2012年10月22日月曜日

師匠について学ぶというよりは「状況に埋め込まれた学習」によって学ぶという話


「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」読了。教育や研修関係の本でよく「正統的周辺参加」という概念が参照される。それで興味をもって原典となるこの本を読んでみた。

Amazonのレビューを見ると結構平均して高いけど、ぶっちゃけ意味がよく分からんかった…訳書ということもあってなのか、そもそも自分がこの学問的な説明の仕方に馴染みがないからなのか、言葉遣いが全然頭に入ってこず…

ただ、いくつかはなるほどなと思うポイントもあった。


■親方という中心だけでなく共同体全体との関わりの重要性
その1つは「脱中心的」という表現で説明されていた、親方との師弟関係の話。

通常、徒弟制でイメージするのは、弟子が親方について厳しく鍛錬されていくという感じやけど、この本で言ってるのは、親方との師弟関係が重要というよりは、その周辺の人との関わりの方も重要ということ。

言葉遣いがややこしいけど、こう表現されている。

「熟練というものが親方の中にあるわけではなく、親方がその一部になっている実践共同体の組織の中にある」

「古参者がどのように、いつ、また何について協力しあい、結託し、衝突しているかとか、どんなことを彼らは喜び、嫌い、大切にし、感嘆するか」
ということが手本になるという話。

共同体の中で、単に親方という中心とだけの関係ではなく、共同体全体の中での位置づけや関わりが大事という視点は確かになと。


■何を語るかよりどう語るか
あとは、何を語るかよりどう語るかという話も参考になった。

「共同体内で正統的参加者になるための学習には、十全的参加者として、いかに語るか(またいかに沈黙するか)という点が含まれているのである」

同じく、何を学ぶかよりどう学ぶかとかどう振る舞うかということが学校で学ばれているという話。

「質問をすること―学校でうまく「やっていく」ことを学ぶこと―が学校が教えることの主要な部分になっていると推測」
(スクリブナーとコール『読み書き能力の心理学』という本より)


会社も一種の共同体だと思えば、社長との関わりだけではなく、他の社員との関わりを視野に入れんと、新入社員が学んでいく過程というのは説明できんてことかな。

新入社員は、先輩社員の振る舞いを見てその会社で望ましいとされる言動をとっていくようになると思うし。当たり前っちゃ当たり前やけど概念的な整理にはなった。

0 件のコメント:

コメントを投稿