2012年10月28日日曜日

「僕は僕でよかったんだ」という自分を肯定することの大事さ

僕は僕でよかったんだ


「東京シューレ」という東京にあるフリースクールの卒業生32人のその後についてのインタビュー集。

1985年に開校したということですでに25年以上の歴史があり、初期の卒業生の方は30代、40代になっていて、社会でもいろいろな経験をされているので仕事論や人生論として読んでも面白い。

卒業生の方のインタビューと「この年のシューレ」というコーナーが交互にあって、1985年から2011年まで、1年ずつ進んでいく。

簡単な年表がついていて、その年の東京シューレの活動と共に、世の中の動きも分かるようになっている。それに加えて、5年毎に教育ジャーナリストの方が教育界の動きを整理して解説していて、教育界全体の動向も重ねて見ていける。


■学校に行かないという選択肢もある
インタビューを受けたそれぞれの人が、学校に行かなくなった不登校のきっかけは様々。

先生から言われた一言とか、いじめっていう明確なきっかけがある場合もあれば、別に友達関係とか悪いわけでもないのになんとなくとかもある。

その中で、東京シューレという場があり、「学校に行かないという選択肢」があることが、それぞれの方について大きなターニングポイントになっていたように見える。

初期の頃の卒業生の方はすでに子どもがいる年齢になっていて、ある方はこう語っている。

「子どもは、今、長女は中二、長男は小五になりました。学校は楽しく通っています。子ども達には、「学校に行かないなら行かないでいいよ。行くところ(シューレのこと)もあるし。父ちゃんもママも中学は学校行ってなかったし。いじめとかあるならガマンする必要ない。学校は、命かけて行くところじゃない」
と言ってあります。
 不登校については、プラスマイナス両面ありますね。やっぱり学歴社会だから。でも、東京シューレに出会って得たものは大きかったと思います1人との出会い、世の中を良くしようという生き方があると知ったし、また少数派を生きることで世の中のこと、特に矛盾がよく見えるようになりました。」―有永宮子さん(p17)

また、別の方は、お母さんからのプレッシャーはあったものの、隣のおばさんが理解のある言葉をかけてくれたとのこと。

「たまたま隣に住んでいたおばさんが大変理解のある人で、母親に対し「人生八十年と言われているなかで、登校拒否していたとしても大したことはない。『いのち』がまずは大事」ということを言ってくれたそうです。その方はいろいろ気にかけてくれ、とても助けられ、おかげで母親も少し気持ちが楽になり、少しずつ理解してくれるようになりました。」―荻原美奈子さん(p30)


■自分自身を肯定する
これに関連して大きいのは、「東京シューレ」のような場がその子を肯定する場として機能しているということ。

それは、設立者の方の言葉にも表れている。

「私は子どもと接するなかで、親の考え方が大事だなと思ったんです。学歴社会の中で不登校をすると、子どもはほとんど肯定されず、親でさえ、なかなかわが子を理解しないから、子どもはものすごく苦しいし、親も辛い。そして、子どものところに立てない自分の辛さをどうにかしなきゃいけなくなる。そこで、親同士が支えあったり学びあったり、親が子どもから見て信頼の置ける存在になることをまずやらないと、子どもは辛すぎるなと思いました。」―奥地圭子さん(p249)

自分自身を肯定できた場
ある卒業生の方は「自分自身を肯定できた場」という言葉でその感覚を表している

「僕にとって、シューレは自分自身を肯定できた場でした。学校がすべてじゃないと、頭でなく体感できて、自分自身を大切にすることができました。まだまだ不登校で辛い思いをしている子がいっぱいいると思いますが、シューレみたいな場所が特別な場所ではなくなって、「不登校」という言葉がなくなればいいなと思います」
―前澤佳介さん
p225

私もやっていいんだ
別のある卒業生の方は「私もやっていいんだ」という言葉でその感覚を表している。

「ある男の子が動画サイトで見たバンドにあこがれていて、「スタジオあるから講師探そうか」と、ドラム講座やギター講座を始めたら、こうやれば自分がやってみたいことができるんだということが芽生えてきたんです。大人や周りの子がやっているのを見て、「私もやっていいんだ」と変わっていく様子を見て、自分自身も学ぶことができましたね。」―藤田由佳さん(p178)

その人がその人でいられる
もう1つ、「その人がその人でいられる」という言葉もあった。

「シューレの基本は、その人がその人でいられる、ということだと考えています。人がつながることで、さらに広がっていってほしいと思います。自分も不登校の人生の先、社会とぶつかりながら、でも自分を大切にしてやっていける、働いていくための実践をしています。奥深いことだけど、生き方として、自分がこの社会をどうしたいのかということを考えたいし、多くの人が考えていける社会になったらと思っています。」―長井岳さん(p187)

特に学校に行かないことで肯定されない子どもを肯定する場。それがあることで、「学校」では周りからも肯定されず、自分で自分を肯定できなかった子どもが自分を肯定できるようになっていくんだと思う。

この感覚って、社会に出たり会社に入ったりしてからでかいと思う。自分で動いて何かをやったり物事を動かしていいんだという感覚を得られてないと、結局、自律的に動くことを恐れるようになる気がする。


人を支えるという意識
そして、こうした意識は、人を支えるという意識につながっていく。

「不登校は悪いと思いません。シューレにいる時、自分はこれでいいと思ったし、自分の生き方であり、自分に合っていると思いました。「学校に行かねばならない」と義務教育のことを勘違いして、行けない自分を責めていた時もありましたが、そこから脱出して自由になったんだと思います。
 いじめられたことを、プラスに考えられるようになったのも、この経験があったからだと思います。いじめられたことや不登校したことで、私の今があると思っています。
 今、大学で勉強していて、ふと、シューレのスタッフこそが、子どもを支える仕事をしていると気づいた時、すごいと恩いました。これから私も、自分の経験に誇りを持ち、人を支える仕事ができればなと思っています」―富山雅美さん(p209)

社会に貢献する人材を育てようとか理念を学校で掲げていたとしても、まず根底にあるのは自分自身を肯定できる力やないやろうか。それがないと他の人とか社会のことどころやないんやないかと思う。

逆に、それがあると、身近な周りの人をはじめとして他の人や社会全体を支えていこうという方向へもつながるように行動できるようになるんやないかなーと思った。

他にも良い内容があって書きたいことがあるけど、長くなったので続く。
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