2012年10月27日土曜日

「新しい日本史観の確立」をしないと教科書の暗いイメージのままになってしまう

新しい日本史観の確立

「新しい歴史教科書をつくる会」の元会長の方の本。 読み始めは、「新しい歴史教科書をつくる会」の主張がメインで書かれているのかなと思ったけど、そうでもなかった。

元々は著者のノートにさまざまな史観からの引用をまとめていたもので、西洋の歴史観が日本の歴史観に与えた影響というもっと広いテーマを扱ったもの。最初は出版自体も躊躇していたらしい。

ただ、友人の次のような言葉によって出版を決めたとのこと。

「「新しい歴史教科書」をつくる会の運動の中で近現代史の解釈ばかりに注目が集まっているが、もっと根本的な歴史観の検討が重要なのだ、すべての歴史解釈もそこから出てくるからだ」(p337)

全体としては、

「学界を支配する歴史観が根本的に誤っていること、とくに日本の歴史に対しては、ほとんど無効であることを説く専門的な書物が足りない」(p337)

という問題意識から書かれている。

序盤の方は現在の教科書の批判から入っているので、そういう論調がずっと続くのかなと思ったけど、それは一章分で終わり。残りの部分はもっと大きな歴史観の話に入っていく。

どちらの内容も、頷けるところもあればそうでないところもあるけど、いずれにしても今の教科書の見方っていうのは1つの見方でしかなくて、正解も簡単に決められるものではない(というか正解なんてあるのか…)ということを感じた。


■西洋の歴史観にとらわれている日本の歴史観
大きなポイントとしては、特に明治以降、西洋の歴史観を日本に当てはめて解釈する見方が広まっているが、その見方だと日本の歴史をよく捉えられていないのではないかという主張。

「これまで西洋で成立してきた歴史観が、いかに日本の歴史の確立をスポイルしてきたか、いかに合致しないものであるか」(P322)ということを語っている。

より具体的には、西洋の歴史観の中でも、特に、マルクス主義の見方にとらわれすぎているという批判。

「歴史学界ではその理論的部分が、マルクス主義をはじめ、装いを変えた階級史観や西洋史観にとらわれ続けている。それが日本の歴史にふさわしいという意味ではなく、学問は欧米から来る、と思い込んでいる学者の非力さのもたらしめるところでもある。それらをいかに日本の歴史に適用させるかが学問と思っているからだ」(p336)


■日本の教科書には暗い歴史が描かれている
そして、著者は、現在学校で使われている教科書も、こうした史観で書かれていると述べている。

例えば、江戸の農民について。

「《貨幣経済にまきこまれた農村では、貧富の差が大きくなり、貧しい農民の土地を手に入れて地主となる者がいるいっぽうで、土地を失って小作人になったり、都市の働きに出たりする者も多くなってきました》と、具体例もなく階級史観を押しつける。」(p35)

本の中では他にもいろいろと具体的な例が挙げられているけど、総じて、教科書もマルクス主義史観にとらわれているという主張。

「中学校で読まれている教科書を検討して、日本の歴史を考えると、そこには対立と闘争の連続のような記述が続き、日本がまるで暗い、貧困にまみれた国家のように思えてくる。これが惨憺たる歴史ではなくて何であろう。近現代では「帝国主義」や「侵略」という言葉で、日本を非難する書き方になっており、はじめから悪意があったとしか思われないようになっている。」(p59)

「義務教育における中学歴史教科書の記述を調べてきて、いかにそれが日本を批判的にみる「他国の目からみた」視点であり、また階級闘争史観であるかが明らかになった。その裏には、日本が相変わらず、他国からの批判の対象であり、それら西洋や中国・朝鮮の方が正しい歴史観を持っており、日本の歴史は混乱の続く闘争の歴史である、という見方が見えてくるのである。それはしかし、この教科書の歴史観が、近現代を重視し、それ以前を古代、中世、近世としていることでもわかるように、それは歴史は進歩するという「進歩史観」 であったからである。その「進歩」は西洋において進んでいるのであり、日本はまだ十分ではない、という思想でもある。」(p64)

さらに、こういった内容の教科書で歴史を教えられたら、学生たちは、歴史を明るいもの、楽しいものとして見なくなっていき、次第に歴史に無関心になるという危惧を述べている。

「日頃大学で学生と接していると、彼らはおよそ日本の歴史に関心を持たないか、もしくは日本がよくない国のような考えをもつ学生が多いのに気づく。そういえば、私自身も大学受験に日本史をとらなかった。西洋史に比べると、何か陰気で、ほとんど魅力がないように見えたことを思い出している。自分の国の歴史であるのに、いったいなんでそのように無関心になってしまうのか。否定的になってしまうのか」(p10)

確かに自分も高校の頃、日本史ってなんかあまり面白く感じられなかった。このへんが関係してるのかなー。


■日本の歴史記述のタコツボ化
こうしたことの背景には、日本の歴史家がマルクス主義史観に大きな影響を受けていることに加え、専門が細分化されていて全体像が見えなくなっていることも挙げられている。

「現在、歴史学者によって日本の歴史が一人で書かれたものは、全くと言ってよいほど少ない。それは歴史が細分化されそれぞれ専門化されることによって、歴史家が大きく日本を語ることが出来なくなっているからだ。またマルクス主義史観以降、それにとって代わる歴史観がないと思われているためか、見るところ、戦後に学者が一人で日本を一貫した態度で書いたものは全くないと言えるほどである。」(p60)

日本の歴史の全体像を描いたものは、無くは無いような気もするけど、確かに通常は図書館とかで歴史のコーナーに行っても、「日本の歴史」みたいなシリーズものは、大体たくさんの著者がそれぞれの時代ごとに書いているパターンが多い気がする。

このことにより、多くの日本人の歴史認識は教科書によって形作られることとなり、それが歴史への愛着を生まなくなっているということ。

「たしかに戦後、汗牛充棟のごとく歴史書が全集なり叢書で出されているが、誰でも通読できる日本全体の歴史といえば、学校の教科書しかないような現状と言ってよい。ということは、歴史に興味を持たない日本人の大半は、日本の歴史を義務教育の教科書によってしか知らないということになる。学校の教科書こそ、日本人の歴史への関心、歴史への親しみをつくる基礎になるものであるが、これが以上のような状態であれば、日本史は嫌悪されさえすれ、愛着を覚えられることはない」(p60)


■できる限り広範な視野からみる
著者自身の味方への賛否は別にして、確かに教科書だけをベースにして歴史を見ていると偏る気がする。1つの出来事をとっても、いろんな見方ができるので、常にそうした複眼的な視点を持てるようにしたいと感じた。

最後の方で著者が述べている以下のようなポイントは頷ける。

「できる限り、広汎な視野から歴史をみるのでなければ、人間の歴史というものを語ることは出来ないのである。それが必須なのは、歴史は一分野の歴史ではなく、人間という生活、文化、精神をもった総合的存在であるからだ。だからこそ、総合的な歴史観が必要になってきているのである。それでも歴史は続くのであるから」(p272)

前に読んだ「室町の王権」もそうやったけど、最近になって教科書には載っていなかった(伝えきれていなかった?)歴史の見方を知ることによって、面白さを感じるようになってきたので、もっといろんな見方を知れると総合的な歴史観を築くことに少しでもつながって、もっと面白くなるのかもなーと思った一冊やった。

0 件のコメント:

コメントを投稿