2014年12月30日火曜日

「忘年会」の歴史や文化がわかる新書の一冊

忘年会 (文春新書)
触れ込みとしては、「忘年会が始まったのはいつか?世界に忘年会は存在するか?身近だが正体不明な「宴会」の歴史的起源と変遷を辿り、世界史内での位置づけを探る。忘年会を本格的に論じた、初めての本」(帯見返し)ということ。

本当に初めての本かどうかはよくわからんけど、江戸時代あたりから現在までの忘年会のあり方やその変化がざっくり感じられてなかなか面白かった。忘年会自体、あまり先行研究がなく、昔のものは資料としても残っていなかったりするので、いろんな資料の端々に残っている情報を集めて論じている。研究というよりはエッセイという感じ。

章立ては以下。

  1.  江戸時代の忘年会ーその多元的起源
  2.  近代忘年会の成立
  3.  近代忘年会の拡散
  4.  大衆忘年会の時代
  5.  海を越えた忘年会
  6.  忘年会の現在

冒頭では忠臣蔵の赤穂浪士が討ち入った吉良邸の話が出てくる。なんでいきなり忠臣蔵かというと、これも忘年会に関連するのではという話。吉良邸には、討ち入りをした人数の3倍の人数がいたにもかかわらずに赤穂浪士側は死者がなく、打撲傷が3人のみ。襲われた吉良側は首級をとられただけでなく討ち死にが16人、手負いが21人。

いくら不意をつかれたとは言えこの差は大きすぎるけど、事件前日に新年を迎える準備としての煤払い、そして「茶事」が行われていたということ。忘年会的なものがあった後の寝込みを襲う形で討ち入りが行われたことが上記の背景にもあったのではということ。

江戸時代くらいには「忘年会」そのものの言葉は出てこず、「年わすれ」という言葉がわずかに井原西鶴の本に出てきたりしている程度という。ただ、中国に起源をもつ年末行事や、似たような意味合いをもつ行事は行われていたということ。

その後、明治時代になり本格的な忘年会時代が到来し、文明開化の流れとくみあわさって、パーティーや集会的な要素と組み合わさる。だんだん派手になって、黒田清隆内閣では「忘年会はなるたけ質素に」(p59)という内訓も出されたとのこと。

ちなみにこの頃から「演説」がつきものということで、飲み会でスピーチをする文化は何なんやろなーと思ったこともあったけど、こういうところからずっと続いているもんなんやなーと思った。

そして明治の頃は「西洋的教養を持ったホワイトカラー層」(p72)が主体で、「時代の先端を行く、ハイカラな行事であった」(p72)という。その後、拡大と縮小のサイクルを繰り返しながら、昭和前期には国民的な年末行事になっていく。

忘年会の会費は年末の賞与でカバーしたりもあり、さらには、忘年会のために積み立てまでされていたらしい。そしてその忘年会の積立金を寄付した会社があったりして、美談として新聞記事になったりしている様子も紹介されている(p103)。

また、別の角度としては、夫たちが忘年会を口実に何をしているか分からないという妻たちの疑念や非難があったということと、同時に、女性たちでも忘年会を開きたいという気持ちが広がっていたという話も出ている。

戦後は一気に大衆化して、ブームとして広がっていく。経営者は12月になると1日2回は平均して忘年会に呼ばれたりして、ある経済評論家は「これくらいの宴会の連続に耐えられない者は、「経営者の資格はない」」(p121)とまで断言されたりしていたらしい…

週刊誌でも隠し芸特集がたびたび組まれたり。1969年12月の「週刊ポスト」で「隠し芸のコツは、まず、まじめにやること。忘年会といえども会社の行事ですから」(p128)という隠し芸教室の講師の言葉が紹介されている。

明治期のハイカラな忘年会では座敷で芸者を交えた忘年会が行われたりしていたけど、大衆はそのような費用を賄うことはできないので、芸者の代わりに参加者自らが芸を披露するようになったのが「隠し芸」ということ。今から見るとおかしみもあるけど、当時としては結構まじめに取り組まないかんかったやろうから、こういう時代や会社でなくて良かったな…と思ったりした。

昭和の後期になると、逆に忘年会のお座敷離れが進むところも。宴会をしないから成長したのかもしれないというある電機会社の広報部長の言葉が紹介されていたり、赤塚不二夫の嘆きが紹介されていたり。赤塚不二夫の言葉は以下。

「忘年会に限らず、座敷の宴会は面白い。それが最近、ホテルでやる"立ちパーティー"なるものに、すり替わってからは、すっかり集会が味気ないものになってしまった。酒と食事とスピーチと立ち話が雑然と行われている状態は、考えただけで出席意欲を減退させる」(p148)

さらにその後、忘年会など好きではない、行く意味があるのかという新人類が登場し、企業忘年会も多様化していく。しかしながら、忘年会的なるものは消失していくことなく、むしろ脈々と生き続けている。クリスマスが宴会化してクリスマスとくっついたりしたり形を変えたりしつつも和風居酒屋での実施など宴会空間は変わらずにある部分もある。

そうした流れを踏まえつつ、忘年会について歴史や大衆文化などの面からいろいろ思いをみることができてなかなか興味深い一冊やった。


2014年12月26日金曜日

「仕事に差がつくビジネス電話の教科書」でなぜ電話に3コール以内に出る必要があるのかとか考え方がわかる

 「仕事に差がつくビジネス電話の教科書」読了。図書館で目にして、そういえば仕事の電話対応ってなんとなく周りを見てとか、ウェブのhow to的な情報で見たり聞きかじったりはしているけど、しっかり学んだり考えたことないなーと思って手に取ってみた。

電話はなぜ3コール以内にとらなければならないかとか書いてあって、そのへんの気になるところをさらっと読み流すくらいかなーと思ってたけど予想以上にしっかりした内容で面白かったし、実務的にかなり役立ちそうな内容やった。

著者は、コールセンターを運営し、電話のプロの育成や指導を25年間行ってきた会社を創業された方。電話応対に悩みをもつ人のための「電話対応クリニック」のようなものを作りたいと思っており、その試みの第一歩として教科書のような本としてこの本をまとめたということ。著者の試行錯誤や経験の蓄積を通じたノウハウの中から、厳選した内容という。

構成としては、ビジネス電話の基本ルール的な話から、特に電話対応が重要になってくる営業の売り込むための電話、クレーム対応の電話への対応法、そしてさらに上達するために心がけることという形でまとめられている。

内容が具体的で文章も読みやすい。かつ、ルールについてもこうすべきだと頭から決めつけで書いてあるのではなく、経験やデータから、こういう背景や理由があってこうした方が良いという形で整理されている。もちろん著者なりの経験や考えがベースやけど、それが絶対の正解という感じではなく、背景や理由をもとに自分なりにとらえていきやすい。

個々のルールや指針についてもかなり具体的。例えばこんな感じ。

・電話対応の初心者はとりあえず「確認してご連絡します」のフレーズを最低限覚える

・ネガティブなことがあってもいい話で締めくくる。
 例:このカメラは画質は良いが高額です、ではなく、このカメラは高額ですが画質がいいです
   ありません、ではなく、◯◯ならあります
   間に合いません、ではなく、◯◯までなら間に合います(p103)

・かける場合は月曜日の午前は意外にキーパーソンがつかまりやすく、水曜や木曜はフラットな気持ちで冷静に聞いてもらえ、金曜日の午後は気持ち的に週の終わりで忙しいので避けた方がいい

・クレーム対応の電話は聞くことが大事。ただ、相手からの質問があると答えが必要でこちらが話さざるを得ない。そうした時に質問に質問で返すと効果的。
 例:「どうしてこんなにわかりにくい表示なの?」
   →「それはですね…」と答えるのではなく
    「最もわかりにくいのはどのあたりでしょうか?」
    (p190)

・謝罪や感謝は同じフレーズを繰り返すと逆効果。「申し訳ありません」は使っても3回まで、それ以上は逃げ口上。代わりに「大変ご迷惑をおかけいたしました」「まことに不行き届きで申し訳ございません」などのバリエーションを活用する(一説には60種類以上あるとのこと)

その他、名指し人が不在の場合にどうするか、外出中の場合、休暇中の場合、体調不良の場合などで場合分けして対応方針を紹介していたりと実務的に考え方の参考になる。

あと、電話は3コール以内に出ろっていう話は言われたりもするけど、その根拠が書いてあって納得がいった。気分的なものではなく統計学的な理由があるという。ベルの音は2秒鳴って1秒休むという形で1コール3秒になっているので、4コール目が鳴っている時は最大で12秒経過している可能性がある。

一方、電電公社(現NTT)の調査によると、104番の番号案内サービスでは電話をかけて11秒以上応答がない場合切られる確率が急激に高くなることが分かったという。その結果を受けて、電電公社が11秒が呼び出しの心理的限界と考えてオペレーターに3コール以内の応答を推奨し始めたとのこと(p34)。

この調査からは時間も経っているので現代ではもっと早く応対が必要になるかもしれないという話は著者も述べているし、場面場面によって変わってくるところもあると思うけど、こういう背景が分かっているか分かっていないかによって理解度や実践度にも差が出てくるやろうなーと思った。

先日読んだOJTの本(「自分ごと」だと人は育つ)の話に、こういうものだからやってみて慣れて覚えてと帰納的なアプローチがうまくいかないケースが多くなっている中、これこれこういう考え方のもとでこういう理由でこうしてくださいと伝えて実践につなげる演繹的なアプローチの方が最初はうまくいきやすいみたいな話があったけどそれとも通じる。

ただそういうものだからと3コールでやれというのだと、逆に3コールで出ればいいんでしょとなって、3コール目でばっかり出るようになるかもしれない。そうではなく、こういう背景も含めて伝えると、臨機応変に早くとった方がいい時は1コール目でも対応したりとより良い結果につなげやすいのかなと思った。

電話対応に関してはまず最初にこれを1冊読んでおけばだいたいポイントはおさえられる感じでビジネス書の中で良書やなーと思った。会社に1冊あるといいかも。

2014年12月21日日曜日

「女性が活躍する会社」はその他の人にとっても活躍しやすいのかも


女性が活躍する会社 (日経文庫)

著者はリクルートワークス研究所の方お二人。意図的に男性と女性1人ずつにしていて、女性が語っただけの内容だと残念ながら聞く耳を持たない男性がいる一方で、それだけだと見落としてしまう点もあるだろうということで男性の視点も加えているとのこと。

政財界でもいろんな話があるけど、なんで女性の登用や活躍が重要なのかということが、マクロな統計的なデータの話とミクロな具体的事例や生の声の両方の面から紹介されている。

マクロな話は他国に比べて進出率が低い(「遅れている」という価値判断がどうなのかはまた議論あると思うけど)こと等でこっちの話はわりと最近はよく出ている話でもある。一方で具体的な事例の話は、出版年が2014年10月と新しいこともあって結構最近の動きまで取り入れられていて、個人的にはこっちの話が面白かった。

内容も、女性の活躍推進が単にCSR的な意味で意義があるという話ではなく、人材が不足していく社会の中で経営戦略として重要であり、かつ、女性が働きやすい職場にしていくことは女性のためだけではなく男性や会社全体のためにもなるという話。

例えば、「女性が働きやすい会社は男性も働きやすい」という章があるけど、そこでは、誰かにとって働きやすい職場を作ることはその当事者だけでなくてその他の人にも良い影響があるということが述べられている。ある会社で、女性ではないけどシニアの方にとって働きやすい職場にしたところ、それを見て若い人の応募も増えたという例も紹介されとった。

重要性を踏まえつつ、どう考えていくかというところで、第1章では「女性育成の常識は間違いだらけ」と題して以下のようなポイントが紹介されている。

1. ロールモデル探しは誤り
2. 長い育休と短時間勤務が女性のキャリアを阻害する
3. 安易なスペシャリスト化は成長を止める
4. メンターよりもスポンサーが大事

例えば1については、そもそも今の日本企業で管理職になっている女性の多くは40代以上で入社時期は1990年前後。その時の時代背景と今の状況は異なっている。そうした中でああいう人を目指しなさいと言っても「すごいと思うけれど、私はあそこまでのスーパーウーマンではないわ…」(p18)となってしまう。そうした中で無理やり「ロールモデル」を探してもあまり意味がない。むしろこれから新しい像を作っていくくらいでないとという話。

2やついては、女性のライフイベントを考慮して「優しさ」として制度を充実化させたりするのは、そういうニーズもあるかもしれないが、それよりもある程度復帰を早めていった方が組織の側も本人の側もキャリアを考えていきやすいということ等が述べられている。

3については、女性はスペシャリスト志向が強い(ホントかな?)と捉えられることが多いけど、それとライフイベントのことがあいまって、結局多様な経験を積んで組織のステージを上がっていくというキャリアパスをたどらないことが多い。しかしそれではキャリアとしては一定のところで止まりやすいということ。

4については、メンターは一定の効果があったものの、女性のメンターになっている人は、男性のメンターになっている人に比べて組織内での影響力が高くないポジションにいることが多く、悩みを聞いてそれを組織内で解決する力や昇進や昇格で影響を及ぼしたりする力が相対的に弱いということ。

上記の話がどのくらい妥当性があるのか判断はつかんところもあるけど、いわゆる「常識」で思考停止していたら見えてこないこともあるなと改めて感じた。

第5章では、「新人女性を確実にリーダーに育てるシナリオ」として、具体的に女性の管理職をどう育てていくかというシナリオが紹介されている。女性の得意技はスタートダッシュということで、最初のうちからしっかりジョブローテーションする設計をしておき、多少経験が浅くてもさっさとリーダーという舞台に上げてしまうという考え方。

興味深かったのが、新卒時点では男性よりも女性の方が優秀なことが多いということ。多くの人事担当者の実感としてそう感じられているという。採用時点だけで判断すると女性が多くなりがちなので、男性に多少下駄を履かせて将来のポテンシャルを見込んで採用しているのだから、女性の方は組織に入ってから管理職昇進の場でハイヒールを履かせて底上げしてもバランスがとれるくらいでちょうどいいのではという比喩も述べられとった。

その他、第4章では「この機会に労働時間を見直す」と題して、そもそも長時間労働がボトルネックになっているという指摘。以下のような指摘は確かになーと思った。「フルタイム」の定義がおかしい。

「日本では、正社員はフルタイム労働が基本ですが、ここでいうフルタイムは1日8時間/週40時間働いて定時に帰る人のことではありません。日本の正社員のフルタイムとは、「何時間でも残業が可能なこと」「オーバータイムで労働できること」とほぼ同義になってしまっているのです」(p100)

これに関連して絵本ナビという会社の社長の方のエピソードが興味深かった。社長の方が18時を過ぎて自分が退社するときにまだ残業している社員に対して、以前は「遅くまでたいへんだな」「悪いね」(p113)と声をかけていたがそれを意識的にやめたということ。代わりに「早く終わらせて帰れよ」とだけ言って帰るようにしたということ。この言葉が良いかどうかはあるとしても、これによって「残業している=がんばっている」ということを社長が心の底で認めることをやめて、「残業せずに帰ることがよいことだ」と従業員にメッセージとしてしっかり伝えるようにしているということ。

その他にもいろいろとポイントがコンパクトにまとまっていて、全体感をつかむのに良い一冊やった。人材育成に携わる人自身が読むとか、上司にとりあえず読んでもらうとかに良いかも。

2014年12月18日木曜日

「「自分ごと」だと人は育つ 」を読んでだいぶOJTに関する考え方が変わった

「自分ごと」だと人は育つ 「任せて・見る」「任せ・きる」の新入社員OJT 

博報堂における新入社員OJTの取り組みについてまとめたもの。読む前は、なんとなく先入観で、業界的にも企業風土的にも結構違いそうなんでどこまで参考になるかなーと思っていたけど、そういうのは関係なかった。むしろ今の時代のOJTにあたっての考え方としてなるほどなと思える視点がまとまっていて、かなり参考になった。

博報堂では、2006年から従来型の新入社員教育の見直しを始め、約4年にわたる試行錯誤を経て2011年に新しい形でのOJTのアプローチを整理したということで、その内容をもとに出版したのが本書。

課題意識としては、こんな感じ。

「「新入社員OJT」は、とても身近でありながらも、今の時代に合った解が見えにくくなっているテーマ」(p3)である一方、「変化は確実に起こって」(p4)いる。ただ、現場ではOJTによる育成や指導が難しくなってきている=OJTが効かなくなってきているという実感がある。

じゃあなんで効かなくなってきたのかというときに、よく言われる「ゆとり世代」だからということだけでは説明にならないし、解決にもならない。そうしたところが第1章の「「人が育ちにくい時代」の認識から始める」というタイトルにもあらわされている。

背景としては大きく以下の2つ(p28)。
1)仕事の内容や進め方の大きな変化
 情報通信技術の進化による仕事の大幅な効率化
 →プラン策定やフィードバックのサイクルが高速に
 →「高速型のPDCA」(p28)が必要に
 →大量の仕事を速く回すことが求められる

2)職場のステークホルダーの変化とルーティンワークの空洞化
 伝統的なピラミッド型の組織からフラット型に、多様な勤務形態、外部リソースとの協働
 →かつて若手社員が担当していたような「単純な仕事」「つなぎの仕事」が徐々に消失
 →新入社員の見習い期間にやっていた仕事が育成の現場からなくなる

上記の結果、「今の新入社員は、難易度の高い仕事や職場環境への適応を短期間で求められている」(p30)ということ。別の観点からは、「新人は早期に単独で仕事を回せるようになることが求められている」(p32)。

一方で、新人=若者の価値観や学習姿勢の変化をおさえておくことも重要。特に学習姿勢としては、帰納型ではなく演繹型の学習に慣れているということ。

別の言い方をすると、「守・破・離」のように、まずやってみて体験してみてその中から学びながら自分で解を見つけ出して成長していくというスタイルではなく、「リアルな経験の前に、全体像やその行為の意味するところ、あるいは具体的に取り組むうえでの手順や留意点を体系的に学んでからその認識に沿って経験するという学習スタイルに慣れて」(p37)いる。

これは単にマニュアル人間という話ではなく、時間をはじめとするリソースが限られる中で、いかに効率的にやっていくかということが求められる時代の中で身につけられたものということ。全体像をとらえて仮説を立ててシミュレーションした上で経験に入り、軌道修正しながら身につけていくというアプローチ。

そうした中では
「徒弟制度的な発想は今の新人世代には通用しない」(p39)
ということ。

「失敗を恐れるな」「失敗を積み重ねて成長する」(p46)とは言われても、新人の立場からすると、「高速」で「複雑」な業務に満ちあふれている仕事環境の中で早期に一人前になることが求められている状況では、そうそう失敗を重ねてロスすることはできない。

そうすると、やはり経験前にポイントをできるだけおさえてから入った方が結果的に効率も良いという考え方になる。このあたりを「甘い」思うかもしれないが、「今の新人の不安や躊躇はそれだけ大きい」(p134)ということ。また、仕事への意識が低いわけではなく、「心配や不安、躊躇の気持ちが大きいということは、それだけ仕事に真面目に向き合っていると捉えることもできる」(p134)ということでもある。

このへんはなるほどなーと思った。価値観の変化の話はよく聞くけど、学習姿勢の変化という視点では考えたことがあまりなかったのでこれが有益やった。自分は世代的にはゆとりのちょっと前の世代なので、いわゆるゆとり的な話もわからんでもない部分もあるんやけど、どちらかというと、まずやってみようぜとか「守・破・離」とかがしっくりくる。

何か教えたりするときにもしっくりこないことがあったりしたんやけど、このへんの「経験への向き合い方」(p38)が違うということで整理された気がする。もちろん、いわゆる「ゆとり」みたいな要素もあるにはあるかもしらんけど、それ自体はなかなか変えられないので、その背景を理解した上でどうするかっていうこっちのインサイド・アウトが大事かもなーとそこに戻ってきた。

本書では、こうした時代背景の認識をした上で、今の時代にあった新しいOJTの考え方を整理して紹介した上で、博報堂で実際に取り組んでいる内容を紹介している。前半の話だけでも考え方として参考になるけど、そこにさらに実際にやってみてどうだったか、どういうところが鍵になるかという話が具体的な経験から述べられているのでこちらも参考になる(使用しているシートの例までついている)。

今の新人が演繹的なアプローチをベースにしているからといって、OJTの進め方として全期間にわたって「演繹的学習志向に応える指導」(p240)を意味しない。OJT前期ではそうした志向を踏まえつつトレーナーが指導や補助をしながら必要最低限の経験をパターンを変えながら積んでもらうが(「任せて・見る」フェーズ)、その上でOJT後期では「経験が先行する学習(帰納的学習」(p240)に入ってもらう。前期の経験に応用を利かせて自分なりに考えて仕事を進めてもらう(「任せ・きる」フェーズ)。

トレーナーの役割も指導者から支援者に変わっていく。鍵になるのがフィードバック。まず、トレーナーからのフィードバックで「暗黙知」をうまく言語化して伝えていく。このあたりはトレーナー自身の育成課題でもある。一方で、特にOJT後期においては、自分なりの解をもって進めていくフェーズになり、自己フィードバックができるようにしていくことが重要。トレーナーはそこに対して手や口を出しすぎないように支援をしていく。

ゴールイメージを明確にしてトレーナーとトレーニーの間で認識をあわせつつ、フィードバックを繰り返していくことで目標に向かっていく。そうしないと、「トレーナーが新人に求めるのは、単にできていないことについて、修正行動を求めることだけが中心になってしまう」(p262-263)ことになり、いわば場当たり的になってしまう。トレーナーの側には「新人の目線を常に上げる」(p263)ことが求められてくる。

トレーナーの具体的な行動としての「ほめる/叱る」についても、前半は「できた/できなかった」といった個々の業務や経験、アウトプットに関するものであっても、後半は少しずつ気持ちやマインドへと移行する(例:よくやりきった)。こういうことを重ねていくと、前半で伸び悩んでいた新人も後半(特に12月から翌年2月くらい)に大きく伸びるという。

最後のあとがきでは、この本を作ったプロセスについても少し触れられているけどその中で印象に残ったのが以下の話。

「トレーナーと新入社員は社内最小のチームである」
「指導者であるトレーナーは社内の最小チームのリーダーである」
(p311)

上記の考え方をベースに、「新人とトレーナー、どちらの立場に立つのでもなく、「チームワークによってクリエイティビティを発揮する」ことが求められるこの会社にとって、とてもフィットする考え方ができあがりました」(p311)と述べられている。博報堂の考え方にフィットするということでもあるとは思うんやけど、この考え方は他のところでも通じるところがたくさんあると思う。

この本自体も帰納型と演繹型の部分がうまくミックスされていて、新しい時代のOJTの雰囲気を体現しているような感じがして、参考になった一冊やった。図書館で借りた本ではあったけど、いろいろ見返して参照したいところがあって手元においておきたいので、Amazonで注文。またおりにふれて読み返して実践につなげていきたい。

2014年10月25日土曜日

「社会心理学講義〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉」の感想

社会心理学講義:〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉 (筑摩選書)


かなり読み応えがあった。ライフネット生命の会長の出口さんが今年上半期に読んだ100冊以上の本の中でトップとしてあげていた本。ここしばらくこの本をずっと読んでたけど、読み終わってみて、強く推薦されるのがなるほどと思える内容やった。

決してすらすら読める本ではないけど出口さんも仰っているように著者の気迫が伝わってくる。人間とは、社会とは、それらを理解するためにどう考えていくと良いかというのが基本的なテーマ。

著者はパリ第八大学心理学部の准教授の方。日本の大学に入学後、授業にはほとんど出席せずに中退し、アルジェリアで1年間技術通訳を行った後、1981年にフランスに移住。当時は社会心理学の名前さえ知らない中で研究の道に進まれたということ。

あとがきに書いてあった言葉が印象的。

「研究のレベルなど、どうでもよい。どうせ人文・社会科学を勉強しても世界の問題は解決しません。自分が少しでも納得するために我々は考える。それ以外のことは誰にもできません。社会を少しでも良くしたい、人々の幸せに貢献したいから哲学を学ぶ、社会学や心理学を研究すると言う人がいます。正気なのかと私は思います。そんな素朴な無知や傲慢あるいは偽善が私には信じられません」(p392-393)

「確かに迷いは誰にもあります。私などは今でも迷ってばかりです。しかし文科系の学問なんてどうせ役に立たないと割り切って、自分がやりたいかどうか、それしかできないかどうかだけ考えればよいのだと思います。落語家もダンサーも画家も手品師もスポーツ選手もみな同じです。やりたいからやる。親や周囲に反対されてもやる。罵られても殴られても続ける。才能なんて関係ありません。やらずにはいられない。他にやることがない。だからやる。ただ、それだけのことです。研究者も同じではありませんか。死ぬ気で頑張れと言うのではありません。遊びでいい。人生なんて、どうせ暇つぶしです。理由はわからないが、やりたいからやる。それが自分自身に対する誠実さでもあると思います」(p393-394)

内容は、タイトルからして堅いし、目次も、科学の考え方、人格論の誤謬、主体再考、自由と支配、同一性と変化の矛盾といった感じで並べてみるだけでも骨太な感じではあるけど、1つ1つのテーマに関する章が意外にコンパクトで、結構テンポよく読める。ちょうど大学の講義1コマ分くらいの内容なのかなと思う。テーマは重たいし用語も結構やわらかくはないんやけど、表現や比喩も分かりやすくて文章自体は予想外に読みやすかった。

一方で、上記のあとがきにも表されているようにところどころ突き放されるような感覚もある。突き放されるというのは、「お前はどう考えるのか」と突きつけられていることでもあるのかなとも思った。そういう意味で思考力を使う内容。

さすがに一気に読める内容ではないので、考えながら少しずつ読み進めていったけど、ちょっと読み進めてはうーん…とうなるような感じで考え考え読んでいく感じ。気になるところに付箋を貼ってったんやけど、読み終えてみてみたら付箋だらけになっててもはやどこがポイントやったかようわからん、というか、全部ポイントに思えてくる。

というわけで全部をまとめるのは難しいのでキーワードだけ振り返ってみたけど、特に韻書に残ったのが同一性と変化の矛盾、人格論の誤謬、少数派の力といったあたり。これらのキーワードだけでもかなり考えるヒントになるものが多かった。

特に本書の中でも何度も出てくるのが同一性と変化の話。「生物や社会を支える根本原理は同一性と変化」(p11)だが、それらは矛盾する。

「変化が生ずれば、もはや同一ではないし、同じ状態を維持すれば変化しない」(p308)

変化しようとすると同一性が維持されなくなり、個人や社会にとっては危機ととらえられる面もある。それがどう両立しているのかということを考察していっている。

結論からいうと、これは錯覚によって成り立っているということ。大きな変化ではなく少しずつ変化することで、あたかも実際には同じ状態が維持されていると錯覚しつつ、実は変化は起きているというのが同一性の正体。

そしてここからさらに面白いのが、日本の西洋化の話。日本は支配されたりすることがなく、閉ざされていたりしたけど、だからこそ、西洋の価値を受け入れやすかったということ。閉ざされていることで自分たちのアイデンティティは保たれていると錯覚しているので、むしろ異文化が受容されやすくなる。

これをどうとらえて考えていくかっていうところは、すぐにはあんまり頭の中がまとまらんけど、いろんな場面でキーワードを頭に置きながら考えてみたいと思った。

上記とはちょっと違う角度からの話にはなるけど、ちょうど今日NHKの「SWITCHインタビュー 達人達」という番組を見たんやけど、その中で和田アキ子さんが言っていた以下の言葉が重なってきた。

「ファンの人っていうのは、いつも同じことをしていると「違うことをやってほしい」と思うし、違うことをやると「前の方が良かった」」

同じことばかりやと進歩はないんやけど、しかし変化を加えると必ずしもそれが良いかどうかはよく分からない。また、変化することによって、同一性、その人らしさが見方によっては失われてしまう。それをどう考えるか。

これって、クラウドサービスとかソフトウェアも通じるところがあるなとも感じた。どんどんアップデートを繰り返していくとUIやコードははじめの頃からはもはや別物に入れ替わっているかもしれない。しかし、同じものとして認識されるのはどういうことか。それを止揚しているのがブランドということなのかもしれなくて、だからこそブランドというのが重要なのかもと思った。

もう1つ印象に残ったのが人格論の誤謬や主体再考というテーマ。ざっくりまとめると、人間の主体性や人格として考えられているものは、実はどこまでそれが単独で成り立っているものなのか分からないという話。

自分が主体的に判断して行動していると思っていても、無意識の心理過程や外部環境に大きく影響を受けているということ。7つの習慣とかでは主体性を非常に重要視するけど、それとは逆の角度からの見方が出てくる。

例えば、ある実験で女性用ストッキングをスーパーに4足(中身は同じもの)吊るして展示して、どれが良いか街頭アンケートをした結果では、右側の商品ほど高い評価を受けたという話が紹介されていた。普通に考えればどれも似たような評価になるはずやけど、右側のものが評価が高い。

しかし、その理由を被験者に尋ねると、「こちらの方が肌触りが良い」とか「丈夫そうだ」とかもっともらしい答えが返ってきて、位置に言及する人はいない。

また、脳科学の本とかでもよく紹介されているけど、実は神経において、腕を動かすとか何か動作をする時に、腕を動かすという意識より先に腕を動かすための信号が発火しているという話なんかもあったり。

思っている以上に外部環境や情報の影響を受けているけど、それが明示的に認識されないがために、別の理由がつけられて整理される。そうすると、主体性っていうのはどこまであるのかっていうことになってくる。

「人間は主体的存在であり、意識が行動を司るという自律的人間像」(p192)ではなく、「社会の圧力が行動を引き起こし、その後に、行動を正当化するために意識内容を適応させる」(p192)という発想。

ここからさらに考えさせられるのが、集団力学や服従の話。有名な実験やけど、被験者に先生役と生徒役になってもらって、生徒が問題に間違えると先生が罰を与えるという設定。罰は電気ショックで、だんだんボルト数を強くする。

最初のうちは生徒は平気な様子だったのが、だんだんきつくなってくる。120ボルトで「痛い。ショックが強すぎる」、150ボルトで「もうだめだ。出してくれ。実験はやめる。これ以上は続けられない。実験を拒否する。助けてくれ」と叫びだす。

実験を続けるべきかどうか先生役の被験者が迷っても、実験者は続けるように指示をする。300ボルトになると「これ以上は質問されても答えるのを拒否する。とにかく早く出してくれ。助けてくれ。心臓が止まりそうだ」となり、345ボルトになると声が聞こえなくなるが、さらに450ボルトまで続けるように指示される。

実際には生徒役の人間はサクラで、演技をしているだけで本物の電気は通っていないということ。この設定下で先生役の被験者がどう振る舞うかというと、40人中26人は抵抗を覚えながらも450ボルトまで実験を続ける。

「高い服従率の理由は、自分は単なる命令執行者にすぎないと被験者が感じ、命令を下す実験者に責任を転嫁するから」(p67)ということではある。とはいえ、それでも続けるというのが衝撃的。

実際の組織の中でもこういうことは起こりえると思うし、逆に指示される側から指示を求めてくるケース(決めてください、私はそれに従いますからというスタンス)もあったりすると思うけど、それがもし上記のようなことにつながっていたりするかもしれないと思うとちょっと背筋が寒くなる。

もちろん、この話をどうとらえるかっていうのはいろいろ解釈も異なると思うし議論もあるところやと思うけど、人格、態度、主体というものにどれだけのものが帰着するのかということは改めて考える必要がありそうやなと感じた。その上でどう考えて行動していくかやけど、これはなかなかまた一筋縄ではいかん。

悩ましい、けど、こういう悩みと格闘していくことが、何をするにしても大事なんやろなーと思ったりもした。時間をおいてまた改めてじっくり読み直してみたい一冊やった。

ちなみに出口さんの紹介はこちら↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131028/255113/

2014年10月3日金曜日

「絹の国拓く―世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」」で近代日本の絹産業の発展に思いを馳せる

絹の国拓く―世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」 

富岡製糸場を含む遺産郡の世界遺産登録の動きに向けて上毛新聞社が取材した内容をまとめたもの。1つのトピックが見開き2ページで解説されていて、写真もついていて読みやすい。一昨年くらいに富岡製糸場を見学する機会があったけど、その時見たものを思い返しながら読むとイメージできて良かった。逆に、行く前に読んでいたらもっと良かったなーとも思ったり。

内容は、冒頭に最近の世界遺産登録に向けての動きについてまとめられている後、時代をさかのぼって、富岡製糸場が建設される前夜くらいの時代から、その後持ち主が代わって最終的に操業停止に至るまでの様子が、時代の流れとともに描かれている。

世界遺産登録に向けての動きは、今でこそすごいとりあげられているけど、当初は「他国の遺産と比べると、製糸場は世界遺産には厳しいのではないか」(p14-15)とか、「世界遺産と言えば金閣寺のようなきらびやかなイメージがあった。地味な製糸場がなるなんて無理。そんなムードが漂っていた」(p16)という。

その中で、病気で余命宣告をされながら資産の保存や登録に向けた活動に取り組んだ方もいらっしゃったということ。石見銀山でも似たような話があったと思うけど、そうした方々の動きが実を結んで今があるんやなーと改めて感じた。登録されたっていうことだけをみるとそこにしか注目がいってなかったけど、そこまでのプロセスとか背景に思いを馳せるとまた見え方が違ってくるなーと思った。

また、富岡製糸場の話にフォーカスしているかと思いきやそうでもなく、周辺の絹産業の歴史にもかなりページが割かれている。そのへんがタイトルにも反映されているのかも(「富岡製糸場」だけではなく、「富岡製糸場と絹産業遺産群」となっている)。

個人的にはむしろそっちの話が知らなかったことも多く興味深かった。例えば、生糸を生産していたのは富岡製糸場だけではなく、周辺の農家もかなり生産していた。むしろその蓄積があったから富岡製糸場ができて発展できたということでもある。「碓氷社」という養蚕農家の集まりでは、手作業にもかかわらず、世界市場に向けて富岡製糸場をしのぐ量と質の生糸を生産したということ。

養蚕業の教育や展開にもかなり力を入れた人物の紹介もされていて、巣立った生徒は全国各地でまた展開を広げていったという。中には沖縄の人の名前も。富岡製糸場だけでなく、そうした動きも含めて全国の絹産業の発展に貢献していたということ。地元の会社の動きも活発で、イタリアのミラノに飛び込んで市場開拓をしたというエピソードも紹介されていた。

その他、上州の商人は開講当初から横浜でも活躍していて、横浜市の中区にはある商人の方の記念碑もあるということ。また、富岡製糸場自体も、横浜の三渓園で有名な原富太郎の会社が引き継いでいたり、生糸の輸出は横浜の象の鼻から行われていたという話もあったりと結構横浜とも縁が深い。その他にも、遺産群の中には蚕種の貯蔵に使われた下仁田の氷穴もあり、下仁田は母の実家なんでこれもまた興味深かった。

最後の方では、操業停止になる様子が描かれているけど、その時の所有者の片倉工業の社長の方が閉所式で話された言葉も印象的。

「歴史的、文化的価値が高いと評価を受ける建物は、単なる見せ物ではなく、ニュー片倉にふさわしいものとして活用する」(p139)

これが1987年3月のこと。そこから世界遺産に登録されるまでにはさらに27年の年月がある。その間守り抜いていた方がいらっしゃったからこそまたこうして遺産として歴史に残っていくんやということ。日本の近代化の流れを踏まえつつ、富岡製糸場と絹産業遺産群をめぐる動きも知ることができて、感慨深さや刺激が得られる一冊やった。

2014年9月24日水曜日

「ファッションは魔法」を読んでファッションの持つ意味みたいなのが垣間見えて興味がわいてきた

ファッションは魔法 (ideaink 〈アイデアインク〉)  

「ファッション」というものにほとんど興味がないんやけど、図書館の棚に並んでいて、あえて読んでみようと思って手に取ってみた。そしたら意外や意外これがかなり面白かった。

まずもって著者の方が面白い。2人の方の共著やけど、1人の方は鳥取で東京のファッションに憧れる日々と悶々とした日々を過ごした後に海外に飛び出していく。その経歴の話だけでも面白いんやけど、ファッションに表現しているものも面白い。

日本人の神仏のとらえ方、雑多な世界観をインスピレーションに服の神様をショーに取り込んでみたり。東京コレクションの最後を飾るショーにゴミ箱ルックの服を出してジャーナリストやモデルを激怒させたり。

おかげで全然服は売れないけど、これもファッションじゃない?と思っていたことを実現できて、一部からは良い反応もあったりして手応えを感じたりしていたということ。

「服を売らなくても、大きなシステムに乗らずとも、自分のリズムで模索しながら、今でもファッションの新しいやり方を探しています」(p87)

このように、そもそもファッションとは何か、ファッションの役割とは何なのかというところについていろんな角度から考えられていて、面白い視点があった。

まず印象に残ったのが、ファッションは自己表現なのかというトピック。著者が教える生徒も、ファッションとは自己表現の1つという答えを返してくるけど、現代はその側面が強調されすぎているのではないかというのが著者の考え。それはあるとしても一側面でしかない。

実際には、生活している場や関係性は、相互的な関係性で成り立っているのであって、他の人から見た時に自分がどう見えるのかという視点を持って、服を選ぶ時にもその意識を働かせるのは重要だということ。

「そうすれば、服装を通じて他者と共鳴・共存できるのです。そういう意味では、「俺、ファッションに興味がないんだ」という発言は自己主張がなく格好良いように見えて、実は他者の視線を無視した物言いであることが分かります。ファッションはつねに外界との関係性の中で生まれているのです」(p141)

上の話は結構耳が痛かった…ちょっと考えを改めようと思いました…

また、ファッションとはといったテーマに関連して、以下の話が比喩も含めて面白かった。

「「ドラえもんの中に『ドラえもん のび太とアニマル惑星』という不思議な長編作品があります。ある晩、のび太の部屋に突如としてピンクの"もや"が出現します。それは何だかとても怖そうだけどキラキラしていて美しい。寝ぼけたのび太は"もや"の中に入ってしまうのですが、そこを通り抜けた先に広がるのは動物が人間の言葉を話す奇妙な積痾。"もや"に魅力を感じるのび太は、連日そこに足を運ぶー。
 僕たちが関心を寄せるのはこの話の筋ではなく、怖いけれど入りたくなってしまう、魅力と不安を兼ね備えた「ピンクの"もや"という設定です。それはファッション、ひいてはクリエイションの核心に触れていると思うからです。ピンクの"もや"はキラキラと美しく輝き、言葉や論理で説明したとたんにその本質が失われるようなもの。ファッションの仕事はこの美しい"もや"を作ることであって、決してそれを解明することではない。テクノロジーの発展によって社会がますます高度情報化していくなかで、僕たちはこうした言葉にならないもの、迷信のようなもの、魔法のようなものがこれからもっと大事になってくると確信しているんです」(p110-111)

このような話の一方で、本書の中でも触れられているけどビッグデータのような話がある。膨大な統計データを集めて分析して、売れる要因を統計的に要素分解してマーケティングや営業活動に活かしていく。でもそれだとだんだん均一化していって、新しいものや要素分解できないもの、言葉にできないけど魅力的な"もや"のようなものは生み出せないのではというのが著者の主張。

それと関連してフランスのファッションデザイナー、イヴ・サンローランの言葉が紹介されている。

「人は誰しも、生きていくため美しい幻を必要とする」(p113)

これを受けて著者は次のように述べている。

「今こそ、わけの分からない"もや"を作り出すファッションの力によって、世界を「再魔術化」しなければならない。世の中にはもっと魔法が必要なのです」(p113)

ファッションショーとか、テレビで映像を見てもわけがわからないので関心がなかったけど、この話を読んでパラダイム転換した。わけがわからないからこそ面白いし大事なんやなーと思った。

これと関連してなるほどと思ったのが、ファッションの流行のメカニズムや流行が終わる理由やタイミングはよくわかっていない、説明できる人は少ないという話。ある服を、ある時に「かわいい!」「かっこいい!」と思って興奮して着ていても、流行が過ぎて後からタンスから出てきた時に着ていた自分が恥ずかしくなったりする。

このへんのよくわからない、データ化できない、説明できない部分こそがファッションの武器であり、そこに可能性があるという。人間の本質、感性、感情、直感、共感や共鳴の源泉を探ってそれを服装という形で提示したいということ。ファッションについてこういう見方をしたことがなかったので目から鱗やった。

もう1つ面白かったのが、ファッションは新しい人間像を提示するという話。中国語ではファッションのことを「時装」、すなわち、時の装いというらしいけど、ファッションといったときに服の装いだけでなくその時の装いをあらわすものと見ていくと広がりが変わってくる。

視点を広げてみれば、個人の装いの上に、人々の装い、街の装い、自然の装い、国の装い、地球の装い、宇宙の装い、そして時空を超えた時の装いがある。視点を小さくしてみていくと、服の装い、布の装い、糸の装い、細胞の装い、DNAの装い、原子の装い、素粒子の装いがある。そしてこれらはレイヤーが違うけど同時進行している。

「装いが様々なレイヤーにまたがる中で、ファッションデザイナーという職業の本文は、つねに変化し続けるそうした「動き」に注目しながら、新しい人間像を提示することにあると思っています。福家化粧やヘアメイク、バッグやジュエリーだけでなく、その人の生活空間やライフスタイル、その人が生きる社会、その人が生きる未来。そうした可能性のすべてをファッションデザイナーは模索して提案するのです」(p118)

その他にも興味深かったのが、「個人を相手にするとき強い表現が生まれる」(p135)という章。

「多くの人に訴えるファッションを作りたいのなら、逆説的ですが、徹底して目の前にいる一人の個人を相手にするほかないと思います」(p135)

ということ。社会や時代の動きを反映したものに人が共鳴するかというと必ずしもそうではなく、逆に、「超パーソナルな感情や物語こそが人を感動させることがある。それを率直に個に向けて発信したほうが、強いリアリティでもって人々に響く場合があるのです」(p135)

この話の前段や後段で、著者が教えている生徒の方の作品のストーリーが紹介されているけど、それらを読むと上記の言葉になるほどと頷かされた。ある女性の方は、子供の頃にお父さんが着ていたYAMAHAのトレーナーを再現してみたり、別の男性の方は子供の頃にオカンが手作りしていた服(成長するにしたがってダサいと着なくなった)に結局原点を見出したり。

まとめて書いちゃうとその背景が伝わらなくなっちゃうのがちょっと歯がゆいけど、元のストーリーはきっと多くの人の心に何らかの印象を残すものになっていると思う。著者が言っているように「超パーソナル」なんやけど、それを抽象化して今の時代は…とかそういう話ではなくて、あえて個人的なストーリーを表現に落とし込むことで力を持つことがあるんやなーと思った。

たまたま並行して読み直していた7つの習慣にも以下の言葉があった。ちょっと文脈は違うけど、通じるエッセンスがある気がする。

「99人の心をつかむ鍵を握っているのは、1人に対する接し方だ」(p273)
「大勢の人を救おうと一生懸命に働くよりも、一人の人のために自分のすべてを捧げるほうが尊い」ーダグ・ハマーショルド(p279)

仕事でも、事例がすごい重要みたいな話はよく言われるし、なんとなくはそう思ってはいたんやけど、上の話と似たようなところがあるのかなーとも思った。変に抽象化したり共通項を見出そうとしたりしないで、あえて「超パーソナル」に課題を見出し、それを解決して、その話をストーリーとして多くの人に伝える方がより響くのかもなと思った。

ファッションがテーマではあるけど、それに限らず人の営みや関係性というところまで視点が広がるので、ファッションに興味が無い人程読むと面白いかもと思った一冊やった。

2014年9月21日日曜日

「仕事に役立つ経営学」で辺境の日本人としての役割に思いをはせてみる

仕事に役立つ経営学 (日経文庫)  

最新の経営学のトピックを11人の研究者の方がそれぞれ解説している内容。2014年8月ということでトピックも時流にあわせている感じで他の本よりも新しい内容がカバーされている。

トピック的には経営学的な観点から全体をまんべんなく整理するというよりは、最近重要視されているようなテーマを羅列していっている感じ。

章立てはこんな感じ。

1 [企業の経済学]経営を経済学から読み解く  浅羽茂(早稲田大学教授)
2 [事業立地戦略]「誰に何を売るのか」を問う  三品和広(神戸大学教授)
3 [戦略イノベーション]「間違い」と「違い」は紙一重  楠木建(一橋大学教授)
4 [不確実性]シナリオ分析と多様性で危機に備える  岡田正大(慶応義塾大学教授)
5 [組織開発]変わり続けることに対応できる人と職場をつくる  金井壽宏(神戸大学教授)
6 [ダイバーシティ]多様性と一体感の両立を目指して  鈴木竜太(神戸大学教授)
7 [起業]ベンチャー精神を育む「場」をつくる  東出浩教(早稲田大学教授)
8 [企業倫理]コンプライアンスを超えて  梅津光弘(慶応義塾大学准教授)
9 [企業会計]企業の実態を「見える化」する  加賀谷哲之(一橋大学准教授)
10 [財務戦略]企業財務とリスク  中野誠(一橋大学教授)
11 [技術経営]革新的な技術を経営の成果につなげる  武石彰(京都大学教授)

引用元:http://www.nikkeibookvideo.com/item-detail/11314/

11人の話を1冊の新書に詰め込んでいるのと、基本的に研究的な話が中心なので、ダイレクトに「仕事に役立つ」という感じでもないけど、概念や理論的な整理、重要トピックの最新動向をざっとつかむのには良さそうな内容やった。

戦略イノベーションのところでは玉子屋の話もあってなかなか興味深かった。うちの会社も注文していて毎日食べてることもあるけど、低価格で一定の質のものを提供して行くということで事業にも通じるところがあるのでもう少し詳しく読んでみたいなーと思った。

その他に1つ印象に残ったのが、以下の話。

「帝国繊維は、明治時代の初頭に起源を持つ日本の製麻企業が大同団結して、1907年に設立された会社である。麻は自給可能な国産素材で、たいへん丈夫なため有望視されていた。それなのに戦後は合成繊維に押しやられ、帝国繊維は苦難を強いられた。
 この老舗企業を意外な人材が救出する。同社は麻の特性を活かした消防ホースを戦前から内製し、消防機材店ルートで販売していた。その間を取り持つ販売子会社に採用され、営業をしてきた社員が、親会社の消防ホースを売るために置かれた販社で他社製品を売り始めたのである。
 こうして生まれた防災事業が帝国繊維の新しい大黒柱に育っている。防災事業は売上高が繊維事業を逆転しただけでなく、営業利益の稼ぎ頭に躍り出た。けん引役を務めた人物は請われて帝国繊維に転籍し、取締役に選ばれた。防災事業の指揮を執り続けた期間は30年以上に及ぶ」(p47-48)

傍流の人材や事業が最終的に全体を救うという話は結構聞くし、ここでは概要がさらっと書いてあるけど、実際にそれが起こる過程ではかなりいろんな紆余曲折とか喧々諤々の議論や思いきった行動とかがあったんやないかと思う。

自分の身にひきつけて考えると、海外に本体がある中での1拠点である日本法人の一員、携わっている事業も新規事業ということで、いろいろ感じるところもあった。辺境の日本人としてやれること、やるべきことは何か、こういう視点からも考えて行くと面白いかもなーと思った一冊やった。

2014年9月11日木曜日

「コンピュータが仕事を奪う」時代にどう戦って生き抜くか、刺激の多い一冊

コンピュータが仕事を奪う 

表題どおり、コンピュータが奪う人間の仕事にはどのようなものがあり得るのか、逆に、奪われにくいものはどのようなものなのかを、コンピュータと数学の理論の話をベースに説明していったもの。

自分は数学の話は結構苦手ではあるんやけど、著者の文章はとても読みやすかった。例も分かりやすくて、ドラえもんのひみつ道具とかも比喩に使われている(そして、「ほんやくコンニャク」の脚注に「漫画『ドラえもん』に登場するひみつ道具のひとつ」(p82)って書いてあるのがシュールでいい感じw)。

数学の理論的な話はベースにはなるけど、適度に歴史や具体例の話も織り交ぜられていて、具体と抽象の間を行き来するのがとてもうまい。ズームイン、ズームアウトしていく感じ。例えば、冒頭にいきなり福井県の三国というところを訪れた時の話が出てくる。

福井から三国までの電車は単線。人気もまばら。その時に見た旧家の家に、北前船の写真がかかっているのを見つける。その写真の中には港を埋め尽くす程の帆船が映っていてにぎわいが伺える。廻船問屋がたくさんあって栄えていたことは知識として知っていたが、そのことと今の静かな町の状況を比べると胸がつかれる思いをしたというエピソード。

これは輸送手段が北前船から鉄道に変わったことにより状況が大きく変わり、商人や労働者が減っていったということ。ただ、今はもう船から鉄道に輸送手段が変わった時に、どのような職業がなくなり、どのように人が移動したかを覚えている人はもういない。

技術の変化は常にあるけど、それを事前に予測することはとても難しいという話が述べられている。このエピソードの後に出てくるのが次の言葉。

「技術によって生活の場所を奪われて、初めて人びとはその意味に気づくのです」(p3)

こうしたことを踏まえつつ、メインの内容ではコンピュータは何が得意で、その背景にはどういう構造があるのかということが、数学的な考え方の話をベースに説明されている。コンピュータ自身は数学的なモデルをベースにしていて、結局は数学的な枠組みにいきつくが、それゆえに得意・不得意も決まってくる。

得意なのは暗記や手順が決まった演算。そこに最近はパターン認識など、機械学習的なものの含まれてきてはいるけど、まだまだ判断や処方箋を創り出すというところまではいっていない。

例えば、何か困っている人がいるとして、機械に対して処理させるには何らかの形で言語化、手順化が必要やけど、そもそも何を困っているのか、なぜ困っているのかをみんながみんなうまく言語化できるわけではない。そういうものをコンピュータは処理しづらいし、やろうとすると膨大なコストがかかる。

「キーワード検索ができる状態になっていたなら、問題の多くはほぼ解決済みなのです(だって、検索するよりも、内線で電話して聞いたほうが多くの情報が得られますから。内線電話をかけられないような内気な社員ばかりだ、というのであれば、そこの部分を教育したほうがよいでしょう)。
 つまり、このように「人間でも、どう解決したらいいかよくわからないこと」をコンピュータで解決しようとすると、莫大な費用がかかる上に、ろくな成果が得られない、という羽目に陥るのです」(p24)

さらにいえば、手順が決まっているものについても、コンピュータが理解できるような処理や表現に落とし込むのは結構大変。例としてあげられていて面白かったのが、東京工業大学で入学者全員に課されるという「コンピュータ・サイエンス入門」の扇での課題。

「自分の家の筑前煮の作り方を、誰もが再現できるように仕様書として作成しなさい」(p209)というもの。これは簡単なようにみえるけど、「誰もが再現」っていうのがポイントで、「乱切りとは」「中火とは」とか暗黙知の部分から誰もがわかりぶれないように言語化、表現する必要がある。

筑前煮1つでこれやから他のものも推して知るべしという感じ。例えばコンピュータを教育効果の分析に活用するとして、「生きる力」「思いやりのある心」といったものをどう定義してどう計っていくかというともう手のつけようがない感じ。

上記とはまた違った角度で以下の言葉も印象に残った。

「数学的に「存在する」ということと「計算して、それを手に入れることができる」ということは、まったくの別物です」(p33)

これはゲーム理論のナッシュ均衡の話で出てくるけど、ナッシュ均衡が存在することは数学的に証明できても、それにたどりつくための計算はかなり困難。コンピュータですら未だ処理が追いつかない上に、人間が計算するのはかなり無理がある。そうすると現実世界に当てはめられる部分というのは限りが出てくる。そういうところを踏まえて考えていかんとねという話。

その他にも1つ面白かったのが以下の主張。

「人類に、最も貢献したオープンソースソフトウェアはLinuxでもFirefoxでもなく、四則演算(+ー÷×)の筆算でしょう」(p122)

ここでのオープンソースの定義は大まかに「計算の手順を公開して誰もが利用可能な状態にすること」(p122)とされているのでその上での話ではあるけど、こういう発想はなかったので目から鱗やった。オープンソースっていうと比較的最近のITの世界の話をイメージしてしまうけど、知識や手順の共有っていう意味で広く考えれば昔からあったんやよなーと。

そして、著者は数学者でもあるし、数学の貢献度を特に解説していっている。これに関連してもう1つなるほどと思ったのが以下の話。

「科学のイノベーションが起こるには、それに先だって数学にイノベーションが起こらなければなりませんが、その前に、言葉としての数学にイノベーションが起こらなければならないのです。数学のイノベーションはあるところまで達すると飽和状態を迎えますが、その主たる原因は、人間の限られた時間とワーキングメモリにあります。それを打破するには、位取り記数法や数式など、表現方法の側にイノベーションが起こらなければならないのです」(p147)

7つの習慣でも第1の創造と第2の創造の話があるけど、それと似たようなことを感じた。概念としてのイノベーションがまずどこかのタイミングであってそれがアウトプットになるということかなーと。

上記以外にもいろいろ面白い話があったけど、結局どうするかというと、「コンピュータが苦手で、しかもその能力によって労働の価値に差異が生まれるようなタイプの能力で戦わざるを得ない」(p190)という話。具体的には、「耳を澄ます」「じっと見る」(p218)といったもの。キーワード的には、洞察、言葉、五感とかそんなところ。

また、コンピュータを使いこなすという観点からいうと、和文(自然な言葉)を数理的な表現に訳し、それを数学者やプログラマー等の専門家に渡して、最終的にコンピュータが処理できる形に落とし込んでいくような能力も大事になってくる。IT業界ではよく聞く話やけど、ふわっとした言語的な仕様ではなく、その「思い」をプログラムに展開していく、「科学技術とビジネスとの間のコミュニケーション・ギャップ」(p60)を埋めることも重要という話。

単純な読み物としても面白いし、これからの仕事や人生のあり方を考えていく上でのビジネス書としてもいろいろ刺激のある一冊やった。

2014年9月5日金曜日

「言える化 「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密」で仕事にワクワクする気持ちがわいてきた

言える化 ー「ガリガリ君」の赤城乳業が躍進する秘密

ガリガリ君をはじめとするアイスの製造・販売を行なっている赤城乳業についての本。ガリガリ君っていうだけで気になったんやけどさらに面白いのが著者の方との組み合わせ。

著者は戦略系のコンサルティング会社のローランド・ベルガーの日本法人の会長の方で、約25年もの間、数百社の企業の経営をこれまでに見てきている。いろんな企業を見てきた著者が、なんでわざわざガリガリ君の会社を取り上げたというところも注目ポイント。

数百社もみているとだんだん新鮮な驚きも失われていくけど、赤城乳業は違って、ワクワクするような驚きを感じたということ。内容を読んでいくと、なるほど、これはスゴイ、というか面白い!ということがよく分かるし、著者のワクワク感も伝わってくるような内容になっていて、読んでいてこっちもワクワク感を感じられて楽しかった。

文章も、著者の方の要約力というか、本質を切り取る力が反映されていて、どういう特徴があってどうユニークで何が成功につながっているのかということが分かりやすい言葉で整理されている。スタートアップの時期の話は少なめやけど、数十人、数百人くらいの規模の会社が、小さくても強い会社=強小カンパニーをどう目指していくかというところで参考になるポイントも多かった。

■驚くべき生産性
まず数字がいろいろ出てくるけど、社員数330人で売上高353億円(2012年度)というのがまずスゴイ。1人あたりの売上高で言うと1億を超えている。さらに、その時点で6年連続の増収。2003年の売上と比べると191%の伸びということで10年間で売上が約2倍。

ガリガリ君自体も発売はなんと1981年と20年以上前(自分が産まれる前だった…)。発売当時はそんなにヒットしたわけでもないけど、それをじわじわと育てて特に2000年代に入ってから爆発的に伸び始めて、今や年間4億本を超えるという。平均で国民1人あたり3本くらいは食べている換算になる。30年をかけて国民的なヒット商品になったというからそれだけでもかなり興味深い。

■温もりのある「放置プレイ」
その背景にある企業文化について主に紹介されているんやけど、そこもまた面白い。その1つが、若手に任せるという文化。新卒数年くらいの社員がどんどん第一線に出て、かつ、自分の責任で仕事を進める。大手のクライアントとの会議でも、先方は複数でいろんな部署から出てくるのに赤城乳業は若手1名というのもざらにあるという。

キーワードとしてあげられていたのが、「温もりのある「放置プレイ」」(p49)。これにはいくつかの側面があるけど、一つは文字どおり、基本的には放置。むやみやたらに口や手を出さない。ただ、最後まで放置しっぱなしというとそういうわけでもなくて、ギリギリのところでは手助けが入る。任される若手の方も、自分の意志と責任でギリギリまでもうこれ以上は無理というところまでやりきってから手助けを求め、周りもそれを分かって待っていたりタイミングよく助けたりしている。

■言える化
これと関連しているのがタイトルにもなっている「言える化」。若手にいろいろ言ってもらうのも、放置にも忍耐がいるけど、そこを徹底している。ある営業部長の方の話も印象深い。

「経験のある人間だけで決めて、動けば、目先の仕事は効率的に回るかもしれない。でも、それでは人は育たないし、新たな発送やアイデアも産まれてこない。営業部長の渋沢は、「言える化」を実践するための自分なりの努力を教えてくれた。
「中堅・若手中心の会議では、途中で席を外すようにしている。若い連中の話を聞いていると、どうしても一言言いたくなる。議論を妨げないためには、そこにいないのが一番いい」
 生産部門の管理職30名が集まる定例会議では、担当常務の古市は最初の一言だけ話すと退出する。古市はこう言う。
「会議の進行表に(役員退出)と書かれているので、出ざるをえない。ちょっと寂しいが、それで議論が活性化するなら大歓迎」
「言える化」という土壌は、一気にできるものではない。上の人間が「言える化」の重要性を認識し、日常の中でちょっとした努力や工夫、気遣いを積み重ねてつくり上げるものなのである」(p142)

若手の意見を活用しようみたいな話はよくあると思うんやけど、そう言うだけでなくて、そうならざるを得ないような仕組みというか、行動にまでもっていって、そういうことを積み重ねているのが大きいのかなと感じた。

■「やばい」は一人前への登竜門
こうしたことの他に、もう1つ赤城乳業の製品を特徴付けているのが、そのユニークさ。ガリガリ君のコーンポタージュ味というかなり奇抜な味が話題になったのも記憶に新しいけど、それもこういう企業文化があってからこそ産まれてきたもの。それを象徴するようなエピソードが以下。

「なんとかアイデアをひねり出して、苦し紛れで新商品の提案を上司にしたところ、「お前、これ自分で何点だと思っているんだ?」と詰問された。
 自信などまったくなかったので、思わず「60点です」と正直に答えると、「60点のものを売っていいんか!」とすごい剣幕で怒鳴りつけられた。新入社員だからといって、仕事の中身については容赦はない。
 そんな経験を積み重ねながら、影山は少しずつ商品開発の勘どころを身に付けていった。そして、影山はあることに気が付く。それは「普通すぎると、めっちゃ怒られる」ということだ」(p39)

関連して、PRも突き抜けている。面白かったのが、あえて真冬の札幌で雪の降る中にガリガリ君の着ぐるみを登場させてアイスを配ったりしたという。これは普通だと逆やけど、逆をいくことによって、「冬にアイスかよ!」といった形で面白がられて口コミが広がる。その他、ガリガリ君専用のスプーンを売り場においたりとか。それも、「棒アイスにスプーンいらねえだろ!」みたいな感じで口コミを産む。

■ゆるいからといって、ぬるいわけではない。
一方で、ゆるいからといって、ゆるゆるのびのびなだけで仕事をしているわけではない。それをあらわしているのが以下。

「ゆるいからといって、ぬるいわけではない。ゆるいからこそ、社員たちは責任感を持ち、自主的に動く。
 日本企業の強さの本質はそこにある。日本らしい創造は、この現場の自由度から生まれる。赤城乳業の原画から創造性溢れる商品や販促策、改善提案が続々と誕生する理由は、この自由度の高さにある。
 また、赤城乳業はとても「やわらかい」。世の中の常識や業界の常識をさりげなく否定して、新機軸を打ち出すのが得意だ。
 頭が錆ついている会社が多い中で、常にフレッシュだ。「異端」の発想や「あそび心」が社員に沁みついているからこそ、竹のようなしなやかさを持っている。
 そして、この会社はとても「あったかい」。失敗に対してとても寛容であり、失敗そのものを楽しんでしまう度量の大きさを持っている。冷凍技術は一流だが、実はあたためて「溶かす」のも得意だ」(p215)


「ゆるいからといって、ぬるいわけではない」というのは言い得て妙だなーと思った。数百名規模の組織でどういう組織像を目指すかというところでヒントになる話がいろいろ詰まっている良い一冊やった。これは図書館で借りたけど、買って手元に置いておくことにしました。

2014年9月4日木曜日

スポーツもマネジメントも興味あると2倍面白い「スポーツ・マネジメント入門 〔第2版〕 24のキーワードで理解する 」

スポーツ・マネジメント入門 〔第2版〕: 24のキーワードで理解する  

もともとは2005年に出版されたもので10年ぶりに改訂されたもの。第2版って内容が大して変わってなかったりするものもあるけど、これは発行年が2014年ということもあり、結構最近の話題まで取り入れられている。

内容としては、マネジメントの本質、スポーツ・マネジメントとは、戦略の基本等の、マネジメント関連のトピックから、GMの役割、スポーツが持つ公共性等、スポーツに特有の話までカバーされている。戦略や会議の進め方の話まであり、普通にマネジメントの本として読んでも結構参考になる。あと、CRMの話もあり、個人的にはここはかなり気になるところやった。

全体的には考え方や方法論が体系的に整理されている感じ。言葉遣いがちょっとかためではあるので経営用語に慣れていないとちょっと読みづらさを感じるかもしれないし、すぐに実務に役立つ知識やノウハウが詰まっているというわけではないけど、重要なトピックが網羅されていて、全体像をつかんで整理するのにかなり良さそう。

以下、特にスポーツ・マネジメントのトピックとして興味深かったポイント。ただ、スポーツに限らず、他の領域では通じるところも結構ある気がする。

■勝敗を事業性とリンクさせない
「負けてもそれなりの「価値/満足」を感じてもらえるような、エンターテイメント的な要素や付加価値を創出する必要があります。肝心なのは、「事業をできるかぎり勝敗にリンクさせないこと」なのです」(p202)

「集めたよい選手を使っていかに勝たせるか、と考えるのは競技マネジメントの部分になりますが、スポーツ・マネジメント的な観点で最も大切なのは、競技の成績にかかわらずいかに収益を上げるか、という点なのです」(p44)

このあたりは、先日のサイボウズ超会議で話されていた内容の中で小澤さんが仰っていたこととも通じる。

■商品というゲームの価値向上においては相手チームも協力関係
商品はゲームであることを踏まえると、まずそもそも、「自チームで売る商品が、そのチーム単独では生産されない」(p46)。かつ、拮抗した魅力的なゲームを作り上げるには、相手チームとの関係が重要。すなわち、「相手チームとはゲームでは競合関係でありながら、事業としては協力関係」(p46)にある。さらには、リーグ戦の場合はリーグ全体におけるバランスが重要になってくる。

■サポーターは経営の「リソース」でもある
サポーターは普通に考えると「顧客」だが、選手への応援や場の雰囲気づくりによってゲームの価値を高めることにも貢献している。
「観客は「顧客」であると同時に、「ゲームという商品」の室を高めることに寄与する重要な要素」(p19)であるということ。

■プロ野球ではジャイアンツこそがフリーライダーである
ジャイアンツ戦がなぜ面白かったかというと、ジャイアンツがただ強かっただけではなくて、打倒ジャイアンツを掲げるライバルチームがエースピッチャーを対戦させてくることにおり、試合としての盛り上がりが生まれたということ。

そのために、他チームは戦力補強をするが、これはすなわち、「ジャイアンツ戦がおもしろいコンテンツとなるためのコストの何割かは、相手チームが担っていること」(p15)になる。

しかし、入場料や放映権等からあがる収入はそのコストに応じては還元されず、ジャイアンツに集中する。これはジャイアンツの問題というよりリーグの構造の問題であり、この問題がプロ野球再編問題として表面化してきているというのが著者の見方。

■バルセロナの質を高めるためにやったこと
FCバルセロナの経営改革を行なったソリアーノ氏との話の中で出てきていた話。ビジョンは、「バルサを競技力とビジネスの両面において、世界最高の質に高める」(p86)ことであり、そのためにやったのが以下の3つ。

・課題の優先順位を決める
・実施のフレームを決める
・各領域における優秀な専門家を招き、彼らの能力を発揮させる

そして「それ以外に私がしたことはない」(p86)と言い切ったという。こうやって書くと、なんて当たり前な…というか、当たり前すぎて一瞬きょとんとしてしまったけど、よくよく考えると世界最高のレベルでこれをやりきるっていうことはそう簡単にできることでもない。逆に、当たり前のことを高いレベルで当たり前にやっていけば、高い質を生み出していけるということやろうなーと改めて思った。

その他、ちょっと雑学的な知らんかったけどそうなんやーっていう感じで、以下の話も興味深かった。

・マンチェスター・ユナイテッドのチームの総人件費は絶対額においてリーグ最高額ではない。また、事業費における選手人件費の割合が最も低い(p43)。

・スポーツ施設の多くは、スポーツが文部科学省の管轄下にあるため、地域の教育委員会に利用方法が委ねられていることが多い。その評価基準は「教育的見地」となるため、プロチームの使用を学校体育より優先させる論理がそもそもない。そこにあわせて調整していく必要がある。例えば、文部科学省が推進している「子供の居場所づくり」というプロジェクトとからめてソフト事業を提案するとか(p210)。

・国立競技場の管理管轄は代々木公園の管理事務所。スポーツ施設の管理と公園の管理は本来管理ナレッジとしては別物だし目指すところもずれる。美しい庭であることを理想とする公園管理と、たくさんの人が来たり飲食店があってにぎわっていたりというスポーツ施設上の要請はいtっ治しない。

あと、CRMについては結構具体的なツールまで紹介されとった。ぴあとシナジー(あと分析エンジンとしてxica社のサービス)を連携させたソリューションの様子。これはこれで良さそうなんやけど、もう少しライトに手頃な値段で使いたいというニーズがあれば(例えばJ2とかJ3の予算規模がさらに限られるような場合とか)、Zoho CRMとかも結構有効な解決策になるんやないかなーとちょっと妄想してみた。

そのあたりも含めてスポーツにもマネジメントにも関心がある自分にはなかなか興味深い一冊やった。

2014年8月19日火曜日

「ネットワーク科学 つながりが解き明かす世界のかたち」で物の見方を広げてみる

ネットワーク科学 (サイエンス・パレット) 

ネットワークをキーワードにさまざまな現象をとらえていくネットワーク科学について概説した本。

ネットワークっていうと、インターネットみたいなものをまず想像するけど、結構概念はいろんなところに適用可能。もちろん、情報工学的な話も入っているけど、それだけでなく、社会学的な人間関係のネットワーク、生物学的な食物連鎖や神経回路のネットワーク、経済学的な貿易関係のネットワークとか適用範囲は結構幅広い。

その他にも医学における公衆衛生や伝染病とか警察と軍隊に置ける犯罪者やテロリストのネットワークとか、いろんな分野でネットワークの考え方は適用できる。この捉え方は面白いなーと思った。

いくつか特に印象深かったトピックが以下。

■マタイ効果
社会学者のロバート・マートンが定式化した法則。科学者に関する表彰、研究資金、知名度、名声等の配分は、多くをすでに持っている人がより多くを持つというもの。新約聖書のマタイによる福音書の一節にちなんでいてそれが以下。

「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っている者までも取り上げられるだろう」(p116)

これが適用されるのが、例えば科学論文の引用数。発表後ある時点までにたくさんの引用を受けた論文はその後もさらに引用数が増えていくのに対し、発表後すぐにあまり引用されなかった論文はその後も引用が増えないという。

このへんはPRとか製品の認知度とかとからめて考えてみたり。リリースを打った後にすぐに一定数記事になったらその他の記事も増えやすかったり、逆に何も載らなかったらますます記事になりにくかったりとかないかなーと思ったり。

■3次の法則
「人の幸福度は直接つながってはいない人たちの幸福度の影響を受ける」(p144)

ネットワークで離れている人でも3次の隔たりまでは影響を受ける
 2ステップ離れた人(友人の友人)からの幸福度の影響…約10%
 3ステップ離れた人(友人の友人の友人)からの幸福度の影響…約6%
 4ステップ離れた人からの幸福度の影響…なし

情けは人のためならずを実証しているというか、結局周りの人を幸せにすることが自分の幸せにも影響しているっていうことかと。

■アメリカの政治に関するブログの分析
物理学者のラダ・アダミックの分析。民主党支持者のブログと共和党支持者のブログはきれいにネットワークが分離している。

自由主義派のブログのネットワークは保守派のブログのネットワークよりまとまりが低い
例:人工妊娠中絶の是非を主題とするブログ
賛成派のブログ同士よりも反対派のブログ同士の方がより密につながっている
→ネット上の組織的運動は賛成派よりも反対派の方が簡単に広がりやすい。

このへんは、ネガティブな意見の方がよりまとまりやすく広がりやすいっていうのもあるのかなーとも思ったり。

■路線図
地下鉄等の路線図は、実際の距離は無視して、駅のつながりだけを模式化して記載してある。

これは
「ネットワークにおいては、距離よりもトポロジーが重要である」(p25)
から。

駅と駅がどれだけ離れているかということよりも、どの駅とどの駅がつながっているかの方が重要。

「物理的な地形は、「ネットワーク的な地形」に比べれば重要ではない」(p25)

ということで、この考え方もいろいろ適用ができそうで面白いなと思った。

IT業界に身をおいていると、ネットワークというと、どうしてもルーターとかそういうイメージをしてしまいがちでわりともう定まっていて広がりが薄いものに感じてしまいがちやけど、情報通信に限らず他の分野でも通じる物の見方が得られると捉えれば広がりがあって面白みが増すかなーと思った一冊やった。

2014年7月13日日曜日

「認定こども園の時代 子どもの未来のための新制度理解とこれからの戦略」を読んでこれからの保育について考える

認定こども園の時代: 子どもの未来のための新制度理解とこれからの戦略

平成27年の春にスタート予定の「子ども・子育て支援新制度」について解説した本。著者は、政府の委員会に携わっている方で、おそらくこれらの制度設計にも関係している方。

先日保育園で、「子ども・子育て支援新制度」が始まりますみたいな案内が配布されたけど、イマイチ具体的にどんな話なのか理解できとらんかったのが、この本を読んでおぼろげながら分かってきた。

制度の説明って結構作文言葉が並んでてイマイチ何を言いたいのかよく分からんこともあるけど、この本の内容は結構読みやすかった。その理由の1つに、今の課題やそれに向けてどう考えてどう取り組もうとしているのかという背景をおさえて説明してあることがあると思う。

具体的にいうと、平成24年月に成立した「子ども・子育て支援法」とその関連法律にもとづいて、消費税の増税分から7000億円の財源があてられて各種施策が進められるということ。

その1つがいろいろ話題にもなる「認定こども園」。この認定こども園自体も、イマイチ何がどうなるのかよく分かってなかったけど、それが目指そうとしているところや、位置づけとかも少しつかめた。

この点に関して、この本の解説では、認定こども園になると何が変わって何が良いのかということが結構具体的に書いてあって参考になった。例えば、幼稚園については、そのまま幼稚園のままでいるか、認定こども園になるかという選択肢があるけど、そのメリット、デメリットも整理されている。

ある程度保育所に相当する子どもが多いなら、幼稚園型よりも幼保連携型になった方が補助金が増えるのでメリットがある。ただし、多少の預りだったら一時預かり制度を使うという形でそのまま幼稚園でいることもできる。逆に、デメリットとしては、保育所を兼ねることになるので給食が必要となるので園内に調理設備を用意する義務が出てきてそれが負担となることがある。このあたりを申請度で補助を出していきますよという狙いもあるということ。

保育所については、「保育所が認定こども園になることに何か得があるかといえば、直接的にはほとんどメリットがありません」(p13)と明確に書いていてちょっと興味深かった。これは保育所が認定こども園になることで補助金はほとんど増えないからということ。ただし、まったく意味がないかというとそういうこともなく、融通が効くというメリットもあるということ。

どういうことかというと、保育所はあくまで就労などの理由で保育に欠ける子どもの保護者のための施設なので就労等をしておらず保育に欠ける理由に該当しない場合に子どもを預かれない。しかし、地域によっては保育所しかない場合、就労していない保護者の家庭からも預かりのニーズがあったりする。また、保護者の側の事情も変化するので、来年1年間だけは家にいたいというようなニーズも出てきたりする。こういう時に、保育所だと規定上対応しづらいが、認定こども園だと柔軟に対応できるということ。

保育所が認定こども園になるもう1つのメリットとして教育機能があげられている。これは現状の保育所の課題とも連動している話。幼稚園の場合、法律上も教育施設として規定されているため、初任者研修など、教育に関する研修が義務付けられている。時間の使い方としても、幼稚園の場合は8時間勤務のうち、子どもたちと接しているのは4-5時間で、残りの時間は翌日の教材の準備や記録の整理、勉強会、研修受講など、教育に関する活動に充てることができるようになっている。このあたりは小学校の教諭と同じということ。

一方、保育所の保育士の場合、8時間がまるまる保育時間として設定されているため、ずっと子どもの世話だけで勤務時間が終わる。勉強や記録、教材準備、打ち合わせなどの時間は保障されていないため、なんとかがんばって適当にどこかの時間で書いてくださいということになっているということ。

このあたりの課題が、保育所が認定こども園になると改善していけるのではという話が述べられている。もう少し述べると、保育所が認定こども園になると幼稚園の機能を兼ねることになる、すなわち、保育士が学校の教諭を兼ねることになるので、教育や研修の充実につながる可能性があるということ。

もちろん、これは一概に言えない部分もあるんやろうけど、こういうねらいのもとに整理されてきているんやなーということがわかって個人的には収穫があった。

その他、印象に残った話が地域型保育における「撤退」の話。どういうことかというと、新しい制度では地域型保育として、小規模保育や家庭的保育という形で比較的小規模で要件が緩やかな形で保育事業を営むことができるようになった。これは要件が緩やかなだけあって比較的作りやすい。ではそれの何が良いかというと、以下。

「作りやすいというのは、いろいろな場所で作れる。お子さんの家庭の近くで作れるということがひとつと、もうひとつは、人口の動態の変化に応じて撤退しやすいということがあるんです。この撤退しやすいという条件は、これからの日本の社会で非常に重要になっていきます」(p18)

確かに、今は待機児童がたくさんいるため保育施設の増設がかなり必要になってるけど、基本的には子どもが減っていっている中でその先にどうしていくのかということも見据えていた方が良いとは思う(子どもが減ってるのに待機児童問題がなかなか解決しないのはなぜなのかっていうのは別途気になる課題ではあるけど…)。そういう意味で柔軟に動きやすい形の仕組みっていうのは大事やなーと思った。

もう1つ別の話で印象に残ったのが広島県の話。広島県は男性の育休取得に特化した取り組みで、平性19年度には全国平均以下の0.6%だった取得率が、平性24年度には7.2%にも達しているということ。男性の家事・育児時間も平性18年度から23年度にかけて、19分から53分と大きく伸びたということ。具体的な取り組みとしては、男性の育休取得を促進することを宣言した企業を登録して公表したり、中小企業等で男性が1週間以上の育休を取得したら奨励金を取得したり、知事自らが育休を取得したり、メディアに周知したりしたということ。こういう動きもあるんやなー。

政府系の本かな~と思ってつまらんやろかと思ってはいたけど、先入観やった。これから自分も直接的に関わるという意味でも参考になるし、これからの日本の社会における保育のあり方を考えていく上でもいろいろ視点が得られる一冊やった。

2014年7月10日木曜日

イライラを整理するきっかけになる「イライラしがちなあなたを変える本」

イライラしがちなあなたを変える本 (中経出版)

どっかの書評かなにかで紹介されてたから読んだんやけど、何に書いてあったか忘れてしまった…よく見たら以前同じ著者の方のアンガーマネジメントに関する本を読んだことがあって大体似たような内容ではあった。けど、それはそれで良い復習になった。

怒りは脊髄反射のように起こるのではなく、怒りを感じるまでには段階があるということ。それが以下の3段階。



1)出来事が起こる
 何かの出来事を見たり、誰かが何かを言うのを聞いたりします

2)出来事の認識・意味づけ
 その出来事、言動などがどういうことなのかを考え、それを意味づけします

3)怒りの発生
 意味づけをした結果、自分が「受け入れられない」「許せない」と思うと、怒りが生じます
(p31)

このあたりはこの前まで読んでた「嫌われる勇気」と似たような話も多かった。対人関係の見方は相手ではなく自分の意味づけによって決まるとか、他者の課題は他者の課題であって変えられないものは割り切って分離すべきとか。

「あなたが「こうあるべき」と考えていたことが、「そうなっていない」からイライラするのです。
 イライラするかどうかを決めるのは「自分」なのです」(p38)

その上で、自分が何にイライラしがち、怒りがちなのかを把握することが大事で、かつ、どのくらいの怒りを感じるのかということも記録することで客観視できるようになるということ。怒りのスケールを以下の3つに分類して整理するというのは良いかもなと思った。

1)許せる怒り
2)場合によっては許せる怒り
3)絶対に許せない怒り
(p65)

よくよく考えるとほとんど1)とか2)に入ってることって多い気がする…このへんも整理できるともっと良いかもとも思った。

なお、一番最後に書いてあったのが「イライラしがちな自分も受け入れる」(p223)という話やった。これを横から見てた奥さんが、最後に結局それか!みたいなツッコミしてたけど、まあ確かに(笑)

でも、実はこれがベースな気がする。ミスの話と一緒で、完璧にしようと思ったら余計難しくなるので、ある程度許容しつつ良い方向に向けて少しずつでも改善していくというのが良いのかもなーと思った。

頭で理解はできるんやけど、なかなか実践するのは難しいなあ…ということが改めて分かった感じやけど、それでもちょっとずつでも取り入れていければまた人生楽しくできるやろなーと思った一冊やった。

2014年6月26日木曜日

「図説 アジア文字入門」を読んで意味不明の文字でも楽しめるようになったかも?

図説 アジア文字入門 (ふくろうの本/世界の文化)

文字からアジアを見ていくという内容。執筆者の方は、文字の専門家ではなく、文字に関する知識をツールとして使って言語、歴史、宗教等を研究している、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の方々。

「日常、研究のツールとしてつかっている文字を中心にすえて、あるいは文字そのものを切り口に、知識の足りないところは互いに補いあいながら、もう一度専門分野のことば、地域、歴史、文化を見なおしたらどうだろう、と考えたのが最初の出発点」(p110)ということ。

こういう背景もあってか、単に文字の紹介の羅列という感じではなく、文字の背景となっている歴史や文化についても触れられていてそのあたりが面白かった。

具体的に扱われているのはインド系文字、アラビア文字、漢字と漢字系文字、ラテン文字、キリル文字など。

さすがに日本で教育を受けてきたので漢字の話には結構なじみがあるけど、それ以外はほとんどよく分からないのと、インド系文字のところでタミル語が紹介されていたので興味をもって読んでみた。

言われてみれば目から鱗だったのが、インド系文字の広がり。漢字やラテン文字の方がなじみがあるけど、インド系文字も世界に占める位置は結構大きい。

インド系の文字は、インドと周辺の南アジア地域以外にも、東南アジア(ビルマ、タイ、カンボジアなど)やチベットにも波及している。また、今はラテン文字を使うベトナム、フィリピン、インドネシアにもかつてはインド系文字が使われていた時代もあったという。

大体このへんの地域の文字は先祖をたどっていくと1つの文字にいきつくという。それは大体今から2300年前にインドで生まれたブラーフミー文字。

タミル語を去年まで結構勉強しとったけど、確かに上記で挙げられている地域の文字をみるとなんか近いものを感じる。タミル語の文字は、ヒンディー語の文字よりもむしろタイとかビルマの方の文字の方に似ている感じがするのが興味深かった。

それに関連して面白かったのが、「オ」のDNAという話。オの音を表わすには、アを表わす記号とエを表わす記号との組み合わせで表現する。タミル語だと、アは子音記号の右側、エは子音記号の左側に母音記号を書き、オの場合は子音記号の両側に母音記号を書く形になる。

これが最初中々慣れんかった。英語とかだと基本的には母音記号と子音記号は左から右に読む順に流れていくんやけど、タミル語やとオ音が入るとごちゃごちゃっとした流れになる。

なんでこんな仕組みなんやろうなーと思ったけど、これは先祖のブラーフミー文字の仕組みを受け継いでいるということ。

以下の説明を読んでストンと腹に落ちた。

「-oをこのようにあらわさなければならない理由はどこにもないのですから、これはブラーフミー文字がたまたま取った方法にすぎません。しかしこの「たまたま」の結果が、まるで遺伝子のDNAのように子孫の文字たちに引き継がれていくのです」(p23)

もう1つ面白かったのがインド系の文字と漢字系の文字の対比。インド系の文字は、ほとんどがブラーフミー文字をベースにしているけどそれは結構シンプルなもの。

しかしその子孫たちは結構複雑な形をしていて、これは先祖の文字にはなかった装飾的な要素がおもいおもいに加えられて独自の形になっていったということ。

これに対して、甲骨文字、篆書、隷書、楷書へとたどってきた漢字はどんどん簡略化されていったという。日本ではさらにそれがひらがなに展開されてよりシンプルな形状になったりしてるけど、そのへんがなんか文化にも反映されている気がして面白かった。

海外に行ったりしてもいろんな文字を何気なくみてるけど、こういう地理的、歴史的なつながりに想いを馳せながらみてみると、意味がわからなくても結構楽しめるかもなーと思わせてくれる一冊やった。

2014年6月23日月曜日

「精神障害者枠で働く―雇用のカギ・就労のコツ・支援のツボ」の感想

精神障害者枠で働く―雇用のカギ・就労のコツ・支援のツボ  

今現在直接的にこういうことに携わっているわけではないけど、雇用の多様性を考えていく際に参考になる視点が得られるかなと思って読んでみた。

読んでみたら予想以上に良い本やった。何が良かったかというと、このテーマに限らずに組織づくりやチームビルディングといった視点では共通的に参考になる話がたくさんあったこと。それは冒頭の著者のメッセージにも表されている。

「第一に精神障害者の雇用を検討している企業、および精神障害者枠での就労を考えている精神障害者やその支援者、関係者に読まれることを想定しているものであるが、すぐには精神障害者の雇用を考えていない一般の事業所に勤める人にも広く読んでほしいと思っている。
なぜなら、本書に登場する企業に共通する、働く人を温かく受けとめる雇用のあり方は、一般の事業所においても今必要とされていると思うからだ。
即戦力や効率性を追い求め、そこに至らない社員は切り捨てていく。そういう職場では、生き残った人々も結果的に疲弊していくばかりなのではないだろうか。
従業員の弱点を受容し、長い視点で育てていくことで、結果的に従業員全体にとって働きやすい組織ができあがる。そのことを、本書に取り上げた各企業から肌で感じとってきた」(p2-3)

2014年4月発行と新しい本で、冒頭に今後の動向について整理されているけど、2018年4月から、企業が雇用すべき障害者の範囲に正式に精神障害者も含まれるようになったということ。恥ずかしながら知らんかった…

これを義務ととらえるかチャンスととらえるかは企業や人によって様々やと思うけど、この本では積極的に機会を活用していっている会社の事例が豊富に紹介されている。

1つ1つの事例はさらっと資料等をまとめたような内容ではなく、内容もかなり充実している。おそらく1社1社取材に行っていて、丁寧に整理されていて著者の想いが伝わってくる感じがした。

いろんな企業が紹介されているけど、1社目で紹介されているのが、神奈川県大和市の会社で社員数なんと15名の武藤工業株式会社という金属や機械加工の会社。

もちろん大企業の特例子会社みたいな例も後の方で紹介されているけど、まず1社目にこの会社を持ってきたねらいがある気がする。おそらくは「うちは中小企業だから…」「うちの規模だと難しいよね…」みたいな声に対するカウンターパンチではないかなという気もした。

雇用にあたっての考え方としては、単に社会貢献とか福祉的な意味合いだけではなく、もっと別の視点でも大きな意義があり、企業にとってもメリットがあるということを述べている会社も多い。例えば以下のような話など。

「いろいろな人がいろいろな価値観を持って働く過程を経てこそ、新たなものが生まれたり、互いの姿勢から何かを学んだりといったことが出てくるものです。だから、我々がこうしていろんな人と一緒に働いているということは、とても意味があるんです」
また、畠岡さんは、理念上の意味だけではなく、精神障害者を受け入れることで、組織全体にも具体的にメリットが生じることを、次のように説明してくれた。
「従来の環境なら、一緒に仕事をすることが難しかった人を受け入れて、その方がどうやったら上手く仕事ができるかをチーム全体で模索する。そうすることで、結果的にはチーム全体の効率や処理能力が上がるということが、実際に起こっています。それまで各自ばらばらの方法でやっていたことを、障害者が来たことでさらに細部まで見なおした結果、もっとよい方法を見つけることができるようになるからです」
その具体的な例として、日本イーライリリー主催の講演会などで、参加する医師に渡すタクシーチケットの手配の仕事のエピソードを紹介してくれた。ある当事者は、ミスすることへの不安から、とても確認の作業が多く、通常なら1回か2回の確認ですむところを、5回、6回と確認せずにいられなかった。すると、どうしてもほかの人よりずっと長い時問がかかってしまう。そこでその不安を取り除く方法を検討。タクシーチケットのチェックが必要なところだけに穴をあけたシートを作成して、確認を容易にするためのプロセスを作り上げた。そういった一つひとつの試行錯誤がチーム全体にも応用され、結果的には効率のアップにつながっていった。」(p30)

「統合失調症の方の特性として、どうしても注意が一つのところに定まらなかったり、あるいは道に一点に定まりすぎてしまったりという傾向があります。物事の順序をつけるのも苦手な場合があり、たとえば掃除にしてもどこからどの順番で進めればよいのか、わかりにくくなってしまうことがあります。ワーキングメモリーの障害といって、いわれたことが頭にすぐに定着しないことも起こりがちです。そういう場合は、手順をわかりやすく示すのが有効で、当院でもジョブコーチが掃除マニュアルを作って、当事者の方が働きやすいように配慮したところ、うまくいった例がありました。
ただ、この経験から感じたのは、一人ひとり特別なマニュアルを作るというよりも、初めてその仕事をする人が誰でも理解できるようなマニュアルを作れば、あとから来る人もそのマニュアルで事足りるということです。誰もが参考にできるマニュアルを作るということは、雇用側にとっても、それまでフィーリングでやっていた仕事のやり方が、マニュアルを整備することで明確になる。そういうよい作用を及ぼすことも結構あります。」(p165)

上記と似たような話は、日本でいちばん大切にしたい会社にもあったと思うけど、こういう仕組み化の契機になるということでお互いにメリットがあるということ。

あと、これを読んで「キレイゴトぬきの農業論 」 の話も思い出した。スキルや体力等が不足していく中でどうしていくかを考えていったからこそ工夫につながっているというような話があったけど、無いものや欠けているものにとらわれてネガティブに考えて終わらずに、それをどうやってうまいことカバーするかを考えると、全体的にはプラスにできることもあると思う。

また、会社としての姿勢を表わすメッセージにもなり、それは他の社員にも良い影響を与えていくという話も紹介されていた。

「長嶋さんは、富士ソフト企画の社長を務めるようになってから、この社会は健常者だけの社会ではなく、実に多くの障害者が生きている社会であるということに改めて気がついたという。その認識のもと、長嶋さんは障害者に対する理解を深め、バリアフリーの世の中を実現する観点から企業経営をしていくことの必要性を感じている。
「なぜなら、取引先の社長さんや営業部長の家族に障がい者や発達障がいのお子さんがいることは十分ありうるからです。今の時代は、地球にやさしく人にやさしい企業でないと、本当の意味で生き残っていけない」と長嶋さんは話す。
そのためには、まずは自社できちんと障害者を雇用する。そうすることで、ほかの社員からも、「この会社にはハンデがある人にもきちんと対応する恵まれた環境がある」と、モチベーションが上がっていく好循環が生まれていく。」(p121)

以下の話なんかも非常に印象的。

「比較的精神的圧迫の少ない業務を他人のために切り出す制度は、当初、社内から強い反発を受けた。会社員というのは、1日のなかでやるべき業務を見渡した時、神経や頭脳を使う負荷の重い業務と、比較的肩の力を抜いてできる負荷の軽い業務がある。そして、重い業務の間に軽い業務を挟み込むことで、1日のバランスを取っている。
ドリームポイント制を導入したときに起こった反発は、そのバランスを崩されることに激しく抵抗したものだった。実際にそれが原因で辞めた女性社員も2人いた。しかし今では、そのときに反発した他の女性社員も、子どもができ、業務を軽くするために切り出された仕事に従事する側になるなど、社内のコンセンサスが取れているという。」(p156)

なんというか、毎日の業務でいっぱいいっぱいで忙しいと、相手に対する想像力というか考える余裕とかを無くしてしまいがちやけど、そういう時に、自分がその立場だったらどうやろうか…というのを考えていくことが大事やなと改めて感じた。

タイトルから福祉系の本として見てしまっていたけど、そこにとどまらない内容。一社員の視点でもマネジメント視点でもいろんな立場にとって参考になる視点がある良い一冊やった。

2014年6月21日土曜日

「社長は少しバカが良い 乱世を生き抜くリーダーの鉄則」でエステーを応援したくなった

社長は少しバカがいい。~乱世を生き抜くリーダーの鉄則」読了。エステーの社長を務められている方が主に経営について書かれた本。内容は面白かったのはもちろんやけど、なんというか、力強い本やった。

タイトルは結構目を引く感じやけど、タイトルそのものに関する内容より企業として何を目指すのかというところの心意気や覚悟について強く感じ入るところがある内容。

著者の方は創業者の方の家族ではあるけど、エステーに来たのは51歳の時。その後もなんだかんだあって社長になったのは63歳の時。しかもバブルがはじけた後で経営状況が悪化し、株価もバブル期に7500円だったのが360円台まで下がっている状態。

その状態からどうやって状況を好転させていったか、その背景にある考え方ややってきたことが述べられている。経営方針の大転換と言葉で言えば一言やけど、そこに腹を据えてやりきる過程がすごい。本書ではその様子が垣間見える。

社長就任演説でケンカを売ったとか、バカになって同じことを何度でも繰り返して派手なパフォーマンスをして本気を伝えろとか、あえて角番に立ってクソ度胸を出せとか、経営とは戦争そのものだとか、目次や章立てだけを追っていくと結構勇ましい感じで体育会系な感じ。特に前半部分はそういうのが強くて、精神論的な話が中心かなーと思っていたらそうではない。

ロジカルに考えるべきところは考えた上で、最後の最後で直感とか想いで決断するという話。

「ホラだけ吹いてもアイデアには出合えない。それは、単なる「思いつき」だ。足を運んで店頭を知り尽くし、マーケティングをして、徹底的にロジカルに考えなければ頓珍漢なことになってしまう。
 だけど、それだけじゃアイデアは産まれない。
 多分、ロジカルに考えたことを腹に落としたら、忘れてしまうくらいがいいのではないかと思う。そのうえで、アイデアを考え続ける。夢でも考えるくらいになって、ようやく考えてるっていうんだ。そのうえでホラを吹く。大笑いしながら掛け合いをやる。そのうち、腹の底からアイデアがポンとはじけ飛んでくる。僕は、これこそ右脳と左脳を連動させるってことじゃないかと思う」(p67)

一方、アイデアを出して実行した後はその結果をしっかりトレースしていく。成功するはずだ!という信念と成功させる!という執念がすごい。

象徴的なエピソードが、消臭ポットの発売直後に長野に奥さんと静養に向かった時の話。売れ行きが気になって仕方がなくて、高速のインターチェンジごとに降りて地区ごとの有力販売店の状況をチェックして回ったという。奥さんからは「あなた、何しに来てると思ってるの?」と怒られたという。

全体を通してなんとなく江戸っ子っぽいというかそういう感じがした(実際に江戸っ子かどうかは不明ですが)。10歳の時に終戦を迎えたということで戦争の体験。戦後に親御さんが苦労するところを間近に見られてきて、ご自身ももかなり苦労されているけど、その中から叩き上げてきた経験があるので言葉の1つ1つが力強い。

それがよく現れているのが震災直後に社員にかけた言葉。

「「いいか、こんなのたいしたことないんだ。安心しろ、俺がついてる。俺が10歳のとき、東京は全部燃えて真っ黒焦げになった。俺んとこもそうだった。それで、親父と二人で露天商をやって、くず鉄拾ったりしてなんとか生き延びて、ここまでやってきたんだ。もしも、とんでもないことが起こっても、またもとに戻るだけや。食うや食わずだったけど、日本はそれでも復興した。また、やりゃいいじゃないか。会社のひとつやふたつ、俺がつくってやる。さばさばしたもんだぜ。怖いことなんて何もない。
テレビつけりや深刻な顔して『先行き不安』とか言うけど、先行きなんていつも不安なんだよ。だから、テレビを見るより、ほら、俺の顔を見ろ。俺についてこい。心配するな、負けるもんか。みんな頑張ろう!」」
(p205)

これは戦中戦後をくぐりぬけていないとなかなか言えないような言葉やなーと思った。

そして、ビジネスを通じた、あるいは、ビジネス的な採算を一時度外視してもの社会貢献についても意識が高く、震災後にガイガーカウンターを作って売ったりしている話も紹介されている。ちなみにこれはビジネス的には赤字だったとのことですが、必要とされているという信念で進めたということ。

また、「赤毛のアン」のミュージカルを震災の年にも反対を受けながらも実施して被災者の方をはじめとする方々の気持ちを明るくしようと取り組まれている。これと同じく、消臭力のCMの話もあって、震災後にACのCMばかりあって気がめいる中で、あえて自粛せずに、かつ、気持ちを晴れ晴れとさせるようなCMを作れという号令をかけて実現。これがあのポルトガルで男の子が「ショーシューリキー♩」と歌い上げるもの。やる前はこれについてもかなり批判的な見方があったけど、こういうものが必要だと言う信念で進めている。あのCMは確かに空気感を変えてくれたと思う。

空気ということで、社員の方が作った詩も紹介されていてそれもすごく良かった。

「2003年、社員が詩をつくってくれた。

空気をかえよう
お部屋の、暮らしの、空気をかえたい。
お店の、売場の、空気をかえたい。
そして、日本の、社会の、空気までもかえたい。
そのために、まず、私たちの、空気をかえます。
私たちは、研究・商品で、空気をかえます。
私たちは、営業・販売で、空気をかえます。
私たちは、広告・宣伝で、空気をかえます。
エステーは、挑戦し、提案します。
そして、空気をかえます。

僕たちは、モノをつくってるのではない。お客様に感動を届けている。生きていればいろんなことがある。だけど、エステーの企業活動還して、ほんの少しでも明るく、元気になっていただけるなら、こんなに嬉しいことはない。そんな存在意義を根っこにもっている会社こそ、強い会社ではないだろうか。わずか500人の小さな会社が「日本の空気までもかえたい」なんてずいぶん図々しいが、言論の自由だ。そのくらいの心意気がなくて会社などやってられるか。

そして、その心意気のシンボルが「赤毛のアン」だ。社長がいくら口で「社会貢献」を唱えたところで、単なる寝言だ。思いを込めてやり統けることで、はじめて本物になる。だから、これは僕の命がけの道楽なのだ。」(p195-196)

他にもいくつか印象に残った言葉が以下。

「社長業とは「決断業」だ。
 社長は、自らを恃んで纏を立てなきゃならない。
 的はずれなことをしてはまずいが、間違いを怖れてグズグズしているのが一番ダメだ。」(p28)

「お客様はモノがいいからというだけで買っていただけるわけではない。何か精神的な満足を求めていらっしゃる。それこそが商品の価値だ。「聞いてわかる」「見てわかる」でお客様を創造し、「使ってわかる」でリピーターになっていただく。この無限循環運動こそがビジネスの本質だ。そして、リピーターの方が感じてくださっている「信頼」こそが、ブランドである」(p129)

「たしかに、ウチの社是は「誠実」。しかし、創業した兄貴がこの言葉に込めた思いは、「言ったことを成し、実現する」ということだ。真面目そうな顔をして、クヨクヨしてるのが誠実ということではない。やることをやり切って、後は「なるようになるさ」とグッスリ眠る。失敗しても笑って、次の挑戦に全力でぶつかる。そんな、強くて明るい会社にしたいものだ」(p180)

一番最後のあとがきに、こう書いてあったのも印象的やった。

「ジョブズが亡くなってしまった。もう、この世に俺しかいない」(p255)

嘯いているといえばそうかもしれんし、この言葉だけをみるとえーって思ったかもしれんけど、一冊の内容を読んできてこの言葉をみると、さもありなんという感じもする。

とりあえず、同じような製品が並んでたらエステーの方を買おうかなと思った。

2014年5月7日水曜日

「あたりまえだけどなかなかできない 教え方のルール」で学んだ教え方の原理原則の考え方

あたりまえだけどなかなかできない 教え方のルール (アスカビジネス) 読了。社外向けのセミナーやトレーニングとか、社内の新しいメンバーの教育とかで役に立ちそうな本がないかなーと思っていたところに本屋で目にして読んでみた。

■本の概要
タイトル通り、「教え方」についてポイントをまとめている本。このシリーズの他の本と同じく、ポイントが101あって、大体見開き2pから4pくらいでまとまっていて読みやすい。

本書の冒頭にも書いてあるけど、よくよく考えるけど「教え方」って体系的に学んだことってあまりない気がする。話し方とかプレゼンの仕方とかそういう観点では通じるテーマはあるけど、「教え方」という観点から改めてまとめてあるので新鮮で参考になった。

■教え方の原理原則
特に意識したいなと思ったのは、以下の原理原則の話。著者は、迷ったときは以下の原則に立ち返るという。
1.「相手は何を望んでいるか?」を考慮する
2.「1 何のため?→2 何を?→3 どのように?」という順番で教え方をシンプルに考える

これだけ読むとフーンっていう感じもするけど、確かになと思ったのが次のポイント。

「多くの人は、「何を、どのように教えるか?」ということを考えていますが、それでは永遠に答えは出ません。なぜなら、そこには教わる側の相手のニーズと、教えることの目的が欠落しているからです。旅行に喩えると、旅行に行く方のニーズ(例えばヨーロッパに1週間旅行に行きたい)と、目的地(最初はパリに3日間)が決まっていないのに、何に乗ってどのように行けばいいのかを決めようがないのと同じです」

例えば1対多でプレゼンで何かを教えるとして、プレゼンに何を盛り込むかとかどうプレゼンをするかとかそういうところに目がいきがちやけど、何を望まれていて、何のためにやるのかということがスタート地点ということ。これは確かにやることに目が向いちゃってて見落としがちな気がするので気をつけたい…と思った。

■トンカツ弁当を幕の内弁当にするな
あともう1つ印象に残ったのが「トンカツ弁当を幕の内弁当にするな」(p58)というメッセージ。これは要するに内容をしぼりなさいということ。1000円のトンカツ弁当に同じ予算で、鮭の切り身も入れたい、海老フライも入れたいとか言い出すと、予算が足りなくなるし、無理矢理詰め込んでもそれぞれのクオリティが下がる。それよりは選び抜いた内容をしっかり提供した方が良いという話。

関連して、100の内容を教えて30%理解した場合と、80の内容に絞って70%理解した場合では、残る内容が前者は30、後者は56で後者の方が多い。その意味でも詰め込みすぎて消化不良になるよりは絞った方が効果は高いということで確かになと思った。


■食べたことがない人に味は分からないのでおすすめプランを提示しよう
あと比喩として面白かったのが、教える際に教わる相手に何を教えてほしいかを尋ねる方法についての話。この方法自体は有効だが、教わる側が教わる内容についてあまりよく分かってない場合は明確な回答が帰ってこないことが多い。そこでまずは相手の自覚症状や悩みを聞いた上で処方箋を提示するという流れが良くて、これは医師の問診と一緒ということ。

また、処方箋については自分の経験に照らし合わせておすすめの内容を提示するのが良いということ。これを料理に例えている。

「ブラジル料理を食べたことがない人に「ブラジル料理は何が好き?」と尋ねても、答えられません。だから、肉が好きとか相手の好みを聞いて、それに合ったものを薦めましょう」

これもなるほどと思った。営業とかサポートの場面でも有効やなーと思った。原則としては相手は何を望んでいるのか、何のためにやるのかということがあり、それに対してこちらから具体的に何をどのようにやっていくか(教えていくか)を提案する。これを考え方としておさえておくだけでもだいぶ違うかもなーと思った一冊やった。