2012年11月30日金曜日

理念経営を目指す上でとるべきステップの参考になる「実践!ビジョナリーカンパニーへの教科書」

実践!ビジョナリーカンパニーへの教科書

理念を経営の根幹にすえた「ビジョナリーカンパニー」を築いていくための考え方やステップについてまとめた本。

有名なジム・コリンズの「ビジョナリー・カンパニー」に則っているという感じではなく、著者自身の考え方を説明した本。

考え方のベースになっているのは次の3つの言葉。
「経営とは他人を通じて事を成すことなり」
「相手を変えることはできない。しかし自分が変わることはできる」
「相手を変えることはできない。しかし変わろうとする相手を助けることはできる」
(p3)

組織で何かを成し遂げようとすると自分一人では限界がある。それを認識したうえでどうやって社員一人一人が自走する組織をつくれるか、そのために参考になる組織づくりの考え方をビジョナリーカンパニーという言葉に託して紹介している。

Amazonのレビューでの評価は低いけど、自分としては結構参考になるところや得るところが多かった。


■ビジョナリーカンパニーへの道
本書で言うところの「ビジョナリーカンパニー」とは
「明確な理念を持ち、理念中心の経営を行うことで継続的に成長している企業」
ということで、著者自身が再定義している。

この定義の中にもある、理念の重視と成長という2つの要素は、相反するようにみられることもあるけど実はそうではないというのが著者の主張。

その点にも関連して、本の冒頭で「ビジョナリーカンパニーとは何か?」という章を設け、ビジョナリーカンパニーについて解説するとともに、理念が業績を生み出すメカニズムについても説明している。

その上で、「ビジョナリーカンパニーへの道」と題し、次の4ステップを紹介。

  1. カリスマ経営からの脱却とリーダーの抜擢
  2. 対立から始めるチームビルディング
  3. 理念の策定と浸透
  4. 仕組みによる理念の封じ込め

厳密にこの4ステップに沿っていなくても、それぞれのステップの中で何がしか自社の参考になる点があるのではないかと思う。


■ビジョナリーカンパニーへの道をイメージしやすいキーワード選び
この著者の本に共通することやけど、言葉選びがうまい。例えば、以下のようなもの。

  • 追い越し禁止でパワーバランスを変える
  • 連結ピンの役割と翻訳を要望する
  • 矛盾の解消と創造を要望する
  • 前線から撤退し後方支援へ転換する

これはそれぞれどういう意味かというと…

追い越し禁止でパワーバランスを変える
「社長がルールブック」で社長がすべて判断や指示を下していた状況から、すべてリーダーを通じて間接的に伝えるようにすることで、パワーバランスを変える必要があるということ。

連結ピンの役割と翻訳を要望する
リーダーに対して、上と下をつなぐことを要望するということ。しかも、単に上が言ったことを下に押し付けたり、下から上がってきたものをそのまま上に投げるだけではなく、組織全体の観点から経営層の意図を翻訳して下に伝える役割を要望する。

矛盾の解消と創造を要望する
どちらをとるか難しい局面において、ORの発想ではなくANDの発想でどちらもとれる第三の案を頭を使ってひねり出すことを要求すること。これを通じて、人や組織のレベルを上げる。

前線から撤退し後方支援へ転換する
営業に同行したり、現場で細かな指示を与えているといつまでも部下が育たないので、徐々に現場から離れて部下が自分で考え動けるようにしていくこと。それで何をするかというと、前線にいる部下が働きやすいように支援する、環境や制度を整える(例:業務フローの標準化、採用、理念や人事制度の運用、商品開発・改善)。

その他にもたくさん分かりやすい言葉があった。言葉選びって大事やなーと改めて感じた。


■「パワーバランス」と「追い越し禁止」が「理念」への渇望を生む
ビジョナリーカンパニー構築のステップのところで特に参考になったのが、「「パワーバランス」と「追い越し禁止」が「理念」への渇望を生む」という言葉。

これはどういうことかというと、「追い越し禁止」を徹底すると、それまで社長に何でもかんでも判断を求めれば決まっていたことが、リーダーたちが自分自身での判断することが必要になってくる。

その時に、リーダーたちは、

「こういう場面ではどう判断すればいいのか?」
「社長はなぜこれまでこの方針をとって来たのだろう?」

といった疑問を持ち、「判断の軸」「意思決定の基準」が求めるようになる。
この「判断の軸」「意思決定の基準」がすなわち「理念」であるということ。

これに関連して、著者は「喉が渇いていない馬に水を飲ませることはできない」(p47)という言葉を紹介している。

判断基準が必要ない(=喉が渇いていない)状態で理念についてくどくど述べてもうまくいかない。しかし、追い越し禁止で自分から判断基準を求める(=喉が渇く)ようになると、強烈に求め始める。

著者は次のように述べている。

「リーダーや現場が「理念」を求めていないのにトップダウンで「理念」を押しつけても、彼らはそれを受け入れてはくれません。そうではなく、彼らに先に権限委譲を行う。トップ自身がカリスマ経営を卒業し、自立自走することをリーダーたちに求める。
 こうした「喉を渇かす」動きを先行させることで、「理念」に対する渇望を促し、その後に「理念」を定め経営の根幹に置く。このステップこそが重要なのです」(p47)

つまり、理念の浸透を一生懸命やることは大事だとしても、ステップとしては喉を渇かす=権限委譲をして判断を求めることを先にやることが重要。そうすると、理念が自然に求められ浸透していくという考え方。

全部が全部きれいにこういうふうにうまくいくわけやないとは思うけど、考え方としては参考になるなーと思った。

2012年11月28日水曜日

考え方と行動実践のコツを押さえやすい「リーダーのための7つのステップ49のコツ」

リーダーのための7つのステップ49のコツ

特にリーダーシップ、マネジメント、チーム、人材育成、生き方、働き方といったあたりのキーワードに関する本を書いている著者のちょうど10冊目の本。

これまでの本で、リーダーやマネージャー向けのノウハウを書いて来たものの、それぞれ内容が分散してしまっていた。それをこの本を書いた時点のものすべてを統合して書いたのが本書。

確かに、同じ著者の別の本を何冊か読んだことあるけど、内容的には重なっているところも少なくないけど、体系的に読むという観点ではいろんな話がこの本に集約されてまとまっている感じ。

著者自身も「現段階でのベストな入門書ができた」(p220)と述べている。また、仕事観や人としてのあり方について述べられている部分も多く、「ノウハウ書というよりは、生き方に通じる指南本である」(p220-221)と言っても良いと述べている。


■「ステップ」で考え方を学び、「コツ」で行動につなげられる
本の内容は、パートごとに読みやすい分量で項目が区切られていて、図表も活用されていて読みやすい。

また、それぞれの心構え的な「ステップ」が本編で述べられているけど、それに関連して具体的にどう行動に落とし込んでいけばよいか「コツ」が巻末にまとめられていて、行動や制度につなげやすい。

コツは49あるので全部をすぐにやるのは大変だし難しいとしても、49もあるので何がしかは参考になる可能性が高いと思う。また、コツの内容もそれぞれの考え方をどう実践していけば良いかがイメージしやすい構成になっているので、考えかただけではなく、具体的なアクションを考える際の参考にもなる。


■当たり前のことをやるかやらないか
「コツ」の部分で紹介されている手法は、そんなに目新しい方法でも奇抜な方法でもない。いわば当たり前のもの。でも、何が大事かというと、当たり前のことをやるかやらないか。

この点に関して、著者の次の言葉が印象に残った。

「私は社会に出て、20年以上経ってようやく気づいたことがあります。それは成功するかしないかの差は「誰も知らない秘密の方法」を知っているかどうかではなく、「誰もが知っている当たり前のこと」をやるかやらないかで決まる、というものです。
 私たちはえてして「当たり前のこと」を知ってはいるものの、実行していません。そうしておきながら、うまくいかない、何かよい方法はないか、などとウルトラCを探してばかりいるのです。
 そうではなく、誰もが知っている当たり前の小さなことを積み重ねる。政治や社会を動かせなくても、自分ができる小さなことを黙々とやり続ける。そういう人が、人から尊敬される大きな器のリーダーになるのだと思います」(p165)

これは頭の中に置いておきたい。思い返せば、大学卒業の時に研究室の先生から贈られた言葉も「当たり前のことを当たり前にやる」っていう言葉だったよなーというのを思い出した。


■リーダーシップとはテクニックではなく生き方
最後に、巻末で著者は、本書を通じて一貫するメッセージとして、以下をあげている。

「リーダーシップとはテクニックではなく、生き方そのものである」(p220)
別の言い方では、「How to Do」(どうするか)ではなく「How to Be」(人としてどうあるか)がすべてであると述べていて、次のようにも述べている。

「いくら上手に部下を褒めたとしても、そこに心がこもっていなければ、部下
 どんなにカッコイイ経営計画書をつくったとしても、そこにあなたの情熱がなければ、決して実現することはないでしょう。
 どんなに理路整然と部下の問題点を指摘したとしても、そこに相手への愛情がなければ、部下はそれを受け容れないでしょう」(p220-221)

生き方の話になってくると、一筋縄ではいかない。そうすると尻込みしそうになってしまうけど、著者も自分自身の失敗の経験を踏まえ応援のメッセージを送っている。

著者自身も同じ失敗を何度も繰り返し、後から「またやってしまった!」と気付きながら少しずつ「あり方が」変わっていったことを踏まえ、次のように述べている。

「それでいいのです。1回めよりも2回め、さらには3回めと、繰り返すたびに骨身に沌みて理解が進む。そして気づいた時には、あなたの「あり方」が変わっている。それでいいのです。
 その意味でも、1度読んだだけで終わらせずに、1年後、3年後にもう1度、目を通していただきたいと思います。きっと新たな発見があるはずです。なぜなら、「あり方」は一朝一夕には手に入らないから。時間がかかるものだからです」(p220-221)

どういう「あり方」を目指すべきなのかを考え、失敗したときに気づきにつながるのに参考になる一冊やった。また時間を改めて内容は読み直してみたい。

2012年11月27日火曜日

渋沢家三代:幕末から高度成長期までの約一世紀におよぶ日本の歴史が凝縮されている渋沢家の物語


渋沢家三代 (文春新書)

「日本資本主義の父」とも言われる渋沢栄一と、その子の篤二、孫の敬三とそれをとりまく人々の三代にわたる歴史を描いた本。

史料や取材をもとにしているので基本的に事実なんやけど、まるで物語のような話で小説を読むように読めた。

渋沢栄一の話はいろんなところで聞くものの、その子や孫の話は聞いたことなかったけど、それぞれに興味深い物語があった。

■渋沢家三代の歴史
著者は、三代の歴史を集約する言葉としてそれぞれの代を以下のように表現している。

  • 渋沢栄一…家父長制
  • 渋沢篤二…放蕩
  • 渋沢敬三…学問への没頭

そしてまた、この三代の歴史には、
「幕末から高度成長期までの約一世紀におよぶ日本の歴史が凝縮されている」(p277)
とも述べている。

確かに読み終わった後は一冊の歴史書を読み終わった後のような読後感がある。

渋沢栄一は江戸に産まれ、明治維新、第一次世界大戦から満州事変までの時代を生き、孫の敬三は戦後の高度経済成長期の始まりあたりまでを生きたので、著者の言うように、近代の歴史が凝縮されている感じがする。

そしてまた、著者は最後の方で以下のようにまとめている。

「渋沢家三代の歴史をあらためてふり返ると、その終焉は、日本がかつてもっていた伝統や、日本人の誇りそのものの終焉だったのではないかとの思いが深い。なぜなら、彼らほど心のなかにあざやかな印象を残して消えていった一族は、それ以後、絶えて久しく現われていないと思うからである。
 栄一は近代的企業の創設に命を燃やした。篤二は廃嫡すら覚悟して放蕩の世界に耽溺した。そして敬三は学問発展に尽瘁して、ついに家までつぶした。
 事業にしろ遊芸にしろ学問にしろ、自分の信ずる世界にこれほど真摯に投入していさざよく没落していった一族が、ほかにいただろうか。渋沢家三代のおおぶりな健全さとなにもかも心得たふところの深さは、日本人の精神からことごとく消えてしまった。
 渋沢一族が残した最大の遺産。それは、第一銀行や国立民族学博物館などの有形なものではなく、われわれが忘れてしまったみごとな日本人の、三代にわたる物語だったのではないだろうか。」(p277)

栄一が経済界に残した功績や、篤二の周りの人からの慕われぶり、敬三が民俗学に残した功績という表の「公」的な話だけでなく、後継者問題や親族とのやりとり、家をまとめるリーダーシップとか、言わば「私」の部分まで新書一冊でよくまとめたなーと思うけど、それぞれの真摯さには心を打たれる。

この本を読むと、上の著者の言葉の意味がよく分かった。

家の歴史という観点では、やはり栄一という偉大な人間の子孫が抱える難しさというところが印象に残った。


■篤二の悲哀
栄一は武士の気風を持って日本という国づくりに貢献していたけど、その子である篤二は重圧に苦しんだこともあってか放蕩する。

芸者と生きて家に寄りつかなくなってしまい、最終的には後継者としては廃嫡され、孫の敬三が当主を継ぐことになる。

著者は、E・H・エリクソンの言うところの「殺された自己」だけに生きざるを得なかったと述べ、次のような言葉をひいている。

「偉大な人物の長男の場合、事態はつねにこうである。つまり、息子が矯正したり、完成したりするものは何も残されていない。父親の生涯で悲しまれ、打ち捨てられた可能性として、それとわかるほどに残された部分を、息子が徹底的に生きようとしても、何も残されていない。残されたのはただ、その人の否定的同一性であるところの「殺された自己」だけである」(p146)

また、栄一発案の徳川慶喜公伝を作る会に参加したことが、篤二を悲劇にまきこむきっかけになったのではとも述べている。

徳川慶喜も激動の時代を生きたけど、後半生は隠居状態で写真や自転車、狩猟などの趣味に生きた。篤二も同じように趣味の世界に生きたので共感する部分があり、自分の人生の理念型をみたのではということ。

これは、単純に放蕩したダメ息子というイメージでは片づけられないと思う。篤二が子ども時代をふり返って残した以下の言葉は胸を打った…

「何分外部に大きな仕事が澤山あった父としては家の内に於ける父として、子供達と共に居ることは賓際出来なかったのでありますから、普通の父親のやうでなかったことは、私のみでない他の兄弟達も等しく思って居たのであらうと思ひます。だから私などは父の風邪を希望した、希望したと云っては可笑しいが、軽い風邪で家に引籠られることを望んだのでした。申すまでもなく重い風邪では困る。極く軽い起きて居て静養される程度を望んだのであります)」(p134-135)

家にいない父に家にいてほしいから風邪をひいてほしい、でも思い風邪だと困るから健康には支障ないくらいの軽い風邪だけど家で静養する必要があるくらいの風邪をひいてほしいという想い。本の中盤は篤二の話がメインやったけど切なかった…


■敬三の情熱とリーダーシップ
そして、篤二の廃嫡を受けて当主を継いだのが栄一の孫で篤二の子の敬三。

敬三は民俗学への強い情熱を持っているけど、親の篤二を見てきたこともあってか、家という集団をまとめていくためのバランス感覚をとっていた。

例えば、高校に行く時に本当は農科を志望していたが、栄一に頼まれて法科に変更し、銀行業務についてほしいとお願いされる。
このことについて、後にこう語っていたということ。

「あのときは悲しかったよ。悲しくて悲しくてしょうがなかった。命令されたり、動物学はいかんといわれたら僕も反発していたかもしれない。だけどおじいさんはただ頭を下げて頼むというんだ。七十すぎの老人で、しかもあれだけの仕事をした人に頼まれると、どうにもこうにも抵抗のしようがなかったよ」(p188)

そんなわけで法科にも進み、銀行勤めもやって日銀総裁、大蔵大臣を歴任した経済人として生きた。

しかし一方で、篤二と似たように学芸への世界の情熱も持っていた。敬三が情熱を注いだのは民俗学。

民俗学の発展に寄与し、柳田國男や折口信夫と並び称されているとのこと。「忘れられた日本人」を書いた宮本常一にも協力。これは知らんかったけどその情熱と功績はすごい。

著者も次のように述べている。

「もし彼の物心両面にわたる援助がなかったなら、民俗学者宮本常一は絶対に生まれていなかった。それどころか、日本の学問発展はかなりいびつなものになっただろう」(p13)

そしてまた、渋沢家という1つの家の当主として、家という一つの集団をリードする配慮がすごい。

例えば、昭和16年という戦時中に敬三の伯父が亡くなって墓が建てられた時の話。その2年前に、敬三の伯母である琴子が亡くなっていたけど、その墓石とみごとに一対をなしていた。

琴子の孫が驚いて聞いたところ、敬三は次のようにそっと打ち明けたとのこと。

「あれは君のお祖母さんの墓石を買ったとき、僕が買わせてある所に保管させておいたんだ。こういうことはデリケートで難しいもんでね。買ったことがわかると縁起でもないと怒る人もいるだろう。さりとて、いざ墓をつくる段になってうまい石が見つからず、お祖父さんの方が、お祖母さんのより極端に貧弱だとなると、文句のでることにもなりかねないんだ。だから、僕は誰にもいわず今日まで墓石を寝かして置いたんだよ」(p241)

うーん、この配慮はすごい。また、別のところで述べていた言葉で次のような言葉もある。

「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつける者も多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」(p238)

こういう人格がどういうところから来たのか、知人から「先生の人格は宗教によるものですか」と聞かれた時、敬三は次のように答えたということ。

「いいえ、そうではありません。親戚ですよ。親戚ほど嫌なものはありません」(p242)

思わず笑ってしまったけど、よくよく考えるとものすごい滋味のある言葉な気がしてきた。栄一もすごいんやけど、敬三もすごい。


■にこやかなる没落
渋沢家三代の物語の最後は「にこやかなる没落」という言葉で締めくくられる。

戦後、敬三は自分自身も対象となる財産税の実施を断行。自分自身も五千坪の豪邸を財産税のかわりに物納し、もともと執事が住んでいたうす暗い部屋に移り住んだ。

敬三が屋敷を物納すると聞いて、大蔵省の職員たちすらこぞって反対したけど、次のように答える。

「いや、僕は財産税というものを考え出して皆を苦しめた。その元凶がそんなことをするわけにはいかない。僕はまっ先に献納する」(p248)

そしてまた、次のような言葉ものこしている。

「ニコニコしながら没落していけばいい。いざとなったら元の深谷の百姓に戻ればいい」(p251)

この言葉のとおり、元の敷地内にあったテニスコートの芝生をはがして菜園をつくって野菜を育てる。

敬三が大蔵大臣を辞めた後、親族が訪ねていくと、

「地下足袋に尻っぱしょりした格好で畑から現れ、とれたばかりの野菜を阪谷にふるまった」(p251)

ということ。そうした敬三を見て、次のように感じたという話。

「これから日本中を旅して全国の篤農家たちを結びつける仕事をやるつもりだ、と晴れやかな表情で語る敬三をみて、阪谷は、戦後のドン底生活の時代に何か宝石でも見つけたような思いにかられた」(p251)


■葬儀の時に…
こうした生き方は、本を読むだけでも心に残ったけど、同時代の人にはさらにやったと思う。

敬三が亡くなった時、評論家の大宅壮一は「最後のエリートが死んでしまった」と言い、雨の中の葬儀には7千人が参列したとのこと。

栄一の葬儀にも1500台車列が並び、青山の斎場から墓がある谷中の寛永寺までの沿道には、学校の児童を含めて4万人以上の人が参列したとのこと。

確かに最近はこういうの無いよなー。よく自己啓発系の本でも、自分の葬式の時にどう言われたいか考えましょうっていう話があるけど、それを考えると栄一も敬三もすごい。そして篤二の人物像も魅力的だった。

最初にも引用したけど、著者の言葉。

「彼らほど心のなかにあざやかな印象を残して消えていった一族は、それ以後、絶えて久しく現われていないと思う」(p277)

本当にあざやかな印象を与えてくれる一冊やった。

2012年11月26日月曜日

社会セクターへの飛躍の法則の適用について述べられている「ビジョナリーカンパニー【特別編】」


ビジョナリーカンパニー【特別編】

「ビジョナリー・カンパニー2―飛躍の法則」の改訂版で補論として出すことも検討されていた内容が別冊になったもの。これだけのために同じ本を買い直してもらうのは…という著者の配慮で別冊で出したということ。

どういう意図で書かれているかというと、「ビジョナリー・カンパニー2」自体は企業に関する内容がメインやったけど、その読者の30-50%は企業以外(具体的には教育、医療、宗教、福祉、非営利団体、警察、政府機関、軍の関係者)の人やったので、そういった社会セクターでこの法則が適用できるかどうかを検討したもの。

検討の結果、この飛躍の法則は企業だけでなく他のところにも適用できる。しかも、著者が予想していた以上にうまく適用できることが分かったということ。一方、企業の場合との違いもある。

具体的な違いとしては、飛躍の法則で扱われたものと対応させて以下のような点があげられている。
  1. 「偉大さ」の定義 - 経営指標が使えないなかで、偉大さを判断する
  2. 第五水準のリーダーシップ ー 分散型組織構造で成功を収める
  3. 最初に人を選ぶ - 社会セクターの制約のなかで適切な人をバスに乗せる
  4. 針鼠の概念 - 利益動機のないなかで、経済的原動力を見直す
  5. 弾み車を回す - ブランドを構築して勢いをつける
(p13)

例えば、企業であれば財務状況や株式の実績等で指標化できるが、企業以外の社会的セクターの場合、経営指標は必ずしも当てはまらない。また、数量的な指標を設定するのも難しい場合がある。

じゃあどうやって考えれば良いかというと、数量的な指標は必ずしも重要ではない。量的、質的な事実をしっかりと集めて成果を確認していけるようにして、より偉大な方向に進めているかどうかを把握できるようにしていけば良いという考えが示されている。

同じように、「最初に人を選ぶ」という観点では、企業に比べて人を入れ替えたりしづらいのでより注意が必要とか、「弾み車を回す」という観点では、社会的セクターの弾み車になるのはブランドであるといったことも述べられている。

その中で、特に印象に残ったのがリーダシップの話。

企業セクターと社会セクターではリーダーシップの発揮の仕方に違いがあり、企業経営者が社会セクターに移った際に失敗する場合があると述べられている。

例えば大学の学部長に転身した企業経営者が経営手法を駆使したが教授達に反発された例等が紹介されている。

そして、リーダーシップについては企業に模範を求められることが多いが、実は、企業セクターより社会セクターの方がリーダーシップの模範となるのではないかと述べられている。

「社会セクターの組織は企業セクターにリーダーシップの模範を求め、人材を求めるようになっているが、実際には社会セクターの方が企業セクターより、リーダーシップの模範例が多いのではないかと思えるのである」(p35)

これはどういうことかと言うと、
「リーダーシップの実践は力の行使と同じではない」(p35)
ということが理由として挙げられている。

力で脅したり、力を背景にして本人の意志に反して行動をとらせてもそれはリーダーシップの発揮とは言えないと。

逆に、自発的に行動を引き出すことが重要であり、それは経済的な動機付けが適用しづらい。また、社会セクターは分権型の組織で中央集権的に進めづらく合意を得ながら進める必要があることも多いため、学べる部分が多いのではないかということ。

このあたりの視点は面白いなーと思ったと同時に、飛躍の法則の復習にもなった一冊やった。

2012年11月25日日曜日

「日本電産 永守イズムの挑戦」に学ぶ当たり前のことを当たり前にやることの重要性

日本電産 永守イズムの挑戦 (日経ビジネス人文庫)

M&Aをした相手先企業の事業を再生しながら成長を続けている日本電産についての本。

日経系の新聞に掲載された記事を参考にしつつ、著者の取材メモや各種資料、取材のインタビュー等の情報をもとに書き下ろしている。

第1部では、三協精機という会社のM&Aの過程をドキュメントタッチで書いていて、テレビのドキュメント番組とか映画を見ているような感じ。

日本電産が資本参加して1年半で営業利益、経常利益、純利益も過去最高を更新したその過程を結構詳しく追っている。当事者にその時々の話をインタビューしていてケーススタディーとしても参考になる。

第2部は「永守イズムの源流」として、日本電産創立者の永守さんの半生の概要を紹介し、お母さんの子育てのポリシーなども紹介していてそれも面白い。

第3部は「永守流経営のエキス」と題して経営の特徴等について紹介していて、個人的にはこの章が一番おもしろかった。

第4部は「素顔の永守重信」というタイトルのインタビュー。


■日本電産の特徴
日本電産という会社の特徴については、著者がまえがきで次のように要約している。

「日本電産という会社はハードワークで有名な会社であり、ハードワークについていけない人たちは脱落していく。「怠け者は去れ」「良貨は悪貨を駆逐する」という強烈な会社である。しかし、一生懸命働いた人は報われる仕組みがあるし、二〇一〇年には業界トップの給与水準にするとも明言している。果敢な挑戦の過程での失敗は、成功への糧として、復活できる風土もあるし、事実、日本電産の経営陣のなかには過去に何度となく失敗した人がいくらでもいる」(p6)

また、永守さんが昔から言っているという言葉も紹介している。

「一人の天才よりも百人の協調できるガンバリズムを持った凡才によって会社は支えられなければならない」(p6)


■当たり前のことを当たり前にやる
この言葉にも象徴されているけど、再建の過程でも出てくる話は、当たり前のことをいかにきっちり当たり前にやり遂げるかということ。

それは以下のような言葉にもあらわれている。

「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」(p145)

「誰でもできる簡単なことで差をつける」(p164)

「目の前に落ちている小さな部品を見つけてサッと拾おうとするか、見過ごしてしまうか、はたまた安い部品だからと踏みつけてしまうか。ちょっとした違いが各人の仕事の成果を、さらにいうならば、組織の明暗を大きく分けることになる」(p333)


■中途半端はいけない
また、永守さんが三協精機に着任した時の訓示のメッセージが印象に残った。

「私は一人の天才を求めていません。一人の百歩よりも百人の一歩というのが私の経営の方針です。みんなの力を結集してこの会社をいい会社に変えていくというのが経営手法です。一番の問題は中途半端です。やるでもなし、辞めるでもなし。これは一番いけません。やるならきっちりやる、やらないなら辞める。『わしはほかの会社からスカウトが来ているんや。三協精機より三割いい給料出す』。そんなにいいところがあるんだったらぜひ行ってください。中途半端はいけない。残るなら、徹底的にやってもらう。いやなら辞める。しかし、どうもよくわからんと、(そういう姿勢で)会社にいるんだったら、今申し上げたように一年間だけだまされたつもりで行動していただきたい。再建は時間をかければ疲れます。私も疲れますし皆さんも疲れます。短期でやりたい。一年が勝負です。やるからには全力を挙げてやる。私も全力でやります。皆さんも真剣にやってほしい。もたもたしているともう時間がありません。実行するのみです。それを、高い壇上でありますが、お願いしておきます」(p95)

ホント、中途半端だと会社にとっても本人にとっても良いことないよなー。腹をくくってしっかりやることをやるか、そうでなければ環境なり仕事なり変えていかないかんよなー…


■能力差は五倍、意識は百倍の差がある
人の採用についてもかなりユニークなエピソードがある。例えば、奥さんのお父さん(義父)の方から、戦争の時には学校の成績は関係ない、活躍したのは、早飯、早便、早風呂の奴だったという話を聞いて、「早飯試験」を実施。

弁当付きの入社試験と銘打って人を集め、パサパサのご飯とかスルメとか日干しの魚とか食べにくい食材の弁当をわざわざ作ってもらい、「十五分以内に食べられた学生を採用する」と決めて試験。

そして、この手口は一度使ったらもうバレてしまって使えないので、翌年以降は便所掃除試験、試験会場先着順、大声試験、留年組専門採用試験などをやったということ(笑)

何でこんなことをやっているかというと、「成績以外の何か」を重視しているから。学校の試験ができる人間よりも、別の何か、人間としての総合力や感性、特に意欲を重視している。

これと関連して、人の能力に関して次のような言葉も紹介されていて印象に残った。

「私の考え方では、人間の能力の差は五倍しかない。人間の知能とか経験とか知識なんてものは、そこそこの会社の社員であれば五倍もないのです。普通は二倍から三倍ですわ。頭がええとかね、そんなことはもう大して差がない。しかし、社員の意識といいますか、やる気、『それやろう』とか、『今日は絶対売るぞ』とか、『絶対に悪い品物出さんぞ』とか、そういう意識は百倍の差がある。実際は百倍以上ですな、おそらく。千倍ぐらいあるかもしれません。したがって頭のいい人を採るよりも、意識の高い人を採ったほうがうんと会社が良くなります」(p298)

ZOHOでもちょっと通じるような発想で採用しているのでこのあたりは興味深かった。



他にもいろいろと面白い点や参考になる点が詰まっていて一気に読んだ。仕事や会社について考える際に、しっかりやっていきたいと思うのであれば一度読んでおくと良い一冊やないかなーと思った。

2012年11月24日土曜日

「承認欲求」を得るための知恵としての「京都モデル」「農村モデル」


承認欲求―「認められたい」をどう活かすか?

日本人が承認について抱いている期待や願望について説明し、そこを踏まえた上で認められるためにはどう考えて行動していけば良いかということについて述べた本。

特に、日本の会社においてはなかなか承認される機会がないので、社員が積極的に承認される職場づくりをどう進めていけばよいか提言。


■日本や日本人についての承認に対する逆説
まず最初に、逆説的に次のようなポイントを述べている。

  • 日本人はみんな認められることを強く望んでいる
    ←認められたいと思っていても口に出さない(出せない)
  • 出る杭を打つ社会だから、逆に認められやすい

著者は、経済学などで、人間は「経済人」として規定されるけど、「承認人」というべきではないかという仮説を述べている。

お金や自己実現よりも承認を求めているのではないかという話。そして、日本人はとりわけそれが強いのではないかと述べている。

「日本人、とりわけ組織の中で働く人の多くは「経済人」や「自己実現人」の仮面をかぶっていても、じつは他人からの承認を求め、承認欲求に強く動機づけられていることがわかる。日本人こそ、世界でも指折りの「承認人」なのである」(p27)

日本人が特に強い理由っていうのがイマイチ分からんけど、確かにでも経済人仮説っていうものだけでは説明できんことはいっぱいあると思う。


■表の承認と裏の承認
著者が掲げるもう1つのキーワードとして、表の承認と裏の承認というものがある。

「日本の組織や社会の特徴として、人々の能力や業績を称讃するへ表の承認)より、和や序列を大切にし、ミスをしないことをよしとするへ裏の承認)が優先される」(p14)

そして、この裏の承認のモードから表の承認のモードに切り替えていくべきだと述べている。具体的には以下のような施策を提案している。

表モードに切り替えるための施策


  • 個人を表に出す文化の創造
     個人の業績と名前を表に出すこと
     仕事ぶりや仕事のプロセスの公開
     認め合い、はめ合う文化を育てること
  • 失敗を責めない文化の創造
  • 自己決定する文化の創造

(p133)

このあたりはよく言われる話やと思うけど、次の「京都モデル」「農村モデル」という話は一つの見方として面白かった。



■「京都モデル」「農村モデル」
承認を得るためにどうしていけばよいかということを考えるのに参考になるのが「京都モデル」「農村モデル」という仮説。

京都からは、今や大企業となったベンチャー企業が数多く生まれていたり、有名や芸術家や学者なども育っている。

これはどういうことかというと、保守的だからこそ異端が出やすい。保守的な風土で既存の序列が重視されるから、新しい企業は既存の企業と異なる領域に進出する=「棲み分け」をするという主張。

もう1つは「庶民的個人主義」というキーワードも挙げている。これは、自分の利害に直接関係することは強く干渉するが、利害に関係ないことはあまり関与しないという話。

これによって、「出すぎた杭は引き抜かれる」(p192)。杭が出るまではある程度引っ張られてしまうけど、直接利害と関与しない方向で突き抜けてしまうと逆に追い風が吹くという話。

また、農村から総理大臣などの大物が生まれてくるのも似たようなメカニズムによるという話。


■承認されるための戦略
以上のようなことを踏まえつつ、こうした風土の中で承認されるためにはどういうことをやっていけば良いかもまとめている。

承認されるための戦略①-農村モデル

  • 大義を掲げる
  • 周囲の人に個人的利益をもたらす
  • 横や斜めから支援を得る
  • 「出る杭」待望論に乗る

(p207)

承認されるための戦略②-京都モデル

  • 人格的序列を崩さない
  • 他人との競合を避ける
  • 目的、ルート、場所、売り、時間幅をずらす
  • 一点突破を図る
  • パートナーを獲得する
  • 組織の力を借りる
  • 対抗勢力をめざす

(p225)

和を重んじる日本の風土自体がめんどくさいところもあると思うけど、物事はなんでも良し悪しあるし、その中でうまくやっていくための知恵として参考になるポイントがあるなーと思った一冊やった。


2012年11月23日金曜日

「もっといい会社、もっといい人生」という発想を超えていくために


もっといい会社、もっといい人生―新しい資本主義社会のかたち 

著者のチャールズ・ハンディという方はヨーロッパを代表する経営思想家で、イギリスのピーター・ドラッカーとも呼ばれているらしい。その著者が、資本主義や仕事、人生について語った本。

■もっといい会社、もっといい人生を超えて
この本は、タイトルだけを見ると「もっといい会社、もっといい人生」を求めていこうとする人向けの内容に見えるけど、むしろ逆で、「もっといい会社、もっといい人生」にとらわれないで充足できる人生を過ごそうというメッセージ。

原題は
「The Hungry Spirit: Beyond Capitalism - A Quest for Purpose in the Modern World」

直訳すると
「飢える精神:資本主義を超えて - 現代世界における目的を求めて」
という感じなので、どちらかと言うと、「もっといい会社、もっといい人生を超えて」っていう感じの内容。


■新しい資本主義社会のかたち
テーマとしては、資本主義、会社や仕事、人生といったところ。経営思想っていうよりは、自己啓発的な感じ。

「本書の論点は、私たちは心のなかでは自分を超える、もっと大きな目的を見つけたいと思っているということ」(p15)らしい。

訳者あとがきでも、
「幸せってなんだろう」
「自分の会社人生はいったい何なんだろう」
「経済的繁栄ってなんだろう」
といった問いに答えてくれる本だと書かれている。

同じく、訳者あとがきでの要約が内容をよくあらわしている。

「個人としての幸せと会社人としての成功はえてして両立しないと考えられがちだ。また、社会の発展と企業の成功は無関係で、企業はただ競争に勝てばいいという風潮が蔓延している。だが、ハンディは個人と企業と社会の成功はすべて結びついており、その要点は自己主張と責任感のバランスだとする。この延長線上に「新しい資本主義社会のかたち」はあるのだ」(p271-272)

こんな感じなので、日本人にはなじみやすいということ。自分は読んでいて、そんなに目新しい話はなくて、むしろ、そうやよなーっていう内容が多かったけど、それは、元々日本人的な発想に近いのかもしらん。本の内容でも結構日本について言及されている。

しかし、日本礼賛というわけではなく、日本で遅れている部分はあって、そのあたりをバランスよく取り入れていくのがいいという感じ。

要するに、お金だけじゃダメだよねーっていう感じの内容で、別に反対するような内容ではないけど、それをカバーするのに個人の責任感とかそこに委ねてる感じなので、果たしてそれだけでいいのかなーっていうのは若干疑問が残る。


■人生の成功
ただ、人生の成功の定義についていろいろ参考になる言葉や例が紹介されている。
このへんの言葉とかは結構いいなーと思った。

「禿げていようと、老いていようと、太っていようと、貧しかろうと、成功していようと、苦労していようと、何も弁解したり否定する必要はなく、あるがままの自分を受け入れられるときが来るだろう。」(p101)

「よく大笑いができ、知的な人々の尊敬と子供の愛情を得て、真面目な批評家の評価を獲得し、不実な友人たちの裏切りに耐え、美を鑑賞でき、他人の最良の点を見出し、世界に健康な子供や庭いじりや社会条件の向上といった形でいささかの改善を残し、あなたが生きていたお陰でたとえ一人でも息をつくのが楽になったと知る。こうしたことが、つまり成功ということだ」(p117)
―十九世紀米国の思想家ラルフ・ウォルド・エマーソンの成功の定義


■「所有する」という概念
あと、「所有する」ということについて考えさせられる例がいくつか紹介されていた。

1つは、南太平洋上のノーフォーク島という小さな島での滞在で感じたことの話。

この島の人口は1500人くらいで、ほとんど自給自足で暮らしている。小さな島なので車もほとんど必要ない。みんな知り合いだったり親戚だったりするので、社会的地位もあんまり意味が無いし、生活できるのに十分な仕事しかしない。

「温暖な気候で快晴の日が多く海岸は美しい。「稼ぐ」「所有する」「活動する」といったことさえも問題ではなく、ただ「生きる」ことだけが大切なのだ」(p126)

もちろん、著者自身も「そうした土地でずっと生活することを考えると、正直言って、大変な戸惑いを感ずる」(p126)って言ってて、単純にこういう生活が良いとは言えんとこはあるけど、人生の中で立ち止まって考える際にはいいかも。

もう1つ紹介している例が、スコットランド人の大地主の人が、アフリカ人の友人を自分のところに泊めた際の会話。

その地主の人が、

「さあ、もう私の所有地だ。見渡すかぎり、私の所有している土地だ」(p168)

と言ったところ、アフリカ人の友人は当惑して次のように言ったとのこと。

「僕にはわからないね。どうやって山を所有することができるのかね。山は大地に属しているし、大地の上にいま生活している人々と将来生きる人々のものだろう。君が言いたいのは、一種の管理人として、しばらくその世話をしているという意味だろう」(p168)

確かにこういう見方もあるよなーと。まったく所有しないで生きていくのはそれはそれで大変やけど、所有するということにとらわれすぎてもなーということを感じさせてくれる例やった。

そんな感じのトーンの話がつらつらと続くので、そんなにわくわくするという感じではないけど、今の社会とか経済のあり方とか、自分の人生とか会社とか仕事とかについて考える際に、1つの考え方としては参考になる本やないかなーと思った。

2012年11月22日木曜日

「現代語訳 論語と算盤」を読むと「論語」をビジネス書としても読める気がする


現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

「日本資本主義の父」「実業界の父」とも言われる渋沢栄一の「論語と算盤」のうち、重要部分を現代語訳したもの。

翻訳した守屋さんは、「「噛み砕いて訳しすぎ」「超訳になりすぎ」といった批判であれば(中略)甘んじて受けたい」(p11)と言っているくらい、分かりやすさが重視された訳になっているのでかなり読みやすい。

また、元々の文章も講演の資料だったらしいのもあってか、話を聞くように読める。結構いろんな話があちこちに飛んでいるけど、それはそれでおじいさんの話を聞くようで面白い。しかし西郷隆盛に意見したとか普通に出てくるのがスゴイ。


■「論語と算盤」の現代的意義
内容についてはタイトルだけ見ると、今さら論語と算盤?という感じがしないでもないけど、守屋さんの言葉を読むと現代にも大きな意味があると感じさせられる。

守屋さんは、渋沢栄一が資本主義の問題点を見ぬいていて、その対抗策として「論語」を重要視していたと述べている。

「今から百年以上前に、「資本主義」や「実業」が内包していた問題点を見ぬき、その中和剤をシステムのなかに折り込もうとした」(p8)

資本主義経済は、さまざまな面で発展をもたらした一方、バブルや金融危機のように暴走してしまう可能性がある。その時に、暴走に歯止めをかける仕組みとしての「論語」が想定されている。

「わたしが常に希望しているのは、
「物事を進展させたい」
「モノの豊かさを実現したい」
 という欲望を、まず人は心に抱き続ける一方で、その欲望を実践に移していくために道理を持って欲しいということなのだ。その道理とは、社会の基本的な道徳をバランスよく推し進めていくことに他ならない。道徳と欲望とがぴったりくっついていないと、前にも述べた、中国が衰えたような成り行きになりかねない。また、欲望がいかに洗練されようと、道理に背いてしまえば、「人から欲しいものを奪い取らないと満足できなくなる」という不幸をいつまでも招いてしまうものなのだ。」(p89-90)

このあたりの話は、今の話として読んでも違和感ない。「明治維新以来」を「第二次世界大戦後以来」と置き換えてもそのまま通じる気がする。

「明治維新以来、物質的な文明が急激な発展をしたのに対して、道徳の進歩はそれに追いついてはこなかった。」
「社会正義のための道徳を身につけるように心を用い、物質的な進歩に匹敵するレベルまで向上するのが目下の急務には違いない」(p174)

利益至上主義がある一方、企業の社会的責任といった話もあって、いろんな価値観が錯綜する中で、渋沢栄一を通して論語を学ぶ意義について、守屋さんは次のように述べている。

「われわれ日本人が「渋沢栄一」という原点に帰ることは、今、大きな意味があると筆者は信じている」(p10)


■論語はもっと身近なもの
本書では、「論語」には「人はどう生きるべきか」「どのように振舞うのが人として格好よいのか」といった内容が書かれており、基本的な教科書になると述べられている。

渋沢栄一も次のように述べている。

「『論語』は決してむずかしい学問上の理論ではないし、むずかしいものを読む学者でなければわからない、というものでもない。『論語』の教えは広く世間に効き目があり、もともとわかりやすいものなのだ。それなのに、学者がむずかしくしてしまい、農民や職人、商人などが関わるべきではないし、商人や農民は『論語』を手にすべきではない、というようにしてしまった。これは大いなる間違いである」(p24)

「孔子の教えは、実用的で卑近な教えなのだ」(p25)

以前、漢文書き下しで「論語」を読んだことがあったけど、その時は全体的に「ふーん」という感じでしかなかった。

けど、この本を読むと、渋沢栄一の解釈が共感しやすいからか、翻訳が分かりやすいこともあってか、もっと入りやすかった。リーダーシップや人材育成についての話もたくさんあり、ビジネス書としても普通に読める感じがする。


■成功と失敗は自分の身体に残ったカス
考え方の面で面白いなと思ったのが、成功と失敗は自分の身体に残ったカスというところ。

「人は、人としてなすべきことを基準として、自分の人生の道筋を決めていかなければならない。だから、失敗とか成功とかいったものは問題外なのだ。かりに悪運に助けられて成功した人がいようが、善人なのに運が悪くて失敗した人がいようが、それを見て失望したり、悲観したりしなくてもいいのではないかと思う。成功や失敗というのは、結局、心をこめて努力した人の身体に残るカスのようなものなのだ。
 現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは物事の本質をイノチとせず、カスのような金銭や財宝を魂としてしまっている。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない」(p218)

「成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである」(p220)


■自分で箸をとれ
もう1つ面白いなと思ったのが「自分で箸を取らなければダメなのだ」という表現。立場上いろんな人から頼みごとをされていたとのことやけど、何かやってもらいたいという姿勢の人に対する苦言。

このへんは、上司が部下に感じることとして読んでも同じようなことが言える気がする。

「人材登用のお膳立てをして、われわれは待っているのだが、この用意を食べるかどうかは箸を取る人の気持ち次第でしかない。ご馳走の献立をつくったうえに、それを口に運んでやるほど先輩や世の中はヒマではないのだ。かの木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、賤しい身分から身を起こして、関白という大きなご馳走を食べた。けれども彼は、主人の織田信長に養ってもらったのではない。自分で箸を取って食べたのである。「何かひとつ仕事をしてやろう」とする者は、自分で箸を取らなければダメなのだ。」(p48)

「誰が仕事を与えるにしても、経験の少ない若い人に、初めから重要な仕事を与えるものではない。藤吉郎のような大人物であっても、初めて信長に仕えたときは、草履取りというつまらない仕事をさせられた。」(p48)

「受け付けや帳簿つけといった与えられた仕事を、そのときの全生命をかけてまじめにやれない者は、いわゆる手柄を立てて立身出世の運を開くことができないのだ。」(p50-51)

まずは目の前のことをしっかりやろうぜっていう話か。このへんの話とか、今にも通じる話が結構たくさんある。

その分進歩してないのかーっていう気にもなるけど(^^;)、逆に、課題は今も昔も同じなんやなーという励まされる気にもなる一冊やった。

しかし、渋沢栄一はノーベル平和賞の候補にもなってたらしい。知らんかったー。もっといろいろ読んでみようかな。

2012年11月21日水曜日

「スティーブ・ジョブズ 神の交渉力」は真似できんけどその執念のすごさは分かる


スティーブ・ジョブズ 神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! 

■交渉術は学べないけど…
「交渉力」というタイトルはついてるけど、交渉術が学べる本ではない。あくまでもスティーブ・ジョブズがやってきた内容がベース。

そしてそれは真似できるかっていうと簡単に真似できそうにはないし、そもそも真似して良いことなさそう。ちょっと超越してる感じ。

「神の交渉力」と書いてあるのはそういう意味合いも込められてるのかもしらんなー。


■ビジネスへの執念を象徴するエピソード集
そして、内容としては、スティーブ・ジョブズの栄光も挫折も両方含めてエピソードを紹介しつつ、どのように事業を進めてきたかを描いている。

どっちかっていうと伝記に近い感じがする。正式な伝記は日本語版だと上下巻で結構重いので、手軽に読みたい場合には良いかも。

著者もまえがきで次のように述べている。

「本書はジョブズの成功だけでなく、挫折もふくめた強烈な生きざまにスポットを当てる。そして、ビジネスへの執念を、交渉力という切り口から解明する」(p5)

しかしホントいろんなエピソードで語られる、執念というか、徹底ぶりというか、情熱はすごい。


■章立て
本自体の章立てはこんな感じ。

  1. 「言い方」は「言い分」より交渉を支配する
  2. 弱い味方は潜在的な敵方である
  3. 妥当な案より「不当な案」であ交渉を動かせ
  4. 最善の説得術は棍棒でたたくことだ
  5. 楽観は考えなしだが、悲観は能なしだ
  6. 失敗と思わなければ決定的失敗ではない
  7. 「待ち」は価値の重要な一部をなす

うーん、これを見てもやっぱりあんまり真似はできないなー。でもスティーブ・ジョブズという強烈な個性がどういう軌跡をたどってきたかっていうところは興味深く読める。

あと、章の合間に著者が適宜他の人のエピソードを紹介していて、それも結構参考になった。例えば、次の箇所。


■「自分のやり方」でなく「最高のやり方」を選べ
「本田宗一郎氏が「独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる」と言っている。
 大衆は創意を持たない批評家だ。企業は、作家でなければならない。自分で発想せず、大衆への市場調査に発想を求めたら、企業は作家ではなくなる。
 大衆が絶賛する商品とは、大衆がまったく気づかなかった楽しみを提供する独創的なものだ。市場調査に頼って商品開発を進めると、「ちょっといいもの」で終わる。大衆が手にしてはじめて「あっ! これがほしかったんだ」と気づくような「どこにもないもの」は、市場調査からは決して生まれない。目の前に見える需要を追うのではなく、「自分たちが需要をつくる」ことが、これから、より強く求められている。」(p142)

このへんはヒントになるかもなー。

2012年11月20日火曜日

「虐殺器官」っていうタイトルがエグそうで手をつけてなかったけど読んでみたらかなり良かった

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

いろんなところで推薦されてる本で、帯の文章でも推しまくられとる。
「ゼロ年代最高のフィクション」
って書いてあるし、有名作家もベタ褒め。

宮部みゆきさんに
「私には、3回生まれ変わってもこんなにすごいものは書けない」

伊坂幸太郎さんに
「ナイーブな語り口で、未来の恐ろしい「世界の仕組み」を描くこの作品は、アクションもあれば、ユーモアもあって、つまりは小説としてとてつもなく格好良くて、夢中になりました。夢中になり、嫉妬して、ファンになりました」

と言わしめている。

そんななんで、本屋でも平積みになったりしてたからずっと気にはなってたんやけど、「現代における罪と罰」っていう暗そうなキャッチと、「虐殺器官」っていうタイトル、そして黒い装丁から、なんかエグそうやなーと思ってなかなか手にとってなかった。

そんで、たまたま古本で安く売ってたので買ってみたけど、やっぱり中々読む気がしなくて積ん読だったのをようやく読んだ。読み始めたら、会社の行き帰りの電車の中でも、駅から会社までの道でも、夕飯食べてる時でもずっと読んでて、普段寝る時間を超えて夜も読んで一気に読み終えた。

書き出しや描写はやっぱ予想通りエグかったし、テーマはすごく重いんやけど、それでもひきつけられて読んでしまう。さまざまなテーマ、しかも重いテーマを扱いつつ、ユーモアやアクションがあり、ミステリーやサスペンス的な要素もあり、ラブっぽいところもあり、エンターテイメントとしても楽しめて、帯に書いてある文章も納得やった。

フィクションはフィクションなんやろうけど、今後こういうふうになり得るやろうなっていう世界が描写されていて、そこに、今現在世界で問題になっていることがからめて書かれている。

SFってどういうものかってあんまり考えたことなかったけど、解説の言葉を読んでなるほどと思った。

「近未来に託して現在の問題を描くのはSFの得意技だが、たしかにそれをここまでテクニカルかつ繊細にやってのけた日本SFは珍しい」(p403)

自分は日本SF自体をあんまり読まんから珍しいかどうかは分からんけど、ちょっと海外の小説っぽい感じもあった。主要な登場人物に日本人がいなくて舞台がアメリカやヨーロッパがメインだからとかそのへんもあるかもしらんけど、テーマが普遍的なのもあるかも。

「『虐殺器官』の世界では、テロ、新自由主義経済、グローバリズム、民間軍事会社、環境破壊、貧困など、いま、ここにある問題が恐ろしく冷徹に分析される」(p403)

印象に残ったキーワードの一つがことばについて。ことばは進化の産物にすぎないという話が、主人公と登場人物の間で語られる。

「ことばは、純粋に生存適応の産物だ、ということですね」
「ほかの器官がいまそうあるのと変わらないような、ね」
(中略)
「だとしたら、生物が進化すると必然的にことばを持つとか思うのは、人間の思い上がりということになるんですね」
「カラスが築いた文明があったとして、進化した生物はすべからく鋭いくちばしを持つ、というようなものね」
(p125-126)

そして、主人公が次のように独白。

「ぼくがぼくを認識すること。ぼくが「他人」と話すためにことばを用いる事。それは進化の過程で必然的にもたらされた器官にすぎない。ぼくの肉体の一部である、自我という器官、言語という器官に。」(p125)

「ことばも、ぼくという存在も、生存と適応から生まれた『器官』にすぎない。鳥の羽と同じような。
 しかし、とぼくは思う。言語が人間の思考を規定しない、というのはわかる。とはいえ、言語が進化の適応によって発生した『器官』にすぎないとしても、自分自身の『器官』によって滅びた生物もいるじゃないか。
 長い牙によって滅びた、サーベルタイガーのように。」(p126)

このあたりはタイトルにもある「器官」っていうことばがからめられているけど、作者的にも想いを込めたテーマなのかもなーと思った。

あと、もう一つ印象に残ったのが情報の話。近未来でいろんな情報がトレースされていて、その気になればいろんな情報を得られる世界が舞台。でも、その中で結局見るのは自分が関心があるものだけなので見えるものはそんなに変わっていない。

物語の中では、
「人間は見たいものしか見ない」
という言葉が繰り返し語られている。

特に、ある登場人物が語った次の言葉が心に残った。

「人間は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。文明は……両親は、もろく、壊れやすいものだ。文明は概してより他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだじゅうぶんじゃない。本気で、世界中の悲惨をなくそうと決意するほどには」(p371)

自分がこの本をなかなか手にとらなかったのも「見たいものしか見ない」からやよなーと思って、この言葉は刺さった。そういう意味では手に取って読んでみて良かったと思えるし、心に残っていく一冊やろうなーと思った。

2012年11月19日月曜日

「幕末維新に学ぶ現在」に、にじみ出る著者の日本史愛と脱藩大名の話


幕末維新に学ぶ現在

元々は産経新聞の連載記事が本になったもの。
自分は3から2へと逆に読んできて、これで最後。

ちなみに2巻と3巻の感想はこちら↓
「幕末維新に学ぶ現在」からの現在の政治家への愛のあるメッセージ
「幕末維新に学ぶ現在」から歴史の学び方・活かし方を学ぶ



■イスラムの専門家が日本史を語る理由
著者はイスラムの専門家なんやけど、日本史に関する文章を書くっていうのは、専門外のことなので一見不思議に見える。

そのあたりも踏まえ、最初の巻ということもあってか、この本の元となる文章を書いた動機について次のように語られている。

「私の専門とする十九世紀やに十世紀の中東やイスラームの歴史や政治を説明する場合にも、日本人の学者が日本に関わる要素を排除して論じることは不可能だということに尽きる」(p227)

「勤務先の東京大学教養学部の前期課程でリベラル・アーツの教育に携わる者として日本史の流れを無視した世界史の構造を教えることは思いもよらない」(p227)

これを読んで納得。世界史全体のことを考える際に、イスラムだけ、日本だけという物の見方だけではきちんと論じることができないという意識からのよう。

本の構成は、1章で1人ずつ幕末維新期の人物を紹介していく形式。
どの人物紹介も著者の想いが1つ1つこもっていて面白い。

上のような世界史の全体像話はあるとしても、えらい詳しいなーと思ったら、あとがきにこう書いてあった。

「何よりも私は幕末維新に限らず江戸時代の歴史を読むことが好き」(p229)

「江戸の切絵図を広げて大名や旗本の武鑑と突き合わせながら屋敷や禄高などを眺めて時間をすごせば、休日の長い一日もすぐ暮れてしまうといった塩梅」(p229)

専門のイスラムの歴史を読む時も、エジプトの近代化の指導者ムハンマド・アリーを島津斉彬となぞらえたり、タンジマート(オスマン帝国の改革)を集成館事業となぞらえてみたりしながら読んでいるとのこと。

ああ、何よりも単純に好きなんやなーっていうのがよく伝わってくる。3巻とも通じてやけど、「龍馬伝」とか大河ドラマを参照したりしていて、そのあたりでも好きな感じが伝わってきた。そのへんの愛を感じるシリーズやった。


■筋を通した脱藩大名
この巻では吉田松陰など有名な人も紹介されているけど、知らなかった人も多数。その中で印象に残ったのが、林忠崇という幕末期の大名。

幕末に筋を通した武士として紹介されている。千葉県木更津市のあたりに一万石の領地を持っていたけど、それを朝廷に返上して大名のある自分自ら脱藩する。

これは徳川の恩顧に応えるためで、その後浪人となった家臣団で新政府軍と戦う。脱藩した大名なんて聞いたことないと思ったらこの人だけらしい。

最終的には、大名だった人とは思えない過ごし方。

「まず旧領地で鍬鋤をふるう開拓農民となり、東京府の学務課下級官吏、函館の物産商の番頭、大阪府の役所書記などの職を二十年以上も転々とした。普通の没落士族でもつらい有為転変である」(p64)

そして、辞世の句が以下。

「琴となり下駄となるのも桐の運」

うーん、良い句やなー。

そして、著者はこの大名の話をひきながら二世議員に対するメッセージを送っている。

「二十代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲大名を擲った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも「桐の下駄」となる試練だけは味わってほしいものだ」(p65)

この人に限らず、筋を通した生き方をした人が結構よく紹介されてるのは、著者の共感があらわれてるのかもなーとも思った。


2012年11月18日日曜日

「ハーバード流“NO”と言わせない交渉術」に学ぶコミュニケーションのコツ


決定版 ハーバード流“NO”と言わせない交渉術

「交渉術」と銘打っているけど、テクニック的な話というよりかは交渉に臨むにあたっての考え方が中心。

交渉という場面に限らず、コミュニケーションとか相互理解が必要な場面全般で参考になる考え方が結構ある。


■建設的な話し合いのための3点セット
建設的に話し合いを進めていくために身につけておきたい交渉姿勢の3点セットとして次の点が挙げられている。


  1. 交渉相手の見解を認めてあげること
  2. 次に自分の考えをはっきり主張すること
  3. そして、同じように両者の間の食い違いは必ず解決できるという楽観的な見解もはっきりと示すこと
このあたりは、やはりコミュニケーション全般で役立つはず。

あと、特に交渉に臨む際の考え方で良いなと思ったのが、交渉は勝ち負けではなくて相手と一緒に相互に満足できる解を探す取り組みであるということ。

「交渉は「勝つか負けるか」のサバイバル・ゲームではない」(p29)

「すべては、そこから始まる。けっして「勝利」を目指すべきではない。代わりに「相互満足」を目指すべきなのだ」(p308)


■相手の立場になり、相手の利益を考える
特に印象に残ったのが、3点セットの1つ目でも述べられていた、相手の見解を認め、相手の立場になって考えるということ。

自分だけが正しいと考えるのではなく、次のように考えることが重要。

「相手も相手なりの立場や経験に基づいて正しく、あなたもあなたなりの立場や経験に基づいて正しい」(p137)

この考え方をベースに交渉してきた著者は次のように述べている。

「数多くの交渉の場で、私は星の数ほどの人間と相対した。そのたびに私は相手の立場に慣れ親しみ、相手の運命と境遇のうえにわが身を置き、相手が生きている環境の中で暮らそうと心がけた。すると相手の運、不運を実感として体験し始めることができるのだ。そうなれば、もう自分の立場や見解を相手に押しつけることなどしたくなくなる。相手にとってベストだと思うことを考えてあげ、それを受け入れるように説得するようになったのだ。そして、そのことはつねに私自身の利害と一致した」(p222)


■自分に不利でなく相手に有利な条件
もう少し具体的な交渉の技術としては、自分にとって低価格、相手にとって高利益になる条件を提示する方法が挙げられている。

これに関連して紹介されていた例が参考になった。

「あるアメリカ人ビジネスマンがモスクワまで商用旅行をした。空港に降り立った彼は、宿泊先のロシアホテルまでタクシーを利用することにした。
片言のロシア語で、彼はタクシー運転手にホテルまでの料金を聞いた。
 「四十ルーブルです」
と運転手は答えた。それは、その当時のレートで換算すると六十ドルにもなる。いかにも高すぎると思い、他の運転手にも同じことを聞いてみたが、その返事はやはり、
 「四十ルーブル」
であった。
 そこで彼は、空港ロビーまで引き返して〝ドル・ショップ″で二十ドルのウオツカを一本購入した。そして、それを最初に接触したタクシー運転手に示し、料金代わりでどうかともちかけた。すると、相手は青んで承諾したのである。なぜか。その理由はロシア人たちにとって、そのウォッカを手に入れるには街の酒店の前で長蛇の列をつくり、四時間も待たなければならなかったからだ。ウォッカは、アメリカ人ビジネスマンにとっては″低価格″であったが、ロシア人運転手にとつては〝高利益〃だったのである。そして、ロシア人にとってタクシーをロシアホテルまで運転していくのは〝低価格〃であったが、アメリカ人ビジネスマンにとっては〞高利益〃だったというわけである。」(p241-242)


■相手と一緒に考える
もう1つ良いなと思ったのが、相手を「敵」ではなく「パートナー」としてみなす考え方。

例えば、夫婦間でのクリスマス休暇の過ごし方で、妻は妻実家に帰りたい、夫は夫の実家に帰りたいと考えていて希望が一致しない場合にどうするか。

お互い言い張っているだけでは解決しないしケンカしたまま。

自分の希望を言い張るのではなく、自分の希望を一つか二つ挙げつつも、相手にも他の案を求める。その時に、「何か良い案はない?」といった形で問いかけて一緒に考える。

著者は、相手との会話をブレーン・ストーミングに変えていくという表現を使っている。

「要は、相手との会話を〝プレーン・ストーミング〞に変えていくことである。可能なかぎり実現の可能性がある選択肢を話し合いの中で協力しながらつくり上げていく。そのためには相手の立場に立って、その主張を〝再構築〞し、数ある選択肢のうちの一つに加えるようにする姿勢が大切になってくる。」(p172)

この例に限らず、使える言い方や提案方法としては次のような例も挙げられていて、なるほどと思った。

「そうそう。そこが問題なんだ。君だったらこの提案を成功させるためにはいったいどうすればいいと思う?」(p188)

「どうしたらもう二度と同じようなことを起こさないですむか、二人で考えましょうよ」(p192)

「私たち、いったいどうしたら予算内にうまく収まるように、生活を切り詰めていけるかしら」(p192)

そして、王貞治さんの考え方の例も紹介されていて、これはとても印象深かった。

「〞日本のベーブ・ルース〞と呼ばれた偉大なるホームラン打者、王貞治が語ったバッティングの秘訣をご存知だろうか。彼はマウンド上から豪球を投げ込んでくる相手投手を″パートナー〞と見なしていたという。なぜならば、投手が自分に向かって一球一球ボールを投げてくれてはじめてホームランも打てるから、というのである。敵意をむき出しにして力の限りに投げ込んでくる相手投手は、この偉大なるホームラン王にとってはけっして敵ではない。ホームランを打つ機会を与えてくれる威力者〃なのだ。一球一球の投球は、彼にホームランを打たせようとする一回一回のチャンスというわけである。
 彼と同じように、あなたも敵意をむき出しにして強硬に自分の立場を次々と突きつけてくるしたたかな交渉相手を〝パートナー″と見なせばいい。彼が繰り出してくる数々の卑劣な戦術も、強硬な自己主張も、すべてあなたが最高の合意を得るために与えてくれているチャンスなのである。」(p206)

相手を「敵」とみなしたら、思い通りに交渉やコミュニケーションが進まなかったらイライラしっぱなしやろうけど、一緒に課題解決する「パートナー」とみなして接すれば前向きに考えられる気がする。

細かいテクニックが学べる本ではないけど、考え方の面では参考になる内容が結構詰まっている一冊やった。

2012年11月17日土曜日

見かけによらずワンコインで学べることが多い「図解 ドラッカーがわかる本 」


図解 ドラッカーがわかる本 

ペーパーバックスみたいな感じで500円。なので、正直最初は軽そうな内容かなーと思ってたけど、意外にワンコインで結構学べる。

しかも著者自身の経験、果ては、けいおん!やエヴァンゲリオンも引き合いに出しつつ具体例を紹介していてとっつきやすくしている。

■ドラッカー本3つの罠
まず最初に、ドラッカー本を読んでいく時にはまりやすい3つの罠について解説している。その3つが以下。

①登場する「例」がすごくわかりやすい
「わかったつもり」になってしまう。そのケースでは当てはまっても自分の状況でも同じことが言えるとは限らない。

②ドラッカーの言葉が標語のようにキャッチー
用語を覚えただけでは思想を理解したことにはならない。

③「普通の言葉」を「普通でない意味」で使う
「ドラッカーはしばしば「普通の言葉」を「普通でない意味」で使うことがある。「ほらほら、読者のみんなは、この言葉の意味を、こういうことだと思い込んでいない?」でも、本当はそうじゃないんだよ。本質はこういうことなんだよ!」―ドラッカー定番の論法である」(p13)

しかも「言葉の定義」は本の冒頭で一度しか語られない。どこにも書いてないケースもあるということ。

これら罠を回避するために、最初のパート1では基礎用語を解説。ドラッカー本はまだあんまり読んでないけどこのへんを念頭においておくと良いかもなーと思った。


■ドラッカーの人となり
その次のパート2は、ドラッカーの生涯を振り返るダイジェスト。誕生から幼少時代、そして仕事の経歴などについて解説。

おばあちゃんから学んだこと、父の人脈、先生などについても述べていて、人脈がスゴイ。

フロイト、シュンペーター、ハイエク、ポランニー等の著名な学者だけでなく、作家のトーマス・マンや初代チェコ・スロバキア大統領のトマス・マサリクなど、そうそうたる名前が並ぶ。


■趣味全開の具体的な例が面白い
パート3以降では、以下のような内容について紹介。

  • 「ビジネスマン」のあり方
  • 「リーダー」のあり方
  • 「組織」のあり方

こうした中で、著者の人が自分の経験からの例も引き合いに出しながら紹介していてそれが結構分かりやすい。

例えば、「コスト予防」というキーワードについて。著者の子供が1歳の時に歯磨きが終わるとキシリトールのラムネを1つあげていて、2歳になったら2つにした。

ラムネが増えた時に最初は狂気して子どもが喜んだけど、しかしすぐに「ラムネを2個もらえるのが当然」という感覚になり、1つしかない日にかんしゃくを起こすようになってしまった。

一旦コストを上げてしまうと後でコストを削減するのは難しいという例としてこれを紹介している。

その他にも、「変化は自ら求めよ!」という項では次のような例を紹介している。

ある女の子に意外と音楽の素質があってわりと早い時期にギターを弾けるようになる。しかし、技術が高くなると、さらに上を目指すには道のりが長くなってきた。

「その道のりの長さに挫折し、楽器への興味が薄れたとき、唯は「飽きた」といった。
―アニメ『けいおん!』に関係あるようで関係のない話である。」(p98)

思わず「けいおん!」かよ!ってツッコミたくなった(笑)

もう1つ、「自由」というキーワードについて。新世紀エヴァンゲリオンの最終回でシンジに聞こえてくる声を紹介している。

「これは何?何もない世界」
「なにものにも束縛されない、自由の世界だよ」
「あなたが考えない限り、何もない」
「君の好きにしていい世界」
「でもあなたは不安なのね」
「どうしたらよいか、わからないからね」

「このシーンは、ドラッカーの言う「自由は楽しくない」という主張の本質をズバリ表現した」(p233)と述べている。

著者の経歴を見ると、アスキー出身ということやけど、そういうバックグラウンドもあってからなのか、こういう例を出してくるのは面白かった。


見かけで判断したらいかんなー…と改めて思った一冊やった。


2012年11月16日金曜日

「失敗学のすすめ」から失敗のプラス面への目の向け方を学ぶ


失敗学のすすめ (講談社文庫) 

「失敗学」を提唱する著者が、さまざまな「失敗」例を紹介しつつ、失敗の構造、失敗に対する考え方や取り組み方について述べている本。

一番大きなメッセージは「失敗のプラス面に目を向けよう」(p18)というもの。

特に日本では、失敗=恥という捉え方で人に知られたくないものとして扱われ隠されてしまうが、それだと次につながらない。

また、そもそも、失敗があるからこそ新しいものが生まれる。新しいことに取り組む時は必ずと言っていいほど失敗が生まれる。そこで失敗のマイナス面にとらわれて止めてしまうと新しいものは産まれない。

著者は次のように述べている。

「失敗は、新たな創造行為の第一歩にすぎません」(p286)

こうしたことを踏まえて、次のようにも述べている。

「失敗は誰にとっても嫌なものだが、人間の活動につきもので人が生きているかぎり避けて通れない。そうであるなら大切なのは失敗しないことではなく、失敗に正しく向き合って次に活かすことである」(p301)

失敗が起こらない、ミスがない前提の方がよっぽど不自然で、その前提でシステムや仕組みを設計すると失敗してしまう。であるならば、失敗やミスはある前提でそれにどう対処するか考えていったほうが良い方向に向かうということか。


■成功例の落とし穴
失敗に対する考え方だけでなく、成功例に関する考え方も参考になった。成功例に学ぶと言うやり方は賢いように見えるけど、うまくいかない。その理由について次のように述べている。

「お手本を模倣することでうまくいくと考えている人の多くは、やがてそれ以外の方法について「見ない」し「考えない」ようになる。さらには、よりいいやり方を探し求めることまでやめて「歩かない」ようにもなるが、その一方で時代は常に変化しているので、あるときの「いいやり方」がいつの間にか「ダメなやり方」に変わるということが必ず起こるからである」(p294)

確かにこれはあるよなー。イノベーションのジレンマにも通じるような話かな。


■客観的失敗情報は役にたたない
もう1つ参考になったのが、客観的失敗情報は役にたたないという考え方。一般に情報は客観的な方がいいとされるけど、実際に役立つのは主観的な情報という主張。

失敗した当人が、その当時に考えていたことや体験したこと、その時の気持ちといった生々しい話の方が失敗情報を伝える上では重要ということ。
遭難した時の報告書で、客観的な記述と主観的な記述でどう異なるか例を提示している。

客観的な記述の例
「〇月×日、入山から一時間後、出発地点から四キロ先にある分岐点に差し掛かったとき、登山者は不注意から選択を誤り、正規の道を外れてしまった。この日の気温は、標高八百メートルの地点で摂氏二十度、湿度は六五パーセント。午前十一時から一時間の雨量にして約十ミリ程度の雨が降り出し、雨具を持っていない登山者は雨に打たれるのを嫌うあまり、思慮なく森の中に入ってしまった。その後、雨が止むのを待たずに、いたずらに森の中を歩き回ってしまうという判断ミスを重ねたため、最終的に道を見失ってしまった……」
(p111-112)

主観的な記述の例
「〇月×日、山へ向かう。早朝、家を出るときに妻から小言をいわれ、気分がすぐれない一日のスタートとなった。そんな気分を晴らしたいため、山道ではつい大好きな草花観賞に没頭し、一本道だったこともあっていつもは絶対に手放したことのない地図をよく見ずに歩いてしまった。暑さを感じ始めたころ、ある分岐点にさしかかったが、一方の道はその場所から下っていたため、地図を開いて検討することもなく迷わず上りの道を選ぶ。しばらくすると夕立のような激しい雨が突然降り始めたので、これを避けるために道を外れて雨がしのげる大木を探して森の中に入ったが、やみくもに歩くうちに方向がわからなくなってしまった。途中、森の中でキノコを見つけ、それに気をとられたのがまずかった。雨具を忘れたことを心底後悔しながら、その後は雨が止むのを待てずに遊歩道を探しながら森の中を歩き回ったものの、数時間経っても道を見つけることはできなかった……」
(p112-113)

この2つの記述のうち、より身近な例として実感できるのは後者の方。無味乾燥な客観的な記述からは教訓を引き出すのが難しいということで、主観的な情報のほうが役に立つと述べている。

「人々が本当に欲しているのは、その失敗に際してその人が何をどう考え、感じ、どんなプロセスでミスを起こしてしまったかという当事者側から見た主観的な情報」(p114)

こうしてプロセスや考えの経緯が分かることで、報告書だけでは見えない背景の要因も見えてきやすくなるのかなーとも思った。


■ハインリッヒの法則
あと、今ではよく聞くようになったけど、ハインリッヒの法則についても述べてあったので、メモも兼ねて簡単にまとめ。

「一件の重大災害の裏には、二十九件のかすり傷程度の軽災害があり、さらにその裏にはケガまではないものの三百件のヒヤリとした体験が存在」(p87)しているというもの。

失敗にも同様に「失敗のハインリッヒの法則」というものがあるということで以下のような図が紹介されていた。
「失敗学のすすめ」p87

本書をまとめた動機として著者は次のように述べているけど、その想いが伝わってくる一冊やった。

「人の営みを冷たく見る見方からは何も生まれず、暖かく見る見方だけが新しいものを生み、人間の文化を豊かにする。失敗は起こるものと考え、失敗に正しく向き合って次に生かすことが重要で、同じ失敗を繰り返さないためには失敗した当人に優しく接して勇気付けたい、翻って、失敗を無視し、隠し、責任回避するような風土を少しでも改めたい、と考えて本書をまとめた」(p290)

2012年11月15日木曜日

マネジメントの参考になりそうな心理学のコンセプトをざっと学べる「すごい上司 部下が自ら動き出す心理学」


すごい上司 なぜ人は言われたこともできないのか 部下が自ら動き出す心理学 (PRESIDENT BOOKS)

プレジデント誌の人気連載「職場の心理学」をまとめた本。連載は、本を出した時点で130回を超えているけど、その中でも反響の大きかった28本を厳選して集めたもの。

元が雑誌の連載ということで比較的読みやすい。その分浅いけど、マネジメントに役立ちそうな心理学的なコンセプトをざっと学ぶにはちょうどいいかも。

特に、上司が部下をマネジメントする際に役立つ考え方が紹介されている。特にやる気の引き出し方が中心。


■やる気とアウトプット
モチベーション、やる気とアウトプットとの関係について、本の冒頭に以下の3つの言葉が紹介されている。

「有意義な仕事をしているという自覚のある労働者がつくった製品は、必然的に高品質になる」
―ペール・ジレンハマー(ボルボ元会長)

「生産性とは機械や道具や手法の問題ではなく、姿勢の問題である。換言するならば、生産性を決定するものは、働く人たちの動機である」
―ピーター・ドラッカー(経営学者)

「部下に丁寧に接することには、コストはまったくかからない。しかし、その見返りは、仕事への忠誠心と情熱を高める点で限りなく大きい」
―ジム・パーカー(サウスウエスト航空元CEO)
(p2)


■作戦を語る
本の中で印象に残ったのが、元気のいいマネジャーの共通の特徴の話。その特徴はというと…

「一言で言えば、それはビジョンを描き、それをもって部下を鼓舞できるマネジャー」(p206)

言い換えると、「作戦を語れるマネジャー」 であるということ。思いつきの作戦だったり、上から言われたことをそのまま下に流しているだけの作戦でもない。

「儲けにつながる、あるいは成果につながるためのイメージが湧いて、関係者をわくわくさせることができる、そのような作戦」(p206)でなければならないということ。

そのためには、その目標を自分のものとして腹落ちさせた上で、さらに部下をはじめ周りのひとを巻き込んでいけるように説得力があり、イメージがわくものにしていかなければならない。

そして、そのレベルになると、反対意見が出てくるようになるけど、それはある意味当然ということ。

例えば売上を上げようとか、総論レベルの目標であれば誰も反対しようがないけど、それをどうやって達成していくかという具体のレベルになるといろんな意見が出てくる。

しかし、そのレベルになってはじめて実効性が出るレベルになっていて、はじめて「作戦」と呼べる。

「提唱したマネジャーの思いや意図の入った具体的なイメージが加わると、さきほどの総論のときには聞こえてこない賛成意見あるいは反対意見が出てくることになる。これは、具体的なイメージが湧くにつれ、部下である関係者の損得や好き嫌いがはっきり見えてくるからである。実は、一部から反対意見が出るくらいまで、具体的な説明を添えなければ、「顧客を大切にする企業になる」とか、「従業員にとっても魅力ある企業になる」などの至極当然なキャッチフレーズだけでは、他者のイメージをかきたて、その実現に加わりたいと思わせる(ひらめきやときめきを与える)ような、真の意味での作戦にはなりえないのである」(p209)

このへんの考え方は参考になった。


■部下を知るだけでなく、自分を知ることも重要
あと、よく言われることでもあるけど、部下のタイプ別に対応方法を変えることの重要性が述べられている。

例えば計、画型の部下と柔軟型の部下がいる。計画型の部下は、目標や手順を明確に示すことで仕事の満足感が高まる。

一方、柔軟型の部下は自律性や創造性に関心があるので、あまり細かな手順等をしばると逆に満足感が下がる。こうした形でタイプに応じた対応をすることが重要。

ただ、一方で、部下のタイプを知るだけでなく、自分を知ることも重要であると述べられている。

「あなたは、部下を動かさなくてはならないときに、この部下はこんな性格だから、あるいはあの部下はこんなところがあるから、と各々の部下の特性や性格を考え、それに応じてコミュニケーションを取っているのではないだろうか。もちろんそれは有能な上司として必要なことなのだが、さらに大事なことは、自分自身がどんな特性を持つ上司であるかを知ることである。
 自分の弱みは何か、強みは何か、どんな心理特性や行動特性を持っているのかを知り、それが部下の心にどのように映っているかを把握しておくことが、実は最も大切なのである。部下の心に映る自分を変えていくことによって、部下をも変えていくことができる。ピーター・ドラッカーは、自分自身をマネジメントできない人は他人をマネジメントすることはできない、と言っている。リーダーは、まずは己をマネジメントしなければならないのである。」(p123)

確かにそれはそうやなーと思った。自分自身が何に関心があり、何を是とし何を否とするか明確にしておかんと、場当たり的な対応になって信頼も失われてしまうやろうし。よくいう「ブレない」ってことにもつながる話かもなー。

このあたりの考え方のとっかかりになる一冊やった。

2012年11月14日水曜日

「日本はなぜ敗れたのか」ではなく「日本はなぜ敗れるのか」というタイトルにこめられた現在にまで続く問題意識



日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条 (角川oneテーマ21)

小松真一という方の「虜人日記」という手記をベースに、小松さんの言葉を引きながら、著者自身の体験も踏まえつつ、日本の敗因について語った本。

単に戦争に負けた原因だけでなく、その原因となった要素は戦後も変わらず続いているのではないかという問題意識から書かれている。


読んでみて思ったけど、戦争をテーマにしていながら「日本はなぜ敗れたのか」という過去形ではなく、「日本はなぜ敗れるのか」という現在形になっているのは、そのあたりの想いが強くこめられているからかもしれない。



■虜人日記
ベースにされている「虜人日記」を書いた小松さんは、軍人ではない。陸軍の嘱託として徴用され、ガソリンの代用品を製造するための技術者として昭和19年1月にフィリピンに派遣される。

そのまま戦後を迎えるけど、この手記は没収されないように骨壷に隠して持ち帰る。戦後はずっと銀行の金庫に眠らせたままで、生前は戦争体験も家族に話すことはあまりしなかったとのこと。

著者の山本さんは、この手記が、見せるために書かれたものではなく、また、戦後時間が経ってからではなく、ほとんど同時代に書かれたことから、他の手記とは違って史料の価値が高いとしている。


■敗因21カ条
その「虜人日記」で述べられている敗因とは以下の21カ条。

一、精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた
二、物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった
三、日本の不合理性、米国の合理性
四、将兵の素質低下(精兵は満州、支那事変と緒戦で大部分は死んでしまった)
五、精神的に弱かった (一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
六、日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する
七、基礎科学の研究をしなかった事
八、電波兵器の劣等(物理学貧弱)
九、克己心の欠如
一〇、反省力なき事
一一、個人としての修養をしていない事
一二、陸海軍の不協力
一三、一人よがりで同情心が無い事
一四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
一五、バアーシー海峡の損害と、戦意喪失
一六、思想的に徹底したものがなかった事
一七、国民が戦いに厭きていた
一八、日本文化の確立なき為
一九、日本は人命を粗末にし、米国は大切にした
二〇、日本文化に普遍性なき為
二一、指導者に生物学的常識がなかった事
(p55-56)

ざっと読むとふーんっていう感じやけど、著者の解説を交えながら読み進めていくとよく分かる。そして、今も通じるなーっていう話がたくさんある。


■術と芸の世界
その中で特に印象に残ったのが、術と芸の話。この話のところで、著者はまず取引先の印刷所の例を挙げている。

「私の取引先のT印刷所は、機械二台、家族だけの零細企業である。その印刷機の一つは、今ではおそらく博物館にしかないと思われる、俗にチャンドラという印刷機で、Tさんはそれをもう半世紀も使っている。いわば印刷機の三八式歩兵銃である。だがこのT印刷所の"技術"は、高性能総自動化最新式印刷機で刷った印刷物よりはるかに立派であり、T印刷所ファンの出版社は多い。日本で知らぬ人のない高名な大出版社の代表的出版物で、そのカバーとか箱とかの実に鮮明な美術印刷が、実は、この三八式歩兵銃=チャンドラの製品であるものも決して少なくない。
 これは実にすぼらしい〝技術"であり、従って、どんな不況が来ても、どんな大資本・総機械化・最新式印刷工場と受注を争っても、ある印刷部門に関する限り、Tさんは負けない。いわば絶対的な強みをもっているのである。
 しかしTさんがもっているのは、正確にいえば個人のもつ"芸"であっても、客体化できる"技術"ではない。いわばTさんの技術は、"武芸"と同じような"印刷芸"であって、正確には、氏から離れて、それだけを系統的に多くの人が同時に学びうる、体系的技術ではない。またこの"芸"は、チャンドラでだけ生かされるもので、氏がチャンドラですばらしい印刷をするから、高性能総自動化最新式印刷機ならもっとすばらしい印刷ができるかといえば、そうではないのである」
(p180)

著者はこれと同じようなことが日本軍にも起こっていたと述べている。一定の制約条件や想定条件のもとで、術や芸を争うのが中心になっており、条件が変わった時に対応できていなかったとのこと。

どう問題になるかというと、ルールが変わった時に対応できない。環境や技術の変化によって前提条件が変わっている時に、古色蒼然とした芸や術ではしのげなくなってしまう。

また、上のチャンドラの例でも述べられているけど、芸は一子相伝の世界なので、交代要員がなかなか育てにくい。

具体的な例としては、射撃の例があげられている。誤差修正の計算はさまざまな要素を考慮する必要があり、うまい人は名人や神様と呼ばれた。

しかし、その「芸」をみんな身につけられるかというとそれは難しい。さらに、戦場になった場所はジャングルも多く、そういった場所ではそもそも視界がゼロで、前提となっている情報も得られない。

著者は次のように述べている。

「前提が一変すれば、百点満点が八十点になるという形にならず、零点になってしまう」(p192)

そして、これは受験勉強をはじめとして、同じようなことが戦後も続いているのではないかと述べている。

「戦後も同じではなかったか。外国の青写真で再編成された組織と技術のもとで、日本の経済力は無敵であると本気で人びとは信じていたではないか。今でもそう信じている人があるらしく、公害で日本が滅びるという発想はあり得ても、公害すら発生し得なくなる経済的破綻で日本が敗滅しうると考えている人はいないようである」(p199)


■実数と員数
上と似たような話で、実数と員数の話があった。

「「員数」自体は、単に"物の一定の個数"の意だが、"軍からの支給品は絶対なくしたりしてはならぬ"という規律から、仮に何かが見つからない場合も、同じ日本軍の他班、他隊から盗んですら、"一定の個数には変動がない"ことにした。これを「員数合わせ」と言ったが、つまりは実体などどうでもよい"つじつま合わせ"である。」(p99)

このあたりが結局形式化してしまい、兵力や飛行場などのリソースについても、実態としては使える状態ではなくても数字だけで使える状態になっていたとのこと。うーん…


■異文化蔑視
もう1つ印象に残ったのが、以下の話。

「昭和十九年、私がマニラについた時以来、朝から晩まで聞かされていたのは、フィリピン人への悪口であった。「アジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅すなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「無責任」「勤労意欲は皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々―。だがだれ一人として、「彼らには彼らの生き方・考え方がある。そしてそれは、この国の風土と歴史に根ざした、それなりの合理性があるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」とは言わなかった。従って、一切の対話はなく、いわば「文化的無条件降伏」を強いたわけである。
 それでいて、自己の文化を再把握し、言葉として客体化して、相手に伝えることはできなかった。考えてみれば、そうなるのが当然であって、従って、そこに出てくるものは、最初にのべたように彼らを「劣れる亜日本人」とみる蔑視の言葉だけなのである。そしてこの奇妙な態度は、戦後の日本にもそのままうけつがれた」(p148)

自分はインド人と仕事をする機会が多いけど、よく耳にする言葉で自分も以前よく言ってしまっていたのが「インド人だから…」という言葉。

例えば、プロジェクトで忙しい時やお客さんからクレームが入って対応してほしいことがある時に、インドの開発チームにいろいろ頼んだりするけど、彼らは彼らの都合があって帰ってしまったりする。

その時に、日本人的な考え方だと、プロジェクトが佳境なんだから残業しても手伝おうとかそういうふうに考えるのがある種当然みたいなところがあると思うけど、そのへんは向こうはアッサリしている時がある(もちろんケースバイケースで対応してくれる時もあるけど)。

そういう時に、「インドは…」とか「インド人は…」という言葉が出てくる。もちろん蔑視しているつもりは言ってる時にはなかったけど、著者が述べている以下の態度とはほど遠い…

「風土と歴史に根ざした、それなりの合理性があるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」

最近は少しずつこういう考え方ができるようになってきたけど、やはり自分たちの考え方を絶対化しているとうまくいかないし、対話もできない。このあたりの考え方は異文化コミュニケーションにおいて、常に頭に置いておきたい。

しかし、この本の元となった文章の初出は1975-1976年で、今から30年以上前やけど、それでも今読んでも通じる文章やなーと思う。


■戦争という極限状態であらわれる人間の本性
あと、上の敗因の話とはちょっと違った角度の話になるけど、戦争という極限状態での中で観察した人間についてのものの見方について、小松さんが書かれた文章は刺さる。

「人間の社会では、平時は金と名誉と女のことを中心に総てが動いている。それらを得る為に人を押しのけて我先にとかぶり付いて行く。ただ、教養や色々の条件で体裁良くやるだけだ。それでも一家が破産したり主人公が死んだりすると、財産の分配等に忽ち本性を現し争いが起こる。
 戦争は、ことに負け戦となり食物がなくなると食物を中心にこの闘争が露骨にあらわれて、他人は餓死しても自分だけは生き延びようとし、人を殺してまでも、そして終いには死人の肉を、敵の肉、友軍の肉、次いで戦友を殺してまで食うようになる。
 平時にあっても金も名誉も女も不要な人は人望のある偉い人である。偽善者や利口者やニセ政治家はこのまねをするだけだ。世渡のじょうずな人はポロを出さずに、この二つを心得ている。戦時中に命も食物も不要な人は大勢の兵を本当に率いる事ができる人だ。こういう人を上官に仰いだ兵隊は幸いだった。負け戦で皆が飢えている時、部下に食物を分ち与える人、これは千人に一人いるかいないかだ。PWになってからも食物を中心に人心が動き勢力が張られた。
 どうにもならなくなった時、この一切れの芋を食わねば死ぬという時にその芋を人に与えられる人、これが本当に信頼のできる偉い人だと思った。普通の人では抜けられぬこの境地に達し得た人が人の上に立つ人だ。。この境地に少しでも近づきたいものだ。修養の目的はここにあるのではないか。戦国の武将の偉い人にはこの事を心得ていて実行した人が多かったようだが、現代の武将には皆無といってよい位だDこういう人には自然と部下ができ物質には不自由しないのが妙だ。だれかが「無一物中無尽蔵」といったが正に名言だと思う。この心境に至るには信仰以外に道はない気がする。人間とは弱いものだから。」
(p118-119)

これを読んで若干ブルーになったけど、こういうところも踏まえておかんといかんよなー…


上記で紹介したところ以外でも考えさせられる内容がたくさん詰まっていて、人生において読んでおいて良かったと思える一冊やろうなーと思った。

2012年11月13日火曜日

「虚妄の成果主義 日本型年功制復活のススメ 」に見る見通しの重要性


虚妄の成果主義―日本型年功制復活のススメ

 著者は、過去10年以上にわたって、年棒制の導入や成果主義の導入に対して一貫して異を唱えてきたという方で、日本型年功制を推奨している。

第1章が、成果主義の問題点や、日本型の年功制の利点について述べていて、講演等で話してきた内容が元になっている。2章以降は理論的な話が中心で、動機付けの理論等を幅広く紹介している。

■日本型の人事システム―次の仕事の内容で報いるシステム
著者は、日本型の人事システムの本質について、次のように述べている。

「日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムではなく、次の仕事の内容で報いるシステムだ」(p4)

このあたりの話や、成果主義の問題点については、以前読んだ「<育てる経営>の戦略」で述べられていることとほとんど同じ内容。


この本の内容については上の記事にまとめ済みなので、それ以外で印象に残ったことを記しておく。


■見通しの重要性
1つ面白かったのが、見通しの重要性。2つ事例を紹介しているけど、まずトヨタの事例。

戦後、すぐに、トヨタでは3年以内にアメリカの生産性に追いつくという目標を打ち出す。この時、アメリカの量産工場の生産性は約10倍と言われており、実際の格差はかなり大きかった。

結局3年ではムリだったものの、この目標を掲げ続け、1955年までの10年で、アメリカの自動車メーカーに生産性だけは追いつく。

著者は次のように述べている。

「途方もない無茶な目標でも、しかるべき人がしかるべき時に宣言すれば、そしてある程度の長期にわたって変更撤回されなければ、目標は人々の迷いを取り払い、人々を元気づけ、人々を方向づける」(p223)

もう1つ著者が紹介しているのが、心理学系の経営学者ワイクという人が紹介している例。

ある舞台が、アルプス山脈で軍事演習をしている際に吹雪で動けなくなった。その中で、隊員のポケットの中にあった地図に勇気づけられて、吹雪を耐えぬいて無事に生還。

しかし、戻ってきて地図をよく見てみると、舞台がいたアルプス山脈の地図ではなく、ピレネー山脈の地図だった。

これを受けて、著者は次のように述べている。

「雪道に迷った時には、誤った地図でさえ行動の指針として役立つ可能性がある。
 すなわち、それが最適であるかどうかはあまり重要な問題ではない。達成度も関係ない。将来の見通しが立つこと自体に、経営的観点からはある種の意義が存在する。混乱しているときにはどんな見通しでも有効である可能性がある」(p223)

こういった例に関連して、日本型の年功制は、将来への見通しを立てる上で有効だと述べている。

「未来!未来!未来!
 未来には力があるのだ。日本型年功制は、その「未来の持つ力」を引き出すために設計・運用されてきた。そのことをよく見ておきたい。」(p182)

見通しを立てて、それをメンバーに伝えるっていうのはリーダーの重要な役割の1つやろなー。例えそれが間違った見通しであっても、明確で揺らがない見通しを打ち出せるかどうかっていうのは鍵かも。


■日本的経営の評価をめぐる右往左往
あと、日本型の経営について、戦後から評価が上がったり下がったりいろいろしているけど、それは海外からの評価に右往左往しているだけだと述べている。

「実は、典型的な日本企業の現場の姿は、ここ半世紀の間ほとんど変わっていない。にもかかわらず、このように日本という国と日本経済に対する国際社会での評価によって、日本的経営に対する評価は大きく揺れ続け、評価をめぐって右往左往してきたのである。悲しいことに、日本企業のことを一番身近で一番よく知っているはずの日本国内での評価が、ただ海外での評価に追随してきただけなのだ」(p63)

このあたりについての著者の主張は頷ける。単に外からの評価を鵜呑みにするだけじゃなくて、やっぱり自分達がどう考えてどういう制度をとっていくかが大事やよなーと思った一冊やった。

2012年11月12日月曜日

「リーダーシップ」の条件は胆力と大局観(あと人心掌握力)


リーダーシップ―胆力と大局観 (新潮新書)

菅直人首相の辞任と野田首相の誕生のタイミングで書かれた本。著者はイスラムの専門家やけど、「幕末維新に学ぶ現在」というシリーズを書いているように、日本史にも詳しい。

特に日本史や世界史の歴史の中の人物像からリーダーに必要な心構えについて書かれている。


■リーダーの条件
副題に「胆力と大局観」とあるように、結構この2つが重視されているけど、リーダーの条件は3つにいきつくのではないかと述べている。
  1. 総合力
  2. 胆力
  3. 人心掌握力
この中で、特に、1つめの総合力=大局観の話が印象に残った。


■総合力=大局観

この総合力というのは、著者の言っている内容としては、大局観、全体、全局を見通す力等に言い換えらている。具体的にどういった場面で必要になってくるかというと、例えば、東日本大震災後の政治課題の対応。

被災地の復興や原発事故への対応は最重要課題ではあるが、一国の首相としてやることはたくさんある。国内の経済問題だけでなく、外交戦略もあるし、取り組むべき課題はさまざま。

その中で全体観を持って、優先順位をつけたり相互の関連を見極めながら、施策を方向性を示したり施策を進めていったりしなければ、全体的な原動力も失われてしまうという話。

このテーマに関連して、「危機に直面したリーダーとは」というタイトルで一章を割いて危機対応について書いている。

政治家の自然災害処理に着目し、以下のような例をとりあげて、その時々の政治家の危機対応を紹介している。

  • 明暦大火と保科正之
  • 安政大地震と堀田正睦
  • リスボン大地震とカルヴァーリョ
その上で、「宰相の資質と課題」という項もあり、現代への学びについても述べられている。


■全体観を持っていた司令官の例―山口多聞

全体観に関する例の1つとして、ミッドウェーの海戦で司令官として戦い、戦死した山口多聞という方について一章を割いて紹介している。

ミッドウェー海戦の時に、ミッドウェー島を攻撃するために、攻撃機の爆弾を陸用のものに積み換えていたところ、当初所在不明だった敵の空母の位置が判明。日本の機動部隊の周辺海域にいる可能性が高いということが分かる。

そこで、山口司令官は、待機中の急降下爆撃機をすぐに発進させて攻撃するように上官の南雲司令長官に対して意見具申。

しかし、南雲司令長官は結果的にはこれを受け入れなかった。どういう意図だったかというと、「支援戦闘機のない急降下爆撃隊は、アメリカ軍グラマンの餌食になるのではないかという疑問」(p126)があったため。

結局、この犠牲を惜しみ、主力空母の上ですでに陸用爆弾を積んで出発待機していた雷撃機の爆弾を再び積み換えて、対艦用の魚雷に換装した。

著者も、これはその通りとしているが、その判断によって敗北を招いたとしている。

「支援戦闘機への補給を優先するあまり、甲板で待機完了した爆撃機の発進を後回しにして戦闘機を収容した。爆撃機も換装している間に、世界戦史上屈指の敗北を招いてしまったのだ」(p126)
この判断について、次のようにも述べている。

「もちろん南雲司令長官も発進の必要を理解していた。しかし彼は、制空支援のゼロ戦(零式艦上戦闘機)がミッドウェー基地攻撃で出払っており、それを欠いた爆撃機を出せば、(グラマン)の援護を欠いたアメリカ軍爆撃機をゼロ戦が次から次に撃墜したように、敵の餌食になることを恐れたのだ。南雲は小の慈悲にこだわり、山口は大の決心を取ろうとしたのである」(p124)

こうした例を引きつつ、著者は、全体観について次のように述べている。

「目前の悲惨に日を覆われて全局を忘れてはならない。これは洋の東西を通じ、いつの世にも変わることのない指揮官の統率である」(p127)


■取捨選択

こうした例を踏まえつつ、細部にとらわれずに全体を見て取捨選択をすることの重要性が挙げられている。

「菅氏に限らず日本の政治家に読んでもらいたい佐藤一斎の言葉を一つだけ挙げよと言われるなら、私はためらわずに「言志録」二八〇)の次の文をあげるだろう。
「一物の是非を見て、大体の是非を間はず。一時の利害に拘りて、久遠の利害を察せず。政を為すに此くの如くなれば、国危し」(或る一つの良し悪しを見て、全体の良し悪しを考えない。一時の利害にこだわって永遠の利害を考えない。もし為政者がこうであったなら国は危機である)」(p22)

上記は菅元首相を引き合いに出しているけど、その他にも、鳩山元首相の普天間問題への対応についても述べられている。

「普天間問題に限らず鳩山氏の政治手法に欠けていたのは、さまざまな事象や可能性を自在に寄せ集めながら編み合わせると共に、必要なら捨て去ることで政治目標に肉薄する迫力である。これは政治家に必要な技巧であるが、誰であっても経験から学ぶ他に術がない」(p159)

そして、次のようにもまとめている。

「結局のところ、政治家のリーダーシップに不可欠なのは、ある政策を実現するときには別のものを捨て去るか、ひとまず脇に置くことで、大きな目標や本質的な目標の達成に近づく能力なのである」(p162)

このように、政治家のリーダーシップについての話がメインやけど、著者自身の経験も踏まえて歴史家の仕事についても対比している。

「歴史家にも要求されるのは、人びとや物事の動機・態度・意図・出来事を順序だてて整理できる能力であろう。そして、歴史で重要なポイントを無駄なく指し示せる歴史家の仕事は、政治をできるだけ複雑にせず問題を紛糾させない政治家の営みにも似ている。」(p162)


このあたりは、政治家や歴史家に限らずに大事なところやないかなーと思う。「胆力と大局観」この2つを身につけられるようにしていきたいと思わせる一冊やった。