2012年11月19日月曜日

「幕末維新に学ぶ現在」に、にじみ出る著者の日本史愛と脱藩大名の話


幕末維新に学ぶ現在

元々は産経新聞の連載記事が本になったもの。
自分は3から2へと逆に読んできて、これで最後。

ちなみに2巻と3巻の感想はこちら↓
「幕末維新に学ぶ現在」からの現在の政治家への愛のあるメッセージ
「幕末維新に学ぶ現在」から歴史の学び方・活かし方を学ぶ



■イスラムの専門家が日本史を語る理由
著者はイスラムの専門家なんやけど、日本史に関する文章を書くっていうのは、専門外のことなので一見不思議に見える。

そのあたりも踏まえ、最初の巻ということもあってか、この本の元となる文章を書いた動機について次のように語られている。

「私の専門とする十九世紀やに十世紀の中東やイスラームの歴史や政治を説明する場合にも、日本人の学者が日本に関わる要素を排除して論じることは不可能だということに尽きる」(p227)

「勤務先の東京大学教養学部の前期課程でリベラル・アーツの教育に携わる者として日本史の流れを無視した世界史の構造を教えることは思いもよらない」(p227)

これを読んで納得。世界史全体のことを考える際に、イスラムだけ、日本だけという物の見方だけではきちんと論じることができないという意識からのよう。

本の構成は、1章で1人ずつ幕末維新期の人物を紹介していく形式。
どの人物紹介も著者の想いが1つ1つこもっていて面白い。

上のような世界史の全体像話はあるとしても、えらい詳しいなーと思ったら、あとがきにこう書いてあった。

「何よりも私は幕末維新に限らず江戸時代の歴史を読むことが好き」(p229)

「江戸の切絵図を広げて大名や旗本の武鑑と突き合わせながら屋敷や禄高などを眺めて時間をすごせば、休日の長い一日もすぐ暮れてしまうといった塩梅」(p229)

専門のイスラムの歴史を読む時も、エジプトの近代化の指導者ムハンマド・アリーを島津斉彬となぞらえたり、タンジマート(オスマン帝国の改革)を集成館事業となぞらえてみたりしながら読んでいるとのこと。

ああ、何よりも単純に好きなんやなーっていうのがよく伝わってくる。3巻とも通じてやけど、「龍馬伝」とか大河ドラマを参照したりしていて、そのあたりでも好きな感じが伝わってきた。そのへんの愛を感じるシリーズやった。


■筋を通した脱藩大名
この巻では吉田松陰など有名な人も紹介されているけど、知らなかった人も多数。その中で印象に残ったのが、林忠崇という幕末期の大名。

幕末に筋を通した武士として紹介されている。千葉県木更津市のあたりに一万石の領地を持っていたけど、それを朝廷に返上して大名のある自分自ら脱藩する。

これは徳川の恩顧に応えるためで、その後浪人となった家臣団で新政府軍と戦う。脱藩した大名なんて聞いたことないと思ったらこの人だけらしい。

最終的には、大名だった人とは思えない過ごし方。

「まず旧領地で鍬鋤をふるう開拓農民となり、東京府の学務課下級官吏、函館の物産商の番頭、大阪府の役所書記などの職を二十年以上も転々とした。普通の没落士族でもつらい有為転変である」(p64)

そして、辞世の句が以下。

「琴となり下駄となるのも桐の運」

うーん、良い句やなー。

そして、著者はこの大名の話をひきながら二世議員に対するメッセージを送っている。

「二十代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲大名を擲った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも「桐の下駄」となる試練だけは味わってほしいものだ」(p65)

この人に限らず、筋を通した生き方をした人が結構よく紹介されてるのは、著者の共感があらわれてるのかもなーとも思った。


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