2013年2月8日金曜日

「つながる脳」を研究する難しさと面白さ

つながる脳

社会性と脳の関係を研究している方の本。脳研究の内容の解説というよりは、研究記みたいなイメージ。

著者自身もあとがきで次のように述べている。

「この本では、最近の僕の頭の中に溜まっていた、いろいろな妄想や経験をざっくり書き出してみました。研究内容も進行過程のものばかりですから、最終的な結論はどこにもありません。もしかしたら間違っているかもしれません」(p273)

こうした状態で研究者の方が本を出すのは勇気がいると思う。研究途中の話が多いので、ズバッとした答えのようなものは述べられていないけど、それだけに、研究を進める中でどういうことがこれまでや今課題となっていて、それに対して著者がどういう姿勢で考えながら取り組んでいるのかというのが述べられていて興味深い。

トピックはさまざまでそんなにまとまっている感じではないけど、新しいことにどうやって取り組んでいくのかという話は研究に限らず参考になる。


■社会性に関わる脳の研究の難しさ
もう少し具体的に言うと、これまでの脳研究の多くは、動物を対象にするにしても人間を対象にするにしても、いずれもできるだけ環境や実験の条件を固定して、一定の環境下で調査していた。

これは、一定の条件下でないと科学的でなく研究として認められないという考え方によっているけど、脳の研究、特に社会性を調べる場合は条件を固定していると逆に本質に近づけないというのが著者の考え方。

例えば、友達関係のネットワークについて以下のような表現をしている。

「ネットワーク構造を正しく知るにはどうすればよいのでしょう。まず、それぞれの生徒は自分の視点からの情報しか僕たちに与えてくれません。ですから少数の子供たちから話を聞いただけでは、友達関係の片思いを見逃すこともあります。また、昨日までは友達だったけど、片方の不用意な一言で関係性が一方的に途絶えるというようなこともありますから、友達関係の構造は、いつそれを聞くかによっても答えが異なってきます。つまり子供たちのもっている友達ネットワークの本当の構造を知るには、同時に全員から話を聞き続けないといけないことがわかるでしょうか。
 同じことが実は脳科学にも言えるのです。今までの代表サンプリング方式の脳神経活動記録方法では、たとえサンプリングバイアスがあまり大きな影響を与えていないと経験的にわかっていても、一〇〇人の子供のうち、せいぜい五人くらいから話を聞いているのに等しいと言えます。しかも、バラバラの時期に話を聞いているので、その情報をいくら集めても正しい全体像が見えてきません。いったい誰と誰の仲がいいのか、トラブルの原因は誰なのか、クラスをまとめるキーパーソンは誰なのかなどは、全員から同時に話を聞かないかぎり正しい答えが出てきません。しかも正しい状態を理解するには、子供たちから定期的に聞き続けて相関図を更新し続けなければなりません。
 それと同じことを一〇〇〇分の一秒ごとにたくさんの神経細胞に聞き続けないといけないのか脳科学なのです」(p60-61)

人と人がコミュニケーションを取る時には、相手の反応や周囲の条件などは刻一刻と変わっていっている。

その中での動きを把握するには、研究室の中や実験器具の中で閉じこもって一定の条件下だけの動きをみていても、実際の活動の中での脳の活動の状態とは離れてしまう。

ということで、もう少し違ったやり方を模索しているという話。こういうふうに難しいところがある、でもだからこそ面白いし開拓の余地がたくさんあるのかなーと思った。


■社会性研究に必要な実験条件
著者はサルを対象とした研究を行なっているけど、その条件はこのような感じ。

1.実験の対象にするのは、最低でも二頭以上のサル
2.サルには好きなように行動させること
3.サルの振る舞いと環境情報のすべてを記録して、脳活動と関連づけできるようにすること
4 サル問の社会的な関係性はサル任せにすること
5.脳からの記録はできるだけ広い領域から記録すること
(p18)

これらは、これまでの実験条件と全く反対のもの。ほとんどの研究者が避けるか排除していた条件ばかり。

しかし、著者は社会性、サルとサルとの関係性を調べるにはこれを調べることが不可欠と考え、実験を進めている。

具体的には、これまでの実験条件を覆すような形で実験を設定して研究を進めていて、これまでの実験手法の何倍もの効率で解析ができる手法を生み出しているということ。

その詳しい話は本書に書かれているけど、その内容よりも、上記のように発想の転換がなければそもそもその手法を考えだすところまでいきつけなかったと思うという意味で、考え方のところが参考になった。


■下位のサルと上位のサルはどちらが賢いか
著者は上位と下位の関係付けがされたサルの行動を調べているけど、この中でどちらのサルが賢いかという話が興味深かった。

もともと著者は、そもそも上位のサルの方が賢いから上位でいられると考えていたが、実際は逆のようだということ。著者は次のように述べている。

「本当に賢いのは、むしろ苦労している下位のサルの方なのです。この話をすると、中間管理職として苦労されているのか、みなさん必ずニヤリとされます」(p134)

もう少し具体的には、上位のサルは好きなように振る舞えるけど、下位のサルはそうではない。

上位のサルと競合状態になったら、自分自身の行動を抑制しつつ、チャンスを伺ってエサをとったりと、生き残るためには気を配り続ける必要がある。周囲の状況や相手のサルの樣子を見ながら瞬間的に判断しながら行動する。

こうしたことから、下位のサルの方がより高い知性が必要とされるということが述べられている。このへんはなかなか含蓄がある。


■賢さとは
その他の話として、「賢さ」についての以下の話が印象に残った。「賢さ」の定義の仕方っていろいろあるけど、こういう見方もあるなーというのはなかなか面白かった。

「僕たちは一般に、この適応能力が高い生き物を、賢い生き物だと感じるように思います。たとえば極端な例ですが、金魚とクマムシを比べてみましょう。クマムシ自体はヒトが行うような知的活動を何ら行わない生き物ですが、真空でも極寒でも警く生き残ることができるサバイバル能力で有名です。一方でちょっと暑くなっただけでプカリと浮かび上がってくる金魚を見ると、「金魚って駄目だな、やっぱりクマムシは凄い、賢い」ということになります。
 僕はいろいろな生き物を見て、その賢さを感じるたびに、逆に「賢さ」という言葉に違和感を感じていたのですが、「賢さ」をヒトに特有の知的機能ではなくて、「生命維持のための特定の適応能力の高さ」と考えれば違和感が少なくなることに気がつきました。ヒトはそういう意味で言えば、他の動物種にない多面的な賢さを身につけた生き物であるという点で際立っていると言えもちろん「賢さ」は異なる生物種の間だけでなく、同一種間においても各個体の知性をはかる目安となるでしょう。会社や学校でも、さまざまな状況の変化に適切に対応して、上手に波乱の波を乗り切るヒトがいますよね。管とは本来、何かをどれくらい知っているかというような静的な能力のことではなく、どれくらい多様な状況に対応して一瞬で自分を変えることができるかという動的な能力のことを言うのだと僕は思います」(p27)


最新の脳科学の研究の話から、新しいことにどうやって取り組んでいくか、賢さとは、知性とは等、社会性に関する様々なトピックについて考えるネタがいろいろとある一冊やった。

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