2013年3月16日土曜日

「山に生きる人びと」の社会や歴史をみるとまた違った景色が見えてくる

山に生きる人びと (河出文庫)

「宮本民俗学」と称される領域を開拓したと言われる民俗学者の宮本常一が、山をフィールドとした観察からの考察をまとめているもの。

大元は「日本民衆史」というシリーズの第2巻として編まれたみたいやけど、自分が手にとったのは文庫版で2011年発行のもの。元の発行日時は古いけど、こういう形で手にとれるというのは嬉しい。

最後の方では、山に生きる人びとは、そもそもの出自からして平野部で稲作を取り入れて弥生式文化を生み出していった人びととは異なり、縄文時代からの狩猟(あるいは畑作)の流れを汲んでいるのではないかという仮説が提示されている。

個人的な話になるけど、扱われている内容で出てくる話は、自分が高校時代に学校の総合学習で学んだことがかなり出てきて面白かった(当時は総合学習とは言ってなかったし、うちの学校では「フォレストピア」という名前の授業やったけど)。


■山側から見た歴史や日本社会
タイトル通り、本書で扱われているのは「山に生きる人びとの話」。具体的にはどういう人びとか、裏表紙の言葉をひくと、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼、修験者、落人の末裔…といった人びと。

章立てもこんな感じ。

  1. 塩 の 道
  2. 山民往来の道
  3. 狩   人
  4. 山の信仰
  5. サンカの終焉
  6. 杣から大工へ
  7. 木地屋の発生
  8. 木地屋の生活
  9. 杓子・鍬柄
  10. 九州山中の落人村
  11. 天竜山中の落人村
  12. 中国山中の鉄山労働者
  13. 鉄 山 師
  14. 炭 焼 き
  15. 杣と木挽
  16. 山地交通のにない手
  17. 山から里へ
  18. 民衆仏教と山間文化

通常、日本史の教科書などで扱われる話では、こういった山側の話はどちらかというと周辺の話として扱われる。

しかし、その世界は中心部とまったく切り離されているわけではなく、むしろ、影響を受ける部分も多々ある。代表的なものとしては、落人の話がある。

源平の争乱や南北朝の争いに敗れた側の武士が山中に落ちのびてきたという話はいろんな地域にある。

また、それに限らず、炭や鉄、木器など、山で生産されるものも平野部の村と交易されたりなどの形で関わりがある。そもそも、山地におけるモノの生産力は低いので、平野部との交易なくしては生きていけなかった。

ただ、農地に縛られる平野部の農民とは異なり、山で生きる人びとは山を伝って各地に移動している人も多かった。そして、それが結果的に各地の人をつなぐ役割も果たしていたということ。

中心部や特に平野だけで見ている歴史とはまた違った角度からのものが見えてきて興味深かった。


■山の人は静かに暮らしている?
1つ面白かったのは、山で暮らす人びとは山奥でひっそりと暮らしているようなイメージがあるけど、決してそうではなくむしろ武士の末裔もいたりして血の気が多かったのではないかという話。

例えば、自分も行ったことのある宮崎の椎葉村では、平家の落人討伐に向かったで那須大八郎と平家のお姫様の鶴富姫のロマンスの伝説がある。例えば以下のページ参照。


こういう話を読むと、落人たちは人目を避けて静かに暮らしているように見えるけど、実はそうとは限らない。椎葉の場合も、時代がくだってきたときに、内部の統一を失って氏族同士の激しい争いがあったという記録が残っているとのこと。

他の地域に目を向けても、山中で闘争が繰り返されたりしていて、むしろ平野部の農民よりも荒々しい血をもっていたのではないかと述べられている。


■五ヶ瀬、高千穂、諸塚、椎葉…
本書の中では、いろんな地域の話が出てくるけど、その中でも宮崎の話題が多い。特に、県北の地域、具体的には、五ヶ瀬、高千穂、諸塚、椎葉などが出てくる。また、熊本側の県境の、蘇陽や馬見原といった地名も出てくる。

例えばこんな感じ。

「熊本県と宮崎県の国境に位する阿蘇外輪山の東南麓の蘇陽峡峡谷には今日三〇〇戸に近い農民が居住しているが、出自は宮崎県東臼杵都諸塚村だといわれている。墓石の中にもそれをきざんだものがあった。この峡谷への定住は今から一〇〇年くらい前からのことで、そのはじめは峡谷の中を流れる川のウナギをとってあるいていた。古老の話によると、ウナギが非常に多く、それを馬見原や三ヶ所に売っていた。もとより当時は定住ではなく、他へ移動していったが、峡谷の中に竹もあり、多少の開くべき土地もあって、仮住いの小屋にそのまま住みつき、農耕と竹細工で生活をたてるようになった。その後あいついで諸塚から移住を見て、今日のような谷底集落を形成するにいたったのであるが、そうした仲間とは別に籠や箕をつくったり、またいたんだものをなおしつつ移動する仲間がおなじ村から出ていた。そのコースはたしかめていないけれども、一群五人から一四~五人であり、民家にはとまらず、野宿をしたり、お堂の下にねたりしながら、定期的な移動をしていたが、昭和四〇年頃その移動も止んだといわれる。籠つくりのほかに川魚をとっていた。猪、鹿などをとったことはきかぬが、あるいはとっていたのかもわからない。諸塚ばかりでなく、鞍岡(宮崎県五ヶ瀬町) にもいたといわれる」(p234-235)

自分は中高時代をまさにこうした地域で育ってきて、前述のフォレストピアという授業では高千穂、諸塚、椎葉も訪れたりしているので、名前が出てくるだけでも単純にテンションがあがった(^^)

もちろん、こうした地域に関わりがない人が読んでも面白いと思うけど、関わりがある人が読むとさらに面白さ三倍増くらいと思う。自分の母校の関係者にすすめたい一冊やと思った。

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