2013年2月19日火曜日

シルバーシートで寝たふりをする若者は社会性がある?(子どもの社会力)



子どもの社会力

子どもの成長についての問題意識から、その問題の根本原因や解決に関わるキーワードが「社会力」だとして著者の考えを述べた本。

読者としては、主に子育て中で悩んでいる若い親や、青少年の育成に携わって苦労している人、児童生徒の指導が大変な学校の先生たちということ。

また、若い人にも、本書を読みながら自分自身を相対化して考えてほしいというメッセージが呼びかけられている。

以下、印象に残ったポイント。

■既存社会への適応と変革
「社会性」という言葉があったのに対し、わざわざ「社会力」という言葉を使ったのは以下のような問題意識から。

「わが国の若い人々に欠けているのは社会への適応力というより、自らの意思で社会を作っていく意欲とその社会を維持し発展させていくのに必要な資質や能力である」(pⅶ)

こうした資質や能力はそもそも先天的に備わっているのか、そうでないとしたらどのように形成されるのか、若い世代に置いてそれが十分に形成されていないとしたら何が原因かといったところを、脳科学や社会学的な知見から探っている。

社会性と社会力の違いについては、もう少し違う言い方で次のように述べている(p64)。
  • 社会性…現にある社会の側に重点を置いている、既存の社会への適応、社会の維持
  • 社会力…社会をつくる人間の側に力点を置いている、既存の社会の革新
「社会力」という言葉の良し悪しは別として、こういう概念は大事やと感じる。この本では子育てとか学校教育の話がメインやけど、会社でも同じようなところがポイントになる。

これも良し悪しはあるとして、現状の会社の状況に適応するのか、会社を変えていこうとするのか、その時に他社にどう働きかけ、どうコミュニケーションをとっていくのかというのは重要なので、概念としては仕事にも通じる気がする。


■50代男性が20代女性に「裸になりなさい」と言ったら…?
社会力に関連する話で、なるほどと思ったのが生活世界の意味づけ」という話。生活している世界やその中での状況がどのように意味づけられているか、社会生活を共にしている人と認識を共有できているか、さらに、その意味づけに応じた言動をとれるかどうかが鍵になっているということ。

これに関連していて紹介されていたのが「場」のついての例。50歳くらいの男性と20歳くらいの女性がある場所にいたとする。そして、男性が女性に向かって「裸になりなさい」と言ったとしたらどう判断するか。

これだけ聞くとエーッと思う。「場」がもし大学の研究室だったとして、男性教授が女子学生に言ったとしたらセクハラとして裁判沙汰になり得るような話。しかし、もし「場」が病院の診察室で男性が医者で女性が患者だったとしたらなら適切な言葉として受け止められる。

こうした形で場や状況、当人同士の関係性によって適切な相互行為というのは異なってくる。それを読みとって状況を理解しそれに応じたふるまいをしていくのが1つ大事な能力になるという話。


■シルバーシートで寝たふりをする若者は社会性がある?
あとがきの中で紹介されている話が面白かった。長年、行動療法による自閉症児の治療に関する研究をされてきた小林重雄さんという教授の方が最終講義で話されたという内容。

「電車に乗っていると、シルバーシートに座り大股開いて寝たふりをしている若者をよくみかける。そんな若者をみて大人は「最近の若いモンは社会性がない!」というが、そうじゃないんです。そういう若者は社会性があるから寝たふりができるんです。そうでしょ。彼はシルバーシートには高齢者や障害者しか座ってはならないことを知っている、だから高齢者や障害者がいたら席を譲らなくてはならないこともわかっている、だけどいま目の前に立っている年寄りに席を譲るのはイヤだ、となれば知らんふりするしか方法はない、ならば寝たふりをするのが一番、とまあこんなふうに考えたはずです。これだけの考えを自分の頭の中で巡らすことができるというのは相当に社会性がある証拠です。自閉症児は日の前に誰がこようと無頓着で大目を開いて座っています。
 子どもや若者の社会性とか社会力といったことについてあれこれ考えていた私には、この話が思いがけぬいいヒントになった。なるほど、社会性をそんなふうに考えればいいのか。なまじ道徳性とか社会規範と重ねて考えていたから、自分の頭の中でもやもやしていたものを"社会性"と呼ぶべきかどうか踏ん切りがつかなかったのだ、と。社会性とは、要するに、社会の中でうまくやつていく術に長けているということなのだ。とすれば、ブルセラショップヘ行くのも、援助交際するのも、うまい口実を考え親からカネをせびるのも、あれこれ言いくるめて自分の非を他人の非にするのも、あるいは、人との関わりを避け自分の殻にこもって生きるのも、すべて現代社会に適応する新しいかたちなのではないか。こう考えてみると、ようやく、もやもやが晴れてくる。そうだ、今の子どもや若者に欠けているのは社会性ではなくて、"社会力"といつたものではないか。社会に適応する力ではなくて、社会を作り変革していく力ではないか、と。とすれば、大人だって相当に社会力が欠けているではないか」(p202-204)

なるほど、そういう見方もあるのかと感じさせられた。子どもや若い人の行動を嘆いたりそれに怒ったりしてもしょうがない、というか、むしろそれは大人たちが作っている社会に適応した結果でもある。インサイド・アウトで考えたら大人から変わるべきところがあるように思う。これから子育てをしていく上で考えさせられるなー。

また、著者は次のようにも述べている。

「一書を書き終えて改めて強く思うのは、子どもや若い人たちをしっかり育てていかなければならないな、ということである。彼らに向かって、彼らの態度をなじり、彼らの行動を憤り叱咤するのではなく、彼らと同じ方向を向いて歩きながら、辛抱強く育てていくしかない」(p206)

これに対応する1つの方向性として、著者は、地域で子どもを育てるということを提唱している。これは昔は当たり前のように行われていたけど今は失われているということ。

このへんの話は今ではよく言われていると思うし、じゃあ地域でどう育てていくかという具体的な話は紙幅や時間の関係上か事例の紹介くらいにとどまっているけど、今改めて大事な視点やと思う。

子どもや若者の行動に問題があったとして、それを当人のせいにしたり親や学校だけのせいにするのではなくて、地域の大人が全体で子どもに関わっていくような場や関係性づくりが大事やなーと再認識させられた一冊やった。

しかし、こういうことを考えると、子どもは地方とかで親戚とか家族づきあいがある中で育てた方が良いような気がするなーとも思った…


0 件のコメント:

コメントを投稿