2012年10月21日日曜日

「稲の大東亜共栄圏」に見る物は言いような話


■本の概要
第二次大戦中に、日本が日本産の米の品種を朝鮮半島や台湾等の植民地に持ち込むことによって植民地支配を強化していった過程を描いた本。

「これまで、稲の品種改良は、戟争や帝国支配と無関係であったと思われがちであった。しかも、その育種研究者たちの努力を讃えるばかりで、その実質的な社会的影響の検証は不十分であった」(p160)という問題意識。

育種技術自体は「人を殺すこととまったく関係がない」としたとしても、「育種技術そのものの孕む魅力は、これまで述べてきたように、主体的に帝国支配に関わっていた」(p161)という主張。

さらにそこから現代への示唆も引き出そうとしている。

「日本が圧倒的な軍事力で「征服」した国・地域へのまなざしが欠落している。そこに投入された帝国日本の最先端の農業科学技術とそれが普及した現地へのまなざしである。こうした過去への視点からしか、日本の科学技術のみならず、現在世界を覆うバイオ・テクノロジー産業が社会に及ぼした影響に対する内省は生まれない。」(p162)


■日本の稲の特徴によって表現された日本の優越性と挫折
個人的には、ある技術者の言葉が印象に残った。

永井威三郎という技術者の方で、永井荷風の弟らしい。東京帝国大学農科大学卒業後に留学し、帰ってきた後は農林省農事試験場技師となり育種学の研究を進める。その後、朝鮮総督府の農事試験場に赴任し、新品種の育成とその指導に携わる。

ただ、その名前は技術者としてというよりも文筆家として有名になったということ。戦時中に、「米と食糧」といった題名の本などをはじめおつぃて、食糧問題の一般向け啓蒙書を書いていた。


■日本稲は優れている=日本人は優れている
そういった本の中で、戦時中は、以下のように述べて「稲に日本人の優越感を託した」(p102)

「大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である。稲を作り米を食ふ民族が、麺麭〔パンのこと〕を食ひ、小麦を作る民族に決して劣らない、否彼の為し得ざる処を成し遂げることを事実に示す秋が到来した」(p100)

「大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である」(p100)

「日本刀は武士の魂です。その切れあぢ、その美しさ、その神々しさは、外国の剣とはくらべものになりません。
 それとよく似てゐるのは日本稲です。日本の稲や米は、その味、形、わらのよいこと、そのほか、外国のものに見ることのできぬ、すぐれた性質をもってゐるのです。」(p102)


■日本稲には欠点がある=日本人には欠点がある
ところが終戦後は…

「この日本稲の特徴は、日本人の性格にも類似が見出されるのではあるまいか。(中略)日本人は敏感である。もう少しあせらずに、自然のままにその特性の円熟を待ってゐたならば、もつと多くの実を結んだかも知れぬ。日本人が作り上げ得る文化の収穫も、日本人の「感光性」が「短日操作」によって促進させられて、遂に一頓挫を来したのでは無かつたらうか。」(p109-110)

というように述べている。同じ稲をとりあげて、戦時中はその特徴によって日本人が優れているということの説明に使っているのに、戦後は日本人が失敗した理由として挙げている。

マスコミもそうやけど、ホント、こういうのは言いようやよなー…こういった説明って今もよくされることが多いけど、流されずにそれはそれ、これはこれといった形で考えられるようにせないかんなーと思った一冊やった。

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