2012年10月29日月曜日

新しい学びのモデルとしての「東京シューレ」(「僕は僕でよかったんだ」より)


僕は僕でよかったんだ



「東京シューレ」という東京にあるフリースクールの卒業生32人のその後についてのインタビュー集。

この記事は前回の続きです。

前回の記事はこちら↓
 「僕は僕でよかったんだ」という自分を肯定することの大事さ




■いろいろな人がいる
インタビューの中で何人かの人が、いろいろな人がいるということ、それぞれの違いが分かってそれを認められるようになったと言っているのが印象に残った。

みんな違うから違いを分かり合い認め合える
「シューレは個性的な人が多くてみんな違うけど、だからこそ違いを分かり合い認め合える見方ができるようになったと思います。シューレの人同士だと、ああ、そういう考え方があるんだ」と感じることができます。また、シューレ以外の場面でも自然とそうした受け取り方ができるようになりました。」―藤田由佳さん(p179)

言ってしまえば当たり前なんやけど、意外と人間関係の中でここがお互い理解できずにもめることが多いところなので、これを思春期に腹の底から分かるっていうのは大きい。

自分の場合は中高が全寮制の学校で、さらに1学年40人しかいない狭く濃密な人間関係の中で生活していた中でそれを学んだ。同じ宮崎県という地域から来ていて同じ年代なのに、一人ひとりに違いがあるということ。

当たり前のことやけど、これは例えば同じ日本人同士でもそうだし、海外の人とコミュニケーション取る上でも大事なポイント。


少数派の視点
そして、特に大きいのが、いろんな生きかたがあることが分かること、また、学校に行かないということで自分自身が少数派の立場に立つことで、少数派への視点が持てること。ある卒業生の方の言葉。

「不登校やシューレで生きてきたことは、自分では面白いと思う。社会の多数の人は普通じゃないと思うかもしれませんが、自分は少数派であっても、このような生き方で良かった。人には、どんな生き方もあって、何かにとらわれない生き方をしていける、それに気がついたことが大きかったと思います」―彦田来留未さん(p233)


先入観をもたないで話を聞く
こうした経験からか、いろいろな人の話を先入観を持たずにしっかりと聞いて自分の意見を相手への押しつけにならないように聞く、というコミュニケーションの基本スキル(でもなかなかできるのが難しいもの)を身に着けられている。

「今は不動産会社に勤務し、この春には採用面接の担当者として、数十人の面接をさせていただき、数人の若い部下を持つ身となりました。毎日、一回りも年が違う人達と仕事をし、大手企業の方達に接客する機会も増えてきました。いろんな知識や経験は仕事上必要なのでしょうが、今の僕が仕事で一番必要なスキルは、先入観ではなくしっかりとお客様の話を聞き、自分の意見を押しつけるのではなく述べることがポイントと言えます。なんだか、それは遠い昔にシューレのミーティングでずっとやってきたことだったなと思っています。」―鈴木曉さん(p39)


■自律的、行動的に動く
その他、インタビューを読んでいく中で印象に残ったのが、それぞれの人がとても自律的に行動をどんどんとっていく人が多いということ。

もちろんみんな最初からそうやってどんどん動くわけではなく、樣子を伺いながら最初は壁に向かってマンガを読むだけだった人もいる。でも、その中で段々自分なりに何かやりたいことを見つけてやっていく樣子が語られている。

卒業生の方も次のように語っている。

「見学前は、静かな子が多いのかと思っていたけれど、行ってみると、パワフルな場所でした。」―藤田法彰さん(p175)

「最近の「アラスカプロジェクト」でも、「オーロラを直に写真で撮りたい」という子がいたことをきっかけに講座が持たれ、アラスカの地理や歴史、先住民、教育、自然環境などを一年半ぐらいかけて学び、その間、お金も貯め、一週間かけてアラスカ旅行を実現しています」―奥地圭子さん(p262)

その他にも、ログハウス作ったり、演劇したり。活動の場は世界に広がっていて、IDEC(世界フリースクール大会)を日本で開催したり、ペルーのワーキングチルドレンの団体「ナソップ」と交流したりと。

さらに単純にすごいと思ったのが、法律にも影響を与えたこと。1997年の「この年のシューレ」に書かれていた内容が以下。

「同じ頃、国会では児童福祉法の改正が議論されていることを知り、四月「子どもの声をぶつける会」を子どもたちが立ち上げた。他のフリースクールや親の会にも働きかけ、七〇〇名もの署名を集め厚生省に提出した。
 この問題は、戦後まもなくつくられた法律が時代に合わなくなったため、子育て支援や自立支援の拡充が目的の改正が検討され、その改正案のなかに、教護院の活用率が低いので不登校の子どもを入所させ、自立へ向けた生活指導する方針が含まれていたのだ。ぶつける会の子ども達は、自分達で厚生省に電話し、子ども達だけで会見を行った。この時の会見は、保坂展人衆議院議員(当時)が、「子ども達だけで官僚に会いに行ったのは、歴史上初めて」と驚かれていた。法案は提案通り可決されたが、「不登校を対象としない」という付帯決議をつけることができ、大きな成果へと結びついた。」(p126)

これだけの行動ができる子どもっていうのはなかなかいないんやないかと思う。こういう行動を自発的に起こしていけるような子どもを育てるというだけでも大きな社会的な意義がある場やないかなーと思った。


■新しい学びのモデル
最後に、巻末の対談で、教育ジャーナリストの方が次のように述べている。

「東京シューレは、これからの新しい学びの場の一種のモデルになって行くだろうと思います。単なる受験のための教育でもないし、経済成長を支えるための人づくりでもまったくない。ひとりひとりの子どもたちの特性を活かし伸ばすような学びの場であるし、また子どもたち自身が主人公になってミーティングをして、自分の興味・関心に基づいて、いろんなことを考えて実行していく―。その中には平和教育や人権教育、環境教育もある。今日のニーズにあった内容も、自ずから子どもたちの発想の中から生まれてきているのが東京シューレの良いところであると思っています。だから東京シューレは単に不登校の子どもの居場所という消極的・受動的な存在ではなく、本当の学びの場として、積極的な意義のある場だと思うわけです。

 ここに来ている子どもたちが、「もう普通の学校はいやだ」と、その気持ちをバネにしてミーティングをやり、いろんな学びを組み立てて実践していってる。そこが原点だろうと恩うんですよ。ゆっくり学ぶ時間的なゆとりも保障され、それを具体化するためにオルタナティブ教育法を準備され、それを具体化するものとしての葛飾中学校がすでに出来上がっています。これからの公教育のひとつのモデルとして、僕は葛飾中学を位置付けたいと思っています。

 最後に、今後の「学び」ですが、ひとつ補足すれば、ユネスコの二十一世紀教育国際委員会が一九九六年に「学習:秘められた宝」という報告書を出しています。その中で「学習には四本の柱がある」と書かれています。ひとつ目は「知ること」、ふたつ目は「為すこと」、みっつ目は「共に生きること」、よっつ目は「人として生きること」です。

 僕はこれがこれからの学習の方向として大変良いと思っています。東京シューレも「知ること」「為すこと」「共に生きること」「人として生きること」を実践されていると思うんですが、さらにこの辺を柱にしながら学びの場を構築していっていただきたい。これがこれからの日本の教育のあり方の方向を示していると意義付けてもいいと思っています。」―矢倉久泰さん(p268-269)

教育の新しい可能性を考えさせてくれる一冊やった。



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