2013年3月30日土曜日

「サムスンの真実」から人間のあり方や仕事について考え直す

サムスンの真実

特捜検事からサムスングループに入ったという異色の経歴を持つ著者が、自身が行った「良心の告白」と呼ばれる内部告発について記した本。

サムスングループの躍進は目ざましいけど、その裏で数々の違法行為が行われていたという話。具体的には、組織的な裏金づくり、贈賄、脱税、会計操作、ロビー活動、経営権継承のための違法行為等々…

もちろん、この本の内容がすべて真実かどうかはいろいろと考えたり検証する必要があるとは思うけど、内容の記述は非常に具体的で詳細。こういうことが行われているとすると、ホントすさまじい。検察からメディアから政府からすべてつながっていて不正の構造に組み込まれている…

また、組織内では「半導体技術者」や「携帯電話技術者」よりも「裏金技術者」や「ロビー活動技術者」の方が上に位置するようになっていることも述べられている。その他、監視と盗聴は日常茶飯事とか、裏側の話が具体例とともに多数あげられている。

ただ、単なる暴露本として書いたのではなく、以下のような想いをもとに書かれたよう。

「子どもたちに「正直に生きろ」と勧めても不安で無い社会になったらいい。「正直者は損をする」という考えが賢明とされ、「損をしたとしても正直でなければならない」という考えは純情で愚かなことだと見なされる社会で、「正直に生きなければならない」と教わった子どもたちが育つ姿を見守っていける自信はとてもない」(p380)

なお、管理体制や違法行為についての詳細はこちらのブログ記事とかでも整理されている↓
(以下の記事ではフィギュアスケートの話もからめて書かれている)



■なぜこの状態で成り立つのか
しかし、この通りやとした時に、それでも成り立っているというのは何でなんやろうという気がする。この本で書かれているような内容がずっと続いているとすると、どこかで企業体としての限界が来て組織としてもたなくなると思うし成功は続かないと思うんやけど、何でもつんやろ…

弊害が大きくても総帥中心の船団式経営で決定をスピーディーに行い、統制のとれた形で徹底して効率的に実行していくことのメリットもある一方、その弊害も大きい。この本では弊害の方に焦点があてられているけど、今まではメリットの方がうまく回っていたということなのかな…そのあたりは気になるので、今後また何か読んでみたい。


■組織の中での人間のあり方
著者自身は法を守る立場から法を犯す立場に移ったことから、非常にストレスがかかっていたということが述べられている。組織の論理と自分の倫理観が合わない時にどう考え、行動をとっていくのかという問題は、程度問題はあるにしても誰でも経験し得る可能性があるものなので、そういう観点からも考えさせられる。

また、著者は、日本の検察は清浄なのに対して韓国ではひどいといった形で日本の検察を美化しているけど、そうとは限らないと思う(ちょうど先日堀江さんが出所されてたけど)。

また、財閥の影響力というのも韓国ほどではないとしても日本にも通じる話だと思うので、そういう面からも考えさせられる内容。

監修者の方も次のように述べている。
「サムスンを考えることは、グローバル化した企業と社会、そして、その中で生きる人間のあり方を考えることにつながる。それは韓国の問題にとどまらず、日本の問題を考えることにも通じる」(p7)


■苦しい時こそ助ける
1つ印象に残った話。「良心の告白」以降、いろんな人から非難を受けたり、近くにいた人が離れていったりする中で力になってくれている友人の言葉がカッコいい。
「お前がうまくいっている時は近くに大勢の人がいたが、今は誰もいないようだ。せめて俺ぐらい来てやらなきゃいけないだろ」(p29)

こういうことを言えて実践できる人になりたいなーと思った。上でも書いているように、人としてのあり方や仕事について考えさせられる一冊やった。

2013年3月25日月曜日

「平成史」から今の社会構造を改めて把握し直す

平成史 (河出ブックス)

タイトル通り、平成の歴史について、6人の共著者がそれぞれのテーマについて書いた本。2012年10月の発行なので、東日本大震災やそれに伴う原発事故まで射程にいれて記述されている。

結構分厚くて3cmくらいあるけど、中身は結構つまっている。扱われているテーマは、政治、地方と中央、社会保障、教育、情報化、国際環境とナショナリズム等。最初に小熊英二さんによる総説がある。


■平成史の描き方
序文では、そもそも「平成史」と言った時に何を描くべきかという問いから始まっているのがなかなか興味深かった。

その理由は大きく2つあり、1つは歴史というには近すぎること、もう1つは平成の時代を代表するものを定めづらいことが挙げられている。

これに対し、1つ目の点については、例え直近のことであろうと、「冷戦期に栄えた日本の体制の終わりの過程」(p5)を描くことは問い直しておく意義があることが述べられている。

2つ目の点については、時代的に特定の人物や事件に歴史を代表させることが難しいことから、王朝史のように特定の人物や家系をおっていったり、あるいは、時代に特徴的な事件をおっていったりするのではなく、社会構造の変化を描く方向性で整理している。

歴史という時に人物史や事件史をイメージすると、この本の内容は違ってくるけど、あえてそうした記述方法をとって整理されている。その分、日本社会の昭和期から平成期にかけての構造変化をつかむのに参考になる内容になっている。


■そもそもの二重構造
1つ印象に残ったのは二重構造の話。特に最近、格差社会という用語が広まってきて、正社員と非正社員、中央と地方等、格差に対する意識が強まってきているけど、それを生み出している構造は最近になってできたものではなく、そもそも高度成長期からそういう構造だったということ。

高度成長期は、それが目立ちにくかったり問題視されたりする状況ではなかったのが、最近になって顕在化していたという。

具体的には、女性、地方、若者、中小企業は二重構造の「周辺」「底辺」に位置づけられてきた。高度成長期には、労働力不足により若年層確保のため初任給も上がり、終身雇用をアピールする企業も多くなったので格差が目立たなかったが、実際問題、終身雇用が成り立つくらいの規模の大きな企業の社員は、1970年ですら雇用者全体の1割にすぎなかった。

また、未婚女性、主婦、学生、高齢者を構成員とする「第二労働市場」は、1980年代半ばの時点で全雇用者の60-65%を占めていた。

つまり、
「雇用の不安定化は、日本ではおこらなかったのではなく、周辺化され目立たなかっただけであった」(p37)
ということ。

こういう構造があったけど、大企業の景気と雇用が安定していて、その恩恵が下請け企業や、男性正社員の家族である主婦や学生の労働にも及んでいて、低賃金でも問題ないとされていたという。その他、日本社会全体が若かったことや、地方や中小企業への保護政策が要因としてあげられている。


■構造転換の遅れ
地方や中小企業への保護というところと関連して、公共事業の話があったけど、建設業者の数の増加の話は意外やった。高度成長期に増えてその後バブル崩壊でどんどん減少していっているのかと勝手に思ってたけど、実は、90年代を通じて増加している。

建設業者の数は、1989年度に50万9千社だったのが1999年度には60万1千社に達する。さらに、1998年には数業者のうち10%強を建設業が占めて、1965年の2倍近くの比率となったという。このあたりは公共事業によって下支えされていて、公共事業のGDP比率も他の先進国と比べて高い水準。

そもそも、1970年代後半から、ポスト工業化への波は日本にもやってきていたけど、ドル高、バブル景気、補助行政で、産業構造転換に伴う現象が顕在化せず、引き伸ばされていて、それが一気にやってきて問題となったのが1990年代だったということが述べられている。

総説のおわりでは、「平成史」を一言で表現すると次のようになると述べられている。

「「平成」とは、一九七五年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を拒み、問題の「先延ばし」のために補助金と努力を費やしてきた時代であった。
 この時期に行なわれた政策は、その多くが、日本型工業化社会の応急修理的な対応に終始した。問題の認識を誤り、外圧に押され、旧時代のコンセプトの政策で逆効果をもたらし、旧制度の穴ふさぎに金を注いで財政難を招き、切りやすい部分を切り捨てた」(p82)

この結果、「漏れ落ちた人びと」が増えているとまとめられている。これは企業をはじめとする経済構造だけでなく、社会保障などの福祉の面からも同じような構造があることも他の章で整理されている。

男性正社員と主婦による家族を想定した社会となっていたことはよく言われていてイメージしていたけど、その背景となる構造も含めて理解できた。もちろん、この本の著者の見方がすべてではないけど、1つの視角としては参考になる。

また、本書の最後では次のように述べられている。
「「平成史」とは、一言でいってしまえば、「冷戦期で時間を止めてきた歴史」である。ある国が、自国が最盛期だった時代を忘れられず、その時代の構造からの変化に目をつぶってきた歴史と言ってもよい」(p464)

平成はまだ続いていくけど、これからの日本を考える上で社会構造を把握するために読んでおいて損はない一冊やなーと思った。構造変化に目を開いていかんと。


2013年3月23日土曜日

「子どもの宇宙」で子どものファンタジーを受け入れることとそこから自分について考えていくことの重要性を再認識

子どもの宇宙 (岩波新書)

子どもの中に広がっている宇宙の広がりについて、いくつかのテーマごとにひもといていく内容。宇宙というと分かりづらいかもしらんのでもう少しくだいて言うと、子どもの目線から世界がどう見えているのかを、子どもの言葉や児童小説の世界観をもとに解説している。

章立ては以下のようになっていて、各章でタイトルに入っているテーマが扱われている。


  • 子どもと家族
  • 子どもと秘密
  • 子どもと動物
  • 子どもと時空
  • 子どもと老人
  • 子どもと死
  • 子どもと異性


上記のような内容から、子どもの中の宇宙の広がりを見つめ直すことができる内容になっている。児童小説の内容をからめた紹介も多く、そうした作品の持つ意味もあわせて考えさせられた。


■大人になること
子どもの宇宙について、「はじめに」の中で著者が述べている内容が印象的。

「大人になるということは、子どものときにもっていた素晴らしい宇宙の存在を忘れる事ではないか、と先に述べた。実際、われわれ大人もそのなかにそれぞれが宇宙をもっているのだ。しかし、おとなは目先の現実、つまり、月給がどのくらいか、とか、どうしたら地位があがるか、とかに心を奪われるので、自分のなかの宇宙のことなど忘れてしまうのである。そして、その存在に気づくことには、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである。
 大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、子どもの宇宙の存在を無視したり、それを破壊しようとするのかも知れない。従って、その逆に子どもの宇宙の存在について、われわれが知ろうと努力するときは、自分自身の宇宙について忘れたことを思い出したり、新しい発見をしたりすることにもなる。子どもの宇宙への探索は、おのずから自己の世界への探索につながってくるのである」(p8)

読み始めでこの文章を読んだ時はそういうもんかなーと思ってさらっと読んだけど、読み終わって改めてこの文章を読むと、確かになーと思った。


■子どものファンタジーを受け入れる
また、子どもの診療の話もいくつか紹介されていたけど、その中で、想像力豊かな子どものファンタジーが抑え込まれていたことにより、知能面では問題ないのに学校での成績が悪い例とかが紹介されていた。

このケースでは、箱庭療法を通じて子どもの世界観を表現してもらったりしつつ、母親の方に子どものファンタジーを受けれいれてもらうことで試験での失敗が自然に消滅していったとのこと。

その他の例も読みながら、子どもの中にはいろんな世界が広がっていて、また、子どもは本当にセンシティブでおとなの何気ない一言二言からいろんなことを感じ取っているということを改めて認識した。これから子どもを育てていくにあたって心に留めておきたい。

あと、これに関連して面白かったのが「おとな」というタイトルの詩。


 おとな
          中谷 実
 だれか人がくると
 ぼくを見て
 「大きなりはったね」
 「もう何年生です」
 「こんど三年」
 「そう早いもんね、
  こないだ一年生やと
  思っていたのに」
 といってあたまをなでてくれる
 おとなは
 みんなおなじことをいう

(p4)

自分も子どもの頃に似たようなこと思ってたけど、今度は逆に、子どもに接すると似たようなことを言ってしまいそうな気がする。うーん、ホントこのへんは気をつけんとなーと思った。


自分が子どもだった頃の話を思い返すだけでなく、今、自分の中にあるものと子どもの中にある豊かさとを比べてみてどうなのか、とか「子どもの目」見た時に思いがけないことが見えてくるなーでといったことも考えたりしながら読んだ。

初版は1987年やけど自分が呼んだのは2006年発行の第38刷。良い内容で、さすが読み継がれるだけのことはあるなーと思った一冊やった。

2013年3月20日水曜日

「マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション」は見た目によらず結構深い、でも、わかりやすい

マンガでやさしくわかるNLPコミュニケーション

実践的な心理学、脳の取扱説明書といわれるNLPについて、テーマをコミュニケーションにしぼってマンガで解説した本。マンガの絵もきれいでストーリーも分かりやすい。

また、マンガで親しみやすい感じはしつつも内容は結構深い。著者自身も「いい意味で皆さんを裏切る実用的なNLP入門書となりました」(p5)と書いている。

内容について、特に前半部分の概念の説明は他の本でも述べられている内容やけど、マンガのストーリーとあわせて解説されるので復習としてもまた違った確度で学び直せる。


■承認するということの本質
興味があってこの本の出版記念セミナーに参加してきたけど、そこで最も強く述べられていたのが、人間の本質を理解するということの重要性。

ペーシングのテクニックとかよりも、人間の本質を理解し、相手を肯定・承認することの重要性が熱意を持って語られていた。

例えば、学校や職場での問題児や凶悪な犯罪者とかであっても、問題を起こしているそのワンシーンだけをみるのではなく、生い立ちから育ってきた環境や経験を踏まえてその人の人生全体という長いスパンでみてみると、そういう行動をとらざるを得なかったことが理解しやすくなる。

そうすると、相手に対するネガティブな気持ちが消え、相手も心をひらいてくれる。相手に対してネガティブな気持ちを持ったままだとなんとなくそれが相手にも肌感覚で伝わり関係がうまくいかない。

なので、まずは相手を受け入れて承認することが大事であって、それに比べればテクニックはどうでも良いというようなことがキッパリ述べられていて心に残った。

セミナー後、本書を読んでいたら最後の方にその点が書かれていた。

「たとえ誰もが正しくすばらしいと思うような変化を促す際にも、まずは、今のその人の立場や気持ちを否定せずに理解を示してあげてほしいのです。「相手のため」と、自分の立場の正義から変化を強要しないでほしいのです。このようにペーシングの真髄は、今のその人を尊重する姿勢にあるのです。ペーシングを「変化させる(リーディング)のための道具」と考えているとうまく機能しません。」(p226)

「「承認(スポンサーシップ)」の本質的意味は「人間を受け入れる姿勢」を指します。この場合の「受け入れる」とは価値判断なし(善壷の判断をしない)に相手と接することを指します。これは究極の安全を提供することになります。なぜなら、いかなる判断もなしに受け入れられるということは、ありのままの自分を全部丸ごと受け入れてもらっている状態だからです」(p236)

自分が嫌だなーと思う人であっても、長いスパンでみるとまた違ったものが見えてきて否定的な気持ちも解消しやすくなると思うのでこの点は心に留めて心がけておきたい。


■関連情報
キーワードとして出てくる、体験と言葉、空白の原則、一般化の原則、省略・歪曲・一般化、ペーシング、ラポールといった言葉は以前読んだ本でも出てきているのでそちらを参照しておくとさらに学びが深まって良いかも。

自分がこれまで読んだ中では以下のあたりとか。




2013年3月19日火曜日

「OJTで部下が面白いほど育つ本」から再認識する目的の共有とPDCAの重要性

[ポイント図解]OJTで部下が面白いほど育つ本

OJTのポイントについて図解で整理している本。全部で160pくらいと薄いし、図も豊富なので読みやすい。

内容としては、OJTのメリット・デメリットや注意点等の考え方から、コーチングをベースにしたテクニックの話まで。薄いので1つ1つは詳しくはないけど全体像をつかむのには良いかも。


■OJTと放置は違う
OJTというと、徒弟制のイメージからか、先輩の背中を見て学べみたいなイメージがあるけど、ちゃんとやるには手順や計画が重要だということを改めて認識できた。

PDCAをきっちりまわす手段と手順がカギということが述べられており、目標の共有化、計画の実行、結果の確認、次の仕事に活かしていくというサイクルを回していくことが重要。

計画と実行くらいまではやっても、確認や振り返り等までサイクルとしてしっかりやるのって意外に抜けてる気がする。

また、実行中もチェックリストを設けてしっかり進捗をフォローしていくことも述べられていて、チェックリストのサンプルも会った。このあたりは参考になるなーと思った。


■OJTの目的と位置づけの明確化が重要
もう1つ大事やなーと思ったのが目的の明確化。本書では、「目的」を共有できていないと、OJTはムダになるということが述べられている。

また、目的をどこに設定するかによって今やるべきことは変わってくる。長期と短期でも視点が変わってくる。

例えば、半年以内に簿記2級相当の知識を身につけるという目標を設定したとする。この時、もし部下が、「自分は将来経営企画をやりたい」と思っていたら、何の説明もなく言っても納得してもらえない。

そこで、長期的な目標を踏まえ、「長期的に会社を担う人材になってもらうために、今は数字を読む力を身につけてほしい」といった言い方をすれば伝わるという話。

これはOJTに限らんかもやけど、目的を明確にし、その上で位置づけを整理することが重要やなーと改めて思った。

これを読んだだけでは、面白いほど部下が育つかというと難しいとは思うけど、そうできるために参考になるポイントが確認できる一冊やった。

2013年3月18日月曜日

「空の上で本当にあった心温まる物語」から、ちょっと踏み込んだおせっかいが人を感動させ心を温かくするということを学ぶ

空の上で本当にあった心温まる物語

ANAの飛行機に乗ったお客さんや、お客さんとキャビンアテンダントの方とのふれあいについてのエピソード集。

キャビンアテンダントの方が機上でどのように考え、行動しているのかということが分かる。特に、サービス精神、おもてなしの心というのがキーワードで、感動系の話が中心。

いわゆる「イイ話」を集めたもので、読み方によっては鼻につくようなところもあるかもしらんけど、素直に読めば素直にイイ話として読めるし明るい気持ちになれる。

著者は、ANAのチーフパーサーを務めた後、ANAのグループ会社で研修の講師をされている方。この方は茶道をやられているとのことで、おもてなしの心について茶道の精神をベースに解説されていてそれも結構面白かった。


■ドリンクの出し方
印象に残ったエピソードはいくつかあるけど、その中で特にドリンクの出し方についての話が心に残った。

まず、急いで乗り込んできてお腹が減っていたので、離陸前にテーブルを出して急いでお弁当を食べていたら、キャビンアテンダントの方から声をかけられたという話。

注意されるのかなと思ったら、「上空に参りましたら熱い日本茶をお持ちいたします」とぬるい日本茶を持ってきてくれて、その上で「離陸までにはテーブルを元の位置にお戻しください」と一声かけられたとのこと。

これは、通常のドリンクサービスで提供しているような熱いお茶を持って来ると、離陸までにすぐに飲み干すことができないので、わざわざぬるいお茶を持っていったという。単に温めるのが間に合わなかったのかなーと思っていたのでその気遣いには

もう1つ、搭乗するのがギリギリになって、走って乗り込んできた方の話。怒られるかと思いきや、係員の方は「頑張りましょう」と励ましながら荷物を1つ持って一緒に走ってくれ、乗り込んだ後も丁寧に案内される。

そして、ようやく席についたら、「お客様、お急ぎくださいましてありがとうございます。よろしければ、冷たいお水をお持ちいたしましたので、どうぞ」とすっと紙コップを渡され、ゴクゴク飲み干して一息つけ、不機嫌だった周りの乗客の人まで感心したという。

ドリンクにまつわる話は他にもあったけど、ドリンクの出し方一つとっても、出すタイミングやどういう状態で出すかといったことに心が配られているんやなーと感心した。


■泣きやまない赤ちゃん
あと、最初の方にあったエピソードで、なかなか泣きやまない赤ちゃんを乗客の60代くらいの女性の方が抱いて子守唄を歌って寝かしつけてくれたという話があった。歌を歌い始めてすぐは赤ちゃんは泣き続けていたけど、周囲の不機嫌そうな空気が和やかな空気になったという。

気がつくと赤ちゃんはすやすや眠っていて、以下のような言葉を残して席に戻っていったという。

「いいかい。こうやって自分の心臓の音を赤ちゃんに聞かせるの。胎児だった時に聞いた音だから赤ちゃんが安心するのよ。抱いている人の心が赤ちゃんに伝わるの。
 だからね、こういう時は、まずゆったり自分の心を落ち着かせることが大切なのよ」(p25)

カッコイー!と思った。この話の解説で、著者の方は以下のように述べている。

「誰かが困っている、そんな時は、自分にも何か手助けできることがあるはずだ、そう考えてみませんか。
 直接、手を出さなくても、間接的なことでもいいのです。
 このおばあちゃんのように子守唄を歌うことはできなくても、迷惑そうな顔をしないとか、舌打ちをしないとか。
 そうすることで、機内の雰囲気が悪くなることもありませんし、お母さんも追い詰められることなく、赤ちゃんに向き合うことができます。
 些細なことであっても、何かしたい、そう思って実行できたら素敵です」(p26)

これはその通りやなーと思った。赤ちゃんの泣き声が迷惑で飛行機会社にクレームをつけた人の話とかが最近話題になってたけど、そういう考え方ではなくて、上のような考え方をとれるともっと良い雰囲気になるのになーと思った。


■Good-by Wave
もう一つ、整備士が手を振りながらお客さんを見送るのは実は沖縄出身で沖縄空港支店整備課で仕事をしていた整備士の方が自発的に始めたサービスだという話は印象に残った。

その方の後輩が、いつも出発する飛行機に向かって最後まで手を振っていることに気づいて、「どうしていつも出発する飛行機に手を振っているんですか?」と聞いたところ以下のような答えが返ってきたということ。

「おう。あれか。あれはな、俺、もともと沖組の出身なんだよ。だから、お客様がこんな遠い沖縄まで高いお金を出して、青い海と輝く太陽を楽しみに来てくれて、ありがたいなって思うし、真っ黒に日焼けして帰っていく姿を見ると『よかったですね、来たかいがありましたね』って、思ってうれしくなる。反対に、台風や雨の日が続いてしまって、真っ白い肌のまま帰っていくお客様を見ると申し訳なくて、『ぜひもう一度、すばらしい沖縄を見に来てください』って、思う。
 だから、楽しく過ごしてくださった方はもちろん、ちょっと残念な思いをした方にも、沖縄に行ってよかったねって、楽しい思い出になったねって、思ってほしくて、その気持ちを伝えたくて手を振っているんだ。」(p123)

この話に感動した後輩の方も一緒に手を振って見送るようになり、それが他の支店にも広がっていったということ。名前もついて「Good-by Wave」と呼ばれるようになったらしい。

そして、自発的に始まったため、規定やマニュアルには一切定められてなくて、手の振り方も人それぞれに違うらしい。知らんかったー。今度飛行機乗ったら見てみようかな。


■「おせっかい」ではない?
エピソードを読み進める中でふと気になったのが、それって一歩間違えれば「おせっかい」なんやないやろうか?っていうこと。

例えば、喧嘩中のカップルの仲裁に入って自分の経験を語ったり、ふられたばかりの人に対してメッセージを送ったり、結婚相手の両親に挨拶に行く人に対して話し方のレッスンをしたりといったあたり。

これらは結果としてはうまくいって、乗客の方にも感謝されてイイ話でまとまってるんやけど、もし相手の方の意にそぐわなかったらおせっかいになっちゃうんやないやろうかと思った。

そう思ってたら、以下のような一節があった。

「ANAには"おせっかい文化"というものがあります。
 "おせっかい"という言葉を聞くと、いらぬお世話、余計なお世話とマイナスのイメージが強いかもしれませんが、私たちのおせっかいは、ちょっと違います。
 「このくらいでいいや」と思わない、「もっと、何かできることはないだろうか」と、ちょっと踏み込んでみること、それが"ANA流おせっかい"です。
 もちろん、誰かれ構わずおせっかいをしなさい、ということではありません。
 放っておいてくれとサインを出している方には、いたしません。
 ただ、たいていの方が声をかけられても嫌な気持ちにはならないものです」
(p149)

なるほど、あえてちょっと踏み込んでるんやなーということで納得がいった。おそらく裏側には失敗のエピソードもあるんやろうけど、無難な範囲にとどまるのではなくてちょっと踏み込んでみることの積み重ねが人を感動させるようなサービスにつながるんやなーと思った。

これはキャビンアテンダントの仕事に限らずに参考になる要素やなーと思った。

「心温まる」と題されているだけあって、素直に読むと温かい気持ちになれて良い気持ちにさせてくれる一冊やった。

2013年3月17日日曜日

「政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか」

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

第二次世界大戦前の二大政党制の時代から現代への示唆を引き出そうとしている本。こういう政治の歴史系の本は、読み進めるのに結構苦労することが多いけど、これはすんなり読めた。

テンポが良いというか、くどくどとした回りくどい説明とかがなく、また、1つ1つの節が短く簡潔に書かれている。章立ても、最初に二大政党のそれぞれについての特徴を説明した上で、その後は基本的に時系列に沿って展開していっているので頭に入りやすい。

ただ、文体自体は他の本とかとそんなに変わらず、淡々としている。それなのに内容も読みやすいと感じたのは、なんでやろう…?と思って考えてみたけど、テンポの良さの他に以下の2つの点もあると感じた。
  • 単なる経緯を追って終わりではなく現在への示唆を引き出そうとしている
  • 無責任な批判をせずに同時体的な視点が意識されている

■現在への示唆
著者の問題意識は、現在の二大政党制についての危機感から始まっている。2009年の、自民党から民主党への政権交代は二大政党制への転換の画期となるはずだったが、民主党の自民党化、政争の泥沼化が進み、政治への信頼も失われている。

こうした背景を踏まえつつ、そもそもこれからの日本で二大政党制が成立するのかというのが著者の問い。そこで、二大政党制が日本で実現していた時代を探していくと戦前まで行きつく。具体的には、1925年から1932年くらいの期間。

本書で著者が考察しているのは次のような点。
「戦前の二大政党制の成立・展開・崩壊を追跡することによって、日本で二大政党制が成立する条件を歴史の観点から考えてみたい」(pi)

上記や副題の「戦前の二大政党制に何を学ぶか」という言葉にもあらわされているように、単に昔の話を時系列に並べて終わりではなく、現代への示唆を考えて整理されている。


■無責任な批判をしない
また、本書の内容は、できるだけ同時代の視点に立とうとしていて、後からではなく、同時代に出されたコメントが頻繁に紹介されている。

個人攻撃をしないし、政党のいろんなところもあれがダメだ、これがダメだとダメだしで終わっていない。もちろん問題点は指摘されているけど、ダメだった点だけでなく良かった点も踏まえて書いているのでバランスが良い。

歴史を扱う本だと、後知恵で無責任な批判をしやすいけど、この本はそういうところが少ない気がするのですんなり読めたのかもしれない。現代への示唆を引き出すという目的もあってか、できるだけその時々の状況を踏まえた上で、その時々に人々や政党がどう対応しようとしたか、その意図も踏まえて整理されている。

そうすることで、結果だけ見るのではなくて、そもそもどういう状況下でどういう対応をしようとしたのかが分かり、その上でなぜそういう結果につながったのかというところまで見えてくる。


■床次竹二郎と小沢一郎
紹介されている話の中で1つ興味深かったのが床次竹二郎の話。床次竹二郎は、元々は政友会に所属していたが、その後政友会を脱党し1924年1月に政友本党を設立。

その後、政友会に対抗するために、憲政会と政友本党が提携してできた民政党が出来た際に、その創立者の一人となる。しかし、1928年8月に突然民政党からの脱党と新党の設立を発表。これによって党内に動揺が広がる。

人によっては、床次一派のことを「民政党のガン」と呼び、さっさと出て行った方が良いという人もいるも、そう割り切れるものは少なく、結束の弱さを露呈してしまった。

このへんの動き方とかを見ていると、そっくりそのまま小沢一郎氏の行動の流れと似ているところが多分にある気がする。あと、この2人の例以外でも、浜口雄幸が国民に人気だったのは、政策の内容というよりも個人的な倫理的イメージが先行していたという話も、小泉純一郎氏が人気だった時の話と似ている気もした。

時代が変わっても政治のこういうところは変わってないんやなあ…と。


しかし、この2つの政党の流れをみていくと、お互いに細かな違いはあれ、大きな方向性としては特に違いはなかったりする。特に外交面では共通の部分も多い。

ところが、内容に異議はなくても反対するために手続きとか細かい点をついて批判を繰り返したりしている。そしてだんだん自分たちの首をしめる…

戦前は結局は政党政治は瓦解していき、国としてもどんどん苦しい方向に向かっていってしまったけど、そういう歴史を繰り返さないためにも読んでおきたい一冊やと思った。


2013年3月16日土曜日

「山に生きる人びと」の社会や歴史をみるとまた違った景色が見えてくる

山に生きる人びと (河出文庫)

「宮本民俗学」と称される領域を開拓したと言われる民俗学者の宮本常一が、山をフィールドとした観察からの考察をまとめているもの。

大元は「日本民衆史」というシリーズの第2巻として編まれたみたいやけど、自分が手にとったのは文庫版で2011年発行のもの。元の発行日時は古いけど、こういう形で手にとれるというのは嬉しい。

最後の方では、山に生きる人びとは、そもそもの出自からして平野部で稲作を取り入れて弥生式文化を生み出していった人びととは異なり、縄文時代からの狩猟(あるいは畑作)の流れを汲んでいるのではないかという仮説が提示されている。

個人的な話になるけど、扱われている内容で出てくる話は、自分が高校時代に学校の総合学習で学んだことがかなり出てきて面白かった(当時は総合学習とは言ってなかったし、うちの学校では「フォレストピア」という名前の授業やったけど)。


■山側から見た歴史や日本社会
タイトル通り、本書で扱われているのは「山に生きる人びとの話」。具体的にはどういう人びとか、裏表紙の言葉をひくと、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼、修験者、落人の末裔…といった人びと。

章立てもこんな感じ。

  1. 塩 の 道
  2. 山民往来の道
  3. 狩   人
  4. 山の信仰
  5. サンカの終焉
  6. 杣から大工へ
  7. 木地屋の発生
  8. 木地屋の生活
  9. 杓子・鍬柄
  10. 九州山中の落人村
  11. 天竜山中の落人村
  12. 中国山中の鉄山労働者
  13. 鉄 山 師
  14. 炭 焼 き
  15. 杣と木挽
  16. 山地交通のにない手
  17. 山から里へ
  18. 民衆仏教と山間文化

通常、日本史の教科書などで扱われる話では、こういった山側の話はどちらかというと周辺の話として扱われる。

しかし、その世界は中心部とまったく切り離されているわけではなく、むしろ、影響を受ける部分も多々ある。代表的なものとしては、落人の話がある。

源平の争乱や南北朝の争いに敗れた側の武士が山中に落ちのびてきたという話はいろんな地域にある。

また、それに限らず、炭や鉄、木器など、山で生産されるものも平野部の村と交易されたりなどの形で関わりがある。そもそも、山地におけるモノの生産力は低いので、平野部との交易なくしては生きていけなかった。

ただ、農地に縛られる平野部の農民とは異なり、山で生きる人びとは山を伝って各地に移動している人も多かった。そして、それが結果的に各地の人をつなぐ役割も果たしていたということ。

中心部や特に平野だけで見ている歴史とはまた違った角度からのものが見えてきて興味深かった。


■山の人は静かに暮らしている?
1つ面白かったのは、山で暮らす人びとは山奥でひっそりと暮らしているようなイメージがあるけど、決してそうではなくむしろ武士の末裔もいたりして血の気が多かったのではないかという話。

例えば、自分も行ったことのある宮崎の椎葉村では、平家の落人討伐に向かったで那須大八郎と平家のお姫様の鶴富姫のロマンスの伝説がある。例えば以下のページ参照。


こういう話を読むと、落人たちは人目を避けて静かに暮らしているように見えるけど、実はそうとは限らない。椎葉の場合も、時代がくだってきたときに、内部の統一を失って氏族同士の激しい争いがあったという記録が残っているとのこと。

他の地域に目を向けても、山中で闘争が繰り返されたりしていて、むしろ平野部の農民よりも荒々しい血をもっていたのではないかと述べられている。


■五ヶ瀬、高千穂、諸塚、椎葉…
本書の中では、いろんな地域の話が出てくるけど、その中でも宮崎の話題が多い。特に、県北の地域、具体的には、五ヶ瀬、高千穂、諸塚、椎葉などが出てくる。また、熊本側の県境の、蘇陽や馬見原といった地名も出てくる。

例えばこんな感じ。

「熊本県と宮崎県の国境に位する阿蘇外輪山の東南麓の蘇陽峡峡谷には今日三〇〇戸に近い農民が居住しているが、出自は宮崎県東臼杵都諸塚村だといわれている。墓石の中にもそれをきざんだものがあった。この峡谷への定住は今から一〇〇年くらい前からのことで、そのはじめは峡谷の中を流れる川のウナギをとってあるいていた。古老の話によると、ウナギが非常に多く、それを馬見原や三ヶ所に売っていた。もとより当時は定住ではなく、他へ移動していったが、峡谷の中に竹もあり、多少の開くべき土地もあって、仮住いの小屋にそのまま住みつき、農耕と竹細工で生活をたてるようになった。その後あいついで諸塚から移住を見て、今日のような谷底集落を形成するにいたったのであるが、そうした仲間とは別に籠や箕をつくったり、またいたんだものをなおしつつ移動する仲間がおなじ村から出ていた。そのコースはたしかめていないけれども、一群五人から一四~五人であり、民家にはとまらず、野宿をしたり、お堂の下にねたりしながら、定期的な移動をしていたが、昭和四〇年頃その移動も止んだといわれる。籠つくりのほかに川魚をとっていた。猪、鹿などをとったことはきかぬが、あるいはとっていたのかもわからない。諸塚ばかりでなく、鞍岡(宮崎県五ヶ瀬町) にもいたといわれる」(p234-235)

自分は中高時代をまさにこうした地域で育ってきて、前述のフォレストピアという授業では高千穂、諸塚、椎葉も訪れたりしているので、名前が出てくるだけでも単純にテンションがあがった(^^)

もちろん、こうした地域に関わりがない人が読んでも面白いと思うけど、関わりがある人が読むとさらに面白さ三倍増くらいと思う。自分の母校の関係者にすすめたい一冊やと思った。

2013年3月13日水曜日

「社長、御社の「経営理念」が会社を潰す!」とは言ってもやはり「存在意義」や「こだわり」は大事という話

社長、御社の「経営理念」が会社を潰す!

中堅・中小・ベンチャー企業の社長の応援団として、経営コンサルティングやセミナーを行っている会社の社長による「経営理念」に関する本。

語り口は口語調で、人によっては合う合わないはあると思うけど、内容としては分かりやすい。また、経営の考え方についても合う合わないはあると思うけど、合う人にとっては具体的な進め方も書いてあって参考になると思う。


■「経営理念」はいらない?
タイトルは一見常識と反するようにも見えるけど、ここで言っているのは経営理念そのものが要らないということではない。

多くの企業で「経営理念」がお題目となっていて、額縁に飾られていても実際には浸透していないような状況が多く、その原因は「経営理念」という言葉の分かりづらさにもあるということが述べられている。

例えば、「広辞苑」等の辞書に「理念」がどう説明されているかということを聞いてみても誰も知らない。これまでのセミナーで大体10万人くらいに聞いたものの、誰も知っている人がいなかったという。確かに自分も知らんかった…

それであれば、もっと分かりやすい言葉や表現に置き換えてはどうかというのが著者の提案。なので、経営理念的なものはやはり必要であって、ただその表現内容として「経営理念」という高尚な感じのものではなく分かりやすいものにした方が良いですよという話。


■この指とまれ経営
ではどういう表現にするかというと、具体的には、「存在意義」や「こだわり」といった言葉が提案されている。

そして、社長のおもいや考え、その会社にとっての理想的な行動を見える化、具体化し、社長と社員の方向性をあわせることで成果をあげていけるという話。

その中で、社長のおもいや考えと合わない社員については、会社を「卒業」してもらうということ。

これはGEでジャック・ウェルチが浸透させた考えと同じもので、特に重要なのが成果を出すけど会社の価値観には合わない人の処遇。

いくら成果を出したとしても、会社の価値観に合うように変わることができなければいずれは合わなくなってきてお互いにハッピーになれない。

ということでやはり成果を出す人も価値観に合わない限りは卒業してもらうべきという考え方。このような経営を、「この指とまれ経営」と呼んでいる。

「この指とまれ経営」とは以下のような経営。
「社長のゆずれない"おもい"や"考え"すなわち「存在意義」と「こだわり」に賛同する社長と社員の全員参加経営」(p6)


■この指とまれ経営のメリット
こうした経営を行なっていくと、おもいや考えが合う社員が大半になってきて、会社で一体感が出てきて組織が活性化するとのこと。

さらに、それだけでなく、マネジメントのストレスが減るという話は興味深かった。言われてみればそうなんやけど、会社の方向性に合わない部下をマネジメントするのは結構大変。

上司にも部下にもお互いにストレスが発生する。しかし、「この指とまれ経営」ではそうした社員が減るので、マネジメント上の負荷がぐんと減るということも述べられている。

さらに、「こだわり」が明確化されていると、叱る軸がブレなくなるということも重要。上司によって言うことが違っていたりということがなくなり、人が異なっても同様な軸でマネジメントができる。それによって、上司のマネジメントについての部下の疑念も少なくなるということ。

また、明確化した「存在意義」や「こだわり」に共感した人が商品を購入してくれたり、そうした人がお客さんの紹介や協力をしてくれるということも述べられている。


考え方としてはシンプルやけど、これを実践していくのはなかなか大変やろうなーと思う。ただ、いずれにしても、「こだわり」等を明確化、見える化していくことは大事やなー、子育てにも通じるかもなーと感じた一冊やった。

2013年3月11日月曜日

「世紀末の隣人」が起こした社会事件と自分の10代を振り返る

世紀末の隣人 (講談社文庫)

自らを「読み物作家」と位置づけている著者による「寄り道・無駄足ノンフィクション」。ノンフィクションといったときにイメージするような、「追跡」や「速さ」を追求して現場にどんどん切り込んでいって取材するという感じではない。

社会の動きを象徴するような12の事件をとりあげてそれぞれを「読み物」として書き綴っている。

扱われている事件は通り魔事件や幼女殺人、少女監禁、カレーへのヒ素混入事件などの事件に加え、リストラや田舎移住、ニュータウン、アイボや東京という都市など、社会の動きを踏まえたテーマも。


■「わからない」を「わかる」ための文章
書かれているタイミングとしては、リアルタイムのものというよりは、お祭り騒ぎが終わってから少し経ってからのものが多い。

その分、当時の事件や状況について、著者なりの見方を付け加えている。その内容について本人は「蛇足」と言っているように、パッと見意味があるんだかないんだか分からないような感じで、スッキリするような内容ではない。

でも、だからこその意味がある。とりあげられている事件の多くは、メディアによって単純明快な説明がなされていてわかりやすかったけど、もう少し中身を見ていくとそうそう単純に割り切れるものばかりではない。

解説で著者の言葉が引用されているが、そこでは以下のように語られている。
「『わからない』を『わかる』ための文章が書ければいいな、と思っている」(p286)

解説では、「わからない」を「わかった気にさせない」ために「寄り道芸」や「無駄足芸」が必要になり、そこに著者の体験や手法が有効に活かされていると述べられていてなるほどと思った。

あえてわかりやすさを放棄することでその分本質に近づいているような気がする。


■キレる17歳と言われた世代として感じたこと
しかし、バスジャックの事件をはじめとする17歳前後の少年少女による犯罪が起きた時に、キレる17歳とかって言われてたけど、ちょうど自分達の学年は同世代やったのを思い出した。

本書でも雑誌の見出しが紹介されている。例えば…

  • 「17歳「大人」への宣戦布告!」
  • 「総力特集 まじめで勉強できる子が危ない」
  • 「総力取材!17歳少年たち「残忍殺人」の異常背景」

当時は「ひとまとめにすんなよなー」とも思いつつ、「でも自分にもそういう要素があるかもしれない」とも思っていたような気がする。報道のされ方に違和感を感じつつも全否定はできないみたいな。

なんかこう、世の中から圧迫されているような感じはあったかもしれない(なかったかもしれんけど)。

この本で扱われているトピックには、他にも自分が中高生の時代に話題になった事件等についてのものが多かったけど、こういう報道が自分たちの社会感覚にどういう影響を及ぼしているのか自分でも振り返りつつ、今度同世代の友達と話す時に語ってみようかなーと思った。

20世紀末の社会の雰囲気やその時の社会に対する見方を振り返るのに良い一冊やと思った。

2013年3月7日木曜日

「温泉教授の温泉ゼミナール」から見る日本の温泉のこれまでとこれから

温泉教授の温泉ゼミナール (光文社新書)

わが国で唯一の(?)温泉学教授として大学で「温泉文化論」を教える著者が温泉の現状について記した本。著者はなんと、執筆当時までで合計4200湯以上に浸かったらしい。出版が2001年やから今はさらに増えてるやろな…この数はすごい。

著者の想いは以下のようなもので本書の中でも繰り返し語られている。
「真の温泉を守り育てるには、われわれ世界一温泉を愛してやまない日本人が温泉の現状をしっかり認識しなければならない」(p10)

温泉紀行のような内容を想定していたら、中身は全然違った。循環風呂や温泉の集中管理など、温泉をめぐる「危機」について記されている。どっちかっていうとルポみたいな感じ。初めて知る事実も多く勉強になった。

温泉の危機の話の他にも、今求められているのはどういう温泉か、湯布院や黒川のまちづくり、城崎の現状、熱海の復活はなるか等といったテーマも扱われていて面白かった。


■温泉の「危機」
内容について、タイトルはわりと平坦な内容やけど、中身の指摘は結構厳しい。半数以上のページを割いて記しているのが温泉の「危機」について。

冒頭から、レジオネラ菌の問題から始まる。当時は結構話題になったものの、今はあまり話題にのぼることもない話題やけど、これが温泉の危機に結びついているとは認識できていなかった。

どういうことかというと、レジオネラ菌の集団感染が発生した要因として、循環風呂であったことがあげられている。すべてではないものの、かなりの数にのぼる「温泉」施設では、水を循環させて濾過して塩素で殺菌しながら繰り返し利用している。

お湯の入れ替えも、毎日行うようなところは少なく、週に数回、頻度が少ないところだと数カ月に1回というところもあるらしい。

また、温泉の源泉からのお湯では足りない分について、水道水や川水を加えることもあるらしい。

「昨今の温泉は限りなく水道水化している」(p46)

とも述べられている。また、水蒸気を冷やして利用することもあるとのこと。

しかもそれが法律上は問題ない。さらに、自治体が建ててきた「公共温泉」では循環風呂が多く、本来の温泉の姿からは遠い。始末が悪いのが、自治体の施設は立地が良いところに建てられることが多いので、民間の施設を圧迫したりすること。

著者は次のように述べている。

「公共温泉が日本の温泉を堕落させる元凶なのである。まさか温泉を看板に掲げながら温泉モドキの湯で集客していると疑う住民はほとんどいない。お上には間違いはないからである。それだけに責任も重い」(p63)


■循環風呂の見分け方
こうした循環風呂の見分け方はいくつかあるということ。

  • 湯が浴槽からあふれているか否か
    これで完全に見分けられるわけではないが、あふれていたら循環風呂ではない可能性が高いということ。
  • 浴槽の内側に湯の取り出し口がついている
    お尻を当てると吸い込まれる口のこと。
  • 湯口から浴槽に大量にお湯が注がれている
    大量に注ぎ込んでいるお湯があふれていない→循環しているということ。
  • ホンモノの温泉で湯温が高い場合、湯温を下げるために湯量を少な目に調整している
    ドバドバ湧いてくるのがホンモノではなくむしろ逆の可能性が高い


■ユーザーによる選別が大事
著者の問題意識は次のような一文にもあらわされている。

「旅行作家である私が、なぜ循環風呂や温泉の集中管理について書き続けているのか。それはひとえにこれらの情報が、ユーザーである旅行者に正しく伝わっていないと考えているからだ」(p112)

循環式かどうかといった点から、成分の情報まで、温泉情報の「ディスクロージャー」をすべきだと主張している。

そして、ユーザーである旅行者の側が、こうした情報を元に、温泉に行った時にその施設の人に対してこうしたことを確認していくことを提案している。

「お宅は循環風呂ですか」と直接的には中々聞きづらいかもしれないが、温泉を守るためには大事なことなのかもしれないと述べられている。


温泉というと、こんこんと湧いてくる源泉からの新しいお湯をどんどん利用しているようなイメージやったけど、現状はそういうところは少ないということか。もちろん、そういうところもあるけど、増大するニーズに対応するために姿を変えていったということ。

温泉のこれまでと現状をみていくと、日本の経済成長の歴史とも重なっている。温泉のこれからを考えていくことは、日本のこれからを考えていくことにもつながるのかなーとも思った一冊やった。

あと、「日本秘湯を守る会」っていうのがあるらしい。Webサイトもきれいやし、チェックしてみようー。


2013年3月5日火曜日

「お祓い日和 その作法と実践」から感じる日本人のもののとらえ方・考え方

お祓い日和 その作法と実践

「お祓い」についての本。仰々しい感じではなく、日常の中で気軽な感じでどのように取り入れていけるかを解説している。文章も読みやすいし写真等も入っていてビジュアルもきれいで雑誌みたいにして読める。

お祓いは神道のもののように見えるけど実はそうではなくそもそもは陰陽道から来ている。陰陽道自体、神道、仏教、道教の要素や俗信、呪術がまぜこぜになっているので土着的な部分が少なくない。


■お祓いはただの迷信ではない
そうしたことを受けてお祓いについて見ていくと、日本人のもののとらえ方や考え方が見えてきて面白い。著者も次のように述べている。

「お祓いはただの迷信ではない。行事や物への意味づけには、我々日本人の感性や自然観、神仏への畏怖が詰まっている」(p5)


■お祓いあれこれ
内容は3部構成になっていて、まず第一章では以下の漢字1つ1つをキーワードに、それぞれに関するグッズや意味合いが紹介されている。

第二章では、正月から年の瀬まで、春夏秋冬の間でどのようなお祓いに関するイベントがあるかが紹介されている。

その中で扱われているものは、お屠蘇や鏡開き、花見、端午の節句、七夕など、お祓いとは関係ないように思っていたようなものもあって、そういう意味があったんやなーっていうのが分かって結構面白かった。

あと、大体知ってるものが多かったけど、「夏越の祓」っていうのは知らんかった。けど、結構有名なイベントらしい。勉強になった。詳細は例えば以下のページをみると載っています。


■厄と節目について
第三章は厄年についての話。厄除けと厄払いはどう違うのか、神道と仏教での扱いはどう違うのかといったことについて、実際に研究者や神社、お寺の方にインタビューして整理している。

面白かったのが、厄と言っても単にマイナスなだけでななく、「厄」は「役」にも通じていて、力が大きくなることにも通じている。厄というハードルを乗り越え、それをプラスに転じることで力を発揮できるという意味合いもあり、厄にはプラスマイナスの両面があるということやった。

厄年にしても暦によるイベントにしても、総じて共通しているのが、節目や区切りの時期が危険で不安定な時期として扱われていること。節目節目を意識することで、定期的に気持ちを新たにするための良い機会になっていたのかなと思う。

今はあまり意識することも少なくなったけど、こういうのを大切にしていった方が生活にもメリハリがついて良いのかなーと感じた。


■お祓いにみる日本人の感性や自然観
最後に、「おわりに」で著者は次のように述べている。

「改めて調べ直して驚いたのは、日本における払いや招福の物品・作法の豊かさだ」(p154)

「私たちは万物に畏怖を感じている以上に、彼らが与えてくれる無償のギフト、言い換えるならばご利益を知っていたからではないか。だから、物の機能や効能の中に神の力を見、物それ自体に魂を感じてきたのではなかろうか」(p155)

最初の方にも書いたけど、日本人の感性を捉えなおす上でも参考になる一冊やった。


2013年3月3日日曜日

「日本人は状況から何をまなぶか」から倫理感覚や全体観について考える


「日本人は状況から何をまなぶか」

鶴見俊輔さんが雑誌や新聞に書いた記事等の文章集。「おそらくこれが自薦の最後の文集にあたる一冊」(p125)と述べている。

あとがきで書いているけど、90歳に近くなって人生の終わりを意識しつつ、まだ自分の文章を読むことができるということで後期文集として編んだのが本書ということ。

冊子自体は125p程と薄く、1つ1つの文章は比較的短めで、文章自体は読みやすい。ただ、中身のテーマが様々で、かつ、著者のこれまでの研究等が背景になっていたりするので、なかなか理解が及ばないところもあった。著作集の一部として読むのには良さそう。

印象に残ったのが以下の2つ。


■倫理感覚
1つ目は倫理感覚について。

「倫理を考えるとき、ひとつの大道があり、その道を自分は歩いていると考えることにあやうさがある。正義をうたがいなく信じる正義家を、私は信じない。そういう人になるべく近づきたくない。仕方なくともにあゆむことがあっても、その人にこころをひらきたくない。それが、こどものころから戦時をとおり、五〇年の平和をとおって、私の中にある倫理感覚だ。」(p14)


自分が大道を歩いていると思っている人はおそらく自分が間違っているとは思わない。基本的に他人が間違っていると考えると思う。

これは別に倫理に限らず、仕事上のコミュニケーションとかでもそうやけど、自分が正しいと思っている人とつきあうのは大変…


戦争体験を経ていたり、転向の研究をしてきた著者の言葉なので重みがある。自分も結構自分の主張をガーッって言っちゃう方やけど、どっかの時点では自分の考えや感覚を相対化できるようにしておきたいと改めて感じた。




■部分しか見ない
もう一つが政権批判に関して、視野の狭さ、時間感覚の薄さについて。

「なるほど、菅総理大臣の答弁は、なまぬるい。
 しかし、今回の事故は民主党政権に先立つ、長期間にわたる自民党政権が用意し、実現したものである。そのことさえも一時的に忘れて、テレビ、新聞は現政権批判に熱中する。
 この論調は、入学試験の○×式答案に向けて集中する、日本近代の勉強のやりかたからきていると思う。大正の末から日本の新聞は、大学卒業者を採用の条件とするようになった。そのせいでもある。私たちは時間を薄切りにしてとらえる習慣になれてしまった。」(p63-64)

政権批判のされ方を見ていると、全体的な構造とかよりも、その時々で誰々が何をした、何を言ったっていう部分部分の話にフォーカスが当たっていることが多いように思う。

しかもそれが枝葉末節のことで本筋からは外れたりしていることも少なくない。こういった論調を日本近代の勉強のやりかたと結びつけて著者はとらえている。

これがどのくらい妥当するかは分からんけど、確かに学校教育での○×式の分かりやすい区分の仕方をそのまま他のものにも当てはめてしまっているのかもしれんなーと思った。

これも上の相対化の話とも通じるところがあると思うけど、全体観を持って是々非々で物事をとらえられるようにしていきたいなーと思った一冊やった。


2013年3月2日土曜日

「学校の社会力 チカラのある子どもの育て方」を読んでゆとり教育と総合学習が目指したところを今一度考える


学校の社会力―チカラのある子どもの育て方 (朝日選書)

子どもの社会力を育てるためにどうしたらいいかというテーマについて、著者の考えとともにいくつかの学校の実践例を紹介している。

本が出版されたタイミングは2002年7月で、その前あたりに書かれていたみたいやけど、総合的な学習の時間が全国的に始まったのが2002年4月から。

このタイミングにも関連するけど、総合的な学習の時間をいかにして成功させるかということをテーマとし、成功させるための授業づくりの考え方とやり方を提案している。

前半の方では脳科学の話も踏まえて、社会性がどう育まれているかを紹介しており、後半の方では総合学習を成功させている事例が紹介されている。両方ともそれぞれに具体的な話で興味深い内容だった。

後半の事例は、小学校、中学校、高校とそれぞれ紹介されていて1つ1つが示唆に富む内容で解説もついていてより深くみていけるようになっている。


■ゆとり教育&総合学習への高い評価
著者は、2002年度から実施された新しい学習指導要領にもとづく「総合的な学習の時間」の考え方に高い評価を与えている。

「私は、ゆとり教育によって生きる力を育てるという学習指導要領のねらいを高く評価してきた。とりわけ、生きる力を育てる授業として新設された「総合的な学習の時間」を成功させなければならないと考えてきた。それゆえ「総合的な学習の時間」を実のある授業にすることで、子どもたちに「生きる力」を、すなわち私のいう「社会力」をつけることがそのまま「学力」を高めることにつながると主張してもきた」
(p254)

何かと批判を受けるゆとり教育と総合学習やけど、本書で紹介されている、文科省の答申等をふまえてその目指したところを読むと、そのねらいは良かったのではないかと感じた。

自分は世代的にはゆとり教育かその一歩手前くらいやけど、学校自体は総合学習の走りのようなことをやってたので、いわゆるゆとり的な部分はあると思う。

でもそこで得たものは大きいと思っていて、世間一般で言われるような批判的で一方的な言説に違和感を感じていたのでこの本を読んでそのあたりが少し整理できたような気がする。


■「生きる力」
上記に関連して、著者が引用している、第15期中央教育審議会の第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」を引用してみる(1996年7月にまとめられ公表されたもの)。

「我々はこれからの子供たちに必要になるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることはいうまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた」
(p81-82)

もう15年以上前の答申やけど、今にも通じる内容やと思う。そして、このねらい自体は良い内容やと思う。

ゆとり教育というと、単に学力が低下した元凶のように扱われて批判的にみられることが多いけど、その目指したところとかを踏まえた上で、なぜそれが活かされなかったのかとかを考えていった方が良いんやないかなーと思った。


■五ヶ瀬中等教育学校への示唆
さっきも述べたように、自分の出身校である五ヶ瀬中等教育学校では、総合的な学習の時間の前身ともなるような授業(フォレストピア学習)をやっているという特色があった。

この学習時間の取り扱い方は自分の在校当時も今の先生方も苦労されているような感じがする。

しかし、本書でも書かれていることとも通じるけど、これをどう活かせるかどうかがこれからの時代を生き抜いていく人材を教育できるかどうかに関わるような気がする。

全国的にも総合的な学習の時間の活用状況っていうのが今どうなっているのかあまり詳しくないけど、本書は今読んでも参考になるんやないかなーと思った。

しかし、本書の内容は自分の母校にとってもいろいろと示唆の多い内容やった。個々の項目でもっと詳しく取り上げてみたい内容も多いので、それは別途書いているブログ()の方でとりあげてみようと思う(というわけでAmazonで本書を購入)。



2013年3月1日金曜日

「「未来ノート」で道は開ける!」のかもしらんけど真似はしづらいな…

「未来ノート」で道は開ける!

ITエンジニアの育成・派遣を行う株式会社アイエスエフネットを創業し、執筆当時までの8年間で1700名(海外をあわせると1900名)もの従業員を抱える企業に育て上げた方が、これまでにノートを使っていかにして目標や行動の管理を行ってきたか、そのノウハウを公開した本。

ノートは「未来ノート」と呼んでいて、それが本書のタイトルにもなっている。1989年から、1カ月1冊くらいのペースで書き続け、執筆当時で既に220冊にも達しているということ。

■未来ノートの構造
未来ノートの構造は次のようになっている。

◎表紙
①行動計画ページ
②今日のスケジュール(月曜日~日曜日)
③翌週以降のスケジュール
④翌月以降のスケジュール
⑤Tアイテムページ(自分で考えなければならないこと)
⑥知識ページ
⑦記憶ページ(読書・英語)
⑧資料作成ページ
◎アイデアノート

これを毎日毎日コツコツ書いて予定や行動の管理をしているっていうこと。読んでいくと、確かにスゴイし、これだけできたらいろいろ目標を達成できそうで成長できそうな気がするんやけど、こんだけの内容を書き続けるのはかなりの気力が必要やと思う。ぶっちゃけこれを真似できる気がしない…

ただ、コツとして、はじめから完璧にやろうとしてはいけないとか、著者の方自信もスランプに陥って続ける気力が無くなったという話が書いてあってそのあたりはちょっとホッとする。

しかし、それについても、結局どう克服したかっていうと、考えを突き詰めて意識の再確認をしたっていう話でやっぱり真似できる感じがしない…


■より効果的に考える方法
ノート自体を真似するのはきつそうやけど、それ以外で考え方の参考になりそうなポイントがいくつかあった。その1つが、より効果的に考える方法。

①何度でも考えること→一度考えたくらいでいいアイデアが浮かぶわけがない
②自分がもっとも集中できる環境で考えること
③その問題解決に関わる情報や知識を身につけておくこと
④完壁な案でなくても実行してみること→そこからまた新たな発見が生まれる
⑤思いついたらすぐにメモをすること→たとえ眠くても、酔っていても
⑥検討課題(仮説)が解決できたときのことをイメージすること→目の前の事象に気づきをもらえる
⑦けっして自分中心に考えないこと
(p120)

これも当たり前と言えば当たり前なんやけど、全部完璧にできているかっていうと難しいので、見なおして意識づけするのに良いと思った。


■新しいことをやる時の障害と必須アイテム
もう1つ良い整理やなと思ったのが、新しいことをやる時の障害と必須アイテムについて。著者が、業界内でも新しいことをいろいろと進めてきた経験をもとに整理しているので説得力がある。

◎新しいことを行うための障害
①リスク
②不安
③まわりからの反対
④結果がすぐに出ないあせり

◎新しいことを行うための必須アイテム
①賛同者
②勇気
③行動を信念に落とす行為
④継続すること
⑤考えること
⑥高い目標を乗り越えようとする挑戦心
(p178)

特に、障害について、リスクや不安はすぐ思いつきやすいとしても、まわりからの反対や結果がすぐに出ないあせりっていうのは放っておくととらわれやすいので、こういうところにも予め手を打っておくのが重要やなーと感じた。


その他、ノートの内容について、質を追求していかに仕事を効率化するかっていう話になると、仕事に重要度、優先度をつけるとか、1日の予定をシミュレーションするとか、スキルを上げるとかわりと当たり前の話やった。やっぱ当たり前のことをいかに当たり前にできるかっていうのが肝なんやろうなーと再確認した一冊やった。