2013年2月20日水曜日

「震える学校」はぜひいろんな大人(特に子育て中の人)に手をとってほしい一冊

震える学校 不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために 

「私たちは「健康な学校」を取り戻さなければならない」という一文から始まる本。いじめの事例やモンスターペアレントの話が凄まじく、ところどころ絶句しながら読んだ…

いじめについて、現場の経験から再構成した事例をもとに、どのような問題が起きているのか、問題の根本原因は何か、それをどう解決していけば良いのかといったテーマを扱っている。

著者の方は、東京都の児童相談所で児童心理司として働かれている方。「いじめをなくす」取り組みの中で、「いじめ社会」は子供の間の中だけでなくもっと大きな構造の中で動いていて、この認識を共有できないと大人同士が協力しあえず、問題の解決には至らないのではという問題意識から書かれている。

なお、事例として紹介されている内容はプライバシーの観点から、いくつかの事例をもとに再構成されているとのこと。ただ、その上でもかなりリアリティがある。

本自体は文章も分かりやすく文字も読みやすいし、全部で126pと厚くないのでぜひいろんな人に手に取ってほしいと思った。

以下、印象に残った話。


■いじめの防波堤は大人同士の信頼関係
根本は大人同士ですら信頼関係が築けていないことがあるということが示されていて、冒頭の方に以下のように描かれている。

「「子どもを守る」立場にある私たち大人が、話し合い、協力し合う姿を見せることが、いじめの防波堤になるに違いない」(p5)

最初にこれを読んだ時はあまりピンとこなかったけど、読み終えた後だとその意味がよく分かる。

問題の背景の1つには、まず、子どもが大人を信頼できていないことがある。子ども同士で問題が起きた時に大人に手助けを求められない。手助けを求めたとしても見すごされたり、逆に問題を悪化させるような介入のされ方をされてしまったりする。

さらにそれ以前に大人同士に信頼関係が築けていない。誰かが気付いても、問題について正直に話し合える信頼関係が築けていないので問題を直視して対策を打てない。子どももそうした事情を分かっているのでますます問題が悪化する。


■教師もいじめに巻き込まれる
象徴的なのが一番最初に紹介されている例。これは教師自身が生徒からいじめにあっている例。そのいじめの内容がひどい。授業が崩壊するだけでなく、上着を汚されたり給食をかけられたり、脅迫や悪口のメールが一日百通以上も来たりする。

内容は「死ね」「ウザイ」「キモイ」という誹謗中傷だけでなく、「お前の奥さん結構かわいいじゃん」「レイプしてやろうか」という脅迫まがいのものも。しかも奥さんは妊娠したばかり。

この方自身は「こんなこと、恥ずかしくて誰にも相談出来ませんでした」と述べているように、同僚にも校長先生にも相談できない状態に陥っていた。そして、次第に悪口メールの数が増えるにつれ、同僚からも来ているのではないかと疑心暗鬼に陥り完全に悪循環。

同僚の先生方も、いじめられている先生が上着を洗ったりしている様子等、個別の事象には気付きながらも相談しあうまでは踏み込めていなかった。

この学校では、最終的にはいじめがあった事実をオープンにして、学校と保護者の話し合いを定期的に持ち続けることで次第に問題が収束していったとのこと。

先生と保護者、先生同士が一緒になってしっかりと問題に取り組んでいくという姿勢を子どもたちに見せることが重要ということ。


■大人が騒ぐメリット
別の学校の事例では、子どもたちにヒアリングをした時の話が紹介されていた。その学校では、ある先生が「暴力教師」「わいせつ教師」の疑いをかけられていた。

当の先生は最初は否定していたものの、校長や教育委員会から何度も詰問されるうちに、段々自分のことがよく分からなくなり、さらに認めてしまった方が楽になると考え「やったかもしれない」と言ったという。

事情を聴いていくと、大本は、そういうことをやってそうというネット上の書き込みからスタートしていたとのこと。生徒だけでなく親もそれにのっかってくる。

ある生徒の言葉として次のような言葉が紹介されている。

「学校がこうなっちゃうと、テストの点悪くても、親も『今の学校じゃ仕方ないわよね』って怒らないし。『学校行きたくない』って言っても『仕方ないわね』とか言って休ませてくれたり」

「それに、親が思いっきり学校とか先生の悪口言ってるの見るの、結構楽しいっていうか」

「だってさ、私たちが先生の悪口言うと普段は親って怒るのに、今は先生の悪口言うと、『やっぱりね』ってむしろ喜んでくれるしね」
(p57)

保護者が大騒ぎすることで子どもたちもメリットを感じ、さらにエスカレートするという構造になっている。

結局、この先生は今は現場を離れているということ。著者は、もし同僚の誰かが1人でも「そんなことをする人ではありません」と言ってくれれば、ここまで深刻な事態にならなかったかもしれないということを述べている。

同僚に限らず、保護者なり学校関係者なりの誰かが手助けしてくれればそこまで悪い方向には向かわなかったかもしれない。

ここでも、著者が繰り返し述べているように、大人同士の信頼関係が重要であるということが示されている。


■朝から苦情の電話が鳴り止まない学校
大人同士の信頼関係を考える上では、先生同士の関係も大事やけど保護者との関係も大事になってくる。しかし、それが一筋縄ではいかないケースもある。

ある事例では、保護者からの大人気ない要求が紹介されていた。そういう話があるっていうのは別のところでも見聞きしてたけど、この事例を読むと絶句してしまった。

ちょっと長いけど、そのままの方が伝わると思うので引用。

「きっかけは一人の保護者からの要求だった。うちの子がクラスになかなかなじめない。だから席替えをして欲しい。担任は、「それくらいなら」と思い、席替えをした。すると今度は「クラス替えをして欲しい」と言う。いくらなんでも学期の途中にそれは出来ない、と担任は断った。すると「担任を変えろ」と言い出し、副校長が出来ないと返答すると、副校長を変えろ、校長を変えろと言い出して、教育委員会にも苦情がいった。「とにかくそれから難癖としか思えないことばかりで。教え方が悪いからテストの点が悪いんだ、とか、専科の先生に有名な専門家を呼べとか、うちの子はきれい好きだから職員用のトイレを使わせろ、とか」

 校長はふう、とため息をついた。

「ひどい時は一日に三十回以上電話がかかってきます。担任と副校長は自宅と携帯に夜中までかかってくるので、朝まで電話を切れなかったりして」

 夜中の電話は出なくていいと校長が指示すると、日中にそのことで苦情が来る―。

 私はそこで口を挟んだ。

「そういう場合、学校のルールを保護者会で確認し、誰か一人を特別扱いは出来ないということを保護者間での約束事にしてみてはいかがでしょう」

 実際に保護者対応で困っているいくつかの学校で実践してもらい、成果も出ている。ところが、である。

「苦情を言い出した保護者が、今のPTA会長なんです」

 例年、PTA役員の選出には時間がかかった。会長となれば、ますますなり手はいない。だが、今年は違った。問題の保護者が立候補したのだ。

「教員たちは絶句しました。その保護者は子ども同士の喧嘩で子どもが怪我をすると相手の家に怒鳴り込みに行って、治療費を請求したりするので、保護者間トラブルも非常に多い方だったのです。だから保護者たちも賛成、というわけではなかったんですが」

だが、誰も止められなかった。

「もちろん、学校としては役割をきちんと果たしてくだされば、何も言うことはないんです。その保護者は実際、熱心でした」

 しかし、PTAの役員会で堂々と苦情を言い、学校の問題をあげつらうようになる。

「そういう空気は伝染するのでしょうか。PTAの会合だけではなく、保護者会も教師や学校への苦情を言う場、のようになってしまって」

 教え方が悪い、担任を変えろと他の保護者も言い出すようになった。成績評価が間違っている、書き換えろ。テストをやり直せ。教材を変えろ。うちの子は身体が弱いから教室を四階から一階に変えろ。保護者からの苦情が増大したのだと言う。

「職員室の電話は鳴りっばなしです。授業が始まるから、と言って電話を切ればそれが苦情になる。電話対応していて授業開始が遅れれば、それが苦情になる。今、精神的に問題を抱え、病欠している教員が二名います。副校長も授業に入ってもらっていますが、それでも自習のクラスが出る。それも苦情」

 完全な悪循環だ。

「個人面談も三者面談も苦情の場のようになってしまっているので、お恥ずかしい話なのですが、個人面談の日に担任が体調を崩して休んだりすることもあって」

 当然、それも苦情になるだろう。

「うちの子がいじめに遭っている、という訴えもいくつか出てきています。学校としては、放置するわけではないのですが、何からどう手をつけてよいのかわからないのです。とにかく、毎日の苦情を処理するので精一杯の状態なんです」

 処理するだけでは苦情は減らない。対応する人は疲労し、ミスが増える。するとまた苦情が来るという悪循環で、この学校は今や苦情処理がメインの仕事になっている」
(p69-71)

大人同士の信頼関係を考える上では、大人が「大人」になっとらんといかんと思う。こういう保護者にはなりたくないな…

この例では、電話で苦情を受け付けるのを止めて、定期的に保護者と話し合う場を設け、そちらにコミュニケーションを集約することで次第に収束していったとのこと。


■じっくり我慢する―ネット上の書き込みに耐えていく時間
事例で紹介されている対策はいずれもオーソドックスで、上記のように定期的に保護者会を開くとか、アンケートをとるとか。

手法の目新しさが重要なのではなくて、いかに効果的に信頼関係を取り戻していけるかが重要なんやなと感じた。

対策の話では、1つ印象に残ったのが、ある学校で行った事例。ネット上にいじめに関する書き込みページを開設。これはなかなか勇気がいることやと思う。

先生方からは、書き込んでくれるものだろうかとかといった声が出てきたが、著者の方がまずはやってみて、それで効果がなかったら次に何をすべきか一緒に考えましょうと呼びかけて始める。

最初に、誰が書き込んだか絶対に特定はしない、返信もしない、さらに詳しい話が聞きたいともい絶対に言わないという「約束」を掲げて開始したものの、開設当初は

「うぜえことしてんじゃねえ」
「馬鹿じゃないの?」
「マジ、キモッ」
「ホント、この学校、馬鹿教師の集まり」
「マジでいじめがなくなると思ってんのかね?」
「死ね、教師全員死ね、消えろ」

といった荒れた書き込みばかり。

毎日全員で目を通すも先生方も落胆し疲れていく。こんなことをしても無駄じゃないかという声も出てくる。しかし、著者は次のように訴えかける。

「生徒たちは、まだ安心していません。このページが安全かどうか、約束は守られるのか、こうやって試しているんです。だって普通だったら、こんな書き込みしたら、先生に怒られるでしょう?でも、私たちは約束しています。返信しない。問い詰めない。その約束を守っているのか、試されているんです」(p41)

じっと我慢して続け、どんなにひどい書き込みがされても、先生方が

「昨日も書き込みがありました。情報をありがとう」
「引き続き、情報を募っています」

と生徒たちに発信し続ける。そのうちに、もしかして…といった書き込みやメールが寄せられるようになる。生徒や保護者の中から協力的なメッセージが届くようになり、そこからさらに対策を進めていったとのこと。

書き込みできる場所を設けるっていうのはかなり勇気のいることで、しかも罵詈雑言に耐えていくっていうのは相当忍耐がいることやと思う。でもそういうプロセスを経ることで信頼関係を回復させることができたということ。


■何をしてはならないか
さまざまな学校で実際の問題解決に関与して来ている方なので話にリアリティと説得力がある。特に問題解決に当たっては、具体的に何をすればだけではなく、何をしてはならないかということも書かれている。対策というと前者に目が向きがちやけど、実は後者も子どもに関わる上ではとても重要ということが分かった。

それは例えば子どもから話を聞くときには、詰問しない、説教しないといったこと。
「話の中に明らかに「悪いこと」が含まれていても、途中で遮れば、大事な話が聞けなくなる」(p62)

真偽や善悪の判断は一旦保留して、まずは聞くことで信頼関係を回復させる。そのためには詰問や説教をしてはいけないということ。
このあたりは会社のコミュニケーションでも言われたりすることやけど、子ども相手やとなおさら大事なんやろうなーと思った。


■信頼される学校のためのルール
上記のようなポイントや事例の話を踏まえつつ、最後の章では、信頼される学校のためのルールとして以下の点が示されている。

①複数の教員の目で見守る
②保護者全員に知らせる
③電話ではなく、定期的な保護者会で話し合う
④子どもたちには保護者からも伝えてもらう
⑤被害者への質問はしない
⑥アンケートは、活用のルールを子どもに伝えておく
⑦情報は集めても、「事実の調査」にはこだわらない
⑧さまざまな大人が見守るオープンな学校に
⑨頻繁な保護者会で、連続的なコミュニケーションを生み出す
⑩子ども同士の話し合い
⑪学校内部で解決出来ない時(外部に相談)

このあたりは具体的に対策を打っていく際に参考になる指針やと思う。

読み終えてみて、親である人、特に就学前、就学中の子どもを持つ人に読んで欲しい一冊やと思った。自分もこれから親になるに当たって読んでおいて良かったと感じる。

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