本の会社運営とかもこんなような感じなのかもとも思ったり。

もしこれがある程度妥当するとすると、政治でもビジネスでもなんでも日本の組織において強力なリーダーシップみたいなものを追い求めること自体が幻想なのかもなとも思ったりもした(もちろん例外はあるにしても全体的な「伝統」としての話)。

それが良い悪いは別として、そういうことであるならば、それを前提として考えて対応していく方が建設的なのかなーとか、そういうことを考えさせられた。


2013年7月22日月曜日

独断と偏見による整理が逆に分かりやすい「日本近代史」(坂野潤治)

日本近代史 (ちくま新書)

1957年から1937年という、幕末明治維新期から太平洋戦争前までのくらいの80年間の歴史を、
改革→革命→建設→運用→再編→危機→崩壊
の区分に分けて整理した本。

「本書は筆者の独断と偏見で綴った日本近代80年の歴史である」と述べているように、著者のとらえ方をベースにしているので、それ自体には賛否両論あると思う。ただし、変に中立的・客観的という体で書かれたものよりもよっぽど面白く読みやすい。

教科書的に事実だけをつらつらと並べていっても、その背景やそれがどういう意味を当時持っていたのかということはつかみづらいけど、この本ではそのあたりが著者の視点から分かりやすく整理されている。

明治~大正~昭和の政治って日本史習った時に、政党の変遷とかが図示されていてもなお分かりづらいこともあって、イマイチよく分からんイメージがあったけど、この本を読んで概観として流れがなんとなくつかみやすくなった気がする。

もう1つ分かりやすさの要因としては構造的な整理がされていることもあるかも。
例えば、明治政府の構造としては、

「「強兵」を唱える者、「富国」を重視する者、「憲法」が必要だとする者、「議会」こそ重要だとする者たちが、時と状況によって「連合」を組んで政府を運営する「柔構造」の政府だった」

等と整理している。こういう構造的な整理がされているので、全体像をつかみやすい。

1つ細かいところで意外だったのが原敬の話。大正デモクラシーの象徴のように語られるけど、実は普通選挙にも二大政党制にも反対していたという話。このへんはイメージで先入観があったなー。

しかし昨日の選挙結果をみてもいろいろ思うところはあるけども、こういう歴史にふり返ってみてもあんまりその頃とやってること変わらん気がする…進歩しているのかどうかっていうところはなんとも言えんけど、少しでも学んで同じ轍は踏まないようにしていかんとやな…と思いながら振り返った一冊やった。

2013年7月20日土曜日

「日本人はどう住まうべきか?」を通じて日本人や生き方について考えられる一冊

日本人はどう住まうべきか?

隈研吾さんと養老孟司さんの対談集。元々は日経BPの連載。「住まう」ということがメインテーマで、建築や都市計画などの話がメインやけど、住まうということを通じた日本人論や、人としてどう生きていくべきかという人生論までつながる内容。

連載記事も読んでたけど、連載の時には読んでなかったか書いてなかったような話もたくさんあって面白かった。

■分からないものは無視してしまう
印象に残ったのが津波対策の話。隈さんによると、建築業界では津波に対しては「ノーマーク」だったという。耐震設計に関しては世界トップレベルにあるほど研究も煤寝入るけど、津波については部会も無かったという。

「どうしてそういう空白があったかというと、津波は何メートルになるか予想できないもので、どういう方向から来て、どういうふうに流れるのかも分かりませんから、来ることは分かっていても、何も考えなかったのではないか、と。驚くべき無防備の状態ですよね。無意識のうちに、コントロールできるものと、コントロールできないものとの間に線を引いていたとしか思えない。まさしく養老先生がベストセラーに書かれた「バカの壁」ではないかと」(p15)

これに対して、ビジネス書とか思考術とかの話で、コントロールできることに集中しましょうという話があるのを思い出した。思考術としてはその方がストレスも減るし生産性が上がるのかとは思うけど、コントロールできないものとして無意識においやったものの中に重要なものが入っていてそこが抜け落ちてしまう危険性もあるのかなと感じた。


■「だましだまし」進める知恵
もう1つ印象に残ったのが「だましだまし」という発想。

隈さんの話。
「震災後すぐは、どうしても議論が過激なところに行ってしまう。例えば市街地は全部、高台に作り直せ、とか。一律になんとかしろ、という方向に振れがちなんです。そのことに僕は危うさを感じますね。 関東大震災の後の異常心理が、日本人を太平洋戦争まで持っていった、ということを、養老先生が池田清彦先生(早稲田大学教授・生物学評論家)との対談でお話しになっていましたが、まさしく今も震災後の特別心理みたいなものが極端に振れています。僕たちはもともと非常に不安定な国土に住んでいるからこそ、「だましだまし」の手法を磨いていくしかないんだけど。
(中略)
「だましだまし」で復興を地道にやっていけば、その過程で新しい科学や技術が使えるようになり、一歩ずつ補強されていく。そういう方法論で、この危なっかしい場所を現実的に住みこなしていくしかないんですけどね」
(p32)

別の所では、サラリーマン化というキーワードが出ていたけど、効率を求めて画一化し、完璧主義になってきたことで、現場の樣子を見ながらいい意味で適当に「だましだまし」やっていくことができなくなっているという話。

ルールや理想はそれはそれであるとしても、それを突き詰めると現場との齟齬が必ず起きる。それをうまく調整しながらやっていきましょうという発想はプラクティカルやなーと思った。


■都市という発明品とコンクリート神話
また、都市の話とコンクリートの話はそういう発想がなかったので新鮮だった。確かにななと思った。

都市についての話が以下。

「隈 もう、まったく変わってきます。都市の作り方は、昔からみんな同じようなものだと思われがちですが、実は現在、僕たちが知っている都市というのは、それこそアメリカが20世紀の最初に自動車と一体となって作ったものですから、歴史的には実に短期的なもので、まだ検証が十分にされていない不完全な発明品なんです。

養老 そうですね。石油エネルギーを背景にした、たかだかこの1世紀ぐらいのものです。」
(p113)

コンクリートは信用で成り立っているという隈さんの話が以下。

「逆説的ですが、中身が見えなくて分からないからこそ、強度を連想させる何かがある。生活の危うさとか、近代の核家族の頼りなさのようなものを支えてあまりある強さを感じるのかもしれません。そういう何かにすがりたいという人間の弱い心理に付け込んだ、詐欺のようなところがコンクリートにはありますね。石やレンガの積み方はひと目で分かりますから、こちらは欺きようがない世界です。でもコンクリートは完全に密実なる一体で、壊しようがなく、圧倒的強度があるようにみんな思い込んでしまう。実はその中はボロボロかもしれないのに」(p43)

こういうことを考えると都市でコンクリートの建物の中で暮らしていくあり方について、考えさせられた。それが悪いということではなくて、上記のような背景を押さえた上で暮らす方が良いのかなと。


他にもたくさん面白い論点があって、ウィットが効いていて面白い対談集やった。いろんな人に薦めてみたいと思える一冊やった。

2013年7月13日土曜日

「学級崩壊立て直し請負人」の取り組みは子どもだけでなく大人のコミュニケーションも立て直すことにつながる気がする

学級崩壊立て直し請負人: 大人と子どもで取り組む「言葉」教育革命

 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演されていた、北九州市の小学校の先生の本。先日あるイベントで直接講演を聞く機会があって、話にとても感銘を受けて、その場で買った。

具体的かつ想いの詰まった内容で一気にひき込まれて読んだ。教育や子育てに関心のある方にはオススメしたい一冊。あとは、ビジネスの現場でのコミュニケーションに照らしても考えさせられることも多かった。


■教育現場の状況の非難や摘発ではない
内容としては、学級崩壊というシビアな現場での経験を元にした本やけど、本書の目的は、文句を言ったり嘆いたりすることではない。冒頭でも「教育現場の状況の非難や摘発にはありません」(p15)と述べられている。

子どもが普段長い時間を過ごす学級の場を立て直すために、現実を認識し、変えていくことの重要性が、具体的な例を通して語られている。


■言葉の力
方法論として一貫して大事にされているのが「言葉」。親が「バカ」「ダメ」と言ったネガティブな言葉を多用し、子どももそういう言葉を使ってコミュニケーションをとることで、先生や友達との関係性がうまく築けずに学級崩壊やいじめといった問題につながっている。

そこで、価値を感じられるようなポジティブな言葉によって子供のコミュニケーション能力を高め、考えや行動をプラスに導いていき、生徒同士や先生との関係性を変えて教室を変えていく。

具体的には、「ほめ言葉のシャワー」といって、帰りのホームルームで日直の子に対して、周りの生徒が次々に褒め言葉をかけていく活動や、先生と一対一で対話するための「成長ノート」という取り組みを行っている。

「ほめ言葉のシャワー」をやりだすと、褒められた子が今まで褒められたことがないと言って泣き出したりもするらしい。いかにポジティブな言葉が子どもに対してかけられていないかということを象徴している…


■自己紹介すらまともにできない子ども達
講演でも語られていたけど、著者に方が特に「コミュニケーション教育」に取り組むきっかけになったエピソードが驚きやった。年度の最初にクラスで自己紹介をさせたら、それだけで泣く生徒がたくさん出てきたという。自己紹介するだけでクラスメイトの目が怖くて泣く。いわんやクラスでのコミュニケーションも十分にとれない。

自己紹介と最初出てきた時は最初さらっと読んでたけど、これが結構奥が深い。

「自己紹介が必要な場、というのは自分のコミュニティとは違う場所に関わるということ。結局は自分の世界をどんどん広げていっているということなんです。公の世界にね」(p154)

こういう経験を積み重ねていれば自分の可能性が広がって自信も持てる。しかし、そういう経験を積んでいないと、
「六年一組の〇〇です。よろしくお願いします」
といったテンプレ的なことしか話せず、そこからの広がりが生まれにくい。

これって子どもの話として出てたけど、大人も一緒やよなーと思った…


■言葉で変わる
そうした中で、先述したような取り組みを、一気にではなく生徒達の様子を見ながら順次取り入れていき、次第に子供たちが変わっていく様子が具体的な事例を元に紹介されている。自己紹介もできなかったり、ネガティブな言葉をたくさん発していたり、まともに席にもついておられんかったような子供が、年度の最後の方では前向きに自分のことを堂々と表現していく過程を読むと結構ウルッと来る。

例えば、年度末に「なぜ、6年1組は話し合いが成立するのか」というテーマで成長ノートを書かせた時の答え。

「うらんだりをあまりしなくなったことです。私は反対意見などを出されたら前までは『なんあんだあいつー』みたいな考えたあったと思います。でも、今の自分は、『あっそっか……』とか、『うーん、……。違う気がするなぁ』みたいな考え方が持てるようになりました。だから私はうらんだりしないことによってみんな『あったかい話し合い』ができていると思います」(p112)

人の人格と意見を分離して、意見についてきちんと考えていっているけど、これは大人でもなかなかできてないと思う。会議とかでも紛糾しちゃったり根にもったりとか…子どもの教育の話なんやけど、結局は大人、そして日本社会の話なんやよなーと強く思った。


■「大人全体」の問題
その点と関連して、以下の点が強く印象に残った。

「親の情報不足が、余裕のなさを招く。だから、言葉の力がない。褒める力もない。
 言葉の力で公に進む。そして、いい言葉を獲得していくことが、人生を豊かにすることになるんだ。まずはそういう認識が大人にないものだから、ただ子どもに怒るだけになる。あるいは放任する。スタートはやっぱり、親。いや親を含めた"大人全体"ですよね」(p42)

これから子どもを育てていく親としても、一人の「大人」としても、「言葉の力」を改めて認識し、言葉を大切にして自分の周りからでもプラスの方向のコミュニケーションの循環を起こしていきたいと感じる一冊やった。

2013年7月1日月曜日

「陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝」に学ぶ克己堅忍の意志力と陰徳を積むということ

陰徳を積む―銀行王・安田善次郎伝  

安田財閥(現芙蓉グループ)の創始者、安田善次郎さんの生涯についての本。今や「知る人ぞ知る人物になってしまっている」(p307)けど、「明治維新政府が順調に国家経営を進めていけたのは、この安田善次郎という実に頼りになる金融界の大立者の存在があったればこそであったと言える」ほどの方。

自分も安田講堂の話で名前だけは知っていたけど、具体的にどういう方だったのかはこれまであまり知らなかった。この本を読んで、こうした先達がいたのかと目を見開かされた感じ。そういう意味では「海賊と呼ばれた男」とも通じる部分がある(ただ、個人的にはあっちの方が小説というスタイルもあってか本としては面白かったけど)。

全体としては、本書のタイトルにあるような「陰徳」についての話がメインテーマになっていくのかなとも思ったけど、それはわりと一部の話やった。どちらかというと安田善次郎さんの生涯を、既存の文献をもとに丁寧にまとめ直している感じ。


■克己堅忍の意志力
本書の中で、安田善次郎さん本人が自分の人生を振り返って述べた次の言葉が紹介されている。

「私にはなんら人に勝れた学問もない。才知もない。技能もないものではあるけれども、ただ克己堅忍の意志力を修養した一点においては、決して人に負けないと信じている。富山の田舎から飛び出して、一個の小僧として奉公し、承認として身を立てて今日に至るまでの六十余年の奮闘は、これを一言に約めれば克己堅忍の意志力を修養するための努力に外ならぬのである」(p43)

本書では全体を通じてこういう過程が描かれている。これを受けて、著者は次のように述べている。

「"克己堅忍"という言葉は最近はやらない"根性系精神論"の代表だが、そんな現代人の失ってしまった"意志の力"が、安田善次郎の中には満ち溢れている」(p43)

確かにずっと読んでいくとこの意志の力はすごい。よくもこれだけ修養できるなーという感じ。あんまり真似できそうにないけど…(^^;)


■地道な積み上げ
上の克己堅忍の話もそうやけど、銀行という業界の特性上なのか、コツコツとやっていくという姿勢。

「最近の起業家は収益性の高いビジネスモデルの構築にまず力を注ぐが、善次郎はもちろん戦前までの商人は、客あしらいにもっとも力を入れた。客の気持ちになり、彼らの欲しているものを提供し、彼らに気持ち良く帰ってもらうことで贔屓の客を増やしていく。それこそが商売の基本(いわゆる"前垂れ商法")であり、善次郎も地道にその技術をみがいた」(p40)

起業家をいっしょくたにしすぎだと思うし、収益性の高いビジネスモデルの構築が悪いことかのように書かれていてそこは違和感があるけど、この話自体は印象に残った。


■陰徳を積む
タイトルにある陰徳については、多くはないものの所々でエピソードが紹介されている。

例えば、奉公先で履き物を誰に言われなくても自然にそろえたとか、旅先のお寺で和尚さんに説教してもらったことをずっと覚えていて成功してからお礼を言いに立ち寄るとか、初期の頃に勤めてくれた社員の命日に墓参を欠かさなかったとか。。

大本は、父親からそういう考え方を叩き込まれたことがベースにあったらしい。そこのあたりの話ももう少し詳しく読んでみたかったけど、そのへんはさらっと。しかし改めて幼少期の教育っていうのは後々まで影響するんやなーと思った。

上のあたりはわりと細かなレベルのエピソードやけど、自社が発展していくにしたがって、貢献の仕方のスケールも大きくなっていく。特に政府系で引き受け手がないような両替業務とか国債の引き受けとか、各種銀行の設立のアドバイスにのったり、再建に協力したりといったことを通じて日本の金融を支えていく。もちろん商売としてっていうところもあるやろうけど、それと同時に日本の役に立つというところもあわせて考えられていた。

こうした想いは当時の世間からはあまり理解されなかったようで世間からは批判も多かったよう。当初は断っていたものを無理にお願いされて引き受けて頑張ったのに、儲けのためにやったと批判されたり…

しかし、無理に自分の功績をアピールしようとしなかったことが仇となり、最終的にはテロの犠牲になってしまう…これも陰徳故か。著者も次のように述べている。

「真の姿が世間に伝わらなかったのには理由がある。陰徳の人であったからだ。そのため、危機が過ぎ去るとすぐに恩を忘れられ、今度は逆に金の亡者だとののしられた」(p306)

後藤新平をはじめ、安田さんの想いやそれまでの貢献を理解していた人たちからは惜しい人を亡くしてしまったと嘆かれたという。

人物評価についてはもちろん、人によって見方は異なるので賛否両論あるとは思うけど、本書のトーンは基本的には肯定的なので、光の側面に焦点を当てている書き方。


■社員は手足?
その中で1つ気になったのが人材についての話。

「私は元来自分で計画し、自分で実行することを主義としておる者だ。すなわち自分から司令官となり、かつ参謀長になるのであるから、トンと幕僚の必要を感じたことがなかった。とはいえ何事を成すにも、唯ひとりでは仕事が出来るものではないのである。相当に部下を要するのは勿論であるが、それらの人はみな私の命ずることには、絶対に服従して私の意志を確実に行うものたるに限るのである。一言にて申せば、まったく己れを殺して私の手足となり、しかして私の為に働くものでなければならぬ」(p170)

すごい人やと思うしけど、一緒に働くには大変やったかもなー…


全体を通して、「海賊と呼ばれた男」の方が感動したしぐいぐいひき込まれて読んだ気がする。淡々としている感じの書き方なのか、構成の問題なのかとも思ってけど、上のようなところも気になったのもあるかもなーと思った。

ただ、たまたま同じ時期に読んだから比べちゃっただけで本来は別々とは思うけど、こちらはこちらでまた別の角度から日本を支えていった事業家の軌跡を学べる一冊やった。