2012年10月31日水曜日

「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」を原典で学んでみようと思ったけど難しかった…

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加


「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」読了。教育や研修関係の本でよく「正統的周辺参加」という概念が参照される。それで興味をもって原典となるこの本を読んでみた。

Amazonのレビューを見ると結構平均して高いけど、ぶっちゃけ意味がよく分からんかった…訳書ということもあってなのか、そもそも自分がこの学問的な説明の仕方に馴染みがないからなのか、言葉遣いが全然頭に入ってこず…

ただ、いくつかはなるほどなと思うポイントもあった。

■親方という中心だけでなく共同体全体との関わりの重要性
その1つは「脱中心的」という表現で説明されていた、親方との師弟関係の話。

通常、徒弟制でイメージするのは、弟子が親方について厳しく鍛錬されていくという感じやけど、この本で言ってるのは、親方との師弟関係が重要というよりは、その周辺の人との関わりの方が重要ということ。

言葉遣いがややこしいけど、こう表現されている。

「熟練というものが親方の中にあるわけではなく、親方がその一部になっている実践共同体の組織の中にある」(p75)

「古参者がどのように、いつ、また何について協力しあい、結託し、衝突しているかとか、どんなことを彼らは喜び、嫌い、大切にし、感嘆するか」(p77)

ということが手本になるという話。

共同体の中で、単に親方という中心とだけの関係ではなく、共同体全体の中での位置づけや関わりが大事という視点は確かになと。


■何を語るかよりどう語るか
あとは、何を語るかよりどう語るかという話も参考になった。

「共同体内で正統的参加者になるための学習には、十全的参加者として、いかに語るか(またいかに沈黙するか)という点が含まれているのである」(p89)

同じく、何を学ぶかよりどう学ぶかとかどう振る舞うかということが学校で学ばれているという話。

「質問をすること―学校でうまく「やっていく」ことを学ぶこと―が学校が教えることの主要な部分になっていると推測」(p92)
(スクリブナーとコール『読み書き能力の心理学』という本より)


■後工程から全体を学ぶ
最後にもう1つ興味深かったのが、徒弟制において服の作り方の学び方の話。

弟子が最初に学び始める時は、服を作る最初の手順から学ぶのではなく、逆にほとんど完成されている状態のものを最後に仕上げる部分から学び、徐々にさかのぼって手順を学んでいく。

そうすることによって最初に全体像がわかるので学びやすいということ。この発想は他のことにも応用できそう。

「徒弟制の過程の構成は衣服全体のレベルに限られてはいない。最も初期のステップでは、手で縫うことから足踏みミシンで縫うことを学び、アイロンかけを学ぶ。仕立ての知識の本体からこれらを除いたとしても、それぞれの衣服に対して徒弟は裁断の仕方や縫製の仕方を学ばなければならない。学習過程は製造過程の順序をたんに再現しているだけではない。実際、製造のステップは逆になっている。つまり、徒弟は衣服の製造の仕上げの段階を学習することから始め、それからそれを縫うことに、そして後になってはじめて裁断の仕方を学ぶのである。このパターンは新しいタイプの衣服[の学習]を規則正しく分割するものである。製造のステップを逆にたどることには、ボタンを付けたり袖口をつけているときに、最初に衣服構成の大きく見た輪郭に徒弟の注意を向けさせる効果がある。次に、縫うことで彼らの注意を異なる布切れが縫い合わされる論理(順序、定位)に注意を向けさせられる。そこではじめて、それらがなぜそのように裁断されているかがわかるのである。それぞれのステップが、いかに前段階が現在の段階に貢献しているかを考える無言の機会を提供しているのである。さらにこの順序づげは失敗経験、とくに重大な失敗経験を最少にする。」(p51)


いやーしかし文章ややこしかった…

ただ、本の内容は頭に入って来なかったけど、一度読んだ後でウェブ上に公開されていた以下の要約レジュメを読んだらなんとなく全体像はつかめた気が…しないでもない…





2012年10月30日火曜日

「幕末維新に学ぶ現在」からの現在の政治家への愛のあるメッセージ

幕末維新に学ぶ現在〈2〉

山内昌之「幕末維新に学ぶ現在〈2〉」読了。3から読んで2→1とさかのぼって読んでる。3に比べると幕府側の人が多い印象。

ちなみに3巻の感想はこちら↓
「幕末維新に学ぶ現在」から歴史の学び方・活かし方を学ぶ

幕末維新の人物像から現在に通じる学びを得るという視点でたくさんの人物を紹介していて現代の政治家に対してもメッセージを送っている。

例えば、鳩山由紀夫さんが首相だった時に幕末のペリー来航時の老中、阿部正弘を参照。

「阿部は、徳川譜代の閣老として祖法の鎖国にこだわる立場でありながら、列強の力と世界情勢を判断して開国に舵を切らざるをえないジレンマに置かれた。それでいて、前水戸藩主の徳川斉昭のように極論を繰り返す撰夷派と政治的妥協を図るために、八方美人になった面には幾分かの同情を禁じえない。」(p11)

八方美人、弱気な政治姿勢と見られがちであり、政敵から「瓢箪鯰」と仇名されたが、海外列強からのプレッシャーから迫る危機を挙国一致体制で乗り切ろうとした。外様と譜代とを問わず大名や、身分の高下を超えて幕臣らに良策を諮問したとのこと。

山内さんも次のように述べている。

「この「瓢箪鯰」にはしたたかな所も多々あり、交渉術に冴えを発し、人心収攬にもたけていたことは否定できない。
「調整の名人」という異名は、政治家として決して悪い評価ではない。」(p12)

そして、こういうメッセージを鳩山さんに対して送っている。
「瓢箪鯰ならぬ「宇宙人」にも、せめてリーダーとして調整の名人になるように、阿部から政治とは何かを学ぶことを切に望みたいものである。」(p12)

単に幕末維新期の人は偉かったで終わりではなく、何を学び取れるかという視点で一貫しているので、批判にも愛があるなーという感じがする。

また、ちょうど震災後に出版されたということもあって、特に以下のような想いが強く述べられている。

「「震災後」まもなく小著を出すことになったことに複雑な思いがする。せめて小著が、読者諸賢が幕末維新の試練の数々から「震災後」の日本のヴィジョンを大局的に判断し、「震災後日本」 の行方を戦略的に考察するために、細部にとらわれず国家の将来を見据える素材を得る手がかりの一端になればという願いで一杯である。間違っても現代の為政者は、竹中丹後守重囲がのんべんだらりと押し出していき、鳥羽伏見の戦いで負けたような緊張感の欠如を繰り返してはならない。」(p213)

この想いを感じ取れる一冊やった。

2012年10月29日月曜日

新しい学びのモデルとしての「東京シューレ」(「僕は僕でよかったんだ」より)


僕は僕でよかったんだ



「東京シューレ」という東京にあるフリースクールの卒業生32人のその後についてのインタビュー集。

この記事は前回の続きです。

前回の記事はこちら↓
 「僕は僕でよかったんだ」という自分を肯定することの大事さ




■いろいろな人がいる
インタビューの中で何人かの人が、いろいろな人がいるということ、それぞれの違いが分かってそれを認められるようになったと言っているのが印象に残った。

みんな違うから違いを分かり合い認め合える
「シューレは個性的な人が多くてみんな違うけど、だからこそ違いを分かり合い認め合える見方ができるようになったと思います。シューレの人同士だと、ああ、そういう考え方があるんだ」と感じることができます。また、シューレ以外の場面でも自然とそうした受け取り方ができるようになりました。」―藤田由佳さん(p179)

言ってしまえば当たり前なんやけど、意外と人間関係の中でここがお互い理解できずにもめることが多いところなので、これを思春期に腹の底から分かるっていうのは大きい。

自分の場合は中高が全寮制の学校で、さらに1学年40人しかいない狭く濃密な人間関係の中で生活していた中でそれを学んだ。同じ宮崎県という地域から来ていて同じ年代なのに、一人ひとりに違いがあるということ。

当たり前のことやけど、これは例えば同じ日本人同士でもそうだし、海外の人とコミュニケーション取る上でも大事なポイント。


少数派の視点
そして、特に大きいのが、いろんな生きかたがあることが分かること、また、学校に行かないということで自分自身が少数派の立場に立つことで、少数派への視点が持てること。ある卒業生の方の言葉。

「不登校やシューレで生きてきたことは、自分では面白いと思う。社会の多数の人は普通じゃないと思うかもしれませんが、自分は少数派であっても、このような生き方で良かった。人には、どんな生き方もあって、何かにとらわれない生き方をしていける、それに気がついたことが大きかったと思います」―彦田来留未さん(p233)


先入観をもたないで話を聞く
こうした経験からか、いろいろな人の話を先入観を持たずにしっかりと聞いて自分の意見を相手への押しつけにならないように聞く、というコミュニケーションの基本スキル(でもなかなかできるのが難しいもの)を身に着けられている。

「今は不動産会社に勤務し、この春には採用面接の担当者として、数十人の面接をさせていただき、数人の若い部下を持つ身となりました。毎日、一回りも年が違う人達と仕事をし、大手企業の方達に接客する機会も増えてきました。いろんな知識や経験は仕事上必要なのでしょうが、今の僕が仕事で一番必要なスキルは、先入観ではなくしっかりとお客様の話を聞き、自分の意見を押しつけるのではなく述べることがポイントと言えます。なんだか、それは遠い昔にシューレのミーティングでずっとやってきたことだったなと思っています。」―鈴木曉さん(p39)


■自律的、行動的に動く
その他、インタビューを読んでいく中で印象に残ったのが、それぞれの人がとても自律的に行動をどんどんとっていく人が多いということ。

もちろんみんな最初からそうやってどんどん動くわけではなく、樣子を伺いながら最初は壁に向かってマンガを読むだけだった人もいる。でも、その中で段々自分なりに何かやりたいことを見つけてやっていく樣子が語られている。

卒業生の方も次のように語っている。

「見学前は、静かな子が多いのかと思っていたけれど、行ってみると、パワフルな場所でした。」―藤田法彰さん(p175)

「最近の「アラスカプロジェクト」でも、「オーロラを直に写真で撮りたい」という子がいたことをきっかけに講座が持たれ、アラスカの地理や歴史、先住民、教育、自然環境などを一年半ぐらいかけて学び、その間、お金も貯め、一週間かけてアラスカ旅行を実現しています」―奥地圭子さん(p262)

その他にも、ログハウス作ったり、演劇したり。活動の場は世界に広がっていて、IDEC(世界フリースクール大会)を日本で開催したり、ペルーのワーキングチルドレンの団体「ナソップ」と交流したりと。

さらに単純にすごいと思ったのが、法律にも影響を与えたこと。1997年の「この年のシューレ」に書かれていた内容が以下。

「同じ頃、国会では児童福祉法の改正が議論されていることを知り、四月「子どもの声をぶつける会」を子どもたちが立ち上げた。他のフリースクールや親の会にも働きかけ、七〇〇名もの署名を集め厚生省に提出した。
 この問題は、戦後まもなくつくられた法律が時代に合わなくなったため、子育て支援や自立支援の拡充が目的の改正が検討され、その改正案のなかに、教護院の活用率が低いので不登校の子どもを入所させ、自立へ向けた生活指導する方針が含まれていたのだ。ぶつける会の子ども達は、自分達で厚生省に電話し、子ども達だけで会見を行った。この時の会見は、保坂展人衆議院議員(当時)が、「子ども達だけで官僚に会いに行ったのは、歴史上初めて」と驚かれていた。法案は提案通り可決されたが、「不登校を対象としない」という付帯決議をつけることができ、大きな成果へと結びついた。」(p126)

これだけの行動ができる子どもっていうのはなかなかいないんやないかと思う。こういう行動を自発的に起こしていけるような子どもを育てるというだけでも大きな社会的な意義がある場やないかなーと思った。


■新しい学びのモデル
最後に、巻末の対談で、教育ジャーナリストの方が次のように述べている。

「東京シューレは、これからの新しい学びの場の一種のモデルになって行くだろうと思います。単なる受験のための教育でもないし、経済成長を支えるための人づくりでもまったくない。ひとりひとりの子どもたちの特性を活かし伸ばすような学びの場であるし、また子どもたち自身が主人公になってミーティングをして、自分の興味・関心に基づいて、いろんなことを考えて実行していく―。その中には平和教育や人権教育、環境教育もある。今日のニーズにあった内容も、自ずから子どもたちの発想の中から生まれてきているのが東京シューレの良いところであると思っています。だから東京シューレは単に不登校の子どもの居場所という消極的・受動的な存在ではなく、本当の学びの場として、積極的な意義のある場だと思うわけです。

 ここに来ている子どもたちが、「もう普通の学校はいやだ」と、その気持ちをバネにしてミーティングをやり、いろんな学びを組み立てて実践していってる。そこが原点だろうと恩うんですよ。ゆっくり学ぶ時間的なゆとりも保障され、それを具体化するためにオルタナティブ教育法を準備され、それを具体化するものとしての葛飾中学校がすでに出来上がっています。これからの公教育のひとつのモデルとして、僕は葛飾中学を位置付けたいと思っています。

 最後に、今後の「学び」ですが、ひとつ補足すれば、ユネスコの二十一世紀教育国際委員会が一九九六年に「学習:秘められた宝」という報告書を出しています。その中で「学習には四本の柱がある」と書かれています。ひとつ目は「知ること」、ふたつ目は「為すこと」、みっつ目は「共に生きること」、よっつ目は「人として生きること」です。

 僕はこれがこれからの学習の方向として大変良いと思っています。東京シューレも「知ること」「為すこと」「共に生きること」「人として生きること」を実践されていると思うんですが、さらにこの辺を柱にしながら学びの場を構築していっていただきたい。これがこれからの日本の教育のあり方の方向を示していると意義付けてもいいと思っています。」―矢倉久泰さん(p268-269)

教育の新しい可能性を考えさせてくれる一冊やった。



2012年10月28日日曜日

「僕は僕でよかったんだ」という自分を肯定することの大事さ

僕は僕でよかったんだ


「東京シューレ」という東京にあるフリースクールの卒業生32人のその後についてのインタビュー集。

1985年に開校したということですでに25年以上の歴史があり、初期の卒業生の方は30代、40代になっていて、社会でもいろいろな経験をされているので仕事論や人生論として読んでも面白い。

卒業生の方のインタビューと「この年のシューレ」というコーナーが交互にあって、1985年から2011年まで、1年ずつ進んでいく。

簡単な年表がついていて、その年の東京シューレの活動と共に、世の中の動きも分かるようになっている。それに加えて、5年毎に教育ジャーナリストの方が教育界の動きを整理して解説していて、教育界全体の動向も重ねて見ていける。


■学校に行かないという選択肢もある
インタビューを受けたそれぞれの人が、学校に行かなくなった不登校のきっかけは様々。

先生から言われた一言とか、いじめっていう明確なきっかけがある場合もあれば、別に友達関係とか悪いわけでもないのになんとなくとかもある。

その中で、東京シューレという場があり、「学校に行かないという選択肢」があることが、それぞれの方について大きなターニングポイントになっていたように見える。

初期の頃の卒業生の方はすでに子どもがいる年齢になっていて、ある方はこう語っている。

「子どもは、今、長女は中二、長男は小五になりました。学校は楽しく通っています。子ども達には、「学校に行かないなら行かないでいいよ。行くところ(シューレのこと)もあるし。父ちゃんもママも中学は学校行ってなかったし。いじめとかあるならガマンする必要ない。学校は、命かけて行くところじゃない」
と言ってあります。
 不登校については、プラスマイナス両面ありますね。やっぱり学歴社会だから。でも、東京シューレに出会って得たものは大きかったと思います1人との出会い、世の中を良くしようという生き方があると知ったし、また少数派を生きることで世の中のこと、特に矛盾がよく見えるようになりました。」―有永宮子さん(p17)

また、別の方は、お母さんからのプレッシャーはあったものの、隣のおばさんが理解のある言葉をかけてくれたとのこと。

「たまたま隣に住んでいたおばさんが大変理解のある人で、母親に対し「人生八十年と言われているなかで、登校拒否していたとしても大したことはない。『いのち』がまずは大事」ということを言ってくれたそうです。その方はいろいろ気にかけてくれ、とても助けられ、おかげで母親も少し気持ちが楽になり、少しずつ理解してくれるようになりました。」―荻原美奈子さん(p30)


■自分自身を肯定する
これに関連して大きいのは、「東京シューレ」のような場がその子を肯定する場として機能しているということ。

それは、設立者の方の言葉にも表れている。

「私は子どもと接するなかで、親の考え方が大事だなと思ったんです。学歴社会の中で不登校をすると、子どもはほとんど肯定されず、親でさえ、なかなかわが子を理解しないから、子どもはものすごく苦しいし、親も辛い。そして、子どものところに立てない自分の辛さをどうにかしなきゃいけなくなる。そこで、親同士が支えあったり学びあったり、親が子どもから見て信頼の置ける存在になることをまずやらないと、子どもは辛すぎるなと思いました。」―奥地圭子さん(p249)

自分自身を肯定できた場
ある卒業生の方は「自分自身を肯定できた場」という言葉でその感覚を表している

「僕にとって、シューレは自分自身を肯定できた場でした。学校がすべてじゃないと、頭でなく体感できて、自分自身を大切にすることができました。まだまだ不登校で辛い思いをしている子がいっぱいいると思いますが、シューレみたいな場所が特別な場所ではなくなって、「不登校」という言葉がなくなればいいなと思います」
―前澤佳介さん
p225

私もやっていいんだ
別のある卒業生の方は「私もやっていいんだ」という言葉でその感覚を表している。

「ある男の子が動画サイトで見たバンドにあこがれていて、「スタジオあるから講師探そうか」と、ドラム講座やギター講座を始めたら、こうやれば自分がやってみたいことができるんだということが芽生えてきたんです。大人や周りの子がやっているのを見て、「私もやっていいんだ」と変わっていく様子を見て、自分自身も学ぶことができましたね。」―藤田由佳さん(p178)

その人がその人でいられる
もう1つ、「その人がその人でいられる」という言葉もあった。

「シューレの基本は、その人がその人でいられる、ということだと考えています。人がつながることで、さらに広がっていってほしいと思います。自分も不登校の人生の先、社会とぶつかりながら、でも自分を大切にしてやっていける、働いていくための実践をしています。奥深いことだけど、生き方として、自分がこの社会をどうしたいのかということを考えたいし、多くの人が考えていける社会になったらと思っています。」―長井岳さん(p187)

特に学校に行かないことで肯定されない子どもを肯定する場。それがあることで、「学校」では周りからも肯定されず、自分で自分を肯定できなかった子どもが自分を肯定できるようになっていくんだと思う。

この感覚って、社会に出たり会社に入ったりしてからでかいと思う。自分で動いて何かをやったり物事を動かしていいんだという感覚を得られてないと、結局、自律的に動くことを恐れるようになる気がする。


人を支えるという意識
そして、こうした意識は、人を支えるという意識につながっていく。

「不登校は悪いと思いません。シューレにいる時、自分はこれでいいと思ったし、自分の生き方であり、自分に合っていると思いました。「学校に行かねばならない」と義務教育のことを勘違いして、行けない自分を責めていた時もありましたが、そこから脱出して自由になったんだと思います。
 いじめられたことを、プラスに考えられるようになったのも、この経験があったからだと思います。いじめられたことや不登校したことで、私の今があると思っています。
 今、大学で勉強していて、ふと、シューレのスタッフこそが、子どもを支える仕事をしていると気づいた時、すごいと恩いました。これから私も、自分の経験に誇りを持ち、人を支える仕事ができればなと思っています」―富山雅美さん(p209)

社会に貢献する人材を育てようとか理念を学校で掲げていたとしても、まず根底にあるのは自分自身を肯定できる力やないやろうか。それがないと他の人とか社会のことどころやないんやないかと思う。

逆に、それがあると、身近な周りの人をはじめとして他の人や社会全体を支えていこうという方向へもつながるように行動できるようになるんやないかなーと思った。

他にも良い内容があって書きたいことがあるけど、長くなったので続く。
続きはこちら↓




2012年10月27日土曜日

「新しい日本史観の確立」をしないと教科書の暗いイメージのままになってしまう

新しい日本史観の確立

「新しい歴史教科書をつくる会」の元会長の方の本。 読み始めは、「新しい歴史教科書をつくる会」の主張がメインで書かれているのかなと思ったけど、そうでもなかった。

元々は著者のノートにさまざまな史観からの引用をまとめていたもので、西洋の歴史観が日本の歴史観に与えた影響というもっと広いテーマを扱ったもの。最初は出版自体も躊躇していたらしい。

ただ、友人の次のような言葉によって出版を決めたとのこと。

「「新しい歴史教科書」をつくる会の運動の中で近現代史の解釈ばかりに注目が集まっているが、もっと根本的な歴史観の検討が重要なのだ、すべての歴史解釈もそこから出てくるからだ」(p337)

全体としては、

「学界を支配する歴史観が根本的に誤っていること、とくに日本の歴史に対しては、ほとんど無効であることを説く専門的な書物が足りない」(p337)

という問題意識から書かれている。

序盤の方は現在の教科書の批判から入っているので、そういう論調がずっと続くのかなと思ったけど、それは一章分で終わり。残りの部分はもっと大きな歴史観の話に入っていく。

どちらの内容も、頷けるところもあればそうでないところもあるけど、いずれにしても今の教科書の見方っていうのは1つの見方でしかなくて、正解も簡単に決められるものではない(というか正解なんてあるのか…)ということを感じた。


■西洋の歴史観にとらわれている日本の歴史観
大きなポイントとしては、特に明治以降、西洋の歴史観を日本に当てはめて解釈する見方が広まっているが、その見方だと日本の歴史をよく捉えられていないのではないかという主張。

「これまで西洋で成立してきた歴史観が、いかに日本の歴史の確立をスポイルしてきたか、いかに合致しないものであるか」(P322)ということを語っている。

より具体的には、西洋の歴史観の中でも、特に、マルクス主義の見方にとらわれすぎているという批判。

「歴史学界ではその理論的部分が、マルクス主義をはじめ、装いを変えた階級史観や西洋史観にとらわれ続けている。それが日本の歴史にふさわしいという意味ではなく、学問は欧米から来る、と思い込んでいる学者の非力さのもたらしめるところでもある。それらをいかに日本の歴史に適用させるかが学問と思っているからだ」(p336)


■日本の教科書には暗い歴史が描かれている
そして、著者は、現在学校で使われている教科書も、こうした史観で書かれていると述べている。

例えば、江戸の農民について。

「《貨幣経済にまきこまれた農村では、貧富の差が大きくなり、貧しい農民の土地を手に入れて地主となる者がいるいっぽうで、土地を失って小作人になったり、都市の働きに出たりする者も多くなってきました》と、具体例もなく階級史観を押しつける。」(p35)

本の中では他にもいろいろと具体的な例が挙げられているけど、総じて、教科書もマルクス主義史観にとらわれているという主張。

「中学校で読まれている教科書を検討して、日本の歴史を考えると、そこには対立と闘争の連続のような記述が続き、日本がまるで暗い、貧困にまみれた国家のように思えてくる。これが惨憺たる歴史ではなくて何であろう。近現代では「帝国主義」や「侵略」という言葉で、日本を非難する書き方になっており、はじめから悪意があったとしか思われないようになっている。」(p59)

「義務教育における中学歴史教科書の記述を調べてきて、いかにそれが日本を批判的にみる「他国の目からみた」視点であり、また階級闘争史観であるかが明らかになった。その裏には、日本が相変わらず、他国からの批判の対象であり、それら西洋や中国・朝鮮の方が正しい歴史観を持っており、日本の歴史は混乱の続く闘争の歴史である、という見方が見えてくるのである。それはしかし、この教科書の歴史観が、近現代を重視し、それ以前を古代、中世、近世としていることでもわかるように、それは歴史は進歩するという「進歩史観」 であったからである。その「進歩」は西洋において進んでいるのであり、日本はまだ十分ではない、という思想でもある。」(p64)

さらに、こういった内容の教科書で歴史を教えられたら、学生たちは、歴史を明るいもの、楽しいものとして見なくなっていき、次第に歴史に無関心になるという危惧を述べている。

「日頃大学で学生と接していると、彼らはおよそ日本の歴史に関心を持たないか、もしくは日本がよくない国のような考えをもつ学生が多いのに気づく。そういえば、私自身も大学受験に日本史をとらなかった。西洋史に比べると、何か陰気で、ほとんど魅力がないように見えたことを思い出している。自分の国の歴史であるのに、いったいなんでそのように無関心になってしまうのか。否定的になってしまうのか」(p10)

確かに自分も高校の頃、日本史ってなんかあまり面白く感じられなかった。このへんが関係してるのかなー。


■日本の歴史記述のタコツボ化
こうしたことの背景には、日本の歴史家がマルクス主義史観に大きな影響を受けていることに加え、専門が細分化されていて全体像が見えなくなっていることも挙げられている。

「現在、歴史学者によって日本の歴史が一人で書かれたものは、全くと言ってよいほど少ない。それは歴史が細分化されそれぞれ専門化されることによって、歴史家が大きく日本を語ることが出来なくなっているからだ。またマルクス主義史観以降、それにとって代わる歴史観がないと思われているためか、見るところ、戦後に学者が一人で日本を一貫した態度で書いたものは全くないと言えるほどである。」(p60)

日本の歴史の全体像を描いたものは、無くは無いような気もするけど、確かに通常は図書館とかで歴史のコーナーに行っても、「日本の歴史」みたいなシリーズものは、大体たくさんの著者がそれぞれの時代ごとに書いているパターンが多い気がする。

このことにより、多くの日本人の歴史認識は教科書によって形作られることとなり、それが歴史への愛着を生まなくなっているということ。

「たしかに戦後、汗牛充棟のごとく歴史書が全集なり叢書で出されているが、誰でも通読できる日本全体の歴史といえば、学校の教科書しかないような現状と言ってよい。ということは、歴史に興味を持たない日本人の大半は、日本の歴史を義務教育の教科書によってしか知らないということになる。学校の教科書こそ、日本人の歴史への関心、歴史への親しみをつくる基礎になるものであるが、これが以上のような状態であれば、日本史は嫌悪されさえすれ、愛着を覚えられることはない」(p60)


■できる限り広範な視野からみる
著者自身の味方への賛否は別にして、確かに教科書だけをベースにして歴史を見ていると偏る気がする。1つの出来事をとっても、いろんな見方ができるので、常にそうした複眼的な視点を持てるようにしたいと感じた。

最後の方で著者が述べている以下のようなポイントは頷ける。

「できる限り、広汎な視野から歴史をみるのでなければ、人間の歴史というものを語ることは出来ないのである。それが必須なのは、歴史は一分野の歴史ではなく、人間という生活、文化、精神をもった総合的存在であるからだ。だからこそ、総合的な歴史観が必要になってきているのである。それでも歴史は続くのであるから」(p272)

前に読んだ「室町の王権」もそうやったけど、最近になって教科書には載っていなかった(伝えきれていなかった?)歴史の見方を知ることによって、面白さを感じるようになってきたので、もっといろんな見方を知れると総合的な歴史観を築くことに少しでもつながって、もっと面白くなるのかもなーと思った一冊やった。

2012年10月26日金曜日

「マエストロ、それはムリですよ・・・」という声をポジティブに粘り強く乗り越えていった飯森範親さんとその両親と山形交響楽団の話


今月読んだ本の中で一番面白かった!山形交響楽団という地方のオーケストラが飯森範親さんという指揮者の出会いによってどう変わっていったかという内容。映画化したら面白いんじゃないかと思う。

地方のオーケストラのサクセス・ストーリーとしても読めるし、経営やリーダーシップに関するビジネス書としても読めるし、子育て論としても読める。一冊で何度もオイシイ。

以下、ストーリーの簡単な流れと面白かったポイントについて。


■苦境の山形交響楽団
慢性的な人員不足と予算不足で価値や情報を発信できておらず、演奏する側のモチベーションもなかなか上がらないような状況にあった山形交響楽団。ここに飯森範親さんという指揮者の方を迎え入れたことをきっかけに大きく変貌を遂げていく過程を描いている。

事務局の人も、他の地域にセールスに行った時に

「おたくのオケに『山形』って名前がついてなかったらね」

と、何度も言われ、楽団の名称から「山形」を外すことまで真剣に考えたらしい。

そんなコンプレックスを抱えていたこともあってか、飯森さんに指揮者を受けてもらえないか頼みに行った際に、その場で飯森さんが「お引き受けいたします」と答えたことに自分たちでびっくりしてたらしい。

飯森さん自身もそのことを感じていて、その様子がこう描かれている。

「質が高く可能性を秘めたオーケストラだと思いながら、飯森にはいくつか引っかかる点があった。
 コンプレックスを引きずったような斎藤らの態度を見て、断片的だった山響への様々な不満が、今はっきり形となって飯森の脳裏に像を結んだのである。」(p34)


■当たり前のことが当たり前に
そこから飯森さんが「マニフェスト」という形で事務局や楽団員宛にいろいろ要望を出していく。

細かなものから大きなものまで含めて様々で50以上にもなったとのこと。ただし、共通しているのはいかに観客のためになるか、観客にアピールできるかという点。

それらは、「東京の真似をしても仕方ない。山形でしか聴けない音楽を目指すべきだ」(p46)という目標に沿って実践されていった。

具体的な取り組みはたくさんあるけどいくつか例をあげると…


  • 客が聴きに行きやすい日を選んでコンサートを開く
     定期演奏会を金・土・日開催
     それまでは月曜日とか木曜日とか平日のコンサートが多かった
  • 年間プログラムをA3のチラシから立派な冊子に
  • プレ・コンサート・トーク(プレトーク)
     その日に演奏する曲目について作曲家のエピソードや
     その曲のポイントなど、ユーモアを交えて解説。脱線話もあり。
  • 楽団員の登場の仕方の変更
     以前はバラバラに出てきていたが一斉に登場してメリハリをつけるように。
  • CDを出す
     独自レーベルを持ってCDをリリース。
  • スポーツ団体とのコラボレーション
     モンテディオ山形のユニフォームを着て指揮。
     ステージ上ではサポーター代表の方がフラッグを振る。

こうしたことを積み重ねて観客がより楽しめる演奏会になっていく。

印象的だったのが以下の一言。
「山響事務局の斎藤は、取材中に「飯森さんが来られてから、当たり前のことが当たり前にできるようになった」と何度もくり返した。」(p145)

そこから発展し、地方の一オーケストラに過ぎなかった山形交響楽団が、全国の音楽ファンから注目されるようになっていったとのこと。


■飯森さんの考え方
こうした取り組みを推進する原動力となっている飯森さんの考え方はとても学べるところが多い。飯森さん自身の言葉を引用しながらいくつか紹介すると…

音楽家はサービス業
「消費者のニーズをリサーチするアンテナを張ることで、それに敏感に反応しながら、常に先を行く、良い意味で消費者の期待を裏切るようなレアな商品を提供し続ける」(おわりに)

これは、どこかの企業の理念ではなく飯森さんが掲げる重要なコンセプトの一つ。

「音楽家は、サービス業です」とは、飯森の持論だ。
 お客さまが何を求めているかを、飯森は常に考えている。」(p54)

「だって、どんなに完壁な演奏をしたって、ホールにお客さまがいなかったら意味ないでしょう?」(p56)


やってみる
「「とにかく『いい』 と思ったものは、可能性がゼロでなければやってみる。やらないうちから 『ムリだ』と言ってやらないのが、一番良くないですよ」
「飯森は「宝くじだって、買わなきゃ当たらないでしょ?」と言って無邪気に笑った。」(p62)


粘り強い
「一パーセントでも可能性がある限り「NO」とは言わない。逆に様々な角度から見つめ直して工夫したり、考え方を切り替えて提案を実現に持ち込もうとする。
 全ては、聴衆をいかに満足させられるか、山響を支えてくれている地元の人々にどうアピールできるかにつながっている。
 アプローチは変えても、基本的なビジョンはブレていないのだ。」(p54)


悪口を言わない
「飯森は、決して人の悪口を言わない。
 これは、尊敬する母親からの教えでもある。悪口を言うことで、マイナス効果が周囲にもたらされることをよくわかっている。」(p67)


感謝する
「他にも、飯森が子供の頃から実践していることがある。
「ありがとう」という言葉を頻繁に使うことだ。
「何に対しても『ありがとう』と思うんです。嬉しい時はもちろん、嫌な思いをしても『ありがとう』と思います。反省しなさいということだろうし、その足踏みが次のステップへの布石になるかもしれないでしょ」(p67)


力を引き出す
楽団員のマネジメントについての言葉。

「「例えば、何かを指示した時に『できません』って言う人に対して、『できません』と思わせないような工夫が必要ですね」
 褒めるべきところは褒めてモチベーションを上げた上で、問題点を適確に指示し、解決策を明確に提示する。褒める方が伸びる人と、そうすると図に乗るタイプの人。怒られるとダメになる人と、その方が発憤していい結果が出る人…。
 そうしたきめ細かい対応を行うことで、時には、本人が気づいていない才能を引き出すことも可能になる」(p71-72)

「誰にでも、必ず能力が活かせる場所があり、その場所を見つけてあげることも指揮者の重要な役目なのだ」(p73)


ミスを防ぐ
「「人間であれば誰でもミスをします。でも僕は、ミスをしたこと自体を責めたりはしません」
 なぜミスをしたのか、その原因を先送りせずに早く突き止めて、次にミスしないためにどうすればいいかを一緒に考えることが必要だという。
 ミスを恐れたら萎縮してしまう。しかし、ミスはカバーできるものという安心感を与えれば、プレイヤーはのびのびと演奏が出来る。
 「みんな誰でも、いい演奏会にしたいんですよ。悪くしようと思ってやっている人なんてどこにもいないから」」(p72)


■飯森範親さんを育てたお父さんとお母さん
上で紹介したような考え方は、飯森さんのお父さんとお母さんの影響を強く受けているとのこと。個人的には飯森さんのインタビュー記事の中で紹介されている、お父さんやお母さんのエピソードが一番印象深かった。

麻雀と指揮
お父さんは広告代理店に勤め、何億円いうお金が動くような大きなプロジェクトにも関わっていた方。面白いのが、このお父さんから飯森さんが幼稚園から麻雀を教えられていたという話。お父さんは「葉山のピラニア」と仲間内からは恐れられていたらしい(笑)

そして、「麻雀と指揮は、例えばどう関係するんですか?」という質問に対する飯森さんの答えもふるっている。
「オーケストラの指揮者には、研ぎ澄まされた集中力や、一度に多くのことを理解して瞬時に行動することが要求されます。僕の場合、それが麻雀で養われた部分が大きいんです。
 僕の記憶力やスコアを読むスピードだって、やっぱり麻雀で鍛えられたものです。」(p161-162)


海外旅行
その他にも「へえー」と思うようなエピソードはいくつもあって、例えば、小学校の頃に借金をしてまで海外旅行に行ったという話もあった。1ドル360円の時代で、飯森さんが10歳の時に初の海外旅行でアメリカとメキシコまで行ったとのこと。


さりげない応援
子供時代だけではなくて、飯森さんが成長してからも良い影響を与えている。飯森さんが、大学の先輩が華々しくデビューしていくのをみて、プレッシャーとストレスに押しつぶされて、体を壊してしまった時に、お父さんがなぜかゲームセンターへ連れて行ってくれたとのこと。それで、ゲームを思う存分やらせて、すごくいい気晴らしになったと。

印象に残ったのが、この時に、何も口では言わずにただ単に遊ばせていただけというところ。飯森さんも次のように語っている。

「多分、父は「焦ってもしょうがないよ」と言いたかったのかなと思うんですが、口では何も言いませんでした。
 ただ黙って、ゲームをさせてくれたことを憶えています。
 (中略)
 あれはきっと、父なりの愛情表現だったんだと思います。」(p178)


人とのつながりを大切にする
他にも以下のような教えも。

「うちの父がいつも言っていたことで、今でも納得できるのは「頼む時だけ電話をしてくるのは絶対ダメだ」ということです。」

「「何かをしていただいたら、必ずお礼の手紙を書くか、電話をしろよ」というのは、本当に小さい頃から言われていました。」
(p187)


そして、お父さんだけでなく、お母さんもまた素敵でエピソード満載。いくつか紹介すると…

ポジティブ
「根っからのポジティブな人」
「僕は母に叱られた記憶がほとんどありません。何かを失敗しても、母に「それは次につながる失敗だから、今度頑張ればいいのよ」と言われて育ちました。」
(p163)


人と同じことをしない
「母はとにかく人の真似が嫌いな人でした。
 なので「誰々ちゃんがやっているから、あなたもやりなさい」とか、「誰々ちゃんはできるのに、どうしてあなたはできないの」などとは、一切言われませんでした。
 むしろ、人と違うことを"美徳″みたいに感じていた人です。
 何たって、僕のランドセルは緑色でしたからね (笑)。二つ下の弟は茶色でした。
 母が「男の子はみんな黒、女の子はみんな赤だなんておかしいでしょ? つまらないでしょ?」と言い出して、まあそんなことに……」(p164)

このランドセルは特注で作ってもらったらしい(笑)

他にも、同級生がスチール製のライトがついた勉強机をみんな持っていた時に、「そういうものじゃ、つまらない」と言ってお城を作ってあげたとのこと。

お城といっても押入れの下の段をカーテンや折りたたみの机を使って改造したものだけど、
「「今日からここがあなたたちのお城よ」と言われた時の嬉しさは、すごく鮮明に憶えています」(p165)とのこと


暮らしを楽しむ
「母は、家の中を花で飾るのが大好きでした。それも、売っている花というより、雑草や庭の隅に咲いた小さな花などでテーブルや部屋を飾るんです。」(p165)

このあたりに共通するのは暮らしを楽しむ姿勢。飯森さんも次のように振り返っている。

「母は、そういう暮らしが豊かになるようなアイディアを考えることが好きでした」(p165)


チャンスを与える
「母はプラスチック製の受け皿に排水用の穴を開けようとして、ドリルがなかったので線香の火を使ったんです。わりと簡単に開けられたので、それを僕と弟にやらせてくれました。
 まだ子どもなのに「火を使うのは危ない」と思われるかもしれませんが、母は火の取り扱い方を含めてきちんと教えてくれたし、カッターナイフやハサミなども、二、三才の頃から正しい使い方を体得させてくれました。
 とにかく、子どもというものはどんな素質を持っているか分からない、だから出来る限りのチャンスを与えてやりたいと思ってくれていたようです。
 僕らが興味を示したことは、よほど危険なことでない限り、何でも経験させてくれて、その都度自分で判断するように接してくれたんです」(p166-167)


対話する
「その代わり、「何々ができたら、こうしてあげる」という交換条件のようなものは、一切ありませんでした。
 母とは、何をするにしても、目を見ながらお互いが納得するまで話し合う、そういう対話の機会を持つことが習慣になっていましたね。」(p167)


後押し
飯森さんが中学に上がってピアノと勉強の両立が難しくなって、「ピアノを止めた方がいいかな」と悩んだ時期にお母さんがかけてくれたのが次の言葉。

「ピアノが嫌いになったのならともかく、好きだったら止めてしまわないで、できる範囲で続けてみたら?」

飯森さんはこのアドバイスが大きかったと述べている。

「そのアドバイスのおかげで、一旦、月に一度くらいにレッスンは減りましたが、音楽とのつながりは切れませんでした。
 あの時、母の言葉がなければピアノを完全に止めていたでしょうし、そこでブランクが出来ていたら指揮者にはなっていなかったと思います。仮になれたとしても、ものすごく遠回りを余儀なくされたでしょう。
 母は、僕の目の前で閉ざされかけていた指揮者への扉を、もう一度開けてくれたんです。」(p170-171)


こうしたお父さんやお母さんがいたからこそ、飯森さんのような素敵な方が育ってきたんやなーということを感じるエピソードがたくさんあった。


■事務局や楽団員の方の想い
最後に、本では飯森さんに主にフォーカスが当たっているけど、周りの事務局の方や楽団員の方の言葉にも想いがこもっていた。

例えば、事務局の斎藤さんの言葉。

「山形くらいの規模の都市でオーケストラが成立しなかったら、日本のオーケストラ文化は本物じゃないですよ。我々は、常にそういう気概を持っていました」(p23-24)

他にも、楽団員の井上さんという方は、飯森さんが来る前にも「これだけのメンバーがいるのに、こんなはずはない」という思いをずっと持っていたとのこと。

こうした想いを持つ方々が元々山形交響楽団にいたからこそ、飯森さんとの化学反応が生まれて良い方向に進んでいったのかなと感じた。


総じて、気持ちがフレッシュになって、楽しく読める良い一冊やった。

飯森範親さんも

「これはクラシック・ファン以外の方にももぜひ読んでいただきたい本です。この本には、僕がこれまでの人生で得た多くのヒントがちりばめられています。」

と述べているように、クラシック音楽に疎い自分のような人が読んでも楽しめる本やと思う。高校生とかにもオススメかもなー。

あと、山形にも行ってみたくなったし、山形交響楽団の演奏も聞いてみたくなった。それだけの力がある本やった。「山響温泉グルメツアー」っていうのが前開催されてたらしいけど今はやってないらしい。残念やなー。なんかの時に山形行く機会でも探そうかな。

2012年10月25日木曜日

「幕末維新に学ぶ現在」から歴史の学び方・活かし方を学ぶ


「幕末維新に学ぶ現在3」読了。元は新聞の連載で、各回1人ずつ幕末維新期の人を取り上げて紹介したのをまとめた本の3巻。

ただ紹介するだけじゃなくて、その時々の現在の政治や社会の状況と関連づけて紹介してる。歴史を学ぶっていうのはこういうことかっていうか、歴史の活かし方を学べる内容。

取り上げる話題も新聞連載だけあってかなりタイムリー。例えば、TPPにからめて吉田松陰の話を紹介。


「松陰の生きた時代は、環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟交渉への参加すら速巡し、円高・金融不安に揺れながら、まかりまちがえば沖縄県民の離反を招きかねない日米関係の歪みが進行する現在と共通する点も少なくない。
 松陰は、外国からの圧迫で日本が消滅しかねない危機の深化のなかで、日本史と世界史のうねりが結びつき、人びとの日常生活から外交安全保障に至る多領域で切迫した危機を最初に意識した日本人の一人である。」(p115)

吉田松陰のように人口に膾炙してるようなメジャーな人だけでなく、いろんな人を紹介してる。と言うかその方が多い。歴史に詳しい人は知ってる人も多いかもやけど、自分は知らんかった人がほとんど。

例えば、小沢一郎さんの秘書の石川さんの話にからめて明治忠臣蔵というテーマで本田政均という人を紹介してる。

本田政均の家臣は、陪臣であって直臣ではないことから、幕府というより主人(本田政均)に忠節を尽くすところを、小沢さんの秘書が民主党より小沢さんに忠節を尽くすところになぞらえている。

  • 幕府―本田政均―家臣
  • 民主党―小沢一郎―秘書集団

「石川氏が無所属になったというのは、民主党の"直臣"ラインから進んで外れて、限りなく秘書という立場に近い"陪臣"めいた"節義"を小沢氏に対して発揮しようとしたとも理解できる。」(p96-97)

他にもなでしこジャパンの優勝に貢献した澤穂希選手と、明治期に社交界や社会活動で活躍した大山捨松という女性を結びつけたり、野田首相の誕生と、薩摩藩をまとめあげて他藩との連携や交渉でも活躍した小松帯刀を結びつけたりとかなり引き出しが多い。

あと、黒田清輝は最初から画家を目指していたというよりは、元々は高級官僚から政治家へ進むことが期待されていた人材やったっていうのが知らんかったし面白かった。

著者の山内さんの専門はイスラムとか中東なのに、聞いたことないような日本の人が続々と出て来てすごい。

三年間の連載で目指したことは
「ひたすら若い世代に世界史や日本史を通して現代を見る視点を涵養してほしい」(p190)
ということで、その想いが伝わってくる一冊やった。

てか、著者の山内昌之さんは、大学の時に授業とったんやった。内容ほとんど覚えとらんけど(^_^;)もっと真摯に受ければ良かったなー。もったいない…と思うことが最近多い…

が、終わったことはしょうがないので、少しでも今から学ぶべし!とりあえず、このシリーズ3巻だけ読んじゃったんで、1と2も読もうかな。


2012年10月24日水曜日

「地域を変えるデザイン」は専門家だけの仕事ではなく生活者の力を活かせる仕事


「地域を変えるデザイン コミュニティが元気になる30のアイデア」読了。デザインというより各地域の取り組み集が主やけど読みやすいし考え方の部分と実践の部分と両方入った内容で両方面白かった。

デザインとタイトルに入ってる本だけあって構成も見やすいし、写真がふんだんに使われていて雑誌みたいに読みやすい。

三部構成で、最初に日本の現状を1pに1テーマで解説。数字と図解で分かりやすい(ちょっと端折り過ぎな部分や気になる部分もあるけど、わかりやすさ優先ということかな)。

そこのテーマの話は知ってる話も含めて良い整理になる。
例えば、男性の就業時間と出生率、女性の就業率と出生率の散布図。
これだけでも考えさせられることが結構ある。



自分の実家のある宮崎と奥さんの実家の沖縄が目立つ位置にあるのが面白かった(笑)

最初のパートに続いて、真ん中の部分がメインで、具体的な事例を紹介。個人的には「君の椅子」っていうプロジェクトが素敵やなーと思った。


北海道の東川町っていうところで、生まれてきた子どもに手作りの世界に1つだけの椅子をそれぞれにプレゼントするという取り組み。他にも良いなと思ったものもたくさんあった。

最後のパートはデザイン思考についてやけど、「市民デザイナーの誕生」、「生活者のちから」っていうキーワードが印象に残った。

「デザインやデザイナーと聞くと、どうしても建築、プロダクト、ウェブなどのカタチを造る行為、造ることができる特殊な能力の持ち主のことを想像しがちです。しかし、決してそうではありません。」(p237)

「専門家だけが力を発揮する時代ではありません。社会の現実をまっすぐ見つめ、複雑に絡み合った要因を読み解き、問題の本質に近づくことができれば、だれもが人の心に訴えられるアイデアをつくり、社会を動かすことができるはずです。ごく普通の市民が知恵を絞り、デザインの力を操る、そんな市民デザイナーが地域を変える時代がすでに始まっています。」(p237)

「今の日本に求められるのが、社会に幸せなムーブメントを起こすデザインです」(p2)
と言ってるだけあって、単にモノやカタチを作ったりする行為だけでなく、実際の課題解決につながる行為を意識した視点になっていて面白い内容が多かった。

2012年10月23日火曜日

「保育園・幼稚園で働く人たち」は保育園・幼稚園だけじゃなくて地域の中でも重要な役割を果たしている



たぶん中学生くらいが想定読者層やけど、特にインタビューは自分が読んでも面白かった。

保育園や幼稚園でのいろんな仕事をインタビューとともに紹介しとる。保育士、幼稚園教諭、園長、事務職員とかはイメージできてたけど、看護師や栄養士も働いているっていうのは恥ずかしながら知らんかった…

幼稚園を立ち上げた方のインタビューもあって、一面茶畑だった土地に、園舎を建てて、園庭は自分たちで重機を動かして造成したっていう話もあって、場を作るんだという強い想いが伝わってくるエピソードやった。


■子どもの力を信じる
保育士さんや幼稚園教諭の方の言葉も非常に印象的。

「保育の仕事をしていて、大きなやりがいを感じると同時に難しいと思うのは「子どもの力を信じること。信じて待つこと」でしょうか。そのことこそ、いちばん保育土に求められているように思います。
 子どもたちは、何か問題が起こっても自分たちで解決していく力をもっているんです。それなのに人生経験のある大人はついつい先回りしてしまう。でも、子どもたちが本来もっている力は、大人が気を利かせたつもりで用意するようなことを超えていきます。もっと自分たちで考えたり、悩んだり、仲間同士で力を出し合って乗り越えたり、そういうところに子どもたちの底力がある。僕はその力を信じています」(p38-39)
―保育士 林望さん


「園生活でも先生の力が問われます。たとえば、みんなで遊んだおもちゃを片付けるとき。私が「片付けなさい」と言ったら、言われたことを子どもたちはするでしょう。でも、そうではなくて、これだけ散らかっているおもちゃをどうしたらいいだろう。このままにしておいたら、明日どうなる?って、子どもたちといっしょに考える。そういう話し合いは、子どもたちとの信頼関係があってこそ成立するんですよね。」(p106)
―幼稚園教諭 多田友恵さん


■場としての保育園
もう1つ印象に残ったのが、保育園の役割についての話。

「保育園の役割って、保護者から子どもたちを預かって育てるだけではなく、地域で暮らす人たちがおたがいに支え合って生きていくための、地域の核になるような、とても大切な場」(p71)

ある幼稚園の主幹教諭の方の言葉が以下やけど、幼稚園や保育園を中心に、そこに直接関係する親子だけでなく地域の人全体が関わり合う場としての役割を担っていけるのではないかという話。

「広くいえば、幼稚園の役割は、地域の中心、地域の拠点でありたいと考えています。僕自身、一歩園の外に出て、商店街を歩くと卒園生に声をかけられる。卒園生たちは、折々園に顔を出し、時には仲間同士で園に泊まって語り合う。親同士もつながり合う。近隣の保育園や小学校とも、つながり合って、たがいに感じたこと、思うこと、伝えたいことを気楽に口に出していく。
 これから、地域が住みやすい場になっていくためには、やはり、そこで生きていく人たちがつながり合っていくことが、いちばんだと思うんですよ。そのつながりをどのようにつくっていくか、というところを意識して考えていきたい。そういう意味で言えば、もう、幼稚園の先生は、幼稚園の中だけに留まってはいられないかもしれませんね。園内の子どもたちとふれあいつつ、どんどん地域に出て行って、さまざまな施設ともかかわり合っていく。人の暮らしの大切な場所、かかわり合う中心の場として、幼稚園が位置づいていきたいと願わずにはいられません。」(p119)
―主幹教諭 羽田二郎さん


■子どもだけでなく大人が成長する場
そして、保育園や幼稚園は、人が集う場として、子どもだけでなく大人が成長する場としても機能しているという言葉もあった。

「保育園は人が集う場で、集う人たちは日々変化していきます。人とのかかわり方も変わってきます。そういった変化は、たった一人の保育士が、一歩前に踏み出すことから始まるかもしれません。
 保育園は子どもが成長する場です。同時に、大人も成長していきます。子どもたちのようすからも気付くことがたくさんあり、職員同士のかかわりや、保護者の方からの声で目が見開かれることもあります。そういう気付きが重なって成長していくようすが、手に取るように感じられる場所、それが保育園なんですよね。だから、保育園は楽しい。そういう姿をおたがいに感じ合っていけるのは、幸せなことだと思います。」(p77)
―園長 林和恵さん


子どもはもちろん成長していくし、子どもとの関わりを通して大人も成長していける、そういう場が保育園や幼稚園なんやなーと思って、見方がだいぶ変わった。

単に子どもを預けたり教育したりする場ではなく、地域の拠点として考えればとても重要な機能を果たしていると言えるんやなーと、そんなことを思った一冊やった。


2012年10月22日月曜日

師匠について学ぶというよりは「状況に埋め込まれた学習」によって学ぶという話


「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」読了。教育や研修関係の本でよく「正統的周辺参加」という概念が参照される。それで興味をもって原典となるこの本を読んでみた。

Amazonのレビューを見ると結構平均して高いけど、ぶっちゃけ意味がよく分からんかった…訳書ということもあってなのか、そもそも自分がこの学問的な説明の仕方に馴染みがないからなのか、言葉遣いが全然頭に入ってこず…

ただ、いくつかはなるほどなと思うポイントもあった。


■親方という中心だけでなく共同体全体との関わりの重要性
その1つは「脱中心的」という表現で説明されていた、親方との師弟関係の話。

通常、徒弟制でイメージするのは、弟子が親方について厳しく鍛錬されていくという感じやけど、この本で言ってるのは、親方との師弟関係が重要というよりは、その周辺の人との関わりの方も重要ということ。

言葉遣いがややこしいけど、こう表現されている。

「熟練というものが親方の中にあるわけではなく、親方がその一部になっている実践共同体の組織の中にある」

「古参者がどのように、いつ、また何について協力しあい、結託し、衝突しているかとか、どんなことを彼らは喜び、嫌い、大切にし、感嘆するか」
ということが手本になるという話。

共同体の中で、単に親方という中心とだけの関係ではなく、共同体全体の中での位置づけや関わりが大事という視点は確かになと。


■何を語るかよりどう語るか
あとは、何を語るかよりどう語るかという話も参考になった。

「共同体内で正統的参加者になるための学習には、十全的参加者として、いかに語るか(またいかに沈黙するか)という点が含まれているのである」

同じく、何を学ぶかよりどう学ぶかとかどう振る舞うかということが学校で学ばれているという話。

「質問をすること―学校でうまく「やっていく」ことを学ぶこと―が学校が教えることの主要な部分になっていると推測」
(スクリブナーとコール『読み書き能力の心理学』という本より)


会社も一種の共同体だと思えば、社長との関わりだけではなく、他の社員との関わりを視野に入れんと、新入社員が学んでいく過程というのは説明できんてことかな。

新入社員は、先輩社員の振る舞いを見てその会社で望ましいとされる言動をとっていくようになると思うし。当たり前っちゃ当たり前やけど概念的な整理にはなった。

2012年10月21日日曜日

「稲の大東亜共栄圏」に見る物は言いような話


■本の概要
第二次大戦中に、日本が日本産の米の品種を朝鮮半島や台湾等の植民地に持ち込むことによって植民地支配を強化していった過程を描いた本。

「これまで、稲の品種改良は、戟争や帝国支配と無関係であったと思われがちであった。しかも、その育種研究者たちの努力を讃えるばかりで、その実質的な社会的影響の検証は不十分であった」(p160)という問題意識。

育種技術自体は「人を殺すこととまったく関係がない」としたとしても、「育種技術そのものの孕む魅力は、これまで述べてきたように、主体的に帝国支配に関わっていた」(p161)という主張。

さらにそこから現代への示唆も引き出そうとしている。

「日本が圧倒的な軍事力で「征服」した国・地域へのまなざしが欠落している。そこに投入された帝国日本の最先端の農業科学技術とそれが普及した現地へのまなざしである。こうした過去への視点からしか、日本の科学技術のみならず、現在世界を覆うバイオ・テクノロジー産業が社会に及ぼした影響に対する内省は生まれない。」(p162)


■日本の稲の特徴によって表現された日本の優越性と挫折
個人的には、ある技術者の言葉が印象に残った。

永井威三郎という技術者の方で、永井荷風の弟らしい。東京帝国大学農科大学卒業後に留学し、帰ってきた後は農林省農事試験場技師となり育種学の研究を進める。その後、朝鮮総督府の農事試験場に赴任し、新品種の育成とその指導に携わる。

ただ、その名前は技術者としてというよりも文筆家として有名になったということ。戦時中に、「米と食糧」といった題名の本などをはじめおつぃて、食糧問題の一般向け啓蒙書を書いていた。


■日本稲は優れている=日本人は優れている
そういった本の中で、戦時中は、以下のように述べて「稲に日本人の優越感を託した」(p102)

「大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である。稲を作り米を食ふ民族が、麺麭〔パンのこと〕を食ひ、小麦を作る民族に決して劣らない、否彼の為し得ざる処を成し遂げることを事実に示す秋が到来した」(p100)

「大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である」(p100)

「日本刀は武士の魂です。その切れあぢ、その美しさ、その神々しさは、外国の剣とはくらべものになりません。
 それとよく似てゐるのは日本稲です。日本の稲や米は、その味、形、わらのよいこと、そのほか、外国のものに見ることのできぬ、すぐれた性質をもってゐるのです。」(p102)


■日本稲には欠点がある=日本人には欠点がある
ところが終戦後は…

「この日本稲の特徴は、日本人の性格にも類似が見出されるのではあるまいか。(中略)日本人は敏感である。もう少しあせらずに、自然のままにその特性の円熟を待ってゐたならば、もつと多くの実を結んだかも知れぬ。日本人が作り上げ得る文化の収穫も、日本人の「感光性」が「短日操作」によって促進させられて、遂に一頓挫を来したのでは無かつたらうか。」(p109-110)

というように述べている。同じ稲をとりあげて、戦時中はその特徴によって日本人が優れているということの説明に使っているのに、戦後は日本人が失敗した理由として挙げている。

マスコミもそうやけど、ホント、こういうのは言いようやよなー…こういった説明って今もよくされることが多いけど、流されずにそれはそれ、これはこれといった形で考えられるようにせないかんなーと思った一冊やった。

2012年10月20日土曜日

「嫌われる覚悟」を持つことによって嫌われる度合いが減る気もしてきた

「嫌われる覚悟 ほんとうの嫌われない技術」



  • 今回読んだ本…「嫌われる覚悟 ほんとうの嫌われない技術」
  • 思い出した本…「図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術」


嫌われる覚悟によって気持ちを伝え合える
→嫌われる覚悟をすることによってそんなに嫌われなくなる?




著者は、対人恐怖症(社会不安障害)を患ったことがあり、引きこもりやニートの経験もある方。状態が悪い時は家族ともほとんど話せない時期もあったけど、そこから今はコミュニケーションの講座の講師をやるまでになっている。その内容は自身の経験を活かしたもの。

「もともとコミュニケーションスキルを備えている人がさらにレベルアップするような内容を提供するのではなく、コミュニケーションが苦手な人がいまよりも落ち着いて話せるような心のあり方をお伝えしたり、ちょっとしたコツで円滑な人間関係を築けるようなスキルを教えたりするのが得意」(p20)とのこと。

というわけで、本書の内容も、なんだかコミュニケーションは苦手だなーと思って頑張りすぎる人への心の処方箋的なものになっている。後半の方で書かれている対処法の話は、考え方を変えましょうとか、表現方法を工夫しましょうとかそういう感じなのでそのあたりは他の本とも共通やけど、「嫌われる覚悟」というキーワードづけがうまいと思う。この一語を知るだけでも割り切りができるというか、腹が据わる感じがする。

もう1つ、「たまには誰かから嫌われる技術」という表現も興味深かった。


■「誰からも嫌われない技術」ではなく「たまには誰かから嫌われる技術」
タイトルも目を引くけど、冒頭の文章もハッキリしていて引きこまれた。

「冒頭でいきなり逆説的なことを述べてしまいますが、コミュニケーション能力を向上させるには「人から嫌われてはならない」と考えるのではなく、「人から嫌われてもよい」と肩の力を抜くとうまくいきやすくなります。「絶対に嫌われてはならない」という前提でスキルを学ぶのと、「たまには嫌われてもよい」という意識でスキルを学ぶのとではついてくる結果がまったく異なるのです。

「人から嫌われてはならない」と思いながら人間関係を築こうとすると実は相当苦しくなります。相手に対して迎合的になり、いつも気をつかわなくてはならず、どっと疲れてしまいます。」(p3)

タイトルにも書かれているように、ポイントというか、著者の想いはこのあたりに凝縮されている感じ。

「「誰からも嫌われない人」など現実に存在しないのです。嫌われてほならないという価値観にがんじがらめになり、人と接するのが億劫になって疲れ果ててしまっているとしたら、いったいなんのためにがんばっているのでしょうか。人から嫌われたくないがために人間関係の築き方がぎこちなくなり、精神的にも疲弊してしまうのであれば、それこそなんのための技術なのかわかりません。幻想を追い求めても出口のないトンネルに迷い込むようなもので、自分自身をますます不幸にするだけではないでしょうか。

 長年コミュニケーション講座を運営している者として、これら間違いだらけのコミュニケーションの現状はとても嘆かわしいもので、講座の中だけでなく、なんとか一般の社会に向けて誤解をときたいという思いを常々持っていました」(p6-7)

「正確に定義すれば本書でめざすのは、「誰からも嫌われない技術」ではなく、「たまには誰かから嫌われる技術」になります。」(p21)



■半分ぐらいの人に好きになってもらおう
そして、このへんの話は

「図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術」

という本で書いていた、

「とりあえず半分ぐらいの人、自分の好きな人に好きになってもらおう」

という話とも通じるなーと思った。






「もし好かれないことがあっても、それは自分の問題なのか相手の問題なのかを考えることです。自分が問題であれば、自分を変えてもよいし、変えないで好かれないことを選んでもよいのです。
相手があなたのどうしようもないことを好きでないと言うのであれば、それは相手の問題として相手に解決してもらうしかないかもしれません。また、あなた自身が相手とつき合わない決心をしてもいいのです。
すべての人を喜ばせるのは不可能です。
だから、まず今の自分を最大限に発揮して、「とりあえず半分ぐらいの人、自分の好きな人に好きになってもらおう」というあたりから始めることです。」

(「図解 自分の気持ちをきちんと「伝える」技術」p77)


■正規分布するから仕方ない
このへんに関連して、「嫌われる覚悟」の方でもう一つ、「正規分布」という概念を持ち出しているのは結構ユニークだった。

大体どんなものも正規分布になるとすると、「あなたへの好意度」を答えてもらったと仮定した時の答えは、例えばこんな感じになる。

(「嫌われる覚悟」p42の表)

要は、好きだという人もいれば嫌いだという人もいると。

「正規分布という概念を知っていると、「ああ、人に嫌われることがあるのは無理もないことなんだな……」 となんだか納得できるのではないでしょうか。誰からも嫌われないようにすることなんて到底不可能。統計学的にもありえないことなんだ、人に嫌われたとしてもそれは自然なことなんだ、とスッと腑に落ちることと思います。」(p42)

個人的にはあんまりこの説明はスッと腑に落ちなかったけど、こういう割り切り方もあるのかーっていうのは面白かった。


結局、こういう形で、嫌われる覚悟を決めたり、半分くらいの人に好かれてれば十分といった割り切りによって、自分の気持ちをきっちり伝えることができ、相手とも伝え合えるようになるのかなと。そうすると、嫌われる覚悟をすることによってそんなに嫌われなくなるんじゃないかなとも思った。


あと、以下のあたりの著者の想いは頷けるところも多かった。


■最後はあたたかい心で
「同じようにあなたの周囲にいる誰かも、苦しんでいるかもしれません。

 飲み会で誰とも話せず孤立している。いつも眉間に敏を寄せて難しい顔をしている。深い話をしたいのに友人がいないと悩んでいる。
 もしそういった方がいたとしたら、できる範囲で結構ですので、あたたかい気持ちで声をかけてほしいなと思います。
「自分から前に出ていけばいいのに」「もっと笑顔になればいいのに」と相手を変えようとするのではなく、ありのままのその人を受容しましょう。「孤立しちゃうとつらいよね」「眉間に雛を寄せちゃうようなことがあったんだね」「友人がいないと寂しいよね」。まずはそういった気持ちで接してはしいなと思います。」(p221)


■社会を豊かにするための「嫌われる覚悟」
「社会が豊かになるためには「同質性」と「異質性」の両方の視点が欠かせません。「同質性」とは簡単にいえば「周りと同じ」という意味です。似たものどうしであれば考え方も近いですし、何かを決めるときにもスムーズに事が運びます。相手を攻撃する必要もないですし、お互いを嫌いになる可能性も低いため里囲気がよくなります。社会が安定して成り立つためにはある程度似たものどうしが集まる必要があるのです。かといって、似たものどうしだけが集まって、仲よくやっていればそれで社会が豊かになるのかというとそうでもありません。
 「異質性」とは簡単にいえば「みんなとは違う」ということです。みんなと違うということはもしかしたら目立ってしまい、周囲の好奇の目にさらされることもあるかもしれません。しかし、見方を変えれば、別の角度からの考え方、個性を持っているということでもあるのです。ガリレオは地動説を唱えて、カトリック教会から嫌われました。ではガリレオは「嫌われる」からといって自分の説を曲げたでしょうか?ガリレオは意思を曲げず「嫌われること」を覚悟して、自分は自分としての生き方を貫きました。もしガリレオが「嫌われること」を恐れて自説を曲げていたら、はたしてそれが社会のためになったでしょうか。ちょっと極端な例ですが、異質であることは、ある意味で嫌われるリスクも高くなるということです。とはいえ、同時に豊かな社会を創るためのひとつの意見を自分が持っていると考えることもできるのです。
 ガリレオはある意味で、嫌われることを前向きに享受してそれでもなお、社会を愛するがゆえに嫌われたともいえます。いわば「嫌われる覚悟」を決めていたわけです。嫌われる、好かれるといった個人的な枠を超えて、社会のために主張する強さというのは、私たちも見習う必要があるのではないでしょうか。」
(p217-219)


自分が「嫌われる覚悟」を決めることで、自分が相手と違うことを認めることができ、それが逆に相手を受け入れることにもつながるのかなーと思った。「嫌われる覚悟」というのは、嫌われたまんまでもイイやっていうネガティブな割り切りではなくて、一度割り切ることによってより豊かな関係を築くための第一歩を踏み出せるというポジティブな割り切りなのかなーと。

2012年10月19日金曜日

「ほんとうの親鸞」はよく分からないことが分かって逆に面白かった

ほんとうの親鸞


「ほんとうの親鸞」読了。親鸞の名前自体はセンター試験の問題にも出るくらい有名だし、浄土真宗の信徒は、文化庁宗務課刊行「宗教年鑑」によると1300万人近いらしい。


■よくわかってない親鸞像
なのに、意外なほどにその実像っていうのはよく分かっていないことが分かって面白かった。

「歎異抄」とかは日本史の教科書にも書いてあって有名だけど、実は近代までは信徒の目に触れないように禁じられていて、近代になってから知識人が評価するようになったもので、

「浄土真宗という宗派の形成においては、『歎異抄』はまったく重要な役割を果たしていないのである」(p244

ということ。


もう1つ有名な「教行信証」も、関連した経文の文章を集めたものであって

「経文や他人の文章の集成は、著作とは言えないし、親鸞自身が著作とは考えていなかった可能性が高い」(p190

と。

さらに、法然との関わりもそこまで強いものだったかどうか分からないらしい。弟子ではあったとしても全体からみて高弟と言われるようなポジション出あったかは不明。

「親鸞自身は法然との近さを強調し、自らがその高弟であったかのように述べているが、それを証明する客観的な資料は存在しない」(p151)

じゃあどうやって広まってきたのかというところで著者の表現が面白い。
特に以下の3つ。

  • 親鸞という夢
  • メディアとしての親鸞
  • 迷いの僧侶



■親鸞という夢
親鸞の教え等がはっきりしないことによって逆にそれぞれの親鸞像を作り上げることができ、いろんな人がいろんな想いを投影できたという考え。それが広がりにつながったということか。

「要するに、親鸞にかんしては、その人物も、その生涯も、そしてその思想もひどく曖昧なのである。
逆に、曖昧であるがゆえに、後生の人間は、それぞれが勝手に独自の親鸞像を作り上げることができたとも言える。実像が明らかでない分、虚像を作り上げることが容易なのである。」(p19)

これを受けて、親鸞のことを掘り下げていく意味を著者は次のように述べている。

「親鸞に託された夢の正体を明らかにすることには、大きな意味があるはず」(p21)

「日本人は親鸞を通してどういう夢を見てきたのか。この本での作業は、日本人のもつ根源的な欲望を示すことにもつながっていくはずである」(p23)


■メディアとしての親鸞
これも面白い表現。

「親鸞は、自らを法然の弟子と位置づけ、法然の教えを伝えることに生涯つとめた。ことなる解釈をする者が出てくれば、それをただし、本来の信仰に引き戻そうとした。
 その点で、親鸞は、宗祖と言えるような存在ではなく、むしろ媒介者であった。法然の説いた浄土宗信仰、阿弥陀信仰を他の人間たちに媒介する役割を果たそうとした。現代風に言えば、親鸞は「メディア」であった。」(p232

ちなみに、これは親鸞に限らずキリスト教でも同じで、イエス・キリストもユダヤ教の革新運動、ユダヤ教とまったく違うものを作ろうとしたのではなく、すでに説かれていたことをベースに説いたとのこと。

その後の弟子たちが神格化していく。親鸞の場合は、弟子だけでなく、血を受け継ぐ者たちが基盤を作り上げる。


■迷いの僧侶
親鸞は今広がっているイメージでは、非常にはっきりした考えを持った強い人のように見えているが、実はそうではなく、迷いながら歩みを進めていたのではないかという見方。

「親鸞は、法然の忠実な弟子となり、専修念仏の教えに従おうとしていながら、揺れ、惑い続けた人物である。逆に、揺れや惑いがあったからこそ、東国の門徒たちは親鸞に従おうとしたのであろう。」(p248)

「カリスマも超人も、ほんとうはいない。ほんとうの親鸞は、私たちと近いところにいて、生涯にわたって、正しい信仰の道を追い求めつつも、揺れ、惑い続けた存在なのである。」(p249)

これに関連して「おわりに」の冒頭に書いてあった

「浄土真宗という宗派は本来、誕生すべきではなかった。」(p240)

という言葉がギョッとする。けど、それに続く言葉を読むと著者の意図が分かる。

「宗祖とされる親鸞の実像を追っていくと、その感を強くする。親鸞自身には、新たな宗派を起こそうという気持ちは微塵もなかった。親鸞はただ、法然の説く専修念仏の教えに忠実であろうとした。正確に言えば、忠実であろうとして最後まで揺れ続けた」(p240)

最後に、著者は

「この本を描き上げて、私のなかから親鸞に対する苦手意識は消えた。親鸞は特別な人物ではない。超人でも巨人でもなく、実は普通の人間なのである」(p252)

と述べている。このあたりの想いが「ほんとうの親鸞」というタイトルにもあらわれている。


■親鸞、ちょっと近くなったかもしらん…
自分が日本史を高校で勉強したときも、親鸞のことって苦手意識とまではいかなくてもよくわからない感じはあった。

この本を読んでそもそも分からないんだということが分かったことによって、逆になんか親しみを感じられるようになった。教祖としてではなく、人間としての親鸞像によってさらに近くなった感じがする。

前に読んだ聖徳太子はいなかったっていうことを論証していた本もやったけど、歴史って学校で習った時から新たな説や資料が出てきたりしているから、そういうのを知るとまた違った角度から見ることができて面白い。そういう視点をまた1つ増やせる本やった。

2012年10月18日木曜日

中堅社員から組織を活性化させる「ジュニアボード・マネジメント」という手法

ジュニアボード・マネジメント 中堅社員の経営感覚を磨き、組織を活性化させる新経営手法 PHPビジネス選書
手塚貞治「ジュニアボード・マネジメント 中堅社員の経営感覚を磨き、組織を活性化させる新経営手法」読了。

ジュニアボードっていう、中堅クラス社員を対象とした擬似役員会を設け、そこから斬新な意見を取り入れることによって、経営改革を行うという手法について紹介している本。

1930年代にアメリカのマコーミックっていう会社で複合経営制(Multiple Management)という形ですでに行われていて、日本でも横河電機、CSKグループ、ユニ・チャーム、アンリツ、インテック等の会社の例が紹介されとった。

途中からSWOTとかKJ法とか戦略のまとめ方みたいな話に寄っていっててそのへんは戦略関連の本と内容的には変わらんかも。

ただ、「お勉強」ではなく「会社を動かす」ことに重点を置いているので、手法の紹介も人選の仕方や検討会の頻度、分科会の作り方等が記載されていて薄いわりに結講実践につなげやすそうな内容。

ジュニアボードという手法そのものをやるかどうかは別として考え方はなるほどと思えたし、こういう手法もあるんやなーということで1つの参考になった。

あと、ジュニアボードと直接関係ある話ではないけど、「課題」についての以下の話が印象に残った。

「いずれにせよ、「誰が悪い」とか「あれがない」「これがない」というのは「課題」とは言わない。解決不能だからだ。「課題」とは適切な対策を打って解消できるものを言う」(p87)

「誰が悪い」とか「あれがない」っていうのも「課題」と言えば課題なんやろうけど、それだけ言ってても解決に進むことは少ないのでこういう視点は大事やと思う。

人の問題なら、「誰が悪い」でとどめないで、なんでそういうふうになっているのかを掘り下げる方が建設的やろなーと改めて思った。

2012年10月16日火曜日

「謙虚であること」と「自己信頼をしないこと」の違いが述べられている「図解 NLPコーチング練習帳 脳の戦略から変化を引き出す」


図解NLPコーチング練習帳―脳の戦略から変化を引き出す

この著者の本は2冊目やけど、図解での解説シリーズを何冊か出してるっぽい。

今回のものは結講専門的な用語の羅列みたいなところも多くて、専門的に勉強している人には良さそうやけど、入門として読むにはちょっと読みづらい感じ。

全体的には、前回読んだ「図解 NLPコーチング術 やる気と能力を引き出す」の方が分かりやすかった。

基本的な解説内容は同じやけど、こちらの本で読んだ中では、人は成功を恐れているっていう話が印象に残った。謙虚であることと自己信頼をしないことっていうのは別の話であるということ。

■人は成功を恐れている
「人が最も恐れているもの-それは、自分の想像を超えた成功です。その壮大さや輝きをどうしても直視できないで自分でおとしめ、値引きしてしまうことがあります」(p22)

「美徳とされる「謙虚でいること」と「自己信頼をしないこと」を区別できない人によく出会います(中略)「謙虚でありながら、まだまだ成長し、自分の価値の最大化を達成する存在として、自らを信頼すること」は、できるはずです。」(p22)

「私たちが最も恐れるのは、能力がないことではなく、計り知れないほど能力があることなのです!
 私たちが最も恐れるのは、闇ではなく、光なのです!
 自分を卑小化することは、世の中に何ら役に立ちません。
 他の人が不安にならないように、自分を小さく見せることは、賢明とは言えません!
 自分の光を輝かせることによって、無意識のうちに他の人たちも輝くことを、自分に許せるようになります。
 私たちが自分自身の恐怖を乗り越えたとき、私たちがそこにいるだけで、自然に他の人をも自由に解放してゆくことができるのです」-マリアンヌ・ウィリアムソン
(p82)

あと、以下のあたりはコミュニケーションの話で共通の話やけど良い復習になった。

■コミュニケーションとは
「コミュニケーションとは、あなたが相手から引き出した反応だ」
「何を言おうが、何を見せようが、相手が「この人はこう言った」と思ってしている反応が、あなたの「伝えたこと」に他ならない」
(p70)


■意味はフレームによって決まる
例:雨が降っている
「なんだかうっとうしい天気で、気分も滅入っちゃうな!」
=「天気が悪いのは良くない」という一般化

しかし、トルコでは雨は「天気が良い」という意味
(p60)

このあたりは何度聞いても実際のコミュニケーションの際にはついつい忘れがちなんで、度々思い返して心に刻み込まんとなーと改めて確認。

最後にもう1つ、以下の考え方は前向きに生きるのに良いなーと思った。

■意図を持って起きる
「目が覚めたら、『今日一日エネルギッシュに過ごすぞ!』と言いながら、一気に上半身を起こして両腕を天井に突き上げ、『オハヨウ』と自分に言う」
→全く違った一日になる
(p66)

2012年10月15日月曜日

どの立場でみるかで意見が変わることを再認識した「日本経済の奇妙な常識」

日本経済の奇妙な常識 (講談社現代新書)

著者の問題意識としては

「震災や福島原発危機が発生する前から、すでに日本経済が大きな危機に陥っていたことを忘れてはなりません。過去からの危機の構造を正しく理解し、それに対処することをきちんと考えてから、震災復興を上乗せして論じるべき」(p10)

というもの。

具体的には、以下のような点について著者の見方からの説明をしている。

  • アメリカ国債が格下げされたにかかわらず金利が下降している理由
  • 資源価格が高騰しているのに日本はデフレのままである理由
  • 円高円高と言われているが実効レートでみても本当に円高なのか
説明の内容を端的にまとめると、アメリカの住宅バブルを増幅させたのは日本政府と日本銀行で、それがめぐりめぐって日本のデフレや所得格差拡大につながっているという話。

日銀の金融緩和(量的緩和)、日本政府の円売り・ドル買いと共にFRBの金融引締の足を引っ張ったという主張。

実効レートで見ると円安だったにも関わらず、円高だと言ってやりすぎの介入

海外での金融投機を増幅

住宅バブルを大きく成長させ、バブル崩壊のインパクトを強める

また、日本の金融緩和によって、円を低利で借りて他の金融資産で運用する取引にお金が流入し、アメリカ国債の下支え。

ただし、アメリカ国債への流入には限界がある。

アメリカ国債への行き場を失った投機マネーが資源に流入
「デフレ対策として日本政府や日本銀行がおこなった経済政策が副産物として育ててしまったグローバル投機マネーが、アメリカ国債の発行規模の変化に影響されて、国際的な資源価格を高騰させた」(p53-54)
…日本の物価が下がる一方で、国際的な資源価格が高騰したからくり

「リーマンショックによって起きた深刻な世界不況の責任の一端は、日本政府と日本銀行にもあったのです」(p44)

そして資源価格高騰は日本にインフレをもたらすどころか賃金デフレをもたらす。

資源価格の高騰

中小企業は価格に転化できず

コスト上昇分は労働者の賃金カットで吸収

幅広い年齢層での所得格差を拡大

説明の内容自体は分かりやすいし面白いけど、経済系の話はいろんな話があって、何が本当か分からんから鵜呑みにはできん。

その分自分なりに考えることが大事なんやけど、こういうのを読むともうちょっと大学の時に経済、特に財政や金融とかの勉強をしっかりやっときゃ良かったなーと思う。まあ悔やんでも変わるもんでもないので、今からでも少しずつ勉強せんとやけど。

あと、円高はいいとか悪いとかっていう話はあるけど、マスメディアの報道はいい加減っていう話は頷ける。

過去には「円高が望ましい」「円安はよくない」という報道がテレビや新聞でもあったけど、今は「円高は日本の製造業にダメージを与えるから阻止すべきだ」みたいな話をよく聞く。

「どの立場でみるかで意見が変わる」(p205)というのはそのとおりだと思うので、ポジショントークを踏まえた上でとらえんとやなーということを感じた一冊やった。

あと、豆知識的なところとして、1871年に日本で円という通貨が誕生した時の最初の対米ドル円相場は1ドル=1円やったっていうのは驚きやった。データ自体は前に見たことあったと思うけどすっかり忘れてたか元々知らんかったか。そうやったんやなー。

2012年10月10日水曜日

NLPの概要を図解でさっと学ぶのに良さそうな「図解 NLPコーチング術 やる気と能力を引き出す」

図解NLPコーチング術―やる気と能力を引き出す

「図解 NLPコーチング術 やる気と能力を引き出す」読了。大判で持ち運びにはちょっと大きいけど、見開き2ページで1トピックを、図表を使って解説されていて分かりやすかった。

NLPの話をコーチングとの組み合わせで解説していて、自分に働きかけるというより相手に働きかける視点に重点が置かれている感じ(セルフコーチングの話もあるけど)。

他の本に比べると、本自体が薄いこともあってそんなに深くはないけど、ざっと概要をさっとつかむには手軽に読めて良い感じやと思う。でかいので持ち運びづらいのがやや難やったけど(^^;)

最近NLPが面白いなーと思ってるけど、そのへんが以下のあたりによく表されとった。

「NLPでは、まず「自分が知っていることをどのように知っているか」を学びます。「脳は五感を通して物事を理解する」という大前提にのっとって「知覚の鋭敏さ」を養うためのアプローチがあります」(p8)

「私たちが見て、聞いて、感じている世界は「現実」そのものではない」

単なるコミュニケーションのテクニックと言うよりは、「自分が知っていることをどのように知っているか」っていうところからスタートするんで、自分自身の思考の構造の理解にもつながるから面白いんかなー。

以下の前提はいい言葉が並んでるので時々見返したい。

■「NLP×コーチング」の前提
◎「地図は領土ではない」=コミュニケーションの本質を知る
 人間は現実に反応するのではなく、現実を知覚し、描いた地図に反応する

◎人間は、常に現時点で可能な最善を尽くしている

◎人間は、変化に必要なリソース(資源)をすでに持っている
 リソース=過去の体験、人脈、豊かな五感、才能、能力、身体など

◎他者の世界観=地図・フィールドを尊重することは、コミュニケーションの基本条件であり、それは柔軟性の発揮によって手に入る

◎誰かにできることは、ほかの人(あなた)にもできる

◎心と身体は「心身一如」であり、一つの有機的システムである
 呼吸―脳内物質を変えることで変化させる=姿勢を変える

◎何も選択しないよりは、何かを選択した方がよい
 行動する、やってみるとわかってくる

◎「失敗」はない!あるのはフィードバックだけである

◎相手の今の反応が、今あなたが行ったコミュニケーションの成果・結果である
 「何を話すか?」ではなく、「どんな反応を起こすか?」

◎ピンチ(問題・制限)は、絶好のチャンス(機会)である
 意識レベルを変える。意味や見方を変える

◎すべての人間の行動には肯定的な意図がある。また、すべての行動は何かの役に立っており、価値がある

◎「現実を体験する方法(解釈)を変化させる能力」は、現実そのものを変化させるよりも効果的であることが多い
 誰もが「脳の中での解釈に一喜一憂している」のだから、解釈やイメージを変化させるほうが効率的で素早い
(p27)