2013年3月17日日曜日

「政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか」

政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)

第二次世界大戦前の二大政党制の時代から現代への示唆を引き出そうとしている本。こういう政治の歴史系の本は、読み進めるのに結構苦労することが多いけど、これはすんなり読めた。

テンポが良いというか、くどくどとした回りくどい説明とかがなく、また、1つ1つの節が短く簡潔に書かれている。章立ても、最初に二大政党のそれぞれについての特徴を説明した上で、その後は基本的に時系列に沿って展開していっているので頭に入りやすい。

ただ、文体自体は他の本とかとそんなに変わらず、淡々としている。それなのに内容も読みやすいと感じたのは、なんでやろう…?と思って考えてみたけど、テンポの良さの他に以下の2つの点もあると感じた。
  • 単なる経緯を追って終わりではなく現在への示唆を引き出そうとしている
  • 無責任な批判をせずに同時体的な視点が意識されている

■現在への示唆
著者の問題意識は、現在の二大政党制についての危機感から始まっている。2009年の、自民党から民主党への政権交代は二大政党制への転換の画期となるはずだったが、民主党の自民党化、政争の泥沼化が進み、政治への信頼も失われている。

こうした背景を踏まえつつ、そもそもこれからの日本で二大政党制が成立するのかというのが著者の問い。そこで、二大政党制が日本で実現していた時代を探していくと戦前まで行きつく。具体的には、1925年から1932年くらいの期間。

本書で著者が考察しているのは次のような点。
「戦前の二大政党制の成立・展開・崩壊を追跡することによって、日本で二大政党制が成立する条件を歴史の観点から考えてみたい」(pi)

上記や副題の「戦前の二大政党制に何を学ぶか」という言葉にもあらわされているように、単に昔の話を時系列に並べて終わりではなく、現代への示唆を考えて整理されている。


■無責任な批判をしない
また、本書の内容は、できるだけ同時代の視点に立とうとしていて、後からではなく、同時代に出されたコメントが頻繁に紹介されている。

個人攻撃をしないし、政党のいろんなところもあれがダメだ、これがダメだとダメだしで終わっていない。もちろん問題点は指摘されているけど、ダメだった点だけでなく良かった点も踏まえて書いているのでバランスが良い。

歴史を扱う本だと、後知恵で無責任な批判をしやすいけど、この本はそういうところが少ない気がするのですんなり読めたのかもしれない。現代への示唆を引き出すという目的もあってか、できるだけその時々の状況を踏まえた上で、その時々に人々や政党がどう対応しようとしたか、その意図も踏まえて整理されている。

そうすることで、結果だけ見るのではなくて、そもそもどういう状況下でどういう対応をしようとしたのかが分かり、その上でなぜそういう結果につながったのかというところまで見えてくる。


■床次竹二郎と小沢一郎
紹介されている話の中で1つ興味深かったのが床次竹二郎の話。床次竹二郎は、元々は政友会に所属していたが、その後政友会を脱党し1924年1月に政友本党を設立。

その後、政友会に対抗するために、憲政会と政友本党が提携してできた民政党が出来た際に、その創立者の一人となる。しかし、1928年8月に突然民政党からの脱党と新党の設立を発表。これによって党内に動揺が広がる。

人によっては、床次一派のことを「民政党のガン」と呼び、さっさと出て行った方が良いという人もいるも、そう割り切れるものは少なく、結束の弱さを露呈してしまった。

このへんの動き方とかを見ていると、そっくりそのまま小沢一郎氏の行動の流れと似ているところが多分にある気がする。あと、この2人の例以外でも、浜口雄幸が国民に人気だったのは、政策の内容というよりも個人的な倫理的イメージが先行していたという話も、小泉純一郎氏が人気だった時の話と似ている気もした。

時代が変わっても政治のこういうところは変わってないんやなあ…と。


しかし、この2つの政党の流れをみていくと、お互いに細かな違いはあれ、大きな方向性としては特に違いはなかったりする。特に外交面では共通の部分も多い。

ところが、内容に異議はなくても反対するために手続きとか細かい点をついて批判を繰り返したりしている。そしてだんだん自分たちの首をしめる…

戦前は結局は政党政治は瓦解していき、国としてもどんどん苦しい方向に向かっていってしまったけど、そういう歴史を繰り返さないためにも読んでおきたい一冊やと思った。


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