2012年10月31日水曜日

「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」を原典で学んでみようと思ったけど難しかった…

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加


「状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加」読了。教育や研修関係の本でよく「正統的周辺参加」という概念が参照される。それで興味をもって原典となるこの本を読んでみた。

Amazonのレビューを見ると結構平均して高いけど、ぶっちゃけ意味がよく分からんかった…訳書ということもあってなのか、そもそも自分がこの学問的な説明の仕方に馴染みがないからなのか、言葉遣いが全然頭に入ってこず…

ただ、いくつかはなるほどなと思うポイントもあった。

■親方という中心だけでなく共同体全体との関わりの重要性
その1つは「脱中心的」という表現で説明されていた、親方との師弟関係の話。

通常、徒弟制でイメージするのは、弟子が親方について厳しく鍛錬されていくという感じやけど、この本で言ってるのは、親方との師弟関係が重要というよりは、その周辺の人との関わりの方が重要ということ。

言葉遣いがややこしいけど、こう表現されている。

「熟練というものが親方の中にあるわけではなく、親方がその一部になっている実践共同体の組織の中にある」(p75)

「古参者がどのように、いつ、また何について協力しあい、結託し、衝突しているかとか、どんなことを彼らは喜び、嫌い、大切にし、感嘆するか」(p77)

ということが手本になるという話。

共同体の中で、単に親方という中心とだけの関係ではなく、共同体全体の中での位置づけや関わりが大事という視点は確かになと。


■何を語るかよりどう語るか
あとは、何を語るかよりどう語るかという話も参考になった。

「共同体内で正統的参加者になるための学習には、十全的参加者として、いかに語るか(またいかに沈黙するか)という点が含まれているのである」(p89)

同じく、何を学ぶかよりどう学ぶかとかどう振る舞うかということが学校で学ばれているという話。

「質問をすること―学校でうまく「やっていく」ことを学ぶこと―が学校が教えることの主要な部分になっていると推測」(p92)
(スクリブナーとコール『読み書き能力の心理学』という本より)


■後工程から全体を学ぶ
最後にもう1つ興味深かったのが、徒弟制において服の作り方の学び方の話。

弟子が最初に学び始める時は、服を作る最初の手順から学ぶのではなく、逆にほとんど完成されている状態のものを最後に仕上げる部分から学び、徐々にさかのぼって手順を学んでいく。

そうすることによって最初に全体像がわかるので学びやすいということ。この発想は他のことにも応用できそう。

「徒弟制の過程の構成は衣服全体のレベルに限られてはいない。最も初期のステップでは、手で縫うことから足踏みミシンで縫うことを学び、アイロンかけを学ぶ。仕立ての知識の本体からこれらを除いたとしても、それぞれの衣服に対して徒弟は裁断の仕方や縫製の仕方を学ばなければならない。学習過程は製造過程の順序をたんに再現しているだけではない。実際、製造のステップは逆になっている。つまり、徒弟は衣服の製造の仕上げの段階を学習することから始め、それからそれを縫うことに、そして後になってはじめて裁断の仕方を学ぶのである。このパターンは新しいタイプの衣服[の学習]を規則正しく分割するものである。製造のステップを逆にたどることには、ボタンを付けたり袖口をつけているときに、最初に衣服構成の大きく見た輪郭に徒弟の注意を向けさせる効果がある。次に、縫うことで彼らの注意を異なる布切れが縫い合わされる論理(順序、定位)に注意を向けさせられる。そこではじめて、それらがなぜそのように裁断されているかがわかるのである。それぞれのステップが、いかに前段階が現在の段階に貢献しているかを考える無言の機会を提供しているのである。さらにこの順序づげは失敗経験、とくに重大な失敗経験を最少にする。」(p51)


いやーしかし文章ややこしかった…

ただ、本の内容は頭に入って来なかったけど、一度読んだ後でウェブ上に公開されていた以下の要約レジュメを読んだらなんとなく全体像はつかめた気が…しないでもない…





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