2013年2月3日日曜日

「社会力を育てる」のに参考になる事例や視点を学べる一冊

社会力を育てる――新しい「学び」の構想 (岩波新書)

日本とか社会のいろんな問題の解決に向けてどうしていけばいいのか、その答えが「社会力」にあるという内容。

そしてそれは勝手に育つものではなく、タイトルにあるように「育てる」必要があるということ。ただ、どう育てるのかはあんまり答えがない。

全体的にあんまり話がまとまってないとういか、そんなに整理されている感じではないけど、いろんな学術的成果の紹介があってそのへんは1つ1つは結構参考になる。


■社会力は後天的なものだけではなく、先天的に備わっているものもある
著者のいう社会力の定義は
「人が人とつながり、社会をつくる力」(p65)
というもの。

これだけだとぼんやりした感じやけどなんとなくのイメージで話が進む。

それはそれとしてしょうがないとして、面白かったのが、社会力は先天的な部分もあるという話。

社会的なコミュニケーションの上で必要となる能力って後天的に身につくようなイメージがあるけど先天的に備わっている部分もあるらしい。

発達心理学者のプレマックという人の実験の話。

「プレマック氏は、さらに、ヒトの赤ちゃんは、二人の人間がいてそれぞれがある行いをしている様子をみて、それが相互行為として掌れている行為であるか、他の人と関係なく行われている単袖行為なのかを区別することができるとも報告している。そして驚くべきことに、二人が相互行為している場面では、一方が他方の目標志向な行為を助けている行為なのか、妨害している行為なのかも区別しており、助ける行為をプラスに評価し、妨害する行為をマイナスに評価するとも報告している(長谷川監訳『心の発生と進化』)。
 ヒトの子が備えている先天的な能力は何ともすごいものだと言うしかないが、ヒトの子が、人と人との相互行為の内容についても判断する能力を備えており、助けたり支援したりする行為の方を選好(prefer)する性向をもっているという事実は、互恵的協働社会の可能性を考える上できわめて心強い生物学的な根拠になる。」
(p122-123)

本当かどうか判別するだけの知識は持ってないけど、一つの見方として面白いなと思った。


■精密コードと限定コード
もう一つ印象に残ったのが精密コードと限定コードという話。

「バーンシュタイン氏は、家庭で親たちが話す会話の仕方や、その時使う言葉に注目し研究した。そして、気づいたのが上層階級の親たちが使っている言葉と、下層階級の親たちが使っている言葉に大きな違いがあるということであった。どう違うのかといえば、上層階級の親たちは「精密コード」と分類される言語を使い、下層階級の親たちは「限定コード」と分類される言語を使っているということである。
 精密コードにしろ限定コードにしろ、一般にはやはり馴染みのない言葉である。そこで具体的な例をあげて説明すれば、公園で遊んでいた子どもが近所の家の窓ガラスを割ったことを誰かに説明する時、上層階級の親は「公園でボール遊びをしていた三人の男の子がいて、そのうちの一人が誤った方にボールを投げてしまい、公園の傍に建っていた家の窓まで届いて、窓ガラスを割ったそうよ」(精密コード)と言うが、下層階級の親は「遊んでいた子がボールをぶつけて窓ガラスを割ったそうよ」(限定コード)と言うという。子どもたちが遊んでいた様子を公園で実際に見ていた人なら、限定コードで話されても事の成り行きを理解できるが、公園にいなかった人にはそこで何が起こったのか正確にはわからないはずである。
 このような事例を多く集めて考察した結果、バーンシュタイン氏が結論づけたのは、教育レベルが高く教養も豊かな親たちが話す言葉に慣れた上層階級の子どもと、そうではない親たちが話す説明の乏しい言葉に馴染んだ下層階級の子どもでは、学校で先生が使って教えている言葉が基本的に精密コードであるため、授業の理解度に最初から差が出て、その差がそのまま学校のテストの成績となって表れ、大学に進学できるかどうかを決めることになるのだ、ということである。」(p40-42)

親の会話の仕方がかなり子どもに影響するんやなーと改めて思った。
自分も子どもに話しかけるときには話しかけ方とか考えんとなと思った。

他にもいくつか参考になる視点とか例があった。自分自身の社会力というのもあるけど、特に子どもにどう社会力を身につけさせるかということを考えるのに参考になる一冊やった。

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