2012年12月6日木曜日

「天皇はなぜ生き残ったか」を考えると、「当為」と「実情」を視角として持つことの大事さが分かる

天皇はなぜ生き残ったか (新潮新書)

タイトルが目をひいて図書館で借りてみた。読んでみると、古代から中世にかけて、天皇はどのような役割を果たしてきたか、どのように役割を変遷させてきたかといった内容。

具体的には、平安時代くらいまでは名実ともに君臨する「当為の王」やったけど、その後は武士の台頭により軍事的な優位性を奪われてしまったので、その後は「文化の王」「情報の王」として、武士に情報や文化を提供する機能を果たしていったという見方。

以下、本書での問題提起と概要について。特に、天皇がずっと権威をもっていたという見方に対して疑問が呈されている。


■本書の問題提起
本書は、「権力のない天皇の権威とは」という問題提起から始まる。冒頭では、ある大学の学術会議で西洋中世史の先生が言った言葉に対して、著者が感じた強烈な違和感について述べられている。

それは以下のような言葉。

「日本の場合は天皇と将軍というように、権威と権力が分離していたので…」(p3)

これに対して、将軍が権力なのが分かるとして、中世の天皇は権威なのかという疑問を著者は持ったが、その場にいた20名ほどの歴史研究者は誰も問い返さなかった。自然な前提として受け入れられている様子。

著者によると、戦国時代の天皇について、権力は失ったものの権威は損なわれていなかったという説明がなされるが、この時期の天皇は「たいへんに貧乏」(p3)であったということ。

祭祀どころか即位や譲位の儀式も十分にできていなかった。戦国時代の天皇は上位のお金がなかったため在位期間が長く、一時期遺体は放置されていたこともあったことが指摘されている。著者は、こういうところを見ないで「当為」にとらわれていることを問題視している。

もう一つ、著者が問題提起しているのが、天皇について解説されている本の中での言及のされ方。その多くでは、古代でいろいろ説明した後、中世と江戸時代は通り過ぎて、明治とそれ以降について述べていくというスタイル。

これは、明治政府とその時代の学者が創出した見方であって、これにとらわれると本質が見えないのではという主張。

こうした問題提起を踏まえつつ、天皇の本質、天皇の芯とは何であったかという点について考察を重ねたのが本書。


■「当為」と「実情」
本書のキーワードの1つが「当為」。この本では、名目や形式といった意味合いで使われている感じ。歴史を見る際に、名目や形式にとらわれているのではないかという問題意識。

その1つの例が、律令は現実には使い物にならないという話。律令は元々中国から持ってきたものでもあるし、相当細かいし難しかった。行政文書も実用性を欠いたため、律令で元々規定されていたものの多くが廃棄された。

また、規定もそのまま現場に当てはめると使えないので、律令規定外の官職を設けて実際の運用に対応。律令の内容も現実と照らし合わせて「中をとる」ことで法意を解釈していたらしい。

それにも関わらず、あたかも律令によってすべてが運営されていたかのようにとらえてしまうのが当為にとらわれているのではないかということ。

もう1つ著者が例として挙げているのが「源氏物語」。平安文学の代表作としてとりあげられるけど、源氏物語を読んでいたのはごくごく一部の知識人層。平安時代に生きた人の大部分はその存在すら知らなかったはず。

もちろん、それをもって源氏物語の価値が損なわれるわけではないが、社会の全体像をつかむ上ではそれにとらわれると本質を見失ってしまうという話。

こうした例を踏まえつつ、「天皇=当為の王」(p33)という視角を重要視している。その象徴となる例が中世、以降の征夷大将軍の任命。

将軍の官職は天皇が任命する形式になっていたため、天皇は将軍よりえらいという認識が学界でも通っていたが、実態としては皇位継承は都度都度幕府に相談して最終的に決められていた。

形式としては幕府は「どうぞ朝廷のご決定どおりに」(p131)としているが、もし幕府の意志に反する天皇が登場したら、武力によってでも阻止される可能性があった。

つまり、天皇の方が優越しているという見方は、「当為にすぎない」(p131)のであって、「実情」をとらえようとすればまた違った像が見えてくるという話。


■天皇の役割の変化
その視角を踏まえた上で、天皇の役割の変化について注目している。古代においては、天皇は君臨する存在=当為の王であった。しかし、それが中世以降、武士の勃興によってその役割を変化させていったという見方。

特に承久の乱以降は、名実ともに君臨する「当為の王」から「情報の王」と役割を変化。「武士に情報を教示する朝廷、情報を与える天皇という機能」(p108)していった。

武士は暴力的な力を持っていたが、教養を十分に積んでいるわけではなかった。その中で、自らのアイデンティティの設定や制度設計において、朝廷から学んだ。これをもって著者は天皇が「情報の王」「文化の王」(p111)として振る舞うようになったと述べている。

あわせて、単に君臨していれば良かった時代は過ぎ去ったため、各種の訴訟や行政処理に積極的に対応することで統治に能動的に取り組む「実情の王」として、また、仏教や神道の世界においては「祭祀の王」として機能していった。

この「実情の王」として機能していくメカニズムの説明が面白かった。訴訟のタイプには以下の2つがある。
A)法に準拠するタイプ
裁定者は自らがもつ法規範(成文法と過去の判例など)に照らし合わせ、判決を下していく。
B)法に拠らないタイプ
成文法や判例ではなく、社会が共有する通念や常識に準拠して、判決を下す。
(p143)
このうち、鎌倉幕府は御成敗式目を制定するなど、Aのタイプだったが、朝廷の方はBのタイプ。実態としては律令ではなく「道理」を重視。

これはなぜかというと、Aのタイプで実行させるにはそれだけの強制力が必要。軍事力を背景に幕府の法を強制できた。しかし、朝廷は軍事力を失ったので道理によって解決しなければなくなったという見方。

当為の律令が役に立たない中で「人々の連関や世の趨勢を注視し、認識」(p148)し、「感得した社会通念を後追いで認証する作業を通じ、裁定者たるの実を示す」(p148)ことで「実情の王」に変貌しようとしたということ。

この説自体の妥当性を今すぐ論じるほど詳しくないけど、当為にとらわれずに実情をみてとらえようとする視角は歴史認識に限らずに共通する話だと思うのでそのあたりは面白く、かつ、参考になった。

あと、上のタイプの話とかは、会社のマネジメントのスタイルとかとも結構通じる話だと思うのでそういう観点でみるとまた面白いかもと思った。


■綸旨や院宣
以上の内容が大体半分くらいまでの内容で、後半でもいろいろ述べられているけど、大体の主張ポイントとしてはそんな感じ。最後に、もう1つ印象に残ったのが「綸旨」や「院宣」の話。

これ、高校の時に日本史で学習したのを思い出した。「リンジ」「インゼン」と丸暗記してたけど、その時はまったく意味がよく分かってなかった。それが本書を読んでなぜわざわざ教科書に書いてあるほど重要な話なのかが理解できた気がする。

綸旨や院宣は、上級貴族の判断を省いて訴訟当事者に直接授与された文書。これがどういう意味を持つかというと、院政の開始に伴って朝廷は上皇とその周りの実務貴族が中心となって運営されるようになっていく。そうすると、元々中心だった名門の帰属がだんだん発言力を失う。

すなわち、「上皇の専制が貴族の合議を凌駕していく」(p74)ことになる。このように、朝廷の行政のあり方の変化が文書の変化にあらわれているということ。

なるほどなーと思った。朝廷の行政は文書によって運営されていたので、実態としての変化が文書にもあらわれていった=実情が当為に反映されていったということか。

教科書は当為の方を追っていくので、それだけを読むとふーんとしか思えないところも多かったけど、実情の話を踏まえてからだとその当為の変化の意味も分かる気がする。あ、でも、教科書にもそう書いてあって自分が忘れてるだけかもしらんけど(^^;)

そんなところでも、いろいろとモノの見方としても参考になった一冊やった。

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