2012年12月27日木曜日

生命の「動的平衡」話と文化的な伝統の話との共通点が面白かった


動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

元々が雑誌の連載なので、1冊で話題が一貫しているという感じではないけど、1章1章である程度話が完結しているので読み進めやすい。

専門的な話はあまり深入りせずに、概要を触れる感じ。説明する際も比喩やストーリーを使って説明しているので分かりやすい。

この著者の本を読むのは「生物と無生物のあいだ」「世界は分けても分からない」に続いて3冊目やけど、その中では一番読みやすかった気がする。

話題も親しみやすいものが選ばれていて、例えば、ドカ食いとチビチビ食いのどちらが太りやすいかとか、コラーゲンをたくさん摂取すれば肌の張りを取り戻せるかどうか(ちなみに答えは否)とか。

比喩や表現も分かりやすくて、人間の体はチクワのようなものといった表現を使ったり、スター・ウォーズを引き合いに出したりしている。


■生命とは機械ではない
本書全体を貫くキーワードが、タイトルにもある「動的平衡」。それと関連するのが「生命とは機械ではない」という話。

「生命とは機械ではない。そこには、機械とはまったく違うダイナミズムがある。生命の持つ柔らかさ、可変性、そして全体としてのバランスを保つ機能―それを、私は「動的な平衡状態」と呼びたいのである」(p163)

これは、生命のことについて考えるときに、「メカニズム」として見がちであることに対する警鐘。

1つ1つの細胞を機械のの部品のようにとらえて、それらを全部集めて組み合わせれば全体が完成するというようなイメージがあるが、そうではない。

「合成した二万数千種の部品を混ぜ合わせても、そこには生命は立ち上がらない。それはどこまで行ってもミックス・ジュースでしかない」(p136)

決まった部品を組み合わせればできあがるというのは、機械論的、静的な生命観。でも実態は、人間等の生命の身体を構成する細胞は随時入れ替わっている。入れ替わりつつも、記憶を保ち全体のバランスを保っている。

このことを著者は、生命とは「淀み」のようなものだと表現している。常に入れ替わっていく流れの中で、少しだけ留まってなにものかを形成している状態、それが生命だと。「淀み」とだけ聞くと良いイメージがないので、エーッって思っちゃうけど、動的平衡の説明を読んだ後だとなんか納得できた。


■ペニー・ガム思考法
他に紹介されていたトピックの中で、「ペニー・ガム思考法」の話が印象に残った。

生化学者のルドルフ・シェーンハイマーという人が言っていた話。ガムの自動販売機を使った例え。自動販売機にペニー硬貨を入れるとガムが出てくるけど、これはペニー硬貨が自動販売機の中でガムに変わって出てきたわけではない。

確かにこういうふうに考えちゃうと本質を見落としちゃうよなーと。


■伝統と革新と動的平衡
機械論的な生命観の話とも関連するけど、サステイナブル=持続可能であるということはどういうことかという以下の話は示唆的やった。

「サステイナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。
 サステイナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ」(p233)

これって、伝統に関する話でもよく言われる気がする。伝統とは単に古いものを旧態依然としたまま守っていくのではなくて、伝統の精神はそのまま活かしつつも時代にあわせながら革新すべきものは革新していくというような言葉を聞くことが時々ある。そういう話を思い出した。

著者はまた、以下のようにも言っている。

「生命、自然、環境―そこで生起する、すべての現象の核心を解くキーワード、それが《動的平衡》(dynamic equilibrium)だと私は思う。間断なく流れながら、精妙なバランスを保つもの。絶え間なく壊すこと以外に、そして常に作り直すこと以外に、損なわれないようにする方法はない。生命は、そのようなありかたとふるまいかたを選びとった。それが動的平衡である」(p254)

文化の話も、静的に同じものをそのまま続けていくだけだとダメやと思うけど、それは生命の根本的なあり方自体もそうなんやなーと思ってなかなか興味深い。

「動的平衡」っていうキーワードは生命だけに限らず組織や文化をみる視点にも通じる気がするし面白いなと思った一冊やった。

2012年12月20日木曜日

倫理の授業をとっても良かったなーと思える「高校倫理からの哲学3 正義とは」


正義とは (高校倫理からの哲学 第3巻)

高校の「倫理」の教科書の副読本的な立ち位置で編まれたシリーズなのかもしらんけど、大学生や社会人が読んでも良い内容。

テーマそのものは普遍的なものなので、高校生意外にも通じるテーマやし、書き方は平易やけど内容はかなり深い。

また、西洋の考え方だけではなくて、中国や日本の思想にもかなりページを割いていて、日本人のルーツやものの見方を踏まえながら考えていけるような内容になっている。

高校の時に「倫理」ではなく「現代社会」をとってそれはそれで良かったけど、この本を読んで「倫理」をとっても良かったなーと感じた内容やった。


■いろいろな人の正義
この巻では「正義とは」というテーマで「正義」についての考え方や問題を扱っている。そして、人によって「正義」が異なるということを具体的な例を交えながら示している。

例えば、冒頭からいきなり「生きながら火に焼かれて」という本に書かれている中東の「名誉の殺人」を扱っている。

これは、女性が婚前に男性と性交渉を持ったりした場合等に、家族の名誉を守るために家族の手で女性を殺害するという風習。

一見、自分たちの文化からすると理解しがたいように感じられ、本の中でも会話の中で非難する登場人物が出てくる。

しかし、そこで、捕鯨の問題を考えたらどうだろうという問いかけが出てくる。

捕鯨については日本人はなんて残酷なんだと世界から避難されている。このことを考えたら、世界の多数派が正しいと思っているからと言って一元的に正義が決まるわけではないのではという展開をしている。

そこからさらに、人の命と動物の命の場合は違うのではないかという声が出てきて、さらにそこに対しては動物の権利に関する話へと展開していく。

こういう形で多層的に多元的に考えられるようになっていて、考えさせられることが多かった。



■ルールを守ることの重要性とルール自体の正しさの話は違う
もう一つ印象に残ったのが、法に代表されるようなルールを守るべしという話と、それ自体が正しいかどうかはまた別の問題という話。

会話の中である登場人物が次のように言っている。

「法を守らなきゃいけないっていう話と、法は絶対に正しいかっていう話はやっぱり別の問題だっていうのがわかりました。法律は拘束力が強くって、たまに変な決まりや悪い法があったとしてもみんなでそれを守らなきゃいけない。そうしないと社会がグシャグシャになっちゃうから。でも変な決まりは変、悪い法は悪いと言っていいんだし、そうやって批判することによって今ある法をよりよい法へと変えていくことは必要なことだろうと思うんです。だから、法は守らなきゃいけないけど、でも、法が正しいかどうかっていうことはそれとは別の問題としていつでも議論していいんですね」(p26-27)

これは会社の運営とかでも通じると思う。例えば妥当性を疑うような方針や規則があった時に、それを個人の考えだけで守らないと組織としての統制がとれない。

もちろん、妥当でないものは改善していかなければならないので、そういう建設的な批判をやることは重要だと思うけど、単に自分一人で勝手に守らないっていうのは少し違うんじゃないかなーと思った。



■功利主義の意義
個別のテーマの中で見方が変わったのが功利主義の意義について。

功利主義は、「最大多数の最大幸福」という言葉が有名やけど、これだけ聞くと、機械的に多数派の意見をとれば良いというように感じていた。

しかし、元々は産業革命が進行中のイギリスで提唱された思想で、既得権を守ろうとする上流階級に中産階級や労働者が不当に虐げられる状況をみて、政治・社会改革のための思想として展開されていたもの。

要するに、上流階級という少数だけが幸福になっている状況を打破するために、より多くの範囲の人の幸福を基準にすることで、中産階級や労働者の権利も向上させようとしたということかと思う。

ベンサム自身、議会や選挙制度の改正、多くの改革案を提言し、弟子が選挙法改正などで活躍したとのこと。

「「最大多数の最大幸福」をスローガンとする功利主義は、権力を握る社会の一部の人びとを批判し、より多くの人びとが幸福に暮らす社会を作るための改革の思想でもあったことを覚えておく必要がある」
(p48)

そういう社会背景と意図の元で生まれてきた思想やったんやなーということを恥ずかしながら知らんかったんでだいぶイメージが変わった。

高校の授業とか試験も「功利主義を唱えたのは誰か?」みたいな丸暗記だけじゃなくて、もっとその意義とかその考え方を今に照らし合わせるとどうなのかとかそういうことを考えられるような内容になればいいのになーと思った。まあ限られた授業時間とかでそれを詰め込むのは難しいかもやけど…


他にもいろいろな論点が扱われていて、歴史的な思想を整理しつつ現代的な課題もとりあげられていてバランスが良い一冊やった。

2012年12月17日月曜日

雑誌みたいで読みやすい「プロフェッショナルマネジャー・ノート」

超訳・速習・図解 プロフェッショナルマネジャー・ノート

アメリカの巨大コングロマリットITTの経営者だったハロルド・ジェニーンの「プロフェッショナルマネジャー」の解説本。

「プロフェッショナルマネジャー」はユニクロの柳井さんが「人生で最高の経営の教科書」と言っていてボロボロになるまで読んだ本。

ただ、その本が結構分厚いこともあってか途中で挫折した人もいたということでそういった人向けに図解を入れた簡単な解説書を出したということらしい。

雑誌の「プレジデント」の編集部からの出版ということもあってか、雑誌みたいに読みやすい。テーマごとに見開きで見出しが左側に書いてあって概要をつかみやすいし、図解も分かりやすい。

自分も以前「プロフェッショナルマネジャー」を読みはしたものの、確かにあんまり内容が頭に入ってきづらかったイメージがあるので、良い復習になった。


■人の気持ちへの配慮
1つ印象に残ったのが、人間の心理というか、気持ちへの配慮が随所に述べられていたこと。

例えば、マーケティングの理論とかの話になると必ずといっていいほど出てくるプロダクト・ポートフォリオの話について、ジェニーン氏は批判的。

これについて、以下のように解説されている。

「"キャッシュ・カウ"と名付けられ、挙げる利益を他部署に持ち去られ、成長の望みがないというレッテルを貼られたセクションで誰が働きたがるかを、おもんぱからないといけないと考えたからです。"ドッグ"についても単に切り捨てるべきものと考えていいか、疑問に感じます。まず、その事業部はなぜ“犬”なのかを突き止め、犬は犬でも優秀なグレイハウンドに仕立て上げるためにできる限りのことをするのが経営者の責任であるとジェニーンは断言します。経営者の失敗の結果、"ドッグ"を負けのまま見切って処分して決着をつけることを彼は潔しとしません。ある会社なり事業部をどうしても処分しなくてはならない場合は、負け犬をグレイハウンドに立て直してから売るべきだというのです。
 つまり、現場は理論では動かないという皮膚感覚が彼のなかにあるのです」(p35-36)

これは共感した。他にも下記のようなことととか。

「何かをするなと命じるのは構わない。しかし、本人が納得しないことをさせたかったら、納得するまで説得しなくてはならない」(p114)


■社員に充実感を感じさせる
さらに印象に残ったのが、ジェニーン氏が挑戦的、創造的、活気のある雰囲気のある会社をつくろうとしたという話。

本書では以下のような言葉を紹介していた。

「働く人々に、とても到達できないと決め込んでいるゴールに向かって努力させてみたかった。不可能だと思っていることを成し遂げさせたかった。ただ会社と出世のためではなく、冒険をやり遂げる喜びそれ自体を感じてもらいたかった。そして彼らが自己顕示欲のためでなく、大きなチームワークの一部として、より高度で困難な挑戦に立ち向かっていく過程を楽しんでもらいたかった。自分がチームに貢献し、自分が必要とされていることを知り、ゲームに勝つことに誇りと満足を覚えるようになってほしかった」(p121)

「プロフェッショナルマネジャー」を読んだ時は、結構仕事の鬼みたいな感じで体育会系のイメージだったので意外やった。そのあたりを自分が読み取れてなかったんやなーっていうことに気付けたのも良かった。


■新しいアイデアはほとんど必ず会議が終わりかけたときに、生まれてくる
最後にもう1つ。会議についての話。議事にかける時間を細かく決めてそのとおりに進行しようとすること自体が非生産的だというのがジェニーン氏の主張。

「そもそも会議を厳密な予定に従ってやろうと試みること自体が非生産的で、時間に制限など設けたら、何かを言い出そうとしても口に出して言うことを控えてしまう人もいるはず。彼が言おうとしたことは、みんなに聞かれずに終わってしまう。そのために、もしかしたら会社のマネジメントたちは、何か重要なものを取り逃してしまったかもしれないのだ。それどころか、新しいアイデアというのは必ずと言っていいほど、会議が終わりかけたときに、誰かが『今思いついたが……』と言い出すものなんだ」(p141)

ビシバシ議事通りにやって効率良くやるべしみたいなことを主張しそうなイメージがあったので意外と言えば意外やったけどこれも共感できる。

時間がかかっている中で結構アイデアが出てきたり、話がうまくまとまって収束に入ったりすることもあるので、その時に無理やり途中で打ち切ってしまうともったいない気がすることがある。

ただ、内容が薄いのにやたら時間がかかってるものとかもあるので、要は事前準備とか進行とか参加者の目的意識や参加度次第なんやろうなーという気がした。


ジェニーン氏に対するイメージが、鬼軍曹みたいなイメージから人間心理へも配慮したトップという感じに少し変わった一冊やった。

2012年12月16日日曜日

思考を「あたりまえ化」することによる「絶対達成マインドのつくり方」

絶対達成マインドのつくり方―科学的に自信をつける4つのステップ―

「自信をつけるのにモチベーションは100%必要ない!」という帯のコメントが目を引く本。

著者自身が35歳から大きく人生を変えてきた経験や現場でのエピソードを元に、「科学的に自信をつける方法」を紹介している。


■「自信」に関する誤解
冒頭で、「自信」というものに関して、多くの人が誤解していることとして次の2点をあげている。
  1. 自信をつけるのに「モチベーション」は100%必要ない(p3)
  2. 「手っ取り早くうまくいく方法」はなくても、「手っ取り早くうまくいく状態」にすることはできる(p4)
自信がないからモチベーションがわかない…行動できない…うまくいかない…のではなく、その逆であるという発想。


■「あたりまえ化」
紹介している思考はシンプルで「あたりまえ化」というもの。

目標達成をあたりまえとしてとらえることで、「モチベーション」や「やる気」に関係なくそれに向かってどう達成すれば良いか創意工夫をし、淡々と行動をやりきることで自信や結果につながり、さらにはそれが周囲との協力関係にもつながり、安定的に結果を出せる状況を作り出していけるという流れ。

こう書くとあたりまえのことを言ってるように見えるんやけど、ポイントとしては、目標達成を「あたりまえ」のものとして芯からとらえられているかどうか。

いくら目標があっても、まず「そんな目標無理だよ…」とか目標自体の妥当性に疑問を持ったり、商品や人のせいにしたり、競合や景気等の外部環境のせいにしてみたりといろんな「ノイズ」が入ってくる。

そういった「ノイズ」に惑わされずに、目標をいかに「あたりまえ」のものとしていくかということが1冊かけて説明されている。


■「あたりまえ」に考えるということ
「あたりまえ化」するということがどういうことかという点に関連して、「考える」回数という話が参考になった。

これは著者自身の経験で、会社で自分の目標が、去年まで8千万円だったのにいきなり1億円に上がった時の話。

すぐに無理だと考え、あるコンサルタントに相談したところ、目標を達成するための1年の間に、また、目標を言い渡されてからその時までの間に、どれだけの回数、どうやって目標を達成するか考えたか問われる。

著者は、目標を言い渡されてからすぐに無理だと思ったため、どのように1億円を達成しようかと「考えた」回数はゼロ回だということに気付かされ、言葉を返せなくなる…

これが、1億円の売上目標ではなく、例えば、はじめてのお客様のところに朝10時に行くとかだと、10時までに間違いなく相手のところに着けるように何度も「考える」。

住所に間違いはないだろうか、電車の経路はどう行けばいいだろうか、着いてからの経路は合っているだろうか等の点を何度も「考える」。

しかし、これが先の売上目標だったり、その他の業務目標だったりすると、やる前からすぐに無理だという発想になってしまう。

もしここで、目標を達成するのが「あたりまえ」だったら、「無理です」と言う前に、なんとか達成するためにいろいろ「考える」。

著者は次のように述べている。

「目標のノルマが高いか低いかは関係がない。
 目標達成が「あたりまえ化」しているコンサルタントは、期限まで数え切れないほど考えています。
 どうすれば達成するかを考えているのです。」(p29)

また、思考が「あたりまえ化」している人とそうでない人の特徴について次のように述べている。

思考が「あたりまえ化」している人
  • 時間が未来から流れてくる
  • 目標から逆算してやるべきことをすぐにやる
  • どこかに行く際に遅刻しないように行動する

思考が「あたりまえ化」していない人
  • 時間が未来に向かって流れていく
  • 現状ベースで「できるかぎり」で考える
  • どこかに行くにしても遅刻する可能性大

(p32)

こうしたこと踏まえ、達成できないのは思考が「あたりまえ化」していないことだと述べている。

「決めたのにやりきれない。結果を達成できないのは、スキルがないからだとか、うまくいく方法を知らないからだという以前に、思考が「あたりまえ化」していないことが根本的な原因なのです」(p33)

逆に、「あたりまえ化」することで、アイデアも出てくるし、行動にもつながる。

「言い訳ばかりの人は、「考える」数も少ないでしょうし、「考える」深さも足りません。
 実際に目標を達成するかどうかは別にして、思考が「あたりまえ化」している人は、普通の人と比べて創意工夫するレベルがまるで異なってきます。そうすると、自然に「アイデア脳」が鍛えられていきます」(p183)

この「あたりまえ化」を実現するための考え方やテクニックがいろいろと紹介されていて参考になった(期限を2つ折りで定める倍速管理とか)。

あたりまえのことなんやけど、あたりまえなだけにシンプルで深いなーと感じ、あたりまえのレベルを上げていきたいと改めて感じさせてくれた一冊やった。

 

2012年12月15日土曜日

「人を助けるすんごい仕組み」の西條さんと「日本人へ リーダー篇」で語られるカエサルの共通点

日本人へ リーダー篇 (文春新書)

人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか


何も脈絡なくたまたま連続してこの2冊を読んだんやけど意外に共通点があって面白かったのでメモ。

「人を助けるすんごい仕組み」は東日本大震災後の復興支援に関する活動をベースにした話で、「日本人へ リーダー篇」は主にローマを中心とした歴史からの学びについての話で、別々の内容に見えて基本的にはそうなんやけど、共通するなーと思ったところがあった。

(それぞれに面白く、それぞれにまとめたいポイントや印象に残った点もあるけど、今回は2冊読んで感じたところに焦点を当てて感想を書いておきたい)


■アマがプロを越えるとき―カエサルの場合
「日本人へ リーダー篇」は、元々は雑誌の連載記事なので1つ1つの章は短めでいろんなテーマを扱ってるけど、その中にユリウス・カエサルにからめて、「アマがプロを越えるとき」というテーマについての話があった。

ポイントとしては次のところ。

「四十代に入って始めて大軍を率いる地位に就いたユリウス・カエサルが、なぜ、プルタークの『列伝』ではアレクサンダー大王と比較してとりあげられるほどの軍事のプロになれたのか」(p110)

著者は、「古代屈指の三武将としてもよい」(p112)としているアレクサンダーとハンニバルとカエサルの戦法とを比較すると、アレクサンダーやハンニバルの戦法は現代でも軍事大学の教材になるほど応用可能な方式として扱われているけど、逆に、カエサルのやり方は教材どころか戦史でも敬遠されていると述べている。

その理由は、カエサルの方式がそれまでの常識にとらわれない発想を持ち、その場その場で戦況にあわせて戦法を変えていったから。

雑誌連載時の紙幅の制約もあってか、あまり詳しいことは書かれていなかったけど、カエサルが以下のように取り組んだことが成功要因としてあげられている。

「味方敵ともにその心理を読みとり、それぞれに適応した対策を立てて戦闘に臨んだ」(p114)


■アマがプロを越えるとき―西條さんの場合
カエサルの話と西條さんの話を読んだ時に、まず、西條さんはボランティア経験がない中で日本最大級の支援組織を築き上げ、カエサルは戦場の経験が42歳で突如1万8千もの兵を統率する地位に就いてガリアで成功したことがなんとなく通じるなーと思った。

もう少し具体的にみると、2つの話が共通するポイントとして大きく次の2つがあると感じた。

  • 常識にとらわれない
  • 人間心理を大事にする


常識にとらわれない
1つ目の常識にとらわれないという観点に関して具体的な例としては、例えば支援物資の送り方が分かりやすい。

従来の支援物資の送り方は以下のようなもの。

  1. 支援する側の国や各自治体が物資を集める
  2. それを被災した県に送る
  3. 県の倉庫で仕分けして、県内の各市町村に送る
  4. 各市町村内の倉庫で仕分けして、各避難所に送る
  5. 避難所で仕分けして、それぞれの避難者(生活者) に配布する

しかし、この方法だと階層が多く、輸送と仕分けの労力やコストがかかってしまう。

また、受け入れ側の自治体そのものが被災しているので動きがとれなくなり、倉庫がいっぱいになった時点で支援を断ることになり、本来の最終目的地である被災者まで届かない。

そこで、西條さんは以下のような方法を考える。

「ホームページに、聞き取ってきた必要な物資とその数を掲載し、それをツイツターにリンクして拡散し、全国の人から物資を直送してもらい、送ったという報告だけは受けるようにして、必要な個数が送られたら、その物資に線を引いて消していくのだ」(p62)

これは後知恵で見れば簡単なことのように見えるけど、あの極限状況の中で従来の方法にとらわれずにシンプルに問題の本質を見つけて、実現可能な解決策を提示し、それを実行するというのは並大抵のことではないと思う。

結果、この仕組みを作ったことによって「必要としている人に必要な物資を必要な分量、直接送ることが可能に」(p62)なり、支援物資がきちんと本来の役目を果たすことができるようになった。

すなわち、元々は行政=プロが考えていた仕組みは今回の状況ではうまく機能せず、ボランティア経験がない西條さんが考えた仕組みの方が機能したということになる。


人間心理を大事にする
2つ目の点に関しては、糸井重里さんとの対話の中での以下の言葉が良く表している。

「『人間の心』に沿っていれば、自然とうまくいきます。そうじゃないと、必ず無理が生じて続かないんです」(p177)

これは、塩野七生さんがカエサルの成功要因としてあげていたポイントとも共通していると思う。

また、西條さんが運営上の大変なことを振り返って次のように述べている。

「これだけの人間が集まり、拡大し続ける組織をまとめながら、10を超えるプロジエクトを同時並行で運営するのだから、大変じゃないわけがない。
 何が一番難しいのか。
 ひと言でいえば、「人間」ということになる。
 もう少し言えば、「人間の、心」。
 どんな組織も人間でできている。
 そして人間は心を持っている。
 このことに例外はない」(p222-223)

西條さんは全国各地からのボランティアのネットワークを、カエサルは数万もの大軍をとりまとめてる中で、似たようなことを考えていたんやないかなーと思った。

上記以外でもそれぞれに学びの多い二冊やった。

2012年12月14日金曜日

「転落の歴史に何を見るか」に見る本質を見続けることの重要性

増補 転落の歴史に何を見るか (ちくま文庫)

明治維新の成果が結実した日露戦争の勝利から30数年で、なぜ第二次世界大戦での敗北という形で劇的に転落していったのかという問題意識を突きつめた本。

書いたのは通産省に勤めていた元官僚の方で、この本を書いたのも官僚時代。現在は議員になっていて、先日の選挙でも当選したみたい。

■帝国陸海軍の転落の歴史から学べることがあるのではないか
著者は、この本を書いた問題意識について次のように述べている。

「この本は、戦前の帝国陸海軍の転落の歴史から、同じ官僚組織にいる現在の行政マンが何を学ぶべきかという問題意識から出発した」(p15)

内容は元が雑誌の内容なので若干同じことの繰り返しになっている部分もあるけど、その分主張がよく分かる。

問題意識を突きつめていくと、結局組織としての学びを越えて日本社会という大きな枠組みへの視点へとつながっていったとのこと。そして、それは現在の状況にも通じるところがあり、学べるところが多いのではないかという話。

明治維新から30年数年後に隆盛の時代を迎え、その後転落したことと、第二次世界大戦後30数年経った80年代頃に経済成長を達成したあと「失われた10年」を迎えて転落していったことに鑑みると、今また、転落の瀬戸際に立っているのではないかという視点。


■転落の原因
上記の問題意識を元に、転落の原因を整理していっているけど、主に以下の4つが挙げられている。

  • ジェネラリストの指導者を育成してこなかった、
  • 組織に十分な自己改革力がなかった
  • 道徳律を失った
  • 深く洞察した正確な戦史を残してこなかった

(p8)

このあたりは、「坂の上の雲」の見方に近い感じ。明治では素晴らしかった指導者層が劣化していったという見方。

明治期の指導者層は武士の系譜を受け継いでいて武士道という道徳律を持ったジェネラリストであったということ。武士は単に軍事だけを行っていたのではなく行政全般を扱うジェネラリストであったという話。

「封建社会における武士は、単なる武人ではなかった。その本質は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざまな面において責任を有するジェネラリストの統治者、つまり政治家であった。現代風に言えば、外交も、財政も、公共事業も、福祉も、農地開発も、産業振興も、技術開発も、すべて武士の所管であった」(p44)

また、中国の歴史を深く学び、歴史観や大局観を身につけていたとのこと。

「子供のころから、スケール大きな中国の治乱興亡の歴史を何度も復唱するなかで、指導者はどうあらねばならないかという自己課題を反袈していただろうことは想像に難くない」(p45)

これが、明治以降段々とスペシャリスト化することによって、技術レベル等は上がっていったものの、大局的な視点が失われ、部分最適になっていき、最終的には転落につながったという見方。

「明治の元勲亡き後、日本はジェネラリストの強力な指導者を失い、それを埋め合わせる存在を、軍人としても政治家としても育ててこなかった」(p64)


■なぜ戦略転換ができなかったのか
また、4つのポイントの中で自己改革能力が無かったという点に関しては、合理性より情に流されてしまうという点が挙げられている。

「日本の組織は自己改革能力を十分に発揮できなかったということです。どうも日本人の組織には、合理性よりも組織内の人間関係や仲間意識を優先させる心理が強力に働くようです。そのため、異分子が排除され創造性が軽視され、同質集団となって思考停止状態に陥り、経験から学ぶ学習能力も欠如した」(p220)

特に挙げられているのが、大鑑巨砲主義から空母を主体とする機動部隊による海戦への転換ができなかったこと。真珠湾攻撃で画期的な戦法を採ったにも関わらず、日本はその後も大鑑巨砲主義にとらわれ続けた。

これに関連して、「失敗の本質」の著者の一人でもある野中郁次郎教授が元航空参謀で真珠湾攻撃に参加し、戦後は参議院議員を務めた源田実氏さんと対談したときの話が印象的。

なぜ、日本は戦略転換ができなかったのかという疑問をぶつけると、源田さんは次のように答えたという。

「長年苦労をさせてきた水兵たちに対して、「もう君らの時は終わった、これからは飛行機乗りの時代だ」とは言えなかった」(p28)

これに対して著者は、優秀な人間が集まっていたにも関わらず、人情に流され、波風が立つのを嫌がって合理的な意志決定ができなかったと述べている。

また、野中教授を通商産業省に招いて話をしてもらった際に、伝えるべき教訓としてはたった一言であった。

「何が物事の本質か。これを議論し突き詰める組織風土を維持しつづけることだ、それに尽きる」(p30)

あれだけ旧帝国陸海軍の組織について研究された方からの教訓がこの一言だったことに著者は驚いたということ。これを受けて、著者は次のように捉えたということ。

「日本の組織は、創設当初は独創力もあり人事も柔軟で、優れた対応能力を示すが、二〇年、三〇年と時間が経つにつれて意思決定がゆがんでくる。とかく、人間関係や過去の経緯など本質的でないことを寄りどころとして、重大な判断が行われるようになりがちだ。だから、つねに、何が物事の本質かを追求するように個々人が心がけると同時に、組織のシステム、風土もつねにそこに意を集中しなさい、ということであった。この認識さえできていれば、あとは応用動作だという趣旨であったに違いない」(p30-31)


「坂の上の雲」もそうやったけど、明治は良かった式の話で終わってしまうとあんまり生産的ではないような気もするので、そのへんは何とも言い難いなーと思ってたけど、巻末の秦郁彦さんや寺島実郎さんの話でヒントがいくつかあった。

例えば、スペシャリストの中からジェネラリストの素養を持った人材を育てていくとか、属する組織に軸足を置きつつ別の軸も持つようにするとか。転落の歴史における失敗要因やそこから学べる本質の重要性は頭に留めつつ、今後どうしていったら良いかを考えていきたいなーと感じた一冊やった。


2012年12月12日水曜日

「アナタはなぜチェックリストを使わないのか?」という問いかけに納得できる一冊

アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】

タイトルからは仕事術的な話に見えていたけど、中身はもっと広範に物事の見方や考え方について考えさせられる内容。

人間の限界を踏まえつつ、それを乗り越えるためのチェックリストのパワーについて、いろんな角度からの話があってかなり面白かった。

著者の方はハーバード大学の准教授でもある外科医の方。外科手術におけるチェックリスト等の医療関係の話が多かったけど、さまざまな実例があげられていた。例えば、飛行機操縦、建設、料理等々…

著者自身の外科手術における経験や失敗談も素直に書かれていてそれだけでも参考になったし、さらに、著者がパイロット、高層ビルの建設のエンジニア、人気料理店のシェフ、投資家等いろんな人に実際に会いに行って聞いてきた話からの考察もあって面白かった。


■知識の量と複雑性が増していく中でどうしたら良いのか?
チェックリストって聞くと、そんな単純な話?っていう感じがしていたけど、単純なだけにその力が見過ごされがちやったっていうことがよく分かった。

背景として、失敗の原因に関する「無知」と「無能」の話が参考になった。人類の歴史の中でこれまでほとんどは「無知」が一番の問題だった。

病気を例にとってみると、原因や治療法はほとんど分かっていなかったけど、近年調査や研究が進み、いろんな知識や治療法が広まってきた。すなわち、「無知」による問題は減ってきた。

しかし、知識が増えれば増えるほど、それを適切に扱うことが大変になる。1つ1つの病気に様々な治療法があり、それぞれ注意点やリスクがある。

WHOの国際疾病分類には1万3千種類以上の病気や怪我が載っていて、6千の薬と4千の手技があり、それぞれに使用条件、リスク、注意点がついてくる。

15年前にイスラエルの科学者たちが出した論文で、ICUを24時間観察して得たデータをみると、患者一人あたり1日平均178もの手順がある。これを1つずつ正しくこなしていかなければならない。

膨大な情報量の中から適切な判断を完璧にこなすのは難しく、結果、ミスが発生してしまう。つまり、「無知」よりは「無能」が問題になってくる。

「正しい治療法を知っていても、手順を一つも誤らずにそれを行うのは非常に困難なのだ」(p19)

そして、これは医療の世界の話だけに限らなくなっている。著者は状況を次のように説明して問いかけをしている。

「知識の量と複雑性は、一個人が安全かつ確実に活用できる範囲を超えてしまったのだ。知識は私たちを助ける一方で、同時に重荷にもなっている。これが私たちが現在置かれている状況だ。
 ということは、これらの失敗を防ぐには別のやり方が必要なのだ。私たちの経験と知識を有効活用しつつ、人間の限界を補ってくれるようなやり方が。だが、そんなものが本当にあるのだろうか」(p22)

じゃあどうすれば良いのかというと、その答えが…

「実はある。笑ってしまうほど単純なものだ。長い時間をかけて高度な技術と知識を身につけた人たちからすれば、馬鹿馬鹿しく思えるかもしれない。そう、チェックリストだ」(p22)

ということ。


■チェックリストの力とそれを発揮させるための積み重ね
著者自身も「馬鹿馬鹿しく思えるかもしれない」と述べているように、「チェックリストを使いましょう」とだけ聞くと、エー、そんなんで問題が解決するのかという疑問が起こるかもしれない。

こうした疑問に対して、著者は豊富な実例を挙げて、いかにチェックリストの導入が成果につながるかということを示している。

例えば、ジョンズ・ホプキンス医院のピーター・プロボノストという集中治療の専門家の話。関係者から疑問視される中、病院にチェックリストを導入。

カテーテル挿入から10日間の感染率が11%から0%に下がり、その後15カ月間にもわずか2件しかカテーテルの感染は起きず、43人の感染と8人の死を防ぎ、200万ドルの経費を節約できた計算になったということ。

その後、ミシガン州全体にも展開し、18カ月で1.75億ドルの医療費節約、550人以上の命を救い、数年たってもミシガン州のカテーテル感染率は低いままということ。

著者もWHOのプロジェクトでチェックリストを世界各国で展開。結果として、合併症の発生率が全体で36%、死亡率は47%低下。感染症は半分に、再手術の確率は4分の3になったということ。

これだけ聞くとふーんって感じやけど、本の内容でもっと詳しい話を追っていくと経緯がよく分かる。

チェックリストを作って入れてハイ成果が出ましたーみたいな話ではなく、チェックリストの長さや表現はどうするか、どういう項目を入れるか、関係者にどうやって理解を得るか、チェックリストを使ったことを確認するためにどう工夫するか等、細かな工夫を重ねて地道な積み重ねの結果、成果につながっている。


■コミュニケーションもチェックリストに入れる
チェックリストの中身に関する話で印象に残ったのが以下の話。

「作業とコミュニケーションの両方をチェックすることで複雑性に対応していく」(p117)

例えば、「チーム・ブリーフィング」という項目をチェックリストに入れておき、スタッフが手術前に自己紹介したり、重要事項をチーム全体で確認、共有したりする。これは建築業界の手法を参考にしたらしい。

これは、心理学の研究では名前をお互い知っているグループの方がチームワークが良いと示されていることも踏まえている。

このことに関連して、著者は次のように述べている。

「「なぜチェックリストがこれほど効果的なのかが不明だ」と言う外科医たちもいた。彼らの批判はもっともだった。抗生物質は正しく授与されるようになり、パルスオキシメーターも正しく使われるようになり、手術開始前にチーム全体で確認するようになったのは事実だ。だが、それらに全く関係のない、出血などの合併症まで少なくなったのはなぜだろうか。コミュニケーションが向上したから、というのが私たちの推測だ。手術後にスタッフに取ったアンケートでは、チェックリスト導入後にコミュニケーションの点数が激増した。また、チームワークの評価と合併症率には逆相関関係が見られた。チームワークの点数の上がり幅が大きいほど、合併症率が大きく下がっていた」(p178)

チェックリストは作業の抜け漏れを防ぐだけでなく、コミュニケーションの改善にもつながっているっていうのは思ってもみなかったけど確かにある気がする。


■M&M'sの茶色のチョコレートのチェックリスト
チェックリストに関するエピソードの中で、ヴァン・ヘイレンのボーカルのデイビッド・リー・ロスの話が面白かった。

契約書に楽屋にM&M'sのチョコを用意しておくこと、ただし、茶色のものはすべて取り除いておくことという条項を入れておくらしい。

これは、理不尽なわがままではなく、これができていないような時に、全体の状況を調べ直すと必ず問題が起きていることが分かったらしい。

「ある日のラジオで、ロックミュージシャンのデイビッド・リー・ロスの逸話を聞いた。ヴァン・へイレンのボーカルを務める彼は、コンサートの契約書に「楽屋にボウル一杯のM&M'sチョコレートを用意すること。ただし、茶色のM&M'sはすべて取り除いておくこと。もし違反があった場合はコンサートを中止し、バンドには報酬を満額支払うこと」という事項を必ず含めるそうだ。実際、ロスが茶色のM&M'sを見つけてコロラド州でのイベントを中止したこともある。一見、有名人にありがちな理不尽なわがままに聞こえるが、詳しく聞いてみると見事な方策だということがわかった。
 ロスは自伝の『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』でこう語る。「ヴァン・へイレンは、地方の巡業に巨大セットを持ち込んだ初めてのバンドだった。それまでは多くても三台と言われていた中、機材を満載した大型トラック九台で各地を回った。梁が重量を支えきれなかったり、床が沈んでしまったり、ドアが小さすぎて機材を搬入できなかったりといったトラブルも多かった。スタッフや機材の人数が多いので、契約書は電話帳並みに分厚かった」その契約書に試金石としてM&M'Sの項目を入れておく。「そして、もし楽屋で茶色いM&M,Sを見つけたら、全てを点検しなおすんだ。すると必ず問題が見つかる」それが命に関わることだってある。コロラド州のイベントでは、興行主が重量制限を確認しておらず、セットは会場の床を突き破って落ちてしまうところだった。「デイビッド・リー・ロスもチェックリストを使っていた!」私は思わずラジオに向かって叫んでしまった」(p93-94)


たかがチェックリストと思っていたけど、この本を読んで認識を改めなおした。されどチェックリストというか、その力はすごい。読み終わって、「アナタはなぜチェックリストを使わないのか?」っていうタイトルを見なおして、確かにと思える一冊やった。

2012年12月11日火曜日

「中村屋のボース」にかける著者の想いや愛が伝わる入魂の一冊

中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義 (白水Uブックス)

ラース・ビハーリー・ボース(R・B・ボース)という人物の評伝。評伝なんだけど、膨大な資料や関係者の話を集めた上で書かれているので、物語のように読めるし、何より著者のボースという人物への愛情が伝わってくる入魂の一冊。

R・B・ボースは、1880年代にインドで生まれ、1945年という終戦の年に日本で亡くなったインドの独立運動に指導者。

また、現在、新宿にある中村屋に「インドカリー」を伝えた人でもある。中村屋の娘さんとも結婚し、日本にも帰化し、日本から独立運動を展開していった。

著者は、この人物の一生をみていく意義について次のように述べている。

「一杯のインドカレーの伝来物語をはるかに超えた壮大で重たい問題を、彼の一生が背負っている」(p13)


■著者の想い
あとがきで、著者は次のように述べている。

「私の二〇代は、この本を書くためにあったと言っても過言ではない」(p391)

確かにこの想いが感じられる内容。大学生の時に、R・B・ボースの娘さんのところをたずね、貴重な遺品の数々を借りた話がエピソードとして詳しく紹介されているが、他にもR・B・ボースの足跡を訪ねて世界中を歩き回っている。

インドで活動したほとんどの場所を訪れ、関係者とも会い、デリーで爆弾を投げた場所にも行き、育った場所や通った学校にも行っていて本に写真が掲載されている。

また、東京の赤坂でビジネスマンたちの冷たい視線を受けながらR・B・ボースが中村屋まで逃走したルートを実際に走ってみたり、原宿の家から新宿中村屋への通勤ルートも繰り返し歩いてみたりと、少しでも風景を追体験できるように努力を重ねている。

著者は、「私の人生の問いそのものであり、共感と違和感が交錯する複雑な対象でもある」(p391)と述べており、著者の「学術的探究心を超えた彼に対する愛」(p391)が感じられる。

一方、R・B・ボース万歳という褒めそやすだけの文章ではなく、思想や活動の限界や課題もあわせて指摘されている。

「日本の膨張主義を看過し、その軍事力を利用してインド独立を成し遂げようとした点に、どうしても引っかかりをおぼえ」、「日本に亡命し帰化した彼には、そのような道しか選択の余地が残されていなかったのだろうか」という問い」(p385)を何度も著者自身考え直したとのこと。

はっきりした答えは示されていない感じやけど、それは読者一人一人に投げかけられている気がする。

以下、本書で紹介されているR・B・ボースの一生の中から特に印象に残った点について。


■インドでの独立運動と日本への脱出
自分はなんとなく名前は聞いたことはあったけど、どういう人物だったかとかどういうことをやっていたのかという詳しいことは知らなかった。

この本では、生い立ちから日本での生活、独立運動の展開、言論、思想、そして臨終の様子まで丁寧に描かれており、それらの点がかなりイメージできるようになった。

元々はインドの役人として仕事をしている傍ら、裏で独立運動を行っていた。時のインド総督ハーディングに爆弾を投げつけたテロ事件を実行したのもこの人やったとのこと。

その後も一定期間はイギリス政府にもばれずに運動を続けていたけど、結局発覚してしまい、1915年に偽名を使って日本に脱出。ちなみにその時にはノーベル文学賞受賞者のタゴールの親戚と名乗っていたらしい。

国外退去命令を下されるも日本のアジア主義者たちに助けられ、新宿にあった中村屋にかくまわれる。


■中村屋の夫妻の覚悟
中村屋の主人の相馬愛蔵は、従業員に対して次のように述べたとのこと。

「もしも大切の預かり人をわれらが護りおおせなくて、むざむざ死地におとすことがあったら、中村屋の恥はもとより日本人の面目が立たない。どこまでも血気の勇はつつしんで保護のまことを尽くしてくれ」(p132)

また、愛蔵の妻、相馬黒光は、政府に知られた際は自分が一切の責任をとって牢獄に入る覚悟であったということ。

「日本を頼ってはるばるインドを脱出して来て、日本に一身を託した亡命者を、政府は見殺しにするがわれわれはこれを保護する」(p131-132)

この心意気がすごい。


■恋と革命の味
その後、各地を転々。計17回も引っ越しをしたらしい。

日本での地下生活を続けるにあたって、誰か連絡をつなげるのに手足として動きやすい人間が必要ということで、その中村屋の娘さんと結婚することに。

ただ、事情が事情だったので、娘さん本人に親御さんも覚悟の程を問うてから最終的に決定。結婚式は両家の親戚も呼ばれずひっそりと行われ、新婦も会場となった頭山満の家までは普段着で行ってからその後花嫁衣装に着替えたらしい。

こうした経緯での結婚だったので、当初、ボースは本当に愛されているのかと信じることができず、千葉の海岸の家で静養している時に奥さんに問い詰めたという話が紹介されていた。

「ほんとうに私を愛しているのか、それならしるしを見せてほしい。私の前で死んで見せてほしい。そこの欄干、そこを飛んで見せられますか」(p168)

と言ったところ、奥さんが意を決して本当に飛ぼうとしたのでそれを止めて抱きしめた。こうしたことを経ながら傍目にも仲睦まじい夫婦になったということ。

その後、奥さんが先に亡くなるが、R・B・ボースは同じ愛情を他の人に感じられないといって再婚をすすめられても断っていたらしい。

こうした中村屋とのつながりが後々になって新聞等でもとりあげられ、中村屋のインドカリーは「恋と革命の味」と言われたらしい。

ちなみに、そのインドカリーは「インド貴族の食するカリーは決してあんなものではない」(p175)ということで、西洋経由で入ってきたカレーに不満を抱いていたR・B・ボースの想いから発案されたものとのこと。

素材にもこだわり、毎朝のように検食していたらしい。これは、単にカレーを広めたいというだけでなく、独立運動にもつながる意味をもっていた。

「R・B・ボースにとって、本格的な「インドカリー」を日本人の間に広めることは、イギリス人によって植民地化されたインドの食文化を、自らの手に取り戻そうとする反植民地闘争の一環であった」(p176)


■現実主義の苦悩
日本で言論活動を展開しながら、R・B・ボースは、アジアの時代を目指すと同時に、アジア解放には日本、インド、中国の連携が不可欠と訴え、日本がアジア主義において指導力を発揮することを期待していた。

ちなみに漢字かな交じり文を書くのは難しかったものの、長時間の演説をするほど日本語は達者だったらしい。多くの言論も日本語で発表されている。

しかし、その期待に反し、日本は中国を植民地化していき、結局R・B・ボースが批判していたイギリスをはじめとする西洋の帝国主義国家と似たような道をたどり始める。

これを受けて、R・B・ボースは

「日本よ!何処に行かんとするか?」(p205)

と述べて、当初は批判を展開するも、R・B・ボースの意に反し、日本の帝国主義的な動きは加速。

結局、インドの独立解放を目指して現実主義をとり、日本の帝国主義にも柔軟にも対応するようになる。

これにより、日本の要人との連絡は保たれ、政治的影響力を発揮できるようになるが、日本の帝国主義に対する批判は影をひそめ、インド本国の独立運動に関わる人々との溝が広がっていく。

1936年初頭になって、次のように悩んでいたらしい…

「おれは今年五十歳だ。五十になるまで、なにひとつ出来なかつたじやないか。インド独立の目あてもつかない。これからの運動を、どうしていいのかも分からない。全く情けないことじやないか」(p280)

それでも日本での影響力を活用して独立運動を支援したり、会議を開催したりして運動を広めようとしていく。しかし、「日本の操り人形」といった批判をやはり受けてしまう。

最終的には、チャンドラ・ボースに指導的立場を引き継いだ。引き継ぐ時には立場に固執せずお互いに抱擁しながら熱く語りあったらしい。


■R・B・ボースの思想の持つ現代的意義
R・B・ボースは活発に言論活動における主張のポイントとしては、インドの独立、反植民地主義、アジアの連携といったところ。

著者は次のように整理している。

「R・B・ボースにとってのアジア主義は、単なるアジアの政治的独立を獲得するためのプログラムなどではなく、物質主義に覆われた近代を彫刻師、宗教的「神性」に基づく真の国際平和を構築するための存在論であった。彼にとっての「アジア」とは、単なる地理的呼称などではなく、西洋的近代を乗り越えるための思想的根拠そのものであった」(p195)

つまり、単に独立運動だけにとどまらず、西洋的近代を超えるためにアジアを基盤に考えていくことが重要で、特に、東洋の精神主義で西洋の物質主義を指導すべきと考えていたとのこと。

その中では、「愛」や「宗教」といったキーワードが重要視されている。関連して、R・B・ボースは、日本の皇紀2600年記念事業として、日本に国際精神文化大学の創設を提案していたことも紹介されている。

この大学に研究者や学生を集め、世界各国の精神文化の研究、教育を進めることを提言しており、政治・軍事的な運動だけでなく世界の精神文化による人材育成にも強い関心を持っていて、自ら留学生宿舎も運営したとのこと。

ただ、著者は、R・B・ボースの西洋認識がステレオタイプで単一的であり、西洋の宗教・文化の多様性をみていないということもあわせて指摘している。

さらに、R・B・ボースの主張や思想における課題として、著者は、西洋的な近代を超えるために東洋的な精神を広めるには、近代的な手法を用いなければならないというジレンマを挙げている。

これは、ボースに限らずアジアの思想家たちに共通する課題でもあり、「アジアの時代」と言われている今においても意義も大きいのではと述べている。

確かに、「アジア」という視点で日本の役割について考える際に、R・B・ボースが日本に対して抱いていた期待やその思想を振り返ってみることは1つの足がかりになる気がする。

中村屋のインドカリー、以前に一度だけ食べたことがあったけど、その時は何も思わずに普通に食べてたなー。高いなーとしか思わんかった(^^;)

でも今度はボースの一生に想いを馳せながら食べてみたら、「恋と革命と味」がするかもなーと思った一冊やった。

2012年12月8日土曜日

「営業マンは断ることを覚えなさい」という話もそれはそれで面白かったけど、それより販売活動の仕組み化の話が考え方の整理になった



営業マンは断ることを覚えなさい (知的生きかた文庫)

タイトルの「営業マンは断ることを覚えなさい」とか「断れば断るほど、物は売れる」(p4)っていうのをパッと聞くと「エー?」って感じがしたけど、ロジックを読んでみると頷けるところが結構ある。


■お客様との関係は五分五分
考え方のベースは以下のような商取引の原則。

「営業の仕事をしていると、買ってもらうことに集中してしまって「その商品やサービスをお客様が買うことで、お客様にも利益が発生している」という、本来の商取引の原則を忘れてしまうということが良くあります。
 商取引の原則というのは、お互いに利益が発生するから取引が始まる、取引が成立するということなのですが、本来営業というものは、この取引にあたるもので、どちらかというと交渉に近いというのが正しい考え方なのです」(p65)

この上で、どういう営業マンから書いたいかということを考えた時に以下の問いが紹介されている。

「ペコペコして、何でもしますという営業マンと、聞いたことに対してしっかり答えてくれて、できないことはできないとハッキリ言う営業マンがいたとして、どちらから買うか?」(p21)

著者は後者でしょうと言っているけど、確かに自分もそう思う。そういうイメージを払拭するためにあえて刺激的な言葉を使った感じ。


■営業マンのイメージ教育は入社前から始まっている
これに関連して、以下の話が冒頭に書いてあった。

「営業マンの教育は、営業に対するイメージを変えるところから始める」(p18)

これはなぜかというと…

「小さな頃からテレビドラマや大人たちの会話の中で、「営業マンは、買ってもらうためには何でもします。」とか、「お客様は神様です。」という営業のイメージを、何度も何度も見たり聞いたりして教えられている」(p19)

確かに自分も会社に入るまでは、なんとなくこういうイメージを持っていた。こういったイメージに影響されて、上記の商取引の原則も忘れられ、きちんと商品のメリット・デメリットをお客様に伝えるということができなくなっているということ。


■4ステップのマーケティング
後半部分は販売活動の仕組み化の話で、特に、最近「リードナーチャリング」という言葉で流行っている内容と通じる話なので結構考え方の整理としては参考になる。

読んだのは文庫版で2007年発行やけど、元の本は2003年に発行されたっぽいので、その時はたぶん「リードナーチャリング」という言葉が認知されてないか無かったかで、「見込客フォロー」という言葉であらわしている。

具体的には次の4ステップに整理されている。

①集客=見込客(自社の商品やサービスを買う可能性のある人、会社)を見つける、多く集めること
②見込客フォロー=見込客をフォローして買いたいお客様に育てる
③販売=実際のセールス 買いたい見込客に多く会う、主導権を持った販売
④顧客化=お客様をフォローして、リピート販売・新商品購入・紹介につなげる
(p97-98)

なぜこういうふうに整理するかというと、今は営業マンが全部これをやらなければならない想定になっている、だから営業は難しい、大変ということになる。

それを仕組み化して担当を切り離して分担することで、営業は「興味を持っているお客様に数多く会って販売する」(p140)ステップに集中できるようになり、コスト効率や教育効果も高まるという話。


集客や見込客フォローのステップで具体的な取り組みの実例も紹介されていて、考え方の整理とアイデア集として参考になる一冊やった。

2012年12月7日金曜日

琴となり下駄となるのも桐の運と詠んだ「脱藩大名の戊辰戦争」

脱藩大名の戊辰戦争―上総請西藩主・林忠崇の生涯 (中公新書)

幕末維新期に脱藩した人の話は、坂本龍馬などの有名な話をはじめとしていろいろあるけれども、脱藩した大名もいた。本書は、「脱藩大名」とも言われる林忠崇の生涯についての本。

脱藩大名の話は、「幕末維新に学ぶ現在」のシリーズで軽く読んでいて、そこで初めて知ったんやけど興味をもって本書を読んでみた。


■譜代大名が脱藩!
林忠崇は上総請西藩の大名だった。石高は一万石と大きくは無かったものの、れっきとした譜代藩の大名だった。家を継いだ時はまだ数え20歳での青年大名だったけど、文武に優れていて将来は閣老たる器と称されていたらしい。なのに、なぜ脱藩したかというと、徳川家の存続を果たすというのが目的。

じゃあ、他藩の領主のように大名のまま戦えばという考えもあるけど、その理由を本人は最晩年に次のように語っていたらしい。

「脱藩しないと、慶喜公と申し合わせてやつたやうになる。脱藩すれば、浮浪人だから、誰に命令されやうもない」(p47)

忠崇が脱藩したのは大政奉還の後。徳川慶喜が朝廷に対して恭順を誓っていたのでそこに迷惑をかけないようにという意図だったらしい。

脱藩する時はこそこそと脱藩するのではなく、
「家老以下おもだった家来たちと連れ立ち、領民たちに見送られて陣屋を立ち去る、という威風堂々たるものだった」(pⅲ)
とのこと。


■紆余曲折の時代
元々は静岡一体で蹶起しようという意図もあったみたいやけど、後で奥羽越列藩同盟に加わる。その後の人生が結構紆余曲折

本書の著者は、奥羽列藩同盟に上総請西藩の林忠崇も加わっていたことから、「奥羽越列藩同盟」ではなく、「奥羽越総列藩同盟」と用語を改称する余地があるのではないかとも述べている。

脱藩後は、結構いろんなところを動いていて、会津藩を加勢しようとしたり、輪王寺宮の守護を希望したり、それを断られて福島行きを計画したり、榎本艦隊に加わろうとしたり、庄内藩と共闘しようとしたりといろいろ揺れ動く。

当時まだ20歳くらいで若かったということもあるやろうけど、本人はこの頃のことを振り返って次のようにも述べている。
「世間知らずのお坊ちやんだつた」(p121)

最終的には、徳川家が存続されることも分かり、降伏。この時、命が惜しいから降伏するのだろうという批判もあったが、忠崇はそうではないと述べている。

「もう、戦はきまつた。きまつた以上、戦ふ必要はない。この上戦つたら、戦のための戦、私のための戦になると思つたから、降伏にきめたのだ。断罪でもなんでも受けるつもりで」(p130)

脱藩した時点では徳川家が存続されるかどうか分かっていなかったが、そもそも脱藩した目的である徳川家の存続が分かった以上は、これ以上の戦いは良くないという判断。

謹慎した後、旧領地へ帰り、自活を試みる。野良着を着て一介の農民として生活した後、東京府の下級官吏として学務課に勤務。ところが、上司と「意見を異にし」(p148)、辞職。その後商売を始めようとし、商店に就職するも、主人が亡くなり、大阪府に勤務。一貫して経済的には苦しい生活だったらしい。

そして、明治に入って新しい時代が始まった後、重臣の子どもが家格再興運動をしてくれる。いろんなところに金銭的援助を断られつつようやく華族として認められ、最終的には華族として家格も再興される。その後、日光東照宮に勤務したりといった経歴を経て、剣道で体を鍛えたりしながら最晩年まで矍鑠としていたらしい。


■琴となり下駄となるのも桐の運
91歳の時に、私立神奈川学園の講堂で生徒たちを相手に講演したときの話が残っている。新聞記者が来ていて、当時のことを振り返っての感想を聞かれ、俳句で答える。

その時の俳句が、
「琴となり下駄となるのも桐の運」(p202)
というもの。

これは味がある句やなー。昭和初期の時代も生きて、昭和16年に94歳で亡くなったとのこと。

本書の著者は、あとがきで、この本を書いた動機について、林忠崇が最後の大名だと主張したいがために本書を執筆したのではなく、「忠崇が「徳川家再興のために蹶起したただひとりの脱藩大名」だったからこそ、だれかがその思考法と行動を書き留めておくべきだ」(p208)と思い、執筆したと述べている。

著者は、結局大きな幕末維新の流れの中では「蟷螂の斧」に過ぎなかったかもしれないが、徳川家を守り抜くための論理には説得力があったと述べている。また、関連する部隊のモラルは高く、略奪、強姦、リンチといった戦争犯罪とは無縁であったことにはもっと注目してよいのではないかとも述べている。

単なる論理だけではなく、行動を伴って幕末維新の激動期を生き抜いた一人の人の物語としても読めるので、結構万感迫るものがある。映画やドラマになっても面白そうやなーと思った一冊やった。

2012年12月6日木曜日

「天皇はなぜ生き残ったか」を考えると、「当為」と「実情」を視角として持つことの大事さが分かる

天皇はなぜ生き残ったか (新潮新書)

タイトルが目をひいて図書館で借りてみた。読んでみると、古代から中世にかけて、天皇はどのような役割を果たしてきたか、どのように役割を変遷させてきたかといった内容。

具体的には、平安時代くらいまでは名実ともに君臨する「当為の王」やったけど、その後は武士の台頭により軍事的な優位性を奪われてしまったので、その後は「文化の王」「情報の王」として、武士に情報や文化を提供する機能を果たしていったという見方。

以下、本書での問題提起と概要について。特に、天皇がずっと権威をもっていたという見方に対して疑問が呈されている。


■本書の問題提起
本書は、「権力のない天皇の権威とは」という問題提起から始まる。冒頭では、ある大学の学術会議で西洋中世史の先生が言った言葉に対して、著者が感じた強烈な違和感について述べられている。

それは以下のような言葉。

「日本の場合は天皇と将軍というように、権威と権力が分離していたので…」(p3)

これに対して、将軍が権力なのが分かるとして、中世の天皇は権威なのかという疑問を著者は持ったが、その場にいた20名ほどの歴史研究者は誰も問い返さなかった。自然な前提として受け入れられている様子。

著者によると、戦国時代の天皇について、権力は失ったものの権威は損なわれていなかったという説明がなされるが、この時期の天皇は「たいへんに貧乏」(p3)であったということ。

祭祀どころか即位や譲位の儀式も十分にできていなかった。戦国時代の天皇は上位のお金がなかったため在位期間が長く、一時期遺体は放置されていたこともあったことが指摘されている。著者は、こういうところを見ないで「当為」にとらわれていることを問題視している。

もう一つ、著者が問題提起しているのが、天皇について解説されている本の中での言及のされ方。その多くでは、古代でいろいろ説明した後、中世と江戸時代は通り過ぎて、明治とそれ以降について述べていくというスタイル。

これは、明治政府とその時代の学者が創出した見方であって、これにとらわれると本質が見えないのではという主張。

こうした問題提起を踏まえつつ、天皇の本質、天皇の芯とは何であったかという点について考察を重ねたのが本書。


■「当為」と「実情」
本書のキーワードの1つが「当為」。この本では、名目や形式といった意味合いで使われている感じ。歴史を見る際に、名目や形式にとらわれているのではないかという問題意識。

その1つの例が、律令は現実には使い物にならないという話。律令は元々中国から持ってきたものでもあるし、相当細かいし難しかった。行政文書も実用性を欠いたため、律令で元々規定されていたものの多くが廃棄された。

また、規定もそのまま現場に当てはめると使えないので、律令規定外の官職を設けて実際の運用に対応。律令の内容も現実と照らし合わせて「中をとる」ことで法意を解釈していたらしい。

それにも関わらず、あたかも律令によってすべてが運営されていたかのようにとらえてしまうのが当為にとらわれているのではないかということ。

もう1つ著者が例として挙げているのが「源氏物語」。平安文学の代表作としてとりあげられるけど、源氏物語を読んでいたのはごくごく一部の知識人層。平安時代に生きた人の大部分はその存在すら知らなかったはず。

もちろん、それをもって源氏物語の価値が損なわれるわけではないが、社会の全体像をつかむ上ではそれにとらわれると本質を見失ってしまうという話。

こうした例を踏まえつつ、「天皇=当為の王」(p33)という視角を重要視している。その象徴となる例が中世、以降の征夷大将軍の任命。

将軍の官職は天皇が任命する形式になっていたため、天皇は将軍よりえらいという認識が学界でも通っていたが、実態としては皇位継承は都度都度幕府に相談して最終的に決められていた。

形式としては幕府は「どうぞ朝廷のご決定どおりに」(p131)としているが、もし幕府の意志に反する天皇が登場したら、武力によってでも阻止される可能性があった。

つまり、天皇の方が優越しているという見方は、「当為にすぎない」(p131)のであって、「実情」をとらえようとすればまた違った像が見えてくるという話。


■天皇の役割の変化
その視角を踏まえた上で、天皇の役割の変化について注目している。古代においては、天皇は君臨する存在=当為の王であった。しかし、それが中世以降、武士の勃興によってその役割を変化させていったという見方。

特に承久の乱以降は、名実ともに君臨する「当為の王」から「情報の王」と役割を変化。「武士に情報を教示する朝廷、情報を与える天皇という機能」(p108)していった。

武士は暴力的な力を持っていたが、教養を十分に積んでいるわけではなかった。その中で、自らのアイデンティティの設定や制度設計において、朝廷から学んだ。これをもって著者は天皇が「情報の王」「文化の王」(p111)として振る舞うようになったと述べている。

あわせて、単に君臨していれば良かった時代は過ぎ去ったため、各種の訴訟や行政処理に積極的に対応することで統治に能動的に取り組む「実情の王」として、また、仏教や神道の世界においては「祭祀の王」として機能していった。

この「実情の王」として機能していくメカニズムの説明が面白かった。訴訟のタイプには以下の2つがある。
A)法に準拠するタイプ
裁定者は自らがもつ法規範(成文法と過去の判例など)に照らし合わせ、判決を下していく。
B)法に拠らないタイプ
成文法や判例ではなく、社会が共有する通念や常識に準拠して、判決を下す。
(p143)
このうち、鎌倉幕府は御成敗式目を制定するなど、Aのタイプだったが、朝廷の方はBのタイプ。実態としては律令ではなく「道理」を重視。

これはなぜかというと、Aのタイプで実行させるにはそれだけの強制力が必要。軍事力を背景に幕府の法を強制できた。しかし、朝廷は軍事力を失ったので道理によって解決しなければなくなったという見方。

当為の律令が役に立たない中で「人々の連関や世の趨勢を注視し、認識」(p148)し、「感得した社会通念を後追いで認証する作業を通じ、裁定者たるの実を示す」(p148)ことで「実情の王」に変貌しようとしたということ。

この説自体の妥当性を今すぐ論じるほど詳しくないけど、当為にとらわれずに実情をみてとらえようとする視角は歴史認識に限らずに共通する話だと思うのでそのあたりは面白く、かつ、参考になった。

あと、上のタイプの話とかは、会社のマネジメントのスタイルとかとも結構通じる話だと思うのでそういう観点でみるとまた面白いかもと思った。


■綸旨や院宣
以上の内容が大体半分くらいまでの内容で、後半でもいろいろ述べられているけど、大体の主張ポイントとしてはそんな感じ。最後に、もう1つ印象に残ったのが「綸旨」や「院宣」の話。

これ、高校の時に日本史で学習したのを思い出した。「リンジ」「インゼン」と丸暗記してたけど、その時はまったく意味がよく分かってなかった。それが本書を読んでなぜわざわざ教科書に書いてあるほど重要な話なのかが理解できた気がする。

綸旨や院宣は、上級貴族の判断を省いて訴訟当事者に直接授与された文書。これがどういう意味を持つかというと、院政の開始に伴って朝廷は上皇とその周りの実務貴族が中心となって運営されるようになっていく。そうすると、元々中心だった名門の帰属がだんだん発言力を失う。

すなわち、「上皇の専制が貴族の合議を凌駕していく」(p74)ことになる。このように、朝廷の行政のあり方の変化が文書の変化にあらわれているということ。

なるほどなーと思った。朝廷の行政は文書によって運営されていたので、実態としての変化が文書にもあらわれていった=実情が当為に反映されていったということか。

教科書は当為の方を追っていくので、それだけを読むとふーんとしか思えないところも多かったけど、実情の話を踏まえてからだとその当為の変化の意味も分かる気がする。あ、でも、教科書にもそう書いてあって自分が忘れてるだけかもしらんけど(^^;)

そんなところでも、いろいろとモノの見方としても参考になった一冊やった。

2012年12月5日水曜日

「頑固な羊の動かし方」に学ぶマネジメントに役立つ羊飼いの知恵

頑固な羊の動かし方―1人でも部下を持ったら読む本

大学やビジネススクールではなかなか学びづらい「人の扱い方」を羊飼いの知恵に託して教えてくれる本。

MBA卒業を間近に控えたビジネスマンの主人公が、ある教授にマネジメントの個人レッスンを受けるという物語。

レッスンの内容が独特で、羊がいる牧場で行われる。羊飼いの知恵をもとにマネジメントのポイントを主人公が学んでいくという内容。

最初は無理やり結び付けてる感もなくはないかなーと思ったけど、やっぱりこうやって比喩が使われていると結構入りやすい。挿絵もイメージが沸くように適宜入っていて読みやすかった。


■なんで羊飼い?
読み始めに、なんでわざわざ羊飼いの比喩を使うのかなという疑問を持ったけど、読んでいくとなるほどと思えたし、訳者のあとがきの説明でなるほどと思った。

「『羊飼いの知恵』といわれても、あまり日本人にはピンとこないかもしれないが、歴史を紐解けば、羊の飼育は八千年も前からされていたという。つまり、数千年のときを経てつちかわれてきた知恵なのだ。そして、その知恵が、驚くほど人の扱い方にもあてはまる。たしかに、数十、いや数百匹もの羊を導く羊飼いの姿は、こんにち、組織を率いるリーダーとだぶるところがある。
 私は、動物とのコミュニケーションにこそリーダーシップの真髄があると信じている」(p180)

特に、リーダーシップについて述べている以下の一節は印象に残った。

「羊たちは、すぐ目の前の草に目が行ってしまう習性がある。だから、だれかが群れの進む方向を見ていなくてはいけない。
 これは人とて同じだ。人々も、つい自分の仕事にだけ没頭し、その日が終わるまで頭を上げようとしない。だから、いつもリーダーが遠くを見まわして、どこに縁の草が生えているかを見つけなくてはならない。またリーダーは、群れがバラバラにならないように見張って、彼らを進むべき方向へと導いていかなくてはならない」(p112)


■羊飼いの知恵とマネジメント
具体的にどういうぴおんとが述べられているかというと、訳者があとがきであげている問いがよくまとまっている。
  • 一人ひとりの状態を把握しているか?
  • 各個人の個性を引き出しているか?
  • 自分のビジョンがうまく伝わっているか?
  • 彼らが安心して働ける環境をつくっているか?
  • 自ら先頭に立ってチームを導いているか?
  • ときには毅然とした態度を取っているか?
  • 人として愛情を持って、彼らに接しているだろうか?
(p181-182)

これらのポイントはマネジメントの上でとても重要やと思うけど、これが羊飼いと共通というのが本書の物語の中で述べられている。具体的には次の7つのカテゴリー。
  • 一人ひとりに目を向ける
  • 羊たちの強みをつかむ
     それぞれの個性を引き出す
  • 羊と信頼関係を結ぶ
     自分の哲学を伝える
  • 安心できる牧草地をつくる
     部下が力を出せる環境をつくる
  • 杖でそっと彼らを導く
    人を導く四つの方法
     明確な目標を定め、自らが先頭に立ってチームを導く
     自由を与えながらも、境界線は明確に示す
     立ち往生している部下には、手を差し伸べる
     失敗で落ちこんでいる部下を励まし、元気づける
  • 毅然とした態度で守る
     本気で恕らなくてはならないときがある
  • 羊飼いの心を身につける
     時間、エネルギー、情熱を注ぎ、相手を信頼し、
     目標を示してそれに群れを動かすという生き方

最初は牧場になんか連れてこられてちゃんと教えてくれんのかよ?といった感じで疑問を持っていた主人公が、教授の意図を少しずつ悟っていき学びを深め、最後の卒業に際しての教授との会話は結構感動的でグッとくる。

羊飼いの知恵一つ一つも参考になるし、それに加え、やっぱ比喩と物語の持つ力は大きいなーと思わせてくれた一冊やった。

2012年12月4日火曜日

基本に忠実であることの難しさとその重要性を改めて認識させてくれる「ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階」

ビジョナリーカンパニー3 衰退の5段階

偉大な企業が衰退に向かっていくまでのプロセスを整理したもの。読んでいて楽しい本ではないけど、「良薬は口に苦し」というか、知っておくべき話ではあると思う。

自分は今は新規事業の立ち上げをやっているので、どちらかというとこのシリーズの1や2の「時代を超える生存の原則」や「飛躍の法則」の方がダイレクトに参考になった。

ただ、今読んでおいて損はない内容やったし、事業が成長してきた時にまた改めてこの「衰退の五段階」を読み返したいと思った。

内容の細かい話はすでにいろんなところでまとめられていると思うので、自分が特に気になったところだけ。

■衰退の五段階
衰退の五段階は以下のとおり。

第一段階 成功から生まれる傲慢
第ニ段階 規律なき拡大路線
第三段階 リスクと問題の否認
第四段階 一発逆転策の追及
第五段階 屈服と凡庸な企業への転落か消滅

特に印象に残ったのが、一発逆転策の追求による転落の話と、その段階においてどういう姿勢を保つべきかという話。


■一発逆転ではなく基本に忠実にやる
本書の中で、IBMを再建したルイス・ガースナーが、他の企業で再建を任された経営者と違い、最初にきらびやかなビジョンを提示する必要はないと言いきったという話が紹介されていた。

ルイス・ガースナーが公の場で述べた発言が以下のもの。

「ここでみなさんに申し上げたいのは、たったいまのIBMにもっとも必要ないもの、それがビジョンだということだ」(p149)

これだけ聞くと、「エッ!?」と思ったけど、その真意は以下のとおり。

「IBMはビジョンをもつべきではないという意味ではない。最初の優先事項はもっと基本的な活動だと語ったのである。具体的には、主要なポストに適切な人材を確実に配置すること(「当初の数週間に最優先事項にした」)、収益性を回復すること、キャッシュフローを増やすこと、そして何よりもIBMの行動のすべてで顧客本位の姿勢を回復することである(ガースナーは一歩ずつ足元を固める堅実な方法をとり、既存の強みを活かすことを基本にし、「大量の定量分析」を行った」(p149)

人材の適切な配置、収益性の快復、キャッシュフローの増加、顧客本位の姿勢、強みを活かす…

これってどれもこれも当たり前のことに聞こえるけど、やりきるのは難しい。危機に瀕している企業では一発逆転への誘惑が強くなっていて、ガースナーが言ったようなことは地味に聞こえ、本当にそれで大丈夫なのか?という疑問もあがってくる。

しかし、それを振り切って基本に忠実にやりきることが重要という話。そうしないとどんどん転落のサイクルにはまってしまう。

「外部から招聘されたにせよ、内部から昇進したにせよ、一発逆転を狙い、一つの救済策が失敗すればつぎの救済策に飛びつき、特効薬がきかなければつぎの特効薬を探し、希望がついえた後につぎの希望もついえ、そのつぎの希望もついえるというサイクルから抜け出さなければならないことをガースナーは理解していた」(p161)

このことを踏まえ、著者は次のように述べている。

「衰退の後期段階にある企業の指導者には冷静で、明晰で、焦点を絞った方法に戻る必要がある」(p163)

また、著者が紹介している次のエピソードが興味深かった。

「転落を食い止め、反転させたいのなら、すべきでないことは行わないよう、厳格な姿勢をとるべきだ。一九九〇年代初め、わたしはスタンフォード・ビジネス・スクールの創造性の授業に、海兵隊出身の起業家を招いて特別講義を行ってもらった。ベトナム戦争で何度もジャングルの戦闘を体験した人である。そのときの経験で学んだ点のうち、民間の起業家になって役立っているものがあれば、それは何かという質問がでたとき、しばし考えて、こう答えてくれた。「味方は何人かしかおらず、周囲に敵がたくさんいるとき、最善の方法は、『おまえはここからここまでを担当しろ。おまえはそこからそこまでを担当しろ。オートマチックにして撃ってはいけない。弾は一発ずつ使え』と指示することだ」
 深呼吸をする。冷静になる。考える。的を絞る。狙いを定める。弾は一発ずつ撃つ。そうしなければ、かつてオフィス用の宛名印刷機と複写機で最大手だったアドレソグラフが陥ったのと同じ惨状を、違う形で繰り返すことになる」(p164)


書かれていることはそんなに目新しいという感じのことは少なくて、どちらかというとそうやよなーっていう当たり前の話なんやけど、それだけに企業が大きくなってきた時に当たり前のことを当たり前にキープすることの難しさを感じる一冊やった。

2012年12月3日月曜日

ウナギのことだけでなく研究の社会的意義やリーダーシップなどについても学べる「世界で一番詳しいウナギの話」

2009年の夏に、ウナギの卵を世界で初めて採集することに成功した研究者の方がウナギのことや研究のことについて書いた本。著者のウナギ愛と研究愛が伝わってくる一冊。

著者は、東京大学海洋研究所(当時)が1973年に研究船でウナギの産卵場調査に乗り出した時に大学院生だったそうで、第1回の研究航海に乗船し、それから40年以上も研究を続けているとのこと。

本書の意義として、著者は、研究やポストに悩む若い研究者や大学院生に対して、「今後の進路選びに、少しは参考になるのではないか」(p8)と述べている。

また、次のようにも述べている。

「自然が好きな人、生き物が好きでしょうがない人、魚釣りが趣味の人、海をこよなく愛する人へのメッセージでもあります。
それに、毎日が面白くない人、ただぶらぶらしている人、何にも興味が持てない人、真剣になるものがない人にも、ぜひ読んでもらいたいと思います」(p8-9)

そうしたところから、ウナギ研究の詳しい話だけでなく、研究の面白さや社会的意義についての考え方等の話もあって、そっちも結構面白かった。


■ウナギやアユの秘密
秘密というか、別にウナギやアユは秘密にしていたわけではなくて、研究で明らかになったことなんやけど、結構知らんことで面白いことがいっぱいあった。

ウナギの一生
まず、メインのウナギの話。大学の水産実習の時かなんかになんとなく聞いたこともある話もあったけど、ウナギの生態って不思議がいっぱい。

そもそも、ウナギの99.5%は養殖。そして、養殖といっても元は天然のシラスウナギ。完全養殖のサイクルは技術的にできなくはないけどまだ商業ベースにのるようなものにはなってないらしい。

産卵場所とか成長のメカニズムはまだよく分かってないことも多いし、最近までは産卵場所すら分かってなかった。どこで産卵するんかっていうとマリアナ諸島沖。

その後、孵化したウナギは海流にのって日本沿岸にたどりついた後、河口で淡水に身を慣らす。そして、川を遡って、川の中流や湖で5-10年(!)もかけて成長。

成長した後は、今度は川を下って太平洋に出て、生まれたマリアナ諸島沖に移動して結婚。それも、ばらばらに産卵するのではなく、特定の日に特定の場所に集まって相手と出会う。

著者の表現もちょっと面白い。

「親ウナギたちは好き勝手な時期に産卵しているのではなく、夏の新月の晩に一斉に「合同結婚式」を挙げていることになります」(p138)

トータルの回遊距離は数千キロにも及ぶとのこと。はー、長いなー。

他にも、日本の研究者がフィリピンでウナギの新種を発見したとか、ウナギは犬なみの嗅覚を持っているとか、二回産卵するとか、日中は深いところにいて夜はわりと上の方にいるとか鉛直方向に移動しているとか、いろいろ興味深い話があった。


琵琶湖のアユのスイッチング・セオリー
他にも、琵琶湖のアユの話でスイッチング・セオリーと名付けられた話が面白かった。

大きなアユと小さなアユがいるらしく、それぞれ大アユ、小アユと呼ばれていてサイズや体型だけでなく行動パターンや産卵期も違う。

でも、遺伝的な差異はないらしい。単に産卵期や成長率の違いによって生じた二型とのこと。

しかも、大アユと子アユが一年ごとに交代していて、これをスイッチング・セオリーと名付けたらしい。まだまだ分かってないことや不思議なことはいっぱいあるなー。


■ネガティブ・データの大切さ
ウナギの話とは別に、研究に対する取り組み姿勢のところで興味深かったのがネガティブ・データの大切さの話。

「グリッド・サーベイ」という調査手法に関連して紹介されていたけど、この手法は、格子状に線を引いて、その交点ごとにかたっぱしから標本を採集するやり方。

この時、グリッドの幅や場所はある程度絞り込むものの、グリッド内では採れる採れないに関わらず無差別に調査する。

採れるポイントに集中して調べれば良さそうなものの、全く採れないポイントも含めて調査することが大事だというのが著者の主張。

どこで採れて、どこで採れないかが明確になれば、次のテーマが明確になるという話。

「「こんな珍しい生物が採れました」とか「こんな興味深い現象を発見しました」というニュースや論文はよくみます。しかし、「これこれの調査をしましたが、採れませんでした」とか「こんな条件で実験しましたが、興味深い結果は得られませんでした」という場合はまったくニュースにはなりませんし、こうした結果だけでは、多くの場合、論文にもなかなかすることができません。「ここでは採れませんでした」と言っても「ああ、そうですか」でお終いです。「採れた」「発見した」という結果をポジティブ・データというならば、「採れなかった」「発見できなかった」はネガティブ・データと呼びます。しかし、論文になかなかしづらくても、科学の世界ではネガティブ・データをきちんと収集することが大切です。
 何かを追求する時、最初の段階ではほとんど手掛かりがありませんから「だいたいこのあたりじゃないか」とカンでアタリを付けます。これはよくあることで、当たれば効率のよい探し方だったことになります。
 しかし、それで見つからなかったら、別のアプローチをするのも一法です。地味だけれどこつこつデータを横み上げて、客観的判断に委ねる科学的方法です。「ここにはいない」「ここにはいた」という数多くの情報を集積していく。それらの情報を総合すると、どこにいて、どこにいないか、分布をはっきりつかむことができるようになります。時間と手間のかかる話ですが、多くの場合、研究の実際とはそういうものです。」(p104)

実際の研究の話を読んでいってもそれを徹底している。例えば、ある年に別の団体の船と共同調査を行った時の話。

著者の船ではウナギの卵を探し、別の団体の船では親ウナギを探していたところ、そちらから親ウナギが採れたという連絡があった。

親ウナギがいる近くに受精卵も漂っている可能性もあるので、すぐにそちらの船の方に移動して卵を狙ってみたいと思ったものの、今やっている海域の調査を徹底してやり抜いた。

それは、元々想定していた海域で卵が採れるかもしれないという理由の他に、ネガティブ・データが大事という理由もあった。

著者は次のように述べている。

「たとえ、卵が採れなくても、この年この日、このスルガで産卵は確かになかったということを確かめなくてはなりません」(p212)

そして、採れないことを確認した上で、親ウナギ捕獲の地点に急行したということ。

アタリをつけるという意味での仮説設定や絞り込みは大事やけど、それと同時に、仮説を定めたら一旦はそれにしたがって徹底してやり抜く、その上で結果をみて次のステップに進むということが大事やということかと思う。

これは研究に限らずビジネスでもなんでも通じるなーと思った。


■研究の社会的意義
もう1つ興味深かったのが、研究の社会的意義の話。これは著者の語りをぜひ読んでほしい。

「昭和四二年、いまから四五年も前、私が大学に入学した時のことです。「太ったブタよりも、痩せたソクラテスになれ」という言葉で有名な、東京大学の大河内一男総長(当時)が、新入生のための記念講演で、次のような話をされたのをおぼえています。
「桜の葉の柄には、蜜腺と呼ばれる小さな突起があって、そこに糖分が溜められている。何のために、桜はそんな突起を持っているのか、わかっていない。私の甥っ子は、その突起の研究を何十年も続けている」
 「何の役にも立たないように思えることでも、興味があればコツコツと取り組む。大学はそんな研究ができるところだ。もしかしたら五〇年後、一〇〇年後、偶然にも、それが役に立つ時がくるかもしれない」
 学生のときは、「へ~、そんなものかなぁ」と思っただけでしたが、今はよく分かります。
ところが最近では、大学の研究者ですら、研究の意義や社会貢献を問われます。ウナギの産卵場調査も例外ではありません。新しい発見がある度に、メディアがやってきて「この発見の意義はどういったものでしょうか?」と問いかけます。
まずはにこにこと笑いながら、「ウナギの産卵生態の解明に向けて大きな一歩となりました」と返します。
 すると一部のメディアは、少しイラッとして、さらに追い打ちをかけてきます。「産卵生態が解明されると、どうなります?」
今度は少しばかり胸を張り、「古代ギリシャの時代から二四〇〇年も続いてきた謎が、ついに解き明かされることになります」と答えます。
それでも納得できないごく一部のメディアは、ついに堪忍袋の緒が切れて、伝家の宝刀を抜きます。「これでウナギは安くなるんですかっ?」
 こうなっては仕方ありません。「この発見で、すぐに蒲焼きが安くなるわけではありませんが、いつか安くなる日がくるのではないかと期待しています」私は冷静を装って、優等生的な答えをするしかありません。
 「それはそうなんだけど、もっと生物学的な面白さや、海洋学的な意味を聞いて欲しいなあ」 と心の中でつぶやきながら……。

 メディアと研究者の価値観の間にはいつもかなり大きなギャップがあります。メディアを社会の代表とすれば、ズレているのは研究者ということになります。
 本当のところ、多くの研究者は「何の役に立つか」を考えて研究をしているわけではありません。最初は、目の前にある不思議な現象に「あれ、なぜだろう」「どんな仕組みになっているのかな」と感じ、やがて気になって仕方なくなり、研究を始めるのです。そして、疑問が解けるまで、研究者をつき動かしているのは「知りたくてたまらない」という欲求です。
 僧院の裏庭で趣味的に栽培されたエンドウ豆の観察から遺伝学が始まり、錬金術師の暗い欲望から化学の下地が醸成されたことを思い出してください。研究はそもそも個人的なものであり、あえていうならば、社会の利害関係から切り離された「趣味」のようなものです。
 役に立たなくてもいいし、立つことがあってもいい。しかし、最近の研究は、だんだんと社会責献を強く期待されるようになりました。かなり窮屈な雰囲気の中で研究しなくてはならなくなってきました。」

仕分けの話とかを思い出すけど、研究の社会的意義について考えさえせられる一節やった。

他にも、予算や日程に制約がある中で航海のスケジュールや段取りをまとめあげていくためのリーダーシップやマネジメントにまつわる話とか、いろいろ面白い話も多かった。

ウナギのことだけでなく、研究の意義やリーダーシップなどについても学べていろんな読み方ができる一冊やった。

2012年12月2日日曜日

グッと涙をこらえて読んだ「四十九日のレシピ」は上品な著者からは意外にドロドロした部分を扱ってたけど面白かった


四十九日のレシピ

あらすじとかはAmazonでも見れるので、感想だけまとめ。
良い物語なので、できるだけネタバレしないように書きます。

王様のブランチでこの著者の最新作のなでし子物語」が
紹介されてて気になったので
とりあえずその前作である「四十九日のレシピ」を読んでみた。

これが良かった!

3分の1くらい読んだところのある場面で涙をグッとこらえ、
3分の2くらい読んだところでまたうるうる来て
全部読み終わったら温かい気持ちになった。

王様のブランチで著者自身も出演してて
インタビューに答えてたんやけど、女性の方で、
背筋がピンとしてて受け答えが上品で柔らかで育ちの良い感じの人やった。

なので、わりと上品というか、大人し目の淡々とした感じなのかと思ったら
結構そんなことはなくて、人間のドロドロした部分とか
人生の不条理な部分とかも扱ってる。

登場人物の造形や言葉遣いも
「エッ!?あの著者がそんなこと言わせるの?」
みたいなところもあって意外やった。

人生のやるせない部分とかを踏まえた上で、
それぞれに不器用な登場人物たちが
自分自身に向き合って、前向きに一歩を踏み出していく
というあたりはジーンとくる。

あと、普通に読んでたらこうなるかな?
って思うような期待をちょっとだけ外しながら展開していって
そのあたりは良い意味で裏切られながら読めて面白かった。

物語のトーンは丁寧な感じではあるので
そのあたりは著者の雰囲気が出てる気がする。

他の本も読みたくなって、とりあえずデビュー作の文庫版を買ってみた。
これも読むのが楽しみ!


自分が読んだのはハードカバー版ですが


文庫版はこちら↓

2012年12月1日土曜日

「明治 日本の独創力」で感じる道を切り拓く明治人の想いや気魄

NHKスペシャル明治 1 日本の独創力 (ホーム社漫画文庫)

渋沢栄一の話が載ってたのと、漫画で読みやすそうだったので借りてみた本。

こういう歴史系のベタな漫画は高校以来くらいで懐かしい感じやった。

扱われているのは以下の人々。


  • 渋沢栄一
  • 山辺丈夫
  • 森鴎外
  • ヘンリー・ダイアーと田邉朔郎
  • 夏目漱石
渋沢栄一や森鴎外、夏目漱石はさすがに知ってたけど、他の3人は知らんかった。それぞれの国づくり、人づくりにかける想いが描かれていたけど、特に山辺丈夫という人の話が印象に残った。

山辺丈夫は明治時代に日本に最新の紡績技術を導入した人。渋沢栄一にイギリスで紡績技術を学ぶように依頼を受ける。

それを引き受け、日本の将来のためにという思いで紡績技術を学ぼうとしたが、当初はどこの工場も受け入れてくれない中でいろいろ回ってようやく学ばせてもらえるところを見つけ、そこで得たものを日本に持ち帰って紡績業発展に貢献。

何せ工場作るところから初めてのことなので苦労しながら技術者を育てる。工場の火災を防ぐため工業用としては初めて電灯を導入したり工夫を重ねる。

事業は成功したけど給料はそこまででもなかったので、 他の会社から高給を条件にして引き抜きを持ちかけられても一切取り合わなかったとのこと。

また、他の工場から頼まれると、育てた部下に推薦状をつけて送り出し、自分のことではなく国のためになることを優先。

漫画の中のセリフでは以下のように述べている。

「私は自分が金持ちになりたくてやっているんじゃない。日本全体が豊かになればそれでいいんだ」

偉大な人物やけどあんまり知られとらん気がするなー。今は工場の跡地には小学校とか遊び場しか残っておらず、一本の石碑が立っているだけらしい。

この本に出てきた人はみんな海外に学びに行ってるけど、国がなんでも整えてくれるわけじゃなくて、お金だけもらって後は自分で何もかも手配せんといかんかったみたい。お金ですら十分ではなく、切り詰めて本を買ったりしてたということ。

新しい道を切り拓くっていうのはそういうことなんやろうなー。改めて明治時代に生きた人の想いや気魄を感じる一冊やった。